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ねえ、ヴェロニカ  作者: 天野 地人
第一章 出会い編
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第二話 ヴェロニカ

「あと……ちょっと難しい話をしておかなければならないわ。黒猫は二人一組で活動するの。わかりやすく言うと、パートナーと組むということね」

「パートナー……」


 レティシアは、微笑みとともにうなづく。

「そう。聖杯(カリフ)(クラディウス)。黒猫は二人合わせて、一人前なの」

「……」


「もちろん、あなたにもいるわ。ただ、あなたはその……時期外れの留学でしょう? 本当はもっとちゃんとした手順を踏むのだけど、今回はイレギュラーな事態なのよ」

「……?」


 急に歯切れの悪くなったレティシアの説明に、七緒は疑問符を浮かべる。何か都合の悪いことでもあるのだろうか。すると、レティシアはますます言い(よど)んでしまった。


「ええと、つまり……あなたにはすでに組むべきパートナーがいるの。けれど、このパートナーが問題で……」


 その時、レティシアの背後にある教室の扉が突然、開け放たれたかと思うと、中から一人の少女が姿をあらわした。扉を開く音に後ろをふり返ったレティシアは、少女の顔を認めると、わずかに口調を尖らせた。


「話をしていれば……ここにいたのね、ヴェロニカ!」

「レイヴン……?」


 レティシアを前にした少女は一瞬、厄介(やっかい)な相手に見つかったとばかりに、うんざりしたような顔を浮かべる。


学校(エクスエラ)にある時計塔の前に集合と言ったのに。どうして命令を聞かないの?」


「……医院(ホスピターレ)での治療に時間がかかったんだ。ただ、それだけだよ」


 蜂蜜色(はちみついろ)の髪をかき上げ、小さくため息をつく少女を、七緒ははっと息を飲んで見つめていた。


 オラシオンの少女たちはみな華やかだけれど、その少女はとりわけて美しかった。人形のように整った顔立ちに、蜂蜜色の豊かな髪。サファイアのような瞳はきっとして強い意志が宿っており、見ているだけで引きこまれてしまう。けれど、姿かたちの美しさは、彼女の持つ魅力のほんの一部に過ぎない。


(何だろう……何か、心の内がぐいぐい引っ張られるような、強い引力みたいなものを彼女の全身から感じる……)


 触れてみたいけれど、触れるのは怖いような、奇妙で荒々しい魅力。触れたらきっと、巻きこまれて滅茶苦茶にされてしまうに違いない。そういった警告(けいこく)胸騒(むなさわ)ぎがない交ぜとなって、七緒の全身を駆けめぐる。


(危険だとわかっているのに、不思議とその中に飛びこんで身をゆだねてみたくなる……何なんだろう、この感覚は……?)


 金髪碧眼の少女を見ていると、七緒はふと実家の裏庭にあった三段滝を思い出していた。その滝は自然の滝をそのまま庭園に利用したもので、荒々しい水の流れが岩に打ちつけられながら、池にむかってドウドウと勢いよく流れ落ちていた。三つの段に別れて落ちる滝は、迫力もさることながら大変美しく、地元ではちょっとした名所だった。


 時に優美に、時に激しく、荒れ狂う水の流れ。少女の放つ引力は、まさにそれだ。その流れに身をまかせたら、いったいどうなってしまうのだろう。恐ろしいのに惹きつけられずにはいられない。手を伸ばし、きらきらと輝く水飛沫に触れてみたくなる。


 けれど、よく見ると少女の体にはあちこちに包帯が巻かれていて、見るからに痛々しい。何があったのだろうか。眉をひそめる七緒の隣で、レティシアもすぐ少女の怪我に気づいたようだ。


「……また怪我をしたのね? ヴェロニカ、いくらあなたが優秀だとは言え、このまま聖杯(カリフ)を選ばないなんて認められないわ。聖杯(カリフ)聖杯に不信感があるのはわかる。でも、それで傷つくのはあなたなのよ?」


 ヴェロニカと呼ばれた少女は、レイヴン・レティシアに対してまったく臆することもなく、猛然と反論してみせる。


「原因はオレか? そうじゃない。オレについて来れる聖杯(カリフ)がいないだけだ。足手まといなだけのオイルタンクは必要ない。俺はこのまま一人で黒猫を続ける」


 頑ななまでの態度を貫くヴェロニカに、レティシアもさすがに堪忍袋の緒が切れたのか、声を荒げた。


「わがままを言わないで。聖杯(カリフ)(グラディウス)は二人でひとつよ。聖杯(カリフ)を伴った戦いに慣れるのも、(グラディウス)の仕事なの。こんなこと、あなたならわざわざ言わなくてもわかっているでしょう?」


「……」


 ヴェロニカは黙ったまま、ついとそっぽを向いてしまう。あくまでレイヴンであるレティシアの言う事には従わないつもりなのだろう。


 レティシアはため息をつくと、ふと口調を柔らかくし、ヴェロニカを諭すように語りかけた。


「あなたは次世代の黒猫の中でもトップクラスの実力を秘めているのよ。うまくすれば、第一部隊に選ばれることも不可能じゃない。あんな不幸な事故はあったけれど……今ならまだ取り返せる。そのためには、まずは新しい聖杯(カリフ)を探さなければ」


 レティシアはそう言うと、七緒のほうへチラと視線を送った。新しい聖杯(カリフ)ーーーつまりヴェロニカは何らかの理由でパートナーを失ってしまったものらしい。かわりに彼女の新しいパートナーにと用意されたのが、七緒なのだろう。


 ところがヴェロニカの瞳がレティシアの背後にいる七緒を射るようにして捉えると、剣呑な光を帯びた。


「……それで? 新しい聖杯(カリフ)はそいつだとか言うんじゃないよな?」


「彼女はナナオよ。東方人だけど、マギアの値は高いわ。これからあなた達は黒猫として共に戦ってゆくの。……いいわね?」


 レティシアはそう紹介してくれたけれど、当の七緒は気まずくて仕方がなかった。その間もヴェロニカは激しい怒りを浮かべたまま、七緒をにらんでいたからだ。七緒はその険悪な空気に耐えきれなくなって、うつむいて二つのおさげの間に顔を埋めてしまう。


 安全な『避難場所』への逃避。いつもの癖が、ここでもつい顔を出してしまったのだ。


 すると次の瞬間、ヴェロニカは肝が冷えるかと思うほどの怒声を放った。

「ふざけるな!」


「……⁉」


 ヴェロニカは叫ぶと、乱暴な足取りで七緒の目の前まで真っ直ぐに歩み寄ってくる。すさまじい剣幕で、蒼穹を思わせる瞳には初夏の嵐みたいな激情が渦巻いている。怒り狂うヴェロニカがあまりにも恐ろしくて、七緒は小さく息を飲んで身を縮めた。


 ヴェロニカはまるで、故郷で言うところの鬼神だ。魑魅魍魎すら一掃しかねない彼女の眼差しを、七緒はとてもではないが真正面から受け止めることはできない。


 うろうろと視線を泳がしたものの、結局はいつものように二つの緩やかなお下げに顔を埋めてしまった。七緒の『避難場所』はいつだって、ここしかないのだから。


 ところが、そんな七緒を見たヴェロニカは、火を油を注いだように怒りを爆発させてしまう。次の瞬間、ヴェロニカは怒りにまかせて右手を伸ばすと、七緒のふんわりしたお下げを力いっぱい乱暴に引っ掴んだ。


「お前……何だ、その髪は⁉」

「ヒッ……⁉」


「お前のその長い髪は、顔を隠すためのものか⁉ そんな情けない性根で、よくもオレの聖杯(カリフ)になるなんて言えたな‼」


 ヴェロニカは容赦なく七緒のお下げを掴んで引っぱり回した。その怒気の凄まじさに、髪が引き千切れてしまうのではないかと思うほどだ。


「あっ……! や……やめ……‼」 


 七緒はやめてと叫びたかったけれど、あまりの恐ろしさに口をパクパクさせるばかりだ。


 ヴェロニカの真っ青な瞳は荒れ狂い、その怒りをあますところなく七緒へとぶつけてくる。暴風雨のど真ん中に放り込まれた七緒は為す術もなく、ただ嵐が通り過ぎるまで耐え忍び、静かな朝が来るのを待つしかない。


 「ヴェロニカ、やめなさい! ヴェロニカ‼」


 レイヴン・レティシアが血相を変えて、慌てて二人の間に割って入ると、ようやくヴェロニカは七緒の髪から手を放した。


 けれど、突然受けた暴力の恐ろしさのあまり、七緒はヴェロニカの顔をまともに見ることができなかった。下を俯いたままレティシアの後ろに隠れて、肩を上下させるので精いっぱいだ。ヴェロニカは、そんな七緒の様子を冷ややかに見つめている。


「ヴェロニカ……あなた、何てことを……!」


 七緒をかばうように立ちふさがるレティシアに強く非難されても、ヴェロニカは七緒に謝ったりはしなかった。それどころか、今度はその怒りを堂々とレイヴンであるレティシアへと向けるのだった。


「……どうせ、こいつも魔女に殺されて死ぬ。魔女との戦いは、こんな臆病そうなノロマが太刀打ちできるほど甘くない。レイヴン、あなただってそれは分かっているはずだ。ここは戦場で、弱い者から死んでいくんだってことは!」


「それは……」


 レティシアから見ても、七緒は戦いに向いている性格ではないのだろう。自分でも嫌と言うほど自覚している。七緒は誰とも競争せず、目立つことすらせずに、ただじっと息を潜めて生きてきたのだから。七緒はずっと、いてもいなくても変わらない、ただの空気だった。


 そんな臆病な七緒の性格を、ヴェロニカは敏感に嗅ぎ取ったのかもしれない。レティシアの背中に隠れたまま何も言わない七緒に、忌々しいと言わんばかりに表情を歪める。


「どうしても聖杯(カリフ)になりたいのなら、どこかオレの知らないところで一人で死ね。オレを巻きこむな……‼」


 ヴェロニカは最後にそう吐き捨てると、レティシアとすれ違うように廊下を歩き去ってしまった。それを見送っていたレティシアは苛立ちを吐き出すように大きく息を吐くと、七緒のほうをふり返る。


「大丈夫、ナナオ? 怪我はない?」

「は……はい……」


 七緒はどうにかそう答えたけれど、次の瞬間、涙がポロリとこぼれ落ちてしまう。あのように髪を引っ掴まれたことなんて、これまでの人生で一度もなかった。ましてや身に覚えのない、八つ当たりとしか思えないような理不尽な怒りをぶつけられたこともない。あまりの出来事に、自分で自覚している以上のショックを受けていたのだろう。


「あっ……! す、すみませ……‼」


 謝りながら慌てて涙を拭う七緒に、レティシアは小さくため息をつくと、ヴェロニカが歩き去って行ったほうを見ながら、どこか複雑そうな顔を浮かべる。


「まったく……困った子ね。これから黒猫として力を合わせていかなければならないというのに」

「……」


「ヴェロニカも悪い子ではないの。ただ、ちょっといろいろあって……神経質になっているのよ。彼女も内心では戸惑っているのだと思うわ。……大丈夫、あなたたちなら、きっとうまくいくわよ」


(とても……そうは思えないけど)


 彼女がどうして初対面の七緒に対して、あそこまで憤ったのか、その理由がわからない。けれど、ヴェロニカが七緒にむけた怒りは半端なものではなかった。二人が上手くいくようになるまでには、気が遠くなるほどの困難が待ち受けているだろう。


(レイヴンの期待に応えられるかどうか、私、自信がない……)


 けれど、七緒はその想いを言葉にすることはできなかった。自分の意見を口にしてはならない。それは『よけいな事を言ってはならない』ことよりも、ずっと厳しく教えられてきたことだから。


 七緒の故郷では、自分の意見を言うことは、わがままを言うことと同じなのだと教えられてきた。他者に迷惑がかかるから、絶対にしてはいけないことだと。七緒は特殊な立場に置かれていたので、そういった和国の伝統的な思想を叩きこまれて育ったのだ。


 だからこの時も結局、七緒はレティシアの言葉に反論することもなければ、疑問を投げかけることもなく、いつものように、ただ曖昧にうなづいて済ませてしまった。それを了解の意と取ったのだろう。レティシアは幾分、機嫌を直すと、七緒を廊下の奥へと促した。


「さあ、次は身体測定に行きましょうか。スリーサイズを測らなきゃね。学校(エスクエラ)に通うための制服が必要だし、ストラも仕立てなきゃいけないし」


「すとら……?」


「戦闘服のことよ。魔女と戦うための、黒猫の戦闘服」


 その後、七緒はレティシアに言われるままに身体測定をしたり、学校(エスクエラ)で受ける授業の説明や準備などに追われたりして一日を過ごした。ただ受け身で、淡々と説明を聞いていれば良かったので、七緒にとっては楽な作業だった。


 そして最後にレティシアに連れてこられたのは、寮の部屋だった。オラシオンは全寮制で、一つ一つの部屋は小さいけれど、個室なのが少し嬉しい。部屋の中はベッドのほかに机と椅子、そしてクローゼットがあるだけで、いたってシンプルだ。ただ、トイレとお風呂だけは共用らしい。


 七緒の実家には、ベッドや椅子といったものはない。布団は畳の上にそのまま敷くし、テーブルは卓袱台で足が短く、座布団の上に正座をするのが当たり前だった。けれど、七緒の知人の中には、こういったデュシス風の生活をしている人もいる。和国の人々にとってデュシスの生活様式は憧れで、それを真似ることがステータスになってた。七緒も知人を見ていたから、使い方などの知識はある。


 レティシアはひと通り説明を終えると、七緒の部屋から出て行こうとしたけれど、何かを思い出したのか、ふと七緒のほうをふり返る。


「ああ、そうそう。大事なことを言い忘れていたわ。深夜零時にアルクスに集合すること。三つあるうちの真ん中よ。いいわね?」


「アルクス……って何ですか?」


「オラシオンの北側に、東西に延びる城壁(トイコス)があるでしょう? その城壁を登った上にある広場よ。行けばすぐに分かるわ。そこで、あなたには魔女と黒猫の戦いがどういったものかを見学してもらいます」


「魔女と黒猫の、戦い……? そこで戦うんですか?」


 にわかに不安を覚えて、表情を曇らせる七緒に、レティシアはニコリと笑ってウインクを返す。


「大丈夫よ、今日はただの見学だから。さすがにオラシオンに来たばかりなのに、すぐに戦うだなんて無理があるでしょう?……安心して。今の黒猫はみな強いから、あなたに危険が及ぶようなことは無いし。あなたが戦うのはちゃんと訓練をして、その後ね。だいたい一か月はかかるから、そのつもりでいて」


「は……はい……」


 そしてレティシアは今度こそ寮の部屋を出て行ってしまった。一人、部屋に残された七緒はほっと息をつくと、部屋の中をゆっくりと見渡した。


 奥の壁には小さな上げ窓があり、茜色に染まった日の光が斜めに入ってくる。窓際へ近づくと、石造りの建物の向こうに城壁(トイコス)が横たわっており、さらに向こうには黒々とした不吉な森が見えた。


 レティシアに教えてもらったのだけれど、オラシオンの北部に広がるあの森――スィスィアの森と呼ばれている《虚海》の向こうが、七緒が戦うことになる魔女の住処らしい。


(暗くて、気味の悪い森……一ノ瀬の神社とは大違い……)


 神社の境内は七緒が一ノ瀬の家で唯一、心を休めることのできる場所だった。幹の太い木はたくさんあったけれど、境内はいつも美しく掃き清められていて、陽が良く入るようになっていた。(おごそ)かだけれど、居心地はとても良く、七緒が一ノ瀬の家にいた時、心の底から好きだと思えた場所だった。


 でも、目の前の森は闇が溜まっているのか、それとも何かが潜んでいるのか、どんよりとして恐ろしく感じる。初めて来た馴染みのない場所だから、そう感じるのだろうか。それとも、魔女が棲むと言われている森だからだろうか。


 七緒は白いシーツの敷かれたベッドに腰かけると、そのままこてんと身を横たえた。気づけば、いつの間にか家からこんな遠く離れたところまで来てしまった。今まで外泊はおろか、遠出さえ厳しく禁じられてきたのに。


(一ノ瀬の杜が懐かしい……でも、私は戻るわけにはいかない。私は……家から追い出されたんだから……!) 


 七緒の脳裏に、一か月ほど前の出来事がよみがえった。

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