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ねえ、ヴェロニカ  作者: 天野 地人
第一章 出会い編
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第十二話 癒えぬ傷

その日の午後、七緒はある決意を胸に、いつものように訓練場に向かった。


 七緒はヴェロニカと話をしてみるつもりだった。七緒がヴェロニカの聖杯(カリフ)になりたいと思っている事を、どうにかして伝えたい。ひょっとしたら、ヴェロニカは迷惑そうな顔をするかもしれない。七緒をにらむかもしれないし、無視されるかもしれない。


 それでも七緒が一生懸命、熱意をもって説明すれば、何か伝わるのではないだろうか。もし拒絶されたとしても、あきらめなければ、ヴェロニカも考え直してくれるかもしれない。


 そう考えると、自然と足取りが軽くなる。オラシオンに来てからというもの、そんな気分になったのは初めてのことだ。いや、和国にいた時も、こんなことはなかった。意気込むあまり、だんだん歩みが早くなっていくけれど、七緒はまったく気にならなかった。


 ところが七緒が訓練場に到着してみると、レティシアをはじめ、第二部隊の黒猫たちが全員、一カ所に集まっているではないか。どうして、みな集まっているのだろう。何かあったのだろうか。いつもとは違う光景に、七緒は離れたところで立ち止まってしまう。


 黒猫たちの表情は遠目にも、どことなく強張っているように見えた。何となく心配そうに――あるいは誰かの身を案じているように見える。 


 やっぱり何かが起きたのだ。七緒は何だか嫌な予感がして、みなが集まっている場所へと駆け寄った。その輪の中にロビンがいるのに気づいて、七緒は息を切らしながら声をかける。


「あの……ロビンさん!」

「ああ、ナナオか」

「何か、あったんですか?」


 すると、ロビンの傍にいたクロエが厳しい表情で口を開く。

「ヴェロニカが倒れたのよ」

「え……⁉」


 七緒はぎょっとして息を飲むと、たちまち顔を青ざめさせた。最近、ヴェロニカとまともに顔を合わせることは無かったけれど、学校(エスクエラ)の教室や廊下で彼女の姿を何度か見かけていた。松葉杖は無くなっていたものの、包帯はまだ取れていなかったし、傷も完治していなかった。それは誰でもなく、ヴェロニカが一番よく理解していたはずなのに。


 それなのに、どうしてそんな無茶なことをしたのだろう。


 七緒が集まっている黒猫たちを掻き分けるように輪の中心へ進むと、ヴェロニカの姿はすぐに見つかった。けれど、ヴェロニカは地面にうずくまったまま、苦しそうな表情を浮かべて横たわっている。彼女のきれいな蜂蜜色の髪が汚れているのが、七緒はひどく悲しかった。


 右足の傷口が開いたのだろう。腿のあたりを抑えている手の下の、まだ取れていない包帯には、痛々しいほど血が(にじ)んでいた。レティシアが膝をついて、倒れたヴェロニカに付き添っているけれど、包帯に滲んだ血はますます広がってゆくばかりだ。


 七緒は何と声をかけていいか分からずに、茫然(ぼうぜん)として立ち尽くしていた。ヴェロニカの怪我は、間違いなく快方に向かっていた。あともう一週間もすれば、包帯も取れたかもしれない。それなのに、どうしてヴェロニカはこんな早まった真似をしたのだろう。


(どうして……?)


 周囲の黒猫たちも七緒と同じ想いであるらしく、ヴェロニカを心配する表情の中には、どうしてこんな無茶なことをと、戸惑いの感情が浮んでいる。誰もヴェロニカの強行的な行動の理由を知らないのだろう。


 ほどなくして救護班が担架(たんか)を提げてやって来ると、黒猫たちは道を開けて彼らを通した。救護班はレイヴン・レティシアと負傷者であるヴェロニカを見つけると、そちらへ駆け寄った。


「レイヴン!」

「救護班、こっちよ! ……悪いわね」


 レティシアは的確に指示を出していく。救護班はすぐさま担架にヴェロニカを乗せると、医院(ホスピターレ)へ運んでいった。七緒は落ち着いた頃合いを見計らって、おずおずとレティシアに声をかける。


「あ、あの……レイヴン……!」

「ナナオ、来ていたの。一緒に|医院{ホスピターレ》に行きましょう」


「は……はい」


 医院(ホスピターレ)はオラシオンの中にある施設のひとつだ。外側も内側も真っ白に塗られた建物は、まさに病院といった雰囲気で、七緒とレティシアが駆けつけると、医院(ホスピターレ)に常駐している医師が、負傷したヴェロニカの治療を行っていた。ヴェロニカはひと通り治療を受け終えると入院病棟に運ばれ、ベッドに寝かされて、そのまま安静を言い渡されたのだった。


 レティシアと七緒が看護師に案内されて病室へ向かうと、ヴェロニカはまっ白い寝間着のような服に身を包んでいた。それが医院(ホスピターレ)の入院服なのだろう。今日は一晩、ここに泊まることになったらしい。


 ベッドで上半身を起こしたヴェロニカは、己に下された入院という扱いに悔しさと怒りを感じているらしく、彼女の端正な顔は、いつも以上に不機嫌そうに見えた。


「まったく……傷も完治していないのに、一人で訓練を再開するだなんて……ヴェロニカ、あなた何を考えているの⁉」


 レティシアは開口一番、ふて腐れているヴェロニカにお説教を食らわせた。どうやらヴェロニカは一人で勝手に訓練に参加しようとしたものらしい。一刻も早く魔女討伐に復帰できるよう、自分の怪我は大したことが無いのだと周囲に示したかったようだ。


 しかし、回復しきっていない身体の反応は鈍く、魔法(マギア)もうまく発動しなかったのだろう。宙に浮かび上がったところまでは良かったものの、その体勢を維持できずに、校舎の二階に相当する高さから墜落(ついらく)してしまったのだ。打ち所が悪ければ、もっと酷いことになっていた可能性もある。それを考えると、傷口が開いたくらいで済んだのは、ある意味では幸運だったのだろう。


「でも……! オレは戦える……戦えるんだ……‼」


 ヴェロニカは悔しそうに手のひらを握りしめて反論するものの、レティシアの怒りはとうてい収まるはずもない。一歩間違えれば、命を落としてしまうところだったのだから、レティシアの怒りも当然だ。


「それで傷口が開いたら、ますます復帰が遠のくだけよ。そんな状態で聖杯(カリフ)接続(リンク)もせずに魔女討伐に出撃したら、今度こそあなた、死ぬわよ⁉」


 しかし、レティシアが放った本気の剣幕にも、ヴェロニカはまったく臆することが無い。それどころかベッドから飛び出さんばかりに勢い込んで訴えるのだった。


「それでもオレは……魔女を倒さなければならないんだ……! こんなところでグズグズしている場合じゃない……一刻も早く、魔女を討伐するんだ! サラのために‼」


(サラの……ため……?)


 部屋の隅でひっそりと成り行きを見守っていた七緒は、その言葉に違和感を覚えた。ロビンやクロエの話では、サラは魔女に殺されてしまったのだという。サラはもう、この世にいない。それなのに、どうしてヴェロニカが魔女討伐に向かうことが、サラのためになるのだろう。


(サラの仇を取るため……?)


 サラは魔女によってズタズタにされて、殺されてしまった。復讐のために、一体でも多くの魔女を討伐してやるのだと――そうヴェロニカが考えていても、おかしくはない。


 けれど七緒は、復讐(ふくしゅう)とも少し違うような気がした。うまく言葉にはできないけれど、ヴェロニカをあれほど強く突き動かしているのは、魔女への憎しみだけではないように思うのだ。


  一方、レティシアは目を閉じて深く嘆息(たんそく)すると、その紫がかった灰色の瞳を見開いた。そして包帯の巻かれたヴェロニカの手にそっと手の平を重ねると、深い悲しみを滲ませながら言い聞かせる。


「……。いい、ヴェロニカ? あなたがどれだけ躍起(やっき)になろうと、サラはもうこの世にはいない……いないのよ」


「……‼」


 ヴェロニカはびくりと体を震わせると、両手でベッドのシーツをこれでもかというほど、くしゃくしゃに握りしめる。サラがもうこの世にいないことはヴェロニカ自身、嫌というほど分かっている。だけど、それを受け入れられるかどうかは別の話だ。


 レティシアもそんなヴェロニカの姿を目にして、わずかに語調を緩める。

「サラは死んで、あなたは生き残った。だったらあなたは、生き残った者としての責務を果たすべきよ。あなたが無意味に命を散らすことをサラが望んでいると思う? 本当にサラのためを思うなら、あなたは黒猫としての使命を全うすべきだわ」


「う……くっ……!」


 ヴェロニカは嗚咽(おえつ)(こら)えるかのように、唇を噛みしめた。あまりに強く噛みしめているので、ほんのりと赤みを帯びた形の良い唇には、血が(にじ)んでしまっている。


 七緒はヴェロニカを痛々しく思いながら、部屋の隅から見つめていた。ヴェロニカの苦しみを少しでも和らげてあげたいけれど、それができる人間は、もうこの世にはいない。サラはもう、どこにもいないのだから。それを思うと、彼女が可哀想(かわいそう)でならなかった。


 ヴェロニカの震える肩にそっと手を添えながら、レティシアは毅然(きぜん)とした中にもどこか優しさが感じられる口調で告げる。


「……今日はここで休みなさい。頭を冷やして、よく考えることね。みんなあなたの復帰を望んでいるのよ。あなたは一人じゃない。それを忘れないで。……いい?」


「……」


 ヴェロニカはうつむいたまま、無言だった。ショックのあまり返事ができないのか、レティシアの命令には従わないという意思表示なのか。下を向いたヴェロニカの顔からは、どちらなのかよく分からない。


 しかし、レティシアもヴェロニカばかりに付き添っているわけにはいかないのだろう。訓練場では第二部隊の黒猫たちが、指揮官が戻って来るのを待っているのだから。


 しばらくしても反応のないヴェロニカに、レティシアは困ったように栗色の髪をかき上げ、病室を後にしようとしたけれど、ふと思い出したように部屋の隅にいた七緒のそばに歩み寄ると、小さく耳打ちをした。


「ナナオ、ヴェロニカを支えてあげて。何かあったら連絡してね」

「……はい」


 レティシアがいなくなると、七緒はヴェロニカと二人きりになった。病室の中は途端にしんと静まり返る。ヴェロニカはベッドの上でうつむいたまま、ぴくりとも動かない。それほど魔女討伐に復帰できなかったことがショックなのだろうか。ひょっとすると、開いた傷口がひどく痛むのかもしれない。


 七緒は勇気を振りしぼって、うなだれるヴェロニカに話しかけてみた。

「あ、あの……ヴェロニカ!」


 すると、ヴェロニカはわずかに顔を上げ、七緒をちらりと一瞥(いちべつ)した。その表情から察するに、ヴェロニカは七緒がこの部屋にいることに気づいてもいなかったようだ。そして、言葉を発するのも億劫(おっくう)だと言わんばかりに、気怠(けだる)げな声音で吐き捨てる。


「……。……何だ、お前。まだいたのか」


 相変わらず、七緒に対するヴェロニカの態度は冷ややかだけど、七緒は以前ほど気にならなかった。ヴェロニカは今、サラを失って傷ついている。七緒に冷たいのは、その反動なのだろう。だからきっと、ヴェロニカとの関係を変える方法はまだ残っているはず。自分の力で、ヴェロニカの信頼を勝ち取らなければ。


「あ、あの……私、頑張るから……! 聖杯(カリフ)として、サラの代わりになれるくらい、頑張るから……‼」


 ――だから私、あなたのパートナーになりたい。七緒はそう続けようとしたけれど、ヴェロニカは目を見開くと唐突に剣呑(けんのん)な声を発して、七緒の言葉をばっさりと(さえぎ)るのだった。


「サラの代わり……? お前がサラの代わりになんて、なれるものか!」

「あっ……違……‼」


 そういうつもりで言ったんじゃない。自分がサラになり替わろうなんて、そんな大それたことを考えていたわけじゃない。ただ、七緒はヴェロニカの聖杯(カリフ)になりたいと思っていると、まっすぐに伝えたかっただけなのに。自分の気持ちを知って欲しかっただけで、決してヴェロニカを怒らせるつもりはなかった。誤解だと言いたいのに、なぜか舌が凍りついたように動かない。


 己のしくじりに気づいて青ざめるばかりの七緒に、ヴェロニカは聞く耳さえ持たずに怒りを爆発させる。


「オレの聖杯(カリフ)はサラだけだ! レイヴンが誰と組めと命令しようと、オレはサラ以外の黒猫とは組まない……‼ お前なんて、以ての外だ‼」


 そこまではっきり告げられると、いくら自分が力不足だとしても、心は傷ついてしまう。七緒は一人には慣れているけれど、拒絶されることに慣れているわけではない。自分の意志を表に出すことが苦手なだけで、決して感情の無い人形ではないのだから。振り向いて欲しいと願っているヴェロニカからの拒絶なら、なおさら辛かった。


 でも、今の状態はヴェロニカにとっても良くないはず。黒猫は一人では戦えない。聖杯(カリフ)(グラディウス)、二人揃ってはじめて一人前なのだから。


 七緒はもう一度、勇気を振りしぼってヴェロニカに口を開いた。

「で、でも……ヴェロニカは、怪我……してるでしょ?」

「何……⁉」


聖杯(カリフ)がいなければ、魔女と戦うのはとても……危険なんでしょう? 無茶をして戦って、ひどい怪我もして……その、すごく……可哀想(かわいそう)……だなって……」


 今もヴェロニカは傷だらけだ。どうして、そんな風に自分を痛めつけてしまうのだろう。あまりにも痛ましくて、七緒は見てはいられなかった。ヴェロニカがこれ以上、傷つかずにすむように、七緒はヴェロニカの力になりたかった。七緒がヴェロニカの聖杯(カリフ)になれば、ヴェロニカも魔女討伐に集中できるようになるから、悪い事ばかりではないはずだ。


 ところがヴェロニカは、七緒に軽蔑(けいべつ)の眼差しを向けるのだった。

「……なるほど、同情か」

「え……⁉」


「そんなにオレは哀れに見えるか。……そうだろうな。聖杯(カリフ)を失い、一人だけ無様(ぶざま)に生き残るなんて(グラディウス)失格(しっかく)だ。本当はあの時……聖杯(カリフ)であるサラを守って俺が真っ先に死ぬべきだったのに、現実にはサラが死んで、オレのほうが生き残ってしまった……!」


 ヴェロニカの声は低く、頼りなげに震えていた。まるでこの世に一人取り残されたまま、どこにも寄る辺がなくて、途方(とほう)に暮れている亡霊のように。


「あ、えっと……。そうじゃなくて……!」


 七緒は無性(むしょう)に泣きたくなってきた。そういう事が言いたいわけじゃないし、ヴェロニカを(あわれ)れんでるわけでもない。七緒はただ、傷だらけのヴェロニカが心配なだけだ。ヴェロニカの力になりたい。ヴェロニカに認められたい。ただそれだけなのに、肝心のヴェロニカには七緒の気持ちは何ひとつ伝わらない。

 

 しどろもどろになってしまった七緒を、ヴェロニカは強い怒りと苛立ちをこめて、にらみつける。


「違う? ……だったら何だ! 甘い言葉を(ささや)けば、オレの気持ちが変わるとでも? それとも傷ついた俺に優しくすれば、お前に縋りつくとでも思ったのか‼」


「……‼」


 七緒は泣きそうになりながら、ブンブンと首を横に振った。違う、そうじゃない。七緒は苦しんでいるヴェロニカの力になりたいと思っただけ。もっとヴェロニカのことが知りたいし、ヴェロニカにも七緒のことを知って欲しい。そう願うのは、そんなにいけないことだろうか。


 七緒は反論することもできないまま、ショックを受けて立ち尽くす。そんな七緒から、ヴェロニカは顔も見たくないとばかりに背ける。


「……この部屋から出ていけ。オレはお前から情けをかけられるほど落ちぶれてはいない! もう二度とオレと関わるな‼」


 これ以上ないほど、はっきりとした拒絶。七緒とヴェロニカの間には見えない壁があって、それは鉄やコンクリートよりも強固なのだろう。ひ弱な七緒の力では到底、壁を破ることなどできない。七緒では、ヴェロニカに心を開かせることはできないのだろう。


 どれほど望んでも、ヴェロニカが七緒のほうを振り向くことはない。そう思い知らされた七緒は完全に打ちひしがれて、何も伝えられないまま、大人しく病室を後にするしかなかった。

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