第十話 ロビンとクロエ①
「ロビン、それからクロエ。悪いんだけど……あなたたち、ちょっとナナオのことを気にかけてあげてくれる?」
レイヴン・レティシアに頼まれた時、ロビンは心のどこかでそれを予感していた。学校の教室や廊下で、ヴェロニカや七緒という東方人の姿を目にすることはあったけれど、二人が剣や聖杯としてうまくいっているようには、とても見えなかったからだ。
もちろんロビンには、ヴェロニカや七緒を批判するつもりは毛頭ない。ヴェロニカはパートナーを失ったばかりで傷ついているし、七緒はオラシオンどころかデュシスそのものが初めてで、新しい生活に慣れるだけでも手一杯だろうから。
あの二人には誰かが手を貸すべきなのではないか。そう思っていたさ中の、レティシアの『お願い』だ。だからロビンは、レティシアの頼みごとを快く引き受けた。ロビンも二人のことが気になっていたし、困っている者を救うのは、騎士の家に生まれた人間として、当たり前のことだと思っている。
ロビンは背が高い。おそらくオラシオンに在籍する黒猫の中で、一番高いのではないだろうか。それだけでなく、女性にしては鍛えられた体つきをしている。それもこれも父や兄たちのような立派な騎士になるべく、幼少の頃から鍛錬を重ねてきた賜物だ。
長く伸ばした髪を頭の後ろでポニーテールにしているけれど、髪を伸ばしはじめたのはオラシオンに来てからだ。実家にいた時はショートヘアにしていたから、よく男の子と間違われた。性別を間違われるのは心外だったけれど、兜をかぶる必要があったので、わざわざ髪を短く刈りこんでいたのだ。オラシオンでは兜や鎧を着ける必要が無いから、こうして髪を伸ばしている。
騎士となるべく生きてきた自分が、まさか魔女と戦う黒猫に選ばれるなんて。オラシオンに送りこまれることが決まった時には、ひどく落胆したものだけど、ロビンはすぐに思考を切り替えた。黒猫になることも、魔女から人々を救う大事な勤めだ。そこには困っている者を助け、弱き者を守るという、騎士の教えに通じるものがある。だからロビンにとって立派な黒猫になることと、誉れ高い騎士になることは、大差ないのだ。
ヴェロニカと七緒は困っている。だから同じ第二部隊の黒猫として当然、手助けをするべきだ。ロビンはそう考えていたけれど、二人の手助けをすることに難色を示したのは、ロビンの聖杯であるクロエだった。
「どうして私たちが、そこまでしなければならないの? これはヴェロニカと新しい聖杯が抱えている問題なのでしょう? そうであるなら……問題を解決できるのは彼女たち二人だけよ」
よけいな事はすべきじゃない。そう言わんばかりに、
クロエは眼鏡をかけた、落ち着きのある知的な雰囲気の少女だ。知識欲が旺盛で、授業の合間にも本を読んでいるほどだ。勉学が苦手なロビンは、我が聖杯がそこまで知識を求める心境が、まったく理解できない。ロビンは机の前でじっとしているより、外で剣を振り回しているほうが好きだから。けれどロビンは、クロエのことが嫌いなわけでも苦手なわけでもなく、聖杯として深く信頼している。
ただ、クロエは聡明すぎるが故に、時おり大事なことを見逃してしまうことがあると、ロビンは思っている。人はみな誰しも、クロエのように自ら強く在ることができるわけではない。オラシオンにいる少女がみな、クロエのように賢いわけでもなければ、強靭な意志を持っているわけでもない。
クロエが努力をして賢さと強靱な意思を獲得していることは、素直にすごいと思うのだけれど。
そのせいだろうか。屋上で一人、サンドイッチを口運ぶ七緒に最初に気づいたのは、ロビンだった。学校の三階の廊下を歩いている時、向かいの校舎の屋上にいる七緒の姿が目に入ったのだ。見覚えのあるふんわりとした栗色のお下げ髪がフェンス越しに見えて、思わず足を止めてしまった。
「あれは……東方の国から来た子じゃないか? 確かナナオとか言う……」
「あの子、いつも一人ね。滅多に喋らないし。いったい何を考えているのかしら」
対するクロエの反応は冷ややかで、どこか面倒くさそうだった。得体の知れない東方人とは関わり合いになりたくない。クロエがそう思っているのは明らかだ。ところがロビンは七緒から視線を外さない。外したくても、外せなかったのだ。
「レイヴン・レティシアの言っていた通りだな。ナナオとヴェロニカは上手くいってないようだ。……声をかけてみるか」
するとクロエは声にかすかな苛立ちをにじませて、右手で眼鏡を押し上げた。
「放っておきなさいよ、ロビン」
「どうしてだ、クロエ?」
「ヴェロニカにも問題はあるけど、彼女だって十分、問題なのよ。あんなんじゃ、誰もあの子とはフォーメーションを組めないし、信用だってできない。確かに大人しい性格の人間も世の中にはいるけれど、そういうタイプとも少し違う。あの子はすべてを拒絶し、閉じこもってる」
それは、第二部隊の黒猫たちの共通認識だと言っても良かった。黒猫は普通の学校の生徒とはわけが違う。互いに命を預け、魔女と戦わなければならないのだ。わずかな連携のミスが、命取りになることもある。だから、誰も信用のおけない人物とは組みたがらないし、部隊に信用できない人間がいるのも嫌う。自分の命がかかっているのだから、当然のことだ。
ところがロビンは、クロエの分析に対して、どこかひょうひょうとした態度で肩をすくめたのだった。
「そうかな? でも、そうならなおさら声をかけないと」
「他人がとやかく言っても無駄よ。結局は彼女が自分で何とかするしかないんだから」
あくまで冷徹なクロエの態度に、ロビンは何だか可笑しくなって破顔する。
「……クロエ姫は辛辣だな」
すると、それまで冷静だったクロエが、たちまちむっとした表情になった。
「ちょっと……何よ、その『クロエ姫』って⁉」
「それでも私は放っておけないんだ。騎士の家系だからかな。弱き者や困っている者を見過ごせない。……だから、ちょっと行ってくるよ」
ロビンは自信に満ちた声音でそう告げると、七緒のいる校舎の屋上に向かって颯爽と歩き出す。
「……もうっ! ロビンのバカ! お人好し‼」
クロエは先ほどまでの優等生然とした態度もどこへやら、ほほを膨らませてむくれてしまった。ロビンは笑いながらクロエにウインクを返すと、歩みを進める。クロエは聡すぎるが故に、時おり大事なことを見逃してしまうこともあるけれど、決して冷淡なわけでも、意地が悪いわけでもない。ただ少し頑固で、融通の利かないところがあるだけなのだ。
だからクロエもきっと、ロビンの考えを理解してくれるはず。そう信じているからこそ、軽口も交わせるのだ。
そしてロビンの予想は的中した。歩き出してからしばらくして、クロエがロビンを追いかけてきたのだ。どうやら一緒に向かいの校舎の屋上まで行ってくれるつもりらしい。
「……レイヴン・レティシアに頼まれたから、仕方なくよ」
少し面白がるようなロビンの視線に気づいたクロエは、唇を尖らせてそう答えた。さすがに少し大人げなかったと思っているのか、少しバツが悪そうだ。ロビンはクロエのそういうところが、たまらなく気に入っていた。
そう、やはりクロエは悪い娘ではない。ただ、ちょっと素直でないだけなのだと。
七緒は屋上で風に吹かれながら、一人でもそもそとサンドイッチを口に運んでいた。硬いパンに挟まれているのはレタスと卵、ベーコン、そしてチーズだ。酢漬けにされた玉ねぎとパプリカ、オリーブがアクセントとなって、とても美味しい。
デュシスの食事は和国とはぜんぜん違うため、最初はひどく戸惑ったけれど、それにも最近は慣れてきた。このサンドイッチはデュシスで食べたものの中で、七緒の最も好きな食べ物のひとつだ。ちょうどサンドイッチを食べ終わった頃、七緒は一人の少女に声をかけられた。
「やあ。一人かい?」
話しかけてきたのは、七緒が思わず目を見張るほど、背の高い少女だった。デュシスの少女たちは総じて七緒より背が高いけれど、彼女は中でも飛びぬけている。長いポニーテールに、きりっとした顔立ちには見覚えがあった。
(この人……魔女討伐の時にヴェロニカを助けていた……)
深手を負ったヴェロニカを城壁まで運びこんだ黒猫の一人が、確か彼女だった。七緒にいったい何の用だろう。今まで屋上で誰かに話しかけられることはなかったのに。七緒がにわかに緊張を覚えて、うろうろと視線を彷徨わせていると、長身の少女は快活に尋ねてきた。
「いつもここで昼食を食べているのか?」
「あ……えっと、……はい」
「学校の中には食堂もあるだろう? ここは少し寒いんじゃないか?」
「ええと……食堂は、いつも人がいっぱいだから……」
七緒は小さな声でもぞもぞと答えるけれど、ポニーテールの少女は気を悪くした風も無く、それどころか朗らかに笑い声をあげたのだった。
「それもそうか。私も人ごみは苦手なんだ。食事をする時くらい女子トークから解放されて、ゆっくりしたいしな」
「……」
少女の太陽のような明るさにつられて、七緒も少しだけ笑う。七緒より頭ひとつ分以上も背が高いのに、不思議と怖いと思わないのは、彼女の持つ明るさのおかげだろう。少女は笑みを湛えたまま、自己紹介をした。
「……私はロビン。彼女はクロエだ」
ロビンが指し示すほうへ七緒が視線を向けると、もう一人の少女がこちらにやって来るところだった。眼鏡をかけた少女で、とても頭が良さそうな印象を受ける。何となくクラス委員が似合いそうだと、七緒は思った。
ロビンはすらりとして背が高く、体格もいい。四肢はしなやかで、ほどよく鍛えられた筋肉が全身を覆っており、スタイルの良いスポーツ選手のようだ。腰のあたりまである青鈍色の長い髪を、後頭部でポニーテールにしている。瞳は生命力に満ちあふれた明るい若葉色で、それが彼女を快活に見せている要因のひとつかもしれない。
一方のクロエは眼鏡をかけた、知的な雰囲気を漂わせた少女だ。その眼差しは強い意志と知性を秘めているものの、どこか冷ややかさを帯びている。彼女も髪が長いけれど、上半分は後ろでまとめ、下半分を背中に垂らすハーフアップにしている。髪は限りなく黒に近い灰色で、そのせいか目の覚めるようなアクアマリンの瞳が良く映える。背はそれほど高くない。この年頃の少女にしては標準の範囲内だけれど、隣に立つロビンが長身だから小柄に見えるだけだ。
(この人たち、聖杯と剣 なんだ。……いいな、羨ましい)
ロビンとクロエは二人とも自信に溢れ、堂々としている。聖杯と剣の信頼関係がしっかり築かれているからだろう。二人が一緒に立っているところを見ただけで、強い絆で結ばれた黒猫なのだと伝わってくる。それが七緒は羨ましくて仕方なかった。七緒もヴェロニカとの接続に成功したなら、彼女たちのように堂々と胸を張って立つことができるのだろうか。
思わずそう考えてしまった七緒は、すぐに後悔した。どれだけ憧れても、羨んでも、パートナーが七緒の手に入るわけではない。羨んだら羨んだだけ、自分が苦しくなるだけ。だから欲しがったり望んだりしないほうが賢明なのだ。
それが絶対に手に入らないと分かっている時は、なおさらだ。




