第二十九話 《サンティ=ルクス建国紀》
「サーパント・ライオネルか。僕も見たことあるよ。確かにカッコいいって言うか……女子はああいうの好きだよねー。王子様系っていうか」
ノエルはそう言って退屈そうに頬杖をついた。ノエル自身はあまりサーパント・ライオネルに興味がないらしい。サーパント・ライオネルは容姿が秀麗なのはもちろんのこと、立ち振る舞いや話し方も柔らかで気品に満ちており、年頃の娘が多い黒猫の間で絶大な人気がある。
プリシラも胸の前で両手を組み、うっとりと瞳を潤ませた。
「確かにサーパント・ライオネルは絵のモデルにはぴったりかも……!」
「絵?」
七緒が目を瞬くと、ティナとベッキーが揃って声を弾ませた。
「プリシラは絵がとてもうまいんだ」
「そうそう! めっちゃ上手だぞ!」
ノエルもこの話題には興味津々なのか、俄然はりきって身を乗り出してくる。
「実は僕、まだプリシラの描いた絵をしっかり見たことないんだ。スケッチは何枚か見せてもらったけど、油絵はまだない。だから、ぜひ見てみたいな。……ねえ、ナナオも興味あるでしょ?」
「うん、私も見てみたい」
「……! ナナオ、それ……本当?」
「え? ええ、もちろんよ、プリシラ!」
七緒がそう答えるとプリシラの瞳にきらりと悪戯めいた光が瞬いた。――何だか嫌な予感がする。どきりとして思わず身を引いてしまう七緒を逃がすまいとするように、プリシラはぐいと距離を詰めて七緒の両手を握りしめる。
「それじゃ、交換条件に応じてくれるなら見せてあげる!」
「こ、交換条件……?」
「ええ! 私、ナナオをモデルにして絵を描きたいと思っているの! ナナオの髪って不思議な黒色よね。デュシスではあまり見ない色だし、雰囲気も何ていうかこう……すごく神秘的で恥ずかしがり屋の妖精みたい! 私が次に描こうと思っている絵のイメージにぴったりなの!」
プリシラは早口で一気に捲し立てるのだけれど、顔と顔がやけに近い。七緒も精一杯のけぞっているのだが、退けば退くほどプリシラがぐいぐいと迫ってくる。七緒は目を丸くして首をぶんぶんと横に振った。
「えっ……ええええ⁉ でも、私が絵のモデルだなんて……‼ ムリ、絶対に無理!」
驚きのあまり思わず素っ頓狂な声を発してしまう七緒に、プリシラは余計にヒートアップするばかりだ。
「そう、そういうとこ! そういうところなのよ、ナナオ‼ ああ、構想がどんどん膨らんでいく……深い森に佇む真っ白いドレスをまとった儚げな妖精、彼女は純粋無垢で透明な表情をしていて、それでいて何かを訴えかけるかのような深い瞳でこちらを見つめている……目を閉じればありありと瞼の裏に浮かぶかのようだわ! 断言できる……この絵は私の最高傑作になること間違いなしだと‼」
「プ、プリシラ……⁉」
プリシラの瞳は熱に浮かされたようにギンギンと強い輝きを放っていた。まさにご馳走を目の前にした肉食獣だ。その輝きはサーパント・ライオネルに見せていた憧憬よりも鮮烈で、七緒以外まったく目に入っていないかのようだ。狼に捕らわれ、食べられるのを待つばかりの子ウサギはこんな気持ちだろうか。七緒はそんな感覚に陥ってしまう。先ほどまでの知的で大人っぽいプリシラは、一体どこへ行ってしまったのだろう。
「諦めなよ、ナナオ。プリシラは絵のことになると人格が豹変するんだ。彼女に眼をつけられたら最後、納得のいく絵が出来上がるまでつき合わされる。だから大人しくモデルの件、引き受けたほうがいいよ」
ノエルはお手上げのポーズを作って、あきれ半分にそう言った。ベッキーとティナも、うんうんと揃って頷いている。
「そうだぞ、諦めが肝心なんだぞ!」
「プリシラは絵のためなら地の果てまで追ってくるからな」
(そ、そんなあ……!)
自分が絵のモデルになるなんて、目立たぬように生きてきた七緒には考えられないシチュエーションだ。天地がひっくり返ってもあり得ない。それに七緒は自分の容姿に自信があるわけではないし、そもそも私にモデルなんて務まるのだろうかと考えてしまう。けれど、プリシラの溢れんばかりの熱意を前にすると嫌だと断るのも気が引ける。困りきった七緒の様子を見かねたのか、ティナが半眼でプリシラを窘める。
「ほら、プリシラも落ち着け。ナナオがドン引きしてるぞ。ここで嫌われたら永遠に絵のモデルになってくれなくなっちゃうぞ」
するとプリシラは、ようやくハッと我に返ったのだった。
「そ……そうね、コホン。ごめんなさい、つい興奮してしまって。……話をサーパントに戻すけれど……ねえ、ナナオはどう思う? やっぱり格好いい教官のほうが好き?」
「どうだろう……。私、まだ授業について行くのが精いっぱいだから、正直なところ、あまり先生の顔立ちを見ている余裕はないかも……」
素直に答えるとノエルたちは一斉に「あー……」と同情の声を上げる。
「そっか。まあそうだよね。ただでさえデュシスはナナオにとって異国の地も同然なんだし」
「確かにそう考えると大変だな……」
「だなー!」
それから間もなくして授業の開始を告げるチャイムが流れてくると同時に教室の扉がガラッと音を立てて開き、担当教官が入って来る。《王国史B》を担当しているのは、サーパント・クレイヴという男性の教官だ。
きちんと身だしなみを整えているサーパント・ライオネルとは対照的に、髪はぼさぼさ気味で教官服も着崩している。そのせいか言動にも投げやりな雰囲気が感じられた。のそのそとした足取りで講義机に向かうと、ふわあと欠伸をしながら生徒たちへ告げる。
「おー、お前ら席に着けー」
号令を受けた黒猫たちが着席したのを見て取ると、サーパント・クレイヴはさっそく講義を始める。
「あー、先週はサンティ=ルクス王国の起源について講義をしたな。今日はその続きだ。まずは教科書の十六ページ」
静まり返った教室内に一斉にぱたぱたと教科書を開く音が響く。七緒の隣に座ったノエルがその物音に紛れるようにして、小声で七緒に話しかけてきた。
「みんなああ言ってるけど、僕、サーパント・クレイヴのこと、そこまで嫌じゃないんだよね。何ていうか……真ん中の兄貴にちょっと似てるから」
七緒も小声で応じる。
「ノエル、お兄さんがいるの?」
「うん、しかも三人もいるんだよ。僕んち農家だから兄弟が多いんだ」
「そうなの? ……すごい!」
「別にすごかないよ! 兄貴たちときたらうるさいしガサツだし、美味しいものはすぐ奪い合いになって僕には一片たりとも残してくれないんだ。妹だからって情け容赦はなし、熾烈な競争に勝たないと日々のご飯はおろか、ご馳走にもありつけない! おかげで無駄にたくましくなって、コーデリアには『あなたのその、やたら図太い生命力だけは称賛に値しますわ』なーんて嫌味を言われる始末だし……でも、変に気取らなくていいから僕はその方が気楽だけどね~」
七緒は目を白黒させ、ノエルの話に耳を傾けた。兄弟で食べ物を取り合うなんて七緒には考えられない世界だ。七緒にも双子の姉、二葉がいるけれど、食べ物を取り合ったことは一度もない。一ノ瀬神社では食事のメニューや量など全てが厳格に定められ、管理されていたからだ。
もし七緒が二葉の食べ物を奪ったりしたら、大巫女である祖母から手ひどく叱られ、ますます嫌われたことだろう。もっとも七緒の実家である一ノ瀬神社は裕福であり、食べるものや着るものを始めとする生活全般に事欠かなかったのだけれど。
(でも……ノエルはなんだか楽しそう。食べ物で喧嘩するなんて、一ノ瀬神社では愚かではしたないことだと教えられていたけれど、そうでない家もあるんだ。少なくともノエルの実家では厳しく怒られることはなかったみたい。そうでないと『気楽』なんて言葉は出て来ないと思うし。私の知らない世界が、まだまだいっぱいあるんだな……)
そんなことを七緒がぼんやり考えていると、不意にサーパント・クレイヴの視線がこちらへと向けられる。
「おーい、そこ! 私語は慎めー」
ノエルは首を竦めて小さく舌を出すと、七緒から身を離す。七緒も慌てて教科書を開いた。サーパント・クレイヴはやる気がなさそうに見えるけれど、意外なことに講義には手を抜かない。課題も量こそ多くないものの、忘れたらきちんと補習を受けさせるし、講義中の居眠りや私語も厳禁だ。愛想のないサーパント・クレイヴが何だかんだ言われつつも黒猫たちに嫌われていないのは、やるべきことをしっかり果たしているからだろう。
その日はサンティ=ルクス王国を建国したユースティティア一世の功績や、彼の行った政策の歴史的意義についての講義が行われた。サンティ=ルクス王国の成り立ちには女神ファートゥムの存在が大きく関わっているとされている。
当時のことを記した《サンティ=ルクス建国紀》によると、今から五百年もの昔、デュシス大陸は恐るべき邪悪な魔女――《コクレア・ルイナ》によって滅亡の危機に陥っていた。《コクレア・ルイナ》の侵略によって大地は焼き尽くされ、湖や川はことごとく毒に汚染された。草木はもちろん穀物の多くが枯れ果てて、家畜もまた痩せ細って息絶えた。
瞬く間に死の大陸と化したデュシスでは大勢の人々が命を落とし、街や村には亡くなった人々の遺体が山のように積み上げられた。《コクレア・ルイナ》のあまりの凶暴さに太陽は恐れおののき、空から姿を消してしまうほどだったという。
苦悩と悲鳴、絶望が大地に満ち、誰もがこの世の終わりを覚悟したその時だった。突如として天から聖なる光が差し込み、女神ファートゥムが降臨したのだ。そして女神ファートゥムは蹂躙されるしかなかった無力な人々に自らの力の一部――魔法を分け与え、共に戦おうと声を上げた。そして魔法によって戦う術を獲得した人々を統率し、自らが先陣を切って邪悪な魔女――《コクレア・ルイナ》を倒したのだった。
しかし邪悪な魔女と戦った時に深手を負い、女神ファートゥムは命を落としてしまう。その女神ファートゥムから最も信頼され、デュシスの地を任されたのがユースティティア一世――サンティ=ルクス王国を建国した初代国王だ。
和国育ちの七緒にとって《サンティ=ルクス建国紀》は歴史書というより神話や叙事詩に近いように感じてしまうけれど、デュシスの人々にとっては歴史的な事実であり、サンティ=ルクス王国の成り立ちや引いては自分自身のルーツにも関わってくる大切な『物語』なのだ。
だからこそデュシスの人々は今でも女神ファートゥムを厚く信仰しているのだろう。サンティ=ルクス王国が誕生するきっかけとなった女神ファートゥムは、サンティ=ルクス王国の国民にとって創造神にも等しい存在なのだろうと七緒は思っている。
サーパント・クレイヴの講義は難しいわけではないけれど、決して油断はできない。デュシスの固有名詞は《サンティ=ルクス王国》や《ユースティティア一世》を始めとして、七緒にとって難解に聞こえるものが多く、それらに気を取られすぎると授業内容が頭に入って来なくなってしまう。そうならないよう七緒はサーパント・クレイヴの講義内容を必死でノートに書き留めた。
やがて一時間ほどで講義は終了し、次の授業を受けるためノエルやティナ、ベッキー、プリシラとはそこでお別れとなった。
「じゃあね、ナナオ」
「分からないところがあったら、いつでも相談に乗るからね~」
「うん、ありがとう」
みな七緒に温かい言葉をかけてくれる。自分が頑張るのは大前提だけど、励ましの言葉があるのと無いのでは全然違う。七緒は廊下を歩きながら考えた。
(少しずつ第二部隊のみんなと話せるようになってきた……これもきっと恐れずに決闘に挑戦したからだ)
第二部隊の黒猫たちの態度は、七緒がオラシオンに来たばかりの頃とくらべると明らかに変化していた。以前は遠巻きに見つめられるばかりだったけれど、今ではほとんどの黒猫が七緒に気さくに話しかけてくれるし、自分が第二部隊の黒猫たちに受け入れてもらっていると実感できる。
コーデリア=ノエル組との決闘に勝利した時から、風向きがはっきりと変わった。あのあとレイヴン・レティシアには大目玉をくらったし、戦う前は不安もあったけれど、でもあの決闘にはちゃんと意味があったのだ。プリシラの言っていた通り、あの決闘を通して七緒のネガティブなイメージを改めてくれたのだろう。
(私、もっと知りたい。ノエルやコーデリア、ロビンだけじゃなく、ティナやベッキー、プリシラのことも。あと……)
ロビンの聖杯であるクロエ――眼鏡をかけたクールな少女は今でも七緒に冷淡な視線を送ってくる。彼女の辛辣な態度から好かれてないどころか嫌われている可能性さえあるけれど、それでも七緒はクロエともちゃんと話をしてみたいと思っていた。相手のことを知れば、きっと分かり合える部分もあるはずだから。
もっとも七緒からクロエに声をかけるのはハードルが高くて、話しかけたいと思いつつ、なかなか行動には移せずにいるけれど。




