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作者: 宗田 花

「ね、これってさ、いつの?」

「ん? なんだ? ちょっと見せて」

 古い型の携帯。パッカンってするヤツだ。いつ使ってたのか。そもそも誰の物だったんだろうか。

「見覚えないの?」

「お前が……使うわけないか、こんな古いの」

「姉ちゃんかな」

「こんな洒落っ気の無いもん使わないよ」

 黒一色。シンプルだから逆に記憶に残りそうなもんだ。けどまるで思い浮かばない。でもじっと見ていると何かが心に刺さってくる。

 電源ボタンを押してみても当然何も映りはしない。

「これに合うアダプターなんて無いよな」

「母さんに聞いてみる?」

「いいけど。おい、手が止まってる。これじゃ引っ越し予定日に間に合わないぞ」


 俺は生。17の長男。15の妹の澪、14の弟の圭、そして母さんの4人暮らし。

 せい、れい、けい。

韻を踏んでいる名前。ずい分洒落たことをしたもんだ、ウチの親は。


 ここには7年住んだ。2LDK。母さんと澪、俺と圭で同じ部屋にいるけど、でかくなった俺たちにはプライバシーもへったくれも無くて喧嘩が増えた。

 母さんの見つけてきた2階建ての家には一人一人に部屋がある。少し寂しそうな顔をする母さんをよそに、俺たちはかなりはしゃいで引っ越し準備に追われていた。


 親父はこの家を買った直後に車に轢かれて死んだ。母さんは泣いて泣いて、10になったばかりの俺はただそばで澪と圭を抱きしめていた。


 不思議なもんで、俺は親父の顔をほとんど忘れている。我ながら薄情だと思うけど、覚えてるのは声くらい。

「男だから」「長男なんだから」「母さんを大事にしろ」

そんな言葉だけ。

 澪は結構覚えているらしくて、「兄ちゃんは何も覚えてないの!?」と親父の話になると俺に食ってかかる。女の子の方が大事にされてもしょうがないか。そう思うから別に言い返しもしない。


 夫婦仲の良かった母さんに、親父の話は振らない。引っ越し荷物の中に混じる親父の物を握るたびに手の震える母さんから目を背ける。

 親父の物は結構多い。今まで母さんは整理するのをずっと躊躇っていたから。

 ――こんな時にしか――

そう思って、思い出の少なそうな物から俺はそっと捨てていく。



「ただいまぁ」

「お帰りっ! あのさ、これ分かる?」

まだ買い物袋を持ってる母さんに、黒い携帯を圭が見せた。


「あ!」


 袋を落として、まるで引っ手繰るように手に取った母さん……

「これ……どこに?」

「押入れ奥の段ボールの中に入ってたよ」

「母さん、大丈夫?」

一緒に帰ってきた澪が真っ青になった母さんの肩に手をかけた。

 その顔に俺はハッとした。いきなり思い出した。なんで忘れてたんだろう、あれは俺が母さんに捨てたと言った親父の携帯だ……

 母さんには見せまいと、狂ったように俺の胸を叩いた母さんに「ごめん、うっかり捨てちゃったんだ。ごめん」と繰り返し謝ったのに。

 あの時の母さんは今にも崩れそうなひび割れのガラス玉だった。だから俺は隠したんだ、親父の携帯を。


 恐る恐る電源のボタンを押す。次は何度も何度も押し続けた。それでももうとっくに充電なんか切れてる携帯は反応もしやしない。

「そうだ、充電……」

「アダプター、無いよ」

圭の言葉に震える声が言う。

「ショップに行けば……」

 青い顔のまま立ち上がろうとした母さんを俺は止めた。もうあの時に戻りたくない。

「母さん、やめよう。これはこのままにしておこうよ」

「やだよ……父さんの待ち受けが見たいの、見たいの……」


 どうして本当に捨てなかったんだろう。捨てようとして、結局捨てられなかった携帯。けどその記憶さえも捨ててしまって、見ても思い出しもなかったなんて。


「……写真照れるからって……それしか無かった、二人で写った写真なんか」

いつも子どもらを挟んで撮ってたから、二人っきりの笑った写真なんて他には無かったんだ。

「なんで……なんで捨てたなんて言ったの? なんで!?」

「俺は母さんを失いたくなかったんだよ……これを握りしめて毎日泣いてたじゃないか! それを見てられなかった……見たくなかった」

 食事にも手をつけず、ただ泣いて涙の中で溺れていた…… 俺たちのことさえ目に入らず、待ち受けから目が離れなかったあの姿が蘇る。携帯を握ったまま俺の膝を濡らしていく母さんを、圭も澪も辛そうな目で黙って見つめていた。


 しばらくしてやっと母さんが顔を上げた。


「うん……そうだね……そうだった。母さん、これを見て父さんの後を追いかけることばかり考えてた……あんたが捨てたって言って、やっと前を見ることが出来たんだった……ごめん」

謝らなきゃならないのは俺なのに。母さんが遠くに行きそうで怖かっただけの俺なのに。

「このまま持っていていい? もう変なこと、考えないから」

俺に聞くの? あんなことしたこの俺に。

「母さんのだよ、それ」

「ありがとう。もう泣かないように頑張るから」

思わずその小さくなった体を抱きしめた。泣いてるのは俺の方だった。

「見つけちゃってごめん。本当に捨てれば良かったのに。もう一度辛い思いさせた。ごめん……」



 2日くらい経って、圭と澪が俺をこっそり呼んだ。

「これ」

アダプターだ。

「あのさ、澪とあちこち行ったんだ、あの携帯の型見て。そしたらお店でこれをすぐ取り寄せてくれたよ」

「あげちゃだめかな、携帯が使えるかどうかは分からないけど」

まだ大丈夫なのかさえ分からない。また母さんを泣かすかもしれない……

「引っ越しが落ち着いたら一緒に考えようよ。動くって保証無いしね」

俺は二人に頷くのに精いっぱいだった。



 不思議なことにあの携帯を手にして、母さんは親父の物を自分から処分し始めた。

「そろそろ整理しなくちゃね。私ったら父さんのポケットに入ってたティッシュまでしまってたよ」

照れたようににこっと笑った母さんは、俺の手をしっかり握って目をちゃんと見てくれた。

「ありがとう、生。あんたのおかげ。あの携帯を捨てたって言ってくれた時……あんたは私の死にたいっていう気持ちを捨ててくれたの。感謝してる。だからもう気にしないで。今私がこうやっているのはあんたのおかげだから」

俺の目が霞む……母さんは俺の頬を撫でてくれた、小さい頃のように。

「あんたに『生』って名前をつけて良かった。本当に良かった……」



 俺はアダプターを渡すのかな……それとも……

 今度は俺一人で決めることじゃない。三人でちゃんと考える。たとえ泣いても俺たちがずっと支えていくよ。




  ―完―


 

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