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ねえ、ヴェロニカ  作者: 天野 地人
第三章 ティナとベッキー編
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第三十話 白猫のリーラ

 その翌日。午前中の講義を受け終えた七緒は、レティシアに苦手な数学の補講を個人的にしてもらっていた。その日は遅くなることが分かっていたから、七緒の都合でヴェロニカを待たせるのは申し訳なくて、昼食は別々にしようと二人で話し合って決めていた。


 すっかり遅くなったせいか、閑散(かんさん)としている売店で唯一、売れ残っていたサンドイッチを買うと、七緒はその足で中庭へと向かった。


 中庭は一面に芝生が敷き詰められた広場になっていて、とても日当たりが良い。ところどころにハナミズキやカエデといった樹木が植えられ、その下にある木製のベンチは食事をしたり(くつろ)いだりするのに最適なのだ。


 中庭ではすでに昼食を終えたのだろう、たくさんの黒猫たちがグループを作ってお喋りしたり、ボール遊びに興じていたりする。どこに座ろうか――ぐるりと中庭を見回した七緒は、その中に見覚えのある黒猫の姿があるのに気づいた。


「あれは……」


 淡いアッシュブルーの髪をツインテールにした小柄な少女、ティナだ。ティナはパートナーであるベッキーととても仲が良い。ベッキーはふわふわとしたピンク色のくせ毛の天真爛漫(てんしんらんまん)な少女で、二人はセットになっていると言っても過言ではないくらい、いつも一緒に行動している。


 それなのに、どういう訳か今日はティナ一人だけだ。ティナは警戒した素振りできょろきょろと周囲を見回すと、一人で西側校舎の向こうへと去っていく。そちらには学校(エスクエラ)の実技棟や医院(ホスピターレ)があり、何か特別な用事でもなければ黒猫たちは立ち入らない場所だ。


(ティナ、一人でどこに行くつもりなんだろう……?)


 周りをひどく気にしていたから、他人には知られたくないのかもしれない。ベッキーさえ一緒じゃないだなんて、何かよほどの事情があるのだろうか。


(でも、ランチボックスを持っていたから、ティナもこれからお昼なんじゃないかな?)


 ランチボックスは食堂で売っているのを見たことがあるので、そうだと分かった。七緒はまだ買ったことはないけれど、晴れた日の中庭ではランチボックスを手にした黒猫たちが集まってお喋りしているのをよく見かける。七緒はしばらく迷ったけれど、ティナの後を追ってみることに決めた。


 西側校舎のあたりは人けが無く、そういった静かな場所のほうがティナは好きなのかもしれない。七緒ひとりでお昼を食べるのも寂しいし、せっかくだからティナとも仲良くなりたい。もし嫌がられたり迷惑がられたりしたら、そこで引き返せばいいのだから。


 しかし、西側校舎の裏に入ってもティナの姿は見えなかった。


(あれ……? 確かにこっちへ来たと思ったのに)


 さらに奥にある医院(ホスピターレ)の周囲にもティナの姿は無い。七緒は戸惑いながらも奥へ奥へと進んでいく。そのあたりになると周囲は草木ばかりで薄暗く、しんと静まり返って何だか怖いくらいだ。ティナを見失ってしまっただろうか。そろそろ戻ったほうがいいかもしれない――七緒がそんなことを考え始めた時。ようやくティナの揺れるツインテールが目に入った。


 足を止めてよく見ると、ティナは大きなモクレンの木の根元にしゃがみ込んでいた。モクレンは真っ白い花をいっぱいに咲かせていて、深い木々の間に雪のような純白の花弁を浮かび上がるように散らしている。こんなところでティナは一人きり、何をしているのだろう。七緒は静かにティナの背後へと近寄っていく。


「……ティナ?」

「わあっ⁉」


 まさか七緒がついてきているとは夢にも思わなかったのだろう。ティナはびっくりしてこちらを振り返った。いつも落ち着いているティナには珍しいことだ。


「……って、何だナナオか」


 ティナは七緒の顔を見ると、ほっと息をつく。そのかたわら、片手で何かをさっと隠したように見えるのは気のせいだろうか。


「ごめんね、驚かせて。こっちに行くのが見えたから、何をしているんだろうと思って気になってしまって……それでついて来たの」

「そ……そうだったのか」


「何をしているの? ……聞いてもいい?」

「……そうだな。まあ、ナナオならいいか」


 ティナはわずかに視線を彷徨(さまよ)わせたあと、小さくつぶやいた。それから眠たげに見える瞳が、何かを確認するように七緒を見上げる。


「ここだけの秘密だぞ」

「うん」


 そう七緒が答えた瞬間、ティナの後ろから白い何かもふもふしたものが、ひょっこりと顔を出した。

「……にゃあ!」


 ピンと立った三角形の耳。まだ若い猫なのだろう、一片の染みも無い真っ白な毛並みは見るからにフサフサだ。紫水晶(アメジスト)のつぶらな瞳が二つ、警戒するような色を浮かべてこちらを見つめている。七緒は驚きの声を上げた。


「猫……⁉ オラシオンに猫がいるの?」


「普通はいない。こいつは外から迷い込んでしまったんだ。オラシオンを囲む城壁はとても古くて、崩れている場所もあるんだ。リーラはたぶん、そういう壁の割れ目から迷い込んでしまったんだと思う」


 よく見ると白猫は左足を引きずっていて、足首には丁寧(ていねい)に包帯が巻かれてあった。


「怪我をしてる……ひょっとしてティナが手当てをしてあげたの?」

「うん。医院(ホスピターレ)に呼び出されて、その帰りにたまたま見つけたんだけど、ひどく弱っていたし……手当てをしないと病気になって死んでしまうかもしれないし、この子……助けを求めていたから」


 ティナはそう答えながら白猫の頭をゆっくりとなでた。ティナは普段は表情が乏しいけれど、白猫を見つめるまなざしは七緒も思わず笑顔になるほど温かい。七緒もティナの隣にそっと腰を下ろす。


「優しいんだね。この子に名前はある?」

「私はリーラって呼んでる。『紫』っていう意味なんだ。瞳が透明な紫色をしているから」

「そう……すごくきれいな響き」


 その言葉を聞いたティナはにっこりと笑みをこぼした。まるで自分のことのように嬉しそうだ。よほどリーラのことが気に入っているのだろう。その白猫のリーラに視線を落とすと、ティナの手の中にあるパンくずを熱心に食べている。


「それで……ティナはここでリーラにご飯をあげていたの?」

「そうだ。ただオラシオンは動物の持ち込みが禁止されているから、隠れてご飯をあげていたんだ」


「そうなの……でもこの白猫は、ティナが持ち込んだわけではないんでしょう?」

「うん。それでも私がご飯をあげているのがバレたらレイヴンに怒られるかもしれないし、リーラもひどい目に遭うかもしれない……だから内緒なんだ。ナナオも内緒にして欲しいんだけど……いいか?」


 それでティナは一人だったのだ。中庭で周囲をやけに警戒していたのも、リーラの存在を他の黒猫たちに知られないようにするためだろう。ティナはそれだけ本気で、この白猫を守りたいのだ。それなら七緒もティナの意思を尊重したい。


「分かった。それなら私も内緒にする」

「良かった……ありがとな」


 七緒とティナは顔を見合わせると、どちらからともなく「ふふっ」と肩を揺らして笑った。


 「あのね、ティナ。実は私もお昼がまだなの。ここで一緒に食べてもいい?」

「うん、構わないぞ。私もこれからだしな」


 七緒とティナはリーラを挟んで一緒にモクレンの根元に座った。七緒が口に運ぶのは先ほど売店で買ったサンドイッチだ。チーズとハムに新鮮なトマトとレタスをたっぷり挟んだ厚切りのパンが二切れも入っている。ワンパックでも十分にお腹いっぱいだ。


 ティナはクロワッサン二つとマッシュポテト、ソーセージ、そしてリンゴのコンポートが入ったランチボックスを開ける。並んで座るとティナの頭は七緒の肩のあたりまでしかないけれど、ランチボックスのボリュームが満点なのを見るに、ちょうど育ち盛りなのだろう。


 七緒とティナが持ち寄った昼食を食べ終わった頃、リーラもティナからもらったパンをすっかり平らげていた。リーラはティナを見上げ、舌なめずりをしながら「にゃぁぁん」と鳴く。


「そうか、美味しかったか。……よしよし」


 ティナは優しい手つきで猫の頭を撫でると、リーラも甘えるようにそのしなやかな体をティナにすり寄せる。ティナが何度もここへ足を運び、リーラの回復を手助けしてきたからこそ、二人の間には強い絆ができているのだろう。


(ティナは表情に乏しいところもあるけれど、とても優しい女の子なんだ)


 白猫はひとしきりティナに甘えると、「にゃおん」と鳴いて木立の間に姿を消した。


「行っちゃった……」

「私がオラシオンは危ないって伝えたから……普段はたぶん木立の間とか茂みに隠れてるんじゃないかな」


 ティナの言葉に七緒は目を丸くした。

「伝えたって……ティナがリーラに教えてあげたの?」

「……うん。私は子供の頃から何ていうか……動物と少しだけ会話できるんだ。魔法(マギア)の影響かな。馬とか牛の喋っていることが分かるし、犬や猫だと会話もできる」

「わあ……すごいんだね!」


 七緒は素直に驚嘆(きょうたん)してしまう。七緒の故郷である和国でも似たような話を聞いたことがある。強い力を持つ巫女は自然と心を通い合わせることで、動物や植物と意思疎通(いしそつう)することも可能だったというのだ。そういう特別な力を持つ巫女は伝説となって後世にも語り継がれている。ティナが同じ能力を持っているのだとしたら、本当にすごいことだ。


 けれど、当のティナは悲しげに表情を曇らせたのだった。

「オラシオンでも動物と会話できる黒猫は滅多にいない。嘘つき呼ばわりされたこともあるし、信じてもらえないことも多かったから、誰にも言っていないんだ。私が動物と喋ることができると知っているのは、幼馴染で(グラディウス)のベッキーだけだ」


「そんな……何だか酷い。同じ黒猫なのに……」

「仕方ない。たぶん、私のこの能力は魔法(マギア)の中でも異端なんだと思う」


 七緒は息を呑む。

(ティナの力はそれほど珍しいものなの……?)


 実家の一ノ瀬神社も代々、強大な力を持つ巫女を輩出してきた家系だけれど、七緒や二葉はもちろん、大巫女である祖母すらも動植物と喋るなんてことはできない。だからきっと、ティナの能力はデュシスでもかなり希少な能力なのだろう。なかなか周囲の理解を得られないのも仕方がないのかもしれない。


 そもそもの問題として、動物と喋ることができるだなんて、どうやって証明すればいいのだろう。動物が人間の言葉を話せない以上、ティナが動物たちと会話しているかどうかなんて第三者には永遠に分からない。ただの虚言癖(きょげんへき)がある少女だと判断される恐れは十分にある。実際にそういう目に遭ってきたのか、ティナは(うかが)うような視線を七緒へ向ける。


「ナナオは……私の言ったこと、信じるか?」

「うん、信じるよ。和国でも巫女は不思議な力があって、天地万物(てんちばんぶつ)と心を通じ合わせることができると信じられていたし、そういう事があっても不思議じゃないと思う」


「巫女……?」

「黒猫と同じで不思議な力を持った女性のことだよ。たぶんデュシスでの黒猫が、和国では巫女と呼ばれていたんだと思う。私の家は代々、巫女を輩出(はいしゅつ)するのが習わしだったの」


「ふうん……?」


 ティナは小首を傾げ、そのはずみで二つのツインテールが可愛らしく揺れる。遠い異国の話だからか、いまいちピンと来ないらしい。けれど興味はかき立てられるらしく、ティナは七緒へ質問をする。


「ナナオも巫女なのか?」

「私は巫女になり損なったから、デュシスに来て黒猫になったのよ」


「そうか……だからかな?」

「……何が?」


「リーラは警戒心が強くて、私以外の人にはあまり近づかないんだけど、ナナオのことは全然怖くないみたいだ。ナナオは不思議だなって、ずっと思ってたんだ。もしかしたらナナオにも私と似たような力があるのかもしれないぞ」


 思いも寄らぬ言葉に七緒は目を見開く。自分にもリーラと意思疎通(いしそつう)できる力があるのだろうか。今のところ力の片鱗も感じられないけれど、もしリーラと話すことができたら、それは素敵なことだと思う。


「私も……リーラと会話できるようになれるかな?」

「分からないけど……可能性はあると思う」


「またここに来ていい?」

「うん、いいぞ。でもリーラのことは絶対に誰にも――ベッキーやヴェロニカにも内緒だからな」


 ティナは七緒にそう念押しした。ヴェロニカはともかく、ベッキーにも内緒にするのは何故だろう。ベッキーはティナの(グラディウス)なのに。


 内心では意外には思ったものの、七緒はあまり深く詮索(せんさく)しなかった。ティナはリーラをとても可愛がっているし、大切にしている。だから少し神経質になってしまっているのかもしれない。


「分かった、約束する」


 七緒がそう告げるとティナは心からほっとした表情を見せた。ティナにとって、それほどリーラの存在を周囲に秘密にしておきたいのだろう。その反応を目にした七緒は、ますますティナとの約束を守らなければと心の中で固く決意するのだった。


 それから七緒とティナは揃って学校(エスクエラ)の校舎へと戻ったところで、ちょうど昼休憩の終了を告げる鐘が鳴り響く。午後は魔女討伐を想定した訓練だ。他の黒猫たちもすでに移動を始めており、その中にはロビンやコーデリア、プリシラといった第二部隊の黒猫の姿もある。ティナと七緒は彼女たちと合流し、ともに訓練場へと向かったのだった。


(リーラ、とても可愛かった。猫ってあんなに人懐っこいものなのね。……知らなかった)


 実家である一ノ瀬神社にも猫はいたけれど、神社の猫たちはつんと澄まして滅多に触らせてくれなかった。


(でも……それが普通かもしれない。リーラがあれだけ人に懐いているのはティナを信頼しているから。リーラにとってティナはきっと『特別』なんだ)


 それを考えると、ティナとリーラの関係は羨ましいとさえ思える。七緒も猫は好きだけれど、一ノ瀬神社では巫女として行儀良く振舞わなければならなかったので、猫には触れる機会がなかった。もちろん、家族の一員として迎え入れるなんて言語道断(ごんごどうだん)だ。巫女は神聖な存在であり、『畜生』に(けが)されてはならないと考えられていたのだ。


(今まであまり目立たない子だと思っていたけれど……ティナってどういう子なんだろう?)


 七緒はティナのことをもっとよく知りたいと思った。猫のリーラがあれほど信頼を寄せるティナは、どういう子なのだろう。リーラがティナに心を許しているのは意思疎通できることもあるけれど、それだけが理由ではないと思う。


 これまでティナは口数が少なく、表情も乏しくて、正直なところ何を考えているか分かり辛いと感じるところもあった。一緒にいるベッキーが明るくて騒々しい性格で、ティナは彼女のブレーキ役を担うことが多いから、余計にそう感じてしまうのだろう。


 七緒自身も意思表示が苦手で、何を考えているから分からないと評されるところがあるから、ティナに苦手意識を感じることはなかったけれど、じっくり話すきっかけがなかなか掴めなかったのも事実だ。


 けれど実際に接してみると、ティナはとても心優しく、面倒見の良い少女だった。困っている者を放っておけないのだろう。本来は警戒心の強い野良猫のリーラがすっかり心を許していることからも、その優しさが見て取れる。


 レイヴン・レティシアも黒猫は互いに信頼関係を築くことが大事だと言っていた。ティナと仲良くなれば、それを糸口にして(グラディウス)であるベッキーとも仲良くなれるかもしれない。


(また明日、ティナやリーラと会いに行ってみよう)


 訓練場に向かいつつ、七緒はそう心に決めたのだった。

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