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「兄妹と悪い魔女」

一日ごとに事件発生ですなあ~

――――「兄妹と悪い魔女」



 酒に酔って陽気な雰囲気につつまれていたロベルト卿の食卓は、慌てふためいたイサクの乱入により緊張した。取り乱して息が上がった彼に代わって、司祭ヨセフが事の顛末を話し始めた……。

 彼によると、イサクとともに開拓村での略奪から一緒に逃れてきたひとりの少年、ピト少年の姿が消えたということであった。あの惨劇で妹を失った少年は悲しみに暮れており、心の整理をする時間が必要で、ひとりになりたいだけだったと思われた。しかし、日が落ちてからも姿が見えないのに不安になり、少年を探してみた。しかし、どこにも影がない。ほかの子どもたちにも問うてみたが、いっこうに要領を得なかった。ともに逃れてきた村人と麦畑を探してみたが、畑の中で迷ったということでもなさそうだった。農婦たちも動揺し、いよいよ背筋に悪い予感が走った。改めて子どもたちに思い当たる節はないかと尋ねると、観念した様子で語り始めたという。

「湖の魔女へ会いに行った。」

 そう聞いたとき、イサクは飛び上がって狼狽し、すぐに長老へ相談した。そして長老とともに砦の衛兵隊にへ委細を話したが、長老にもイサクにも酒が入っていることから、酔っ払いの与太話と判断し、また麦畑で子どもがこっそり遊ぶことはよくある話だとして取り合わなかった。そこで、次に教会へ向かい、司祭へ事情を話したということであった。司祭ヨセフは「湖の魔女」の話を聞くと、少年ピトが魔女を訪問した理由に見当がついた。また、聖なる祈りの及ばない、この夜の森に入ったならば怪物や蛮族の危険が予期された。司祭はイサクとともに、再び砦へ向かった。門前で衛兵隊へ話すと、司祭が伴っていることからイサクを信用し、門が開けられ、領主と談判することが許されたとのことであった。

「魔女!」と言うなり、ぴょんこと飛び上がったのはアンナ嬢。つづけてロベルト卿が腕を組みながら、

「魔女のとこへ? 森に入ったと? 危険だ。特に今は魔女よりも、蛮族の略奪団がうろついている!」

 リザ嬢は口元に手をあて、息をのむ。ロベルト卿は使用人に命じて、娘を寝室へ上げさせた。

 イサクはピト少年を探しに森に入ろうとしているようだった。しかし、ひとりでは危険と判断し、衛兵隊の助けを借りようとしていたのだ。だが、ロベルト卿は衛兵隊を少年探しに向かわせるほどの余裕はないと考えていた。1,2人の衛兵を連れて行った所で、略奪団に襲われれば鎧袖一触であったからだ。また、それ以上の数を捜索に向かわせると、村の防備が疎かになる恐れがあった。

「おい、ディエゴ卿、ならわしらが行こうじゃないか。これも騎士のつとめ――」

と、赤ひげマウリシオが盾を取りに歩き出そうとすると、足がもつれてよろめき、ディエゴ卿が支えようとするも、マウリシオはあわれにも倒れ伏してしまった。

「この酔っ払いめ。マウリシオ卿、今のあなたでは門を出る前に落馬だ。」

「ディエゴ! ああ、いかん、小便に行きたくなってきた。」

「ここにいる騎士は案山子を魔女と思って突撃しかねない。」

 ドラクロワはにやにや笑いながら肩をすくめる。続けて従士たちのほうを見ると、彼らは全員机に突っ伏している。ブライアンなどは寝ながらガチョウの肉を吐き戻していた。

「いま襲撃を受けたら朝まで待たず陥落だな。」

「むしろ、酔った勢いで森を焼いてしまうやも。おじさまは?」

「おれは心地よい酔い具合だよ。」

 砦の騎士たちは酔いつぶれていた。かろうじてロベルト卿と金髪ディエゴはほろ酔いに収まっていた。ディエゴ卿は剣を抜いて掲げる。

「よし、おれがいくしかなさそうだ。」

「まあ待て、ディエゴ」

とロベルト卿がディエゴを手で制する。

「ひとりで森へ? 従士も潰れている。砦のこの有様、奇襲されればひとたまりもない。警戒の必要がある。衛兵隊をつけることはできないぞ。」

「魔女だろうが蛮族だろうが怖くない。」

「魔女の領域に入ったとなれば、どうなるか見当もつかない。それに貴殿の腕前を信じないわけではないが、たったひとりで子どもを守りながら怪物や蛮族の集団と戦闘を?」

「かといって見捨てるわけにもいかない! もたもたしていると襲われる。くそったれめ。なぜ魔女のところに!」

「とにかくひとりでは行かせられない。実際に魔女に遭遇すれば、魔女狩りの専門家なしでは危険だ。」

 すると、司祭ヨセフが歩み出て、

「それならば私も同行しましょう。おそらく魔女は死霊術を使う。ならば、教会の聖なる祈りの力が必要になるはず。従軍の経験もあります。」

というのに、おもわず金髪ディエゴも手を振って、

「司祭殿! それは危険です。」

「なら、私たちがいきましょう。」 

と首を突っ込むのは我らが少女騎士。彼女の得意技である。こういったとき、ひとつくらいは文句を述べる老騎士も、今回は文句なさそうだ。

 ロベルト卿は快諾した。司祭は村に留まることにし、ディエゴ卿は同行することになった。 ついていこうとするイサクを押しとどめ、魔女の居場所を尋ねた。聞くところによると、この村にいたる道で通過した湖の対岸付近に魔女が住んでいるらしい。しかし、いまだ魔女の住処までたどり着けた者はいないということだった。

 アンナ嬢は司祭に朝に頼んだ聖水と聖油について尋ねた。教会に準備してあるとのことだったので、ドラクロワとディエゴ卿が出発の準備を整えている間、連れ立って取りに行くことにした。月明りと、まばらにある常夜灯だけが頼りの暗黒の世界。10歩先の人の姿すら見えない。魔物や悪魔、人ならざる者たちの世界。それが夜である。

 道中、司祭と並んで歩む。アンナ嬢が松明を掲げて、司祭の足元を照らしつつ、尋ねる。

「ピト少年が汚らわしい魔女を訪ねた理由に見当をおつけになられたとか?」

「その通りです、シスター・アンナ。湖の魔女は貢物と引き換えに願いをかなえます。あの少年は妹を失っている。もしかしたら、死者を生き返らせようとしているのかと。」

「Ah bon? 死者を生き返らせる?」

「過去に一度、娘を追いはぎに殺された男が、自らの命と引き換えに。」

「なんと冒涜的な! では、ピト少年は魔術を頼る異端者ということですか?」

「いえ、神に誓って、そのようなことはありません。この地の教会では、そのような魔術へのいざないは、魔女の呪術だと考えております。くじけそうになった心の持ち主を、魔術によって操り。自身のもとへと。」

「神への祈りは、信仰は失ってしまうのですか?」

「試練なのかもしれません。心に悪魔が入り込む隙ができるほど、傷を負ってしまった者への。」

 司祭は十字を切った。少女騎士もまた十字を切る。

「シスター・アンナ。あなたは試練を乗り越え、信仰を証明されたのでしょう? その小さな身体で、修道騎士として戦装束をまとっている……。きっとわたくしには想像のできない試練。だからこそ、あなたは信仰を試されている者たちにとっての支えとなることができるでしょう。あの娘にとっても。」

 司祭は足元を見つめ、顔を上げずに歩む。それが、足場の悪さゆえななのかはわからない。少女騎士は”あの娘”が例の村娘のことだと考え、彼女について問うことにした。

「ああ、彼女は今朝、数時間祈り続け、その後告解を行なうことができました。食事もなんとかとることができています。日中は、裏の畑を弄っておりました。強い子です。あとは、神のご加護を祈るばかりです。」

「そうですか。では、祈りましょう。彼女のために。」

 そうして、ふたりは足をとめ、ひざまずいて十字を切った。再び足を進めると、ヨセフは聖職者らしく、あるいはひとりの人間として暗い話題ばかりではいけないと思ったのか、明るい話題へ変えようと、聖地の様子を尋ねた。その問いに対して、彼女は身体を揺らしながら、人の子が磔になられた丘でのすばらしい体験や、聖杯や聖なる十字架が発見されたこと、巡礼者たちであふれ、全世界が光につつまれて祝福されつつあることを語った。

「わたしも聖地を訪れたいものです。」

「ぜひとも! 聖書の世界を、自らの足で訪れること。これに勝る感動はありませんでした。すべての罪が清められたかのように感じましたよ。はじめて聖地の城壁を目の前にしたとき、私たち十字軍の巡礼者たちは、あまりの感動でみな一様にむせび泣き、異教徒どもの矢をも恐れず、聖歌を唄いながら城壁の下を行進しました。」

「なんと。その間、異教徒どもは、矢を放たず?」

「ええ。きっと、神のご威光に恐れをなしたのでしょう。」

「わたしもその場に居合わせたかった……。この地は悪魔で充ちている。この地が光によって浄化されることを祈らなくては。」

と司祭が顔を上げると、すでに教会の扉の前まで来ていた。ふたりは中へ入り、ヨセフは少女騎士に聖水と聖油が詰まった小瓶を手渡した。そうして、忌まわしい魔術から身を守ることができるよう彼女を祝福した。

 砦に戻ったアンナ嬢は、門の前で待っていた、すでに馬に鞍がつけられ、準備が整った騎士たちと合流した。突撃する機会はないはずなので、ランスは置いてきた。ディエゴ卿は昼の時にまとっていた装備に紫に金で装飾されたマントを羽織り、首から銀でできた大きな十字架の首飾りをさげ、自身の胴が隠れるほどのカイトシールドを左腕に、剣帯へショートソード、メイス、短剣、ニンニクの束をぶらさげていた。また、彼の馬の鞍には、見事な装飾のなされた両手剣がぶら下がっている。

 騎士たちは馬にまたがり、早速森へトロット(速足)で駆けていった。辺りは暗闇で、静まり返っており、馬の息遣いと馬蹄の音が響いて聞こえる。

 夜目が効く少女騎士と老騎士は、松明を掲げながら不便そうに馬を進めるディエゴ卿を、水先案内人のように導きながら進んだ。ふたりの緑の瞳が兜のスリットから煌めく。

「そのニンニクはなんだ?」

 ドラクロワは、出発する前からちらちと目線をやっていたものへ、ついに問いかけを行った後ろへ体をひねり、指さす。指さす先はディエゴ卿の腰の辺りだ。

 ディエゴはこれに対し、チェインコイフの上から頭をかいて、

「いやはや、これは、実は出発前にレディ・リザからいただいたのだ……。魔除けということらしい。」

 少女騎士も振り返って、

「よいものをもらいましたね。」

 老騎士は行き先へ視線をもどしつつ、

「吸血鬼が出たら頼りにしてるよ。」

「やめてくれ。まあ、伝承どおり効くのなら幸運だ。」

 昨日通った道を反対に進んでいくと、林に囲まれた湖に辿り着いた。対岸は樫の木の森になっており、木々の根元は暗くなっていた。湖にそって対岸まで至ると、泥地に真新しい足跡を見つけることができた。

 三人の騎士は下馬し、ディエゴは鞍に下げていたヘルムを被り、両手剣を引き抜いた。三人は馬を安全な所へ待たせ、老騎士が屈んで足跡を調べる。

「足跡がある。まだ新しい。浅く、小さな足跡。あの少年のものだろうか。」

 足跡は森の茂みに続いていた。木々が密集して、うっそうとしており光が十分に地面まで届かないようである。木々の間は洞窟の入り口を思わせるほどの暗闇。しかし足跡はそこで途切れており、痕跡を見つけることは困難だった。

「修道騎士殿、足跡を見失いましたな。確かにあれは子どもの足跡だった……。いったいなぜ突然途切れているのか……。」

「わからん。本当に魔女のねぐらが近いのだとすると、魔女の転移魔法か?」

 騎士たちは腕を組んで途切れた足跡を見つめたり、辺りを見渡したりしている。

「おじさまがた、何をおっしゃっているのですか? 足跡はこの先へ続いているじゃありませんか。」

と、少女騎士が茂みを指さす。男たちはいわれて指さす先を探ってみるが、そのような痕跡は見当たらなかった。

「マドモワゼル、幼稚な冗談だな。ユーモアは忘れてはいけないが、センスは必要だ。」

「アンナ卿、この先にはうっそうと茂った、足の置き場さえないほど根がはった草木だけしか見えん。」

「Ca alors. おじさまがたのほうこそ、冗談はよしてくださいよ。ここに道がありますね。足跡が続いています。この先に向かったんでしょうか。」

と言って、再び木々の間を見つめる少女騎士。振り返ると、首を振りながら腕を組み、怪訝な様子のふたりを見て、彼女も腕を組むと、自身のヘルムをこつんと叩いた。

「え、おじさまがたは本当に見えないんですか?」

 老騎士は腕を組んだまま肩をすくめて、

「何も見えん。」

「おなじく。真面目に探そう。どこかに手掛かりがあるかも。」

「Ah ,ha …..信仰心が足りないようですね。」

と十字を切ってから、けたけた肩をゆするアンナ嬢。それにため息をつく老騎士。

「知らん。む、ちょっと待て。魔力をわずかに感じる。」

「魔力?」

 ディエゴ卿は剣を構え、辺りを警戒した。だが、何の気配もしない。老騎士は手をくるくる回してディエゴに語り掛けた。

「あー、修道騎士は魔術師を討伐することがあってね。信仰によって邪悪な魔力の気配がわかるんだ。」

「そうなのか。おれにはさっぱりだ。ロベルト卿のいうとおり専門家は必要か。」

 ディエゴ卿は剣を地面へ突き刺して、柄頭へ腕を置いた。老騎士のもっともらしい説明に対して、アンナ嬢はまたしても自身のヘルムをこつんと叩いた。

「おい、何かこの辺に『不自然なもの』はないか?」

 老騎士が少女騎士をつついて言う。彼女は樫の木から垂れ下がったツタを指さして答える。

「あー、今、私の目の前に『すてきなオブジェ』がありますよ。」

「それだ! それを破壊しろ。」

 少女騎士がツタを蹴とばす。すると、今まで木々や草々、キノコしか生えていなかった空間がねじれ曲がり、ディエゴ卿は思わず後ずさった。

 ゆがんだ空間はやがて元にもどった。だが以前とは違う点があるのに、彼らは気が付かないはずがない。ゆがんでいた空間には、確かに道ができていた。狭い道だ。人二人分ほどの幅である。

「おおお、神よ。魔法だ!」

 ディエゴ卿がおもわず十字を切る。老騎士はアンナ嬢の隣に並んで、足元へ目をやる。

「たしかに素敵なオブジェだな。これは妖精の魔法か。」

 少女騎士の足元には、鹿の頭蓋骨が丁寧に棒切れへ打ち付けられたものが転がっていた。頭頂部には魔法陣が血で描いてあるようだった。

「妖精の魔法?」

 ディエゴ卿が後ろから、のぞき込むようにして尋ねる。

「妖精の魔法は大人から姿を隠す。子どもにしか認識できないようにする。術が解けて、いまおれたちにも存在が知覚できるようになったということだな。」

「では、C’est-a-dire,私はまだ子どもってことですね。」

 少女騎士は左手を胸にあて、右手を上にあげた。老騎士はわざとらしく肩をすくめて、落とす。

「子どもの心というのは否定できないな。見た目もそうか。だが生きた年月は子どもというには厳しいな。いつまでも子供時代でいてもらっては困るぞ。」

「でも子どもの私がいるおかげで、魔術が解けた。」

 おそるおそる、地面があることをを確かめながらディエゴ卿が歩み寄り、二人に並んだ。彼は足元のオブジェを見やった。そして再び十字を切ると、老騎士を見て、

「では、魔女の正体は妖精だったと?」

「いや、ところどころアレンジが加えられている。妖精の魔法を基にした独自の術式だろう。」

「Je vois.(ジュヴォア)とりあえず、この汚らわしい魔法の仕掛けは破壊しましょう。」

と、アンナ嬢、素敵なオブジェを散々に蹴とばして、粉々にした。

 一行は警戒しながら足跡を追った。道は湿気を含んだ、こげ茶色の土で、足をのせると羊毛のようにふわふわする。

 ある程度進むとまたしても目の前はただの薮であった。だが少女騎士には道が見えているようで、先頭を行く。律儀な彼女は、その素晴らしいオブジェをひとつひとつ蹴飛ばして進んでいった。蹴飛ばして壊すたびに、空間がゆがみ、すぐにおさまる。するとあとから老騎士とディエゴがついてくる。所々にある段差には丸太が埋め込まれ、道の両脇には例の頭蓋骨でできたオブジェが蹴とばされ倒れていた。

 足跡は薄暗いこの道の奥へと続いていた。彼女はずんずん道なりに進んでいく。青白く光るキノコが、道の両脇に群生しはじめる。

 やがて、視界の先に岩肌の露出した絶壁が移った。その絶壁の下には、二本の素敵なオブジェが刺さっており、二本の間には木でできた扉があった。洞窟の入り口の扉のようだ。扉にはご丁寧にもシロツメグサの花で編まれた冠がかけられている。

「ふむ、足跡は扉の中まで続いている。中に入ったようだ。」

「どうみても穢らわしい魔女のねぐらですね。」

 彼女は扉の前でしゃがみこみ、聞き耳を立てる。だが、中の様子をうかがい知ることはできなかった。

 老騎士もまた扉へ近づき、聞き耳を立てた。

「魔法で内部の空間がゆがめられている? 中がどうなっているか、見当もつかない。」

「D'accord.考えてもしょうがない。手段はひとつだけですね。」

「お前の流儀でいくか。突入するぞ。ディエゴ卿、貴殿はどうする?」

「もちろん共にいくさ。まごまごしていると手遅れになるかもしれん!」

 彼女たちは突入することに決めた。アンナ嬢は十字を切り、鞄から聖水の入った小瓶を取り出すと、兜の上から自分に振りかけた。

「おじさまがたもどうです?」

「まあ縁起は担ぐものだな。」

と、男たちも聖水をあびた。老騎士は片手半剣を引き抜き、ディエゴも両手剣を構えた。少女騎士は鞄の中をごそごそとやって、

「あと一本ある。魔女の浄化に使えるといいけど。」

 彼女は背負ったカイトシールドを左腕に構えなおして、フランキスカを抜いた。大きく息を吐く。吐いた分の空気を吸う。そうして、おきまりのセリフとともに、扉を蹴破った。

「DEUS VULT!」

突入した彼女の、グレートヘルムの中で輝く緑色の瞳に飛び込んできたものは、宮殿の庭園と呼んでもいい荘厳な景色であった。古めかしい大理石の石畳。ギリシャ調の石柱。色とりどりの花々に、石畳や石柱を覆うツタ。なによりも、血のような雲がとぐろを巻いてうごめく、緑色に染まった空。ローマのコロッセオのように円形に囲まれた空間で、”壁”はびっしりと本が埋まった本棚に覆われている。

「ずいぶんと野蛮な客だねぇ。礼儀を知らないのかい。」

と、劇場の俳優のようにひびく、若い女の声。声の主は、庭園の中央で、ぐつぐつ煮立つ大釜をかき混ぜていた。大釜の下には、緑色の炎が怪しくゆれる。傍らにはマホガニーのテーブルがあり、その上に、青白く発光するキノコや、カラスや兎の屍骸、瓶詰めされた紫色の液体などとともに、少年が腕から血を流して寝かされている。鋭利な刃物で手首を切られたようである。

「魔女! 神への反逆者め!」

「おやおや、可愛らしい騎士だこと。」

 魔女はくすくすと妖艶に笑う。その魔女の姿は、ウェーブがかったブロンド髪の若い女で、背丈はアンナよりもずっと高い。男を誘惑するのに不足ない体つきであり、これ見よがしに半透明にすける赤いドレスを身にまとっている。首元には女性器を模した骨細工の首飾りがある。そして紫色の瞳が、長く細い睫毛に見え隠れし、長く見つめていると意識を失ってしまいそうである。

「もうすぐ儀式が終わるから、大人しくしてなさい。」

と言うと、右手で空中に魔方陣を描き、何か呪文を唱えた。すると少女騎士は見えざる力によって吹き飛ばされ、石柱に打ち付けられた。

「おじさまは!」

と、見渡したところ、一緒に突入したはずの老騎士とディエゴ卿の姿が見えない。

「連れがいたのかい? 残念。きっと今は森の中さ。」

 再び魔女が魔方陣を描くと、少女騎士は何者かに肩を押さえつけられる感覚に襲われた。しかし、大した力ではなく、容易に脱することができそうだった。浴びたはずの聖水が徐々に乾いていく。

 だが魔女はそれには気が付いていない様子で、

「いい子にしてるのよ。お嬢ちゃん。」

と言うと、大釜をかき混ぜていたムカデ彫刻の施された杖をテーブルに立てかけ、血の滴るナイフを取り出した。

「Beurk! 少年に魔術をかけたか。その血は少年のものだな? 少年の傷は、そのナイフでつけたものだろう!」

 魔女は答えず、ナイフを少年の胸にあてがった。ナイフを思い切り振り上げようとした瞬間、騎士は左足を前に踏み出し、

「止めろ! 悪魔め!」

と叫ぶなり、フランキスカを魔女に向かって投げつけた。空気を切り裂く音を立てながら、くるくると回転しつつ一直線に魔女へ向かう。瞬きをする間もなく、深々と肉を切り裂き骨につきささるはずだった。

「パリエース シ クトース!」

 魔女がそう呪文を唱えると、獲物に噛み付く猟犬のように肉を切り裂いたはずだったフランキスカは、金色に発光する霧によって弾かれた。金属同士がぶつかる音が響き渡る。

「おてんば娘にはおしおきが――」

 そう言いかけた魔女の、続く言葉は耳をつんざく絶叫であった。あの屍食鳥を凌駕するほどの金切り声をあげる。魔女は顔を両手で抑える。顔から湯気が立ち上る。背中が弓のように反る。両手の間から見える顔は、火傷を負ったようにひどく爛れはじめた。

「小娘! 雌豚! 売春婦!」

と罵り言葉をあげる魔女が見たものは、いつの間にか3歩程の距離まで近づいていた騎士だった。手には小瓶を持っており、その瓶は大釜に投げ入れられた。

 騎士は、フランキスカを投擲すると同時に駆け出し、聖水を魔女に振り掛けたのだった。一振りでは空にならなかった瓶詰めの聖水を、返す刀で大釜に投げ入れたのだ。投げ入れると、そのまま魔女に接近し、盾の縁で魔女の顔を殴打しようとする。

「イムプルスス!」

 盾で殴られる寸前、片手で顔を抑える魔女が呪文を短く唱えると、騎士は見えざる力によって吹き飛ばされた。しかし、正確な詠唱ではなかったようで、背後の円柱に激突するほどの威力ではなかった。柱を背にして、両足で踏ん張る。

 魔女が顔から手を放すと、あの犯罪的ともいえる誘惑する若い体は失われていた。いまだ聖水で焼けた全身から湯気がたちこめている。湯気の立ちこめるその体は、腰から曲がり、ひどい猫背で、肌は皺くちゃに垂れ下がり、爛れている。手は汚く黄ばんだ爪が長く伸び、よれよれで骨格が浮き出でている。その顔は、顎が出、鼻はとがり、イボが所々にある。口元はぼろぼろに汚れた歯が乱立している。手でつかむと零れ落ちるほどのつやを保っていたブロンド髪はもはや縮れ毛で馬の糞のような色だ。

「この愚か者が! 妊娠した売春婦! 凌辱されて豚のえさにでもなっちまうがいい! 小娘、あんたは間違いを犯したんだよ! 」

と口汚く罵り言葉を浴びせながら、ムカデ彫刻の施された杖を取ろうとする。騎士がそれを見過ごすはずはない。すぐに剣を抜き放ち、魔女に飛びかかる。

 しかし、駆け出してすぐに、人間ならざる者の悲鳴……いや、女性の悲鳴が聞こえた。魔女のものではない。別の存在の、悲痛な悲鳴だ。

 その悲しみを含んだ悲鳴に、魔女も、騎士も足を止める。すると、先ほどまでぐつぐつと煮込まれていた大釜が激しく震え始めた。

 震える大釜の中から、這い出るかのように一本の手が伸びた。その手は幼い子どもの手だ。伸びた手は大釜のふちをつかむ。もう一本出てくる。右手と左手がそろった。大釜の中から爪ががりがりと引っ掻く音が聞こえる。右腕が、脇まで出た。大釜から這い上がろうとする者がいる。そして、這い上がった悲鳴の主は、半身をあらわにすると、どさりと、大釜から倒れおちた。

「魔女! 幼い娘の亡者を召喚したか! 死者の眠りを妨げる死霊術を行使するとは!」

「ふん! あんたの小さな脳みそでは何の触媒にもならなさそうだね!」

 どさりと落ちたその亡者は、幼い少女だった。しかし、かつてはミルク色であったであろう肌はカビのようなヘドロ色に染まり、めくれあがって、肉が露わになっている。その肉もどす黒く変色し、いまにもウジがわきそうな腐敗具合。骨が露出しているところもある。その姿どおりの腐敗臭が辺りに立ち込める。

 哀れな亡者は、床でうごめきながら再び絶叫する。顔の皮膚もめくれ、鼻はつぶれている。眼球はつぶれ、片方は眼孔から垂れ下がっていた。生前の姿を伺うことができるのは、わずかに残った長い茶髪だけだ。

 この騒動で、腕から血を流していた少年も目を覚ます。目をさましてすぐ、この惨状を目にしたのか、震えあがり、動揺してテーブルから転げ落ちた。

「坊や、残念だったねぇ。」

と魔女は少年へ近づく。

「少年に近づくな! 悪魔の手先!」

 再び剣を振り上げて魔女に近づこうとする騎士は、何者かが飛びついて来たことにより、行く手を阻まれた。

 飛びついてきたのは、哀れな少女の亡者だった。反射的に盾を構え、亡者が盾にぶつかる。亡者はよろめきながらも、こちらへ飛びかかってくる。それを再び盾で防ぐと、そのまま押しやり蹴り飛ばした。

 蹴り飛ばされた亡者は、テーブルにぶつかった。テーブルからナイフが落ちる。そのナイフを拾い上げ、またしても騎士へ襲い掛かる。

「トニトゥルス ウェントゥス サギッターリウス!」

 杖を手にした魔女は呪文を詠唱し、騎士へ杖を向けた。杖の先から無数の稲妻が走り、騎士に迫る。

 突き出されるナイフを避けた騎士は、躱しざまに亡者を切り倒そうとしていたため、その稲妻をよけることはできなかった。神の加護を信じて、とっさに盾を構え、身を守るしか手はなかった。

 轟音とともに、盾を持つ手に衝撃が走る。騎士はよろめいたが、信仰の力によって盾の表面が焼け焦げるにとどまった。盾にしみ込んだ聖油は、邪悪な魔法から正しき信徒を守ったのだ。

 しかし魔女も亡者も野獣のように攻撃の手を緩めない。少女の亡者がナイフを振り回し、それをいなしたり、回避したところで、再び魔女の魔法が襲い掛かるのだ。

 鎧を信じて、ナイフがコートオブプレートや鎖帷子を滑るのをそのままに、亡者へ斬りかかり、腹を掻っ捌くも、動く死体だけあって痛みなど感じないらしい。内臓をひきずりながら、なおも突っ込んでくる。そしてまた魔法の雷撃が飛び、盾で受けざるを得ない。背後から再び亡者が襲い掛かる。右袖の鎖帷子を滑るナイフ。振り返りざまに、亡者の右腕を斬り落とす。だが亡者は左手を犠牲にそれを防いだ。そして再び魔法が騎士へ襲い掛かる。左腕を失った亡者は再び騎士へ突っ込む。聖水も聖油も乾ききってしまえば、身を守るすべを失う。狡猾な魔女はそれを知っていた。

 幾度となく繰り返され、消耗を誘う卑劣な攻撃であったが、好機は突然にやってきた。

「ララ!」

 少年が、誰かの名前を叫ぶ。すると、少女の亡者がナイフを振り上げる前に、少年のほうに振り返ったのだ。その隙を、騎士は有効に使った。

 亡者はすぐに向き直り、ナイフを振り下ろした。だが騎士は避けようとせず、斬りかかる。ナイフは兜に直撃し、兜に小さな傷をつけつつも、円筒状の形にそって刃先が滑ってゆく。その音をヘルメットの中から感じながらも、剣を横なぎに振るい、少女の亡者を真っ二つに切り裂いた。上半身と下半身に別れ、亡者は崩れ落ちる。そしてすぐ、魔女のほうへ駆け出す。

「トニトゥルス ウェントゥス サギッターリウス!」

と詠唱すると、ほとばしる光に目を瞑りたくなるほどの閃光がきらめいて、そのきらめきは騎士を襲う。だが、騎士は盾でそれを受けると、そのまま盾を左へ投げ捨てる。稲妻は、盾につられて、盾を襲うばかり。騎士はそのまま剣を両手で肩の高さに構えて飛びかかる。

 目を見開いた魔女は首飾りを引きちぎり、兜のスリットから怪しく目をきらめかせる騎士へ投げつけた。すると、両手を叩かれたような感覚が騎士を襲い、手がしびれたと思うと同時に、構えていた剣が吹き飛ばされる。

 だが執念に燃えた騎士はあきらめない。飛びかかりながらメイスを抜き放ち、魔女の醜い顔めがけて振り下ろす。

「テールム エクスペリオ!」

 魔女は飛びのきながら口早に唱える。まるで悲鳴のように。神の裁きから逃れようとする者たちのように。とはいえ呪文は少女騎士の持っていたメイスを吹き飛ばす効果はあったようだ。だが、それであきらめる彼女ではない。さらに短剣を抜き放ち、突貫する。

 すると、性根の腐った魔女は両手ですばやく、めちゃくちゃに魔方陣を描いた。魔方陣は空中で真っ赤に光り輝き、中心から間欠泉のようにすべてを焼き焦がす火炎が噴き出した。

 次に魔女が目にしたのは、聖騎士きどりの腹立たしい小娘にふさわしい結末、焼け焦げた焼死体、ではなかった。視界に映ったのは、炎をものともせず、炎をまといながら突っ込んでくる小さな騎士だった。その姿があまりにも地獄から這い出た番犬のようであったので、魔女は恐れおののき、声を出すのが遅れた。焦った魔女は嗚咽のように呪文をとなえようとした。

 だが、その呪文を唱えるための口は、血と歯の破片を飲み込むことになった。少女騎士が頭突きを食らわせたのだ。鉄のヘルムによる頭突きを食らった魔女はその汚い歯を粉々に砕かれた。騎士はそのまま魔女を押し倒して、首の辺りで馬乗りになって、その傲慢ちきなとがった鼻を殴り、へし折った。

 さらに2.3発殴りつけると、悪賢い魔女は指先で床へ小さく魔方陣を描こうとした。我らが少女騎士がこれを見逃すわけがない。彼女は握っていることを忘れていた短剣で、魔女の手を突き刺し、床へしっかりと打ち付けた。

「ぎゃあああああ!」

と、醜く悲鳴を上げる魔女。だが魔女はやはり悪知恵が働くものだ。無事な反対側の手でも魔方陣を描こうとする。もちろん少女騎士は容赦しない。正しい信徒に対しては羊のような彼女も、神の敵に対しては獰猛な猟犬だ。はじめに放り投げたフランキスカが足元へ転がっているのを発見して、手繰り寄せ、斧でもって魔女の左手首を斬り落とした。

 魔女は再び金切り鳥のように悲鳴を上げた。斧は深々と床に突き刺さっている。少女騎士は悲鳴をあげ続ける魔女へ向かって、さらに鉄拳を食らわせた。

 その一撃で魔女は気を失ったようだった。念のため、ダガーを抜いて、魔女の口へそれを突っ込み、かき回した。そして、短剣で床に打ち付けていた手も、フランキスカで斬り落としておく。

 魔女の上からどいた彼女はひざまずき、十字を切った。

「神よ、戦う力を与えて下さり感謝します。」

 彼女が浴びた聖水は乾ききっていた。火炎を防いだのは、わずかにサーコートに湿った聖水であった。悪魔の術は神聖なる祈りによって清められた。あるいは、おとぎ話を信じるのであればドラゴンの血による恩恵かもしれない。もちろん彼女はそれを否定し、信仰が身を守ったと主張するだろうが。

「ララ! ララ、ごめんよ!」

という声に、その声のするほうへ振り向けば、腕から血を流す少年が、真っ二つになった亡者へ駆け寄っていた。

「Non! 少年! 危険ですよ!」

ピト少年は騎士の言葉にかまわず、真っ二つになった亡者の傍へ寄り抱き上げた。苦しそうにうめき声をあげる亡者の頭を太腿に乗せ、手を握りあっている。

「ごめんよ。ごめんよ……」

 少女騎士は吹き飛ばされた武器を回収すると、剣を握り、いつでも亡者、あるいは魔女を斬り殺せる位置で、少年と亡者の様子を眺めている。

 すると、うめき声をあげるだけだった亡者が、ようやくひねり出したという具合に、アビエニア語を話し始めた……。

「お、お兄ちゃん……。いい、いいの。」

「ああ、ララ!」

「ア、ありがとう。お兄ちゃん。わた、わたしのため……に、したん、だよ、ね。」

「ララ1 ごめん1 守ってやれなかった! ぼくは、ぼくは……。」

「いいの……。うれ、しかった。泣かないで、お兄ちゃん……。」

「おめおめと、おめおめとぼくだけ生き残って……。」

 さめざめと泣き、涙を落とす。涙は亡者の頬へ落ち、伝って行く。

「あはは、いつも、わたしが、ないてた、のに。」

「ぼくが死んで、ララが生きてくれれば……。」

「お兄ちゃん!」

 今まで力なく話していた亡者が、突然大声を出した。少女騎士は一瞬身構え、ピト少年は顔をあげ、ララの眼球のない顔を見つめる。

「ばか! ピトお兄ちゃん! わ、わたしの分まで、、いきて、いきて、守って――」

 そこまで言うと、亡者は空気が抜けたように、全身の力を失った。少年の腕の中で、息絶えたのだ。少年は絶叫し、豪雨の中で雨漏りするかのように泣きじゃくった。少女騎士は、声をかけることはできなかった。

 すると、この荘厳なギリシャの遺跡風の空間全体がゆがみ始めた。世界の終りを予期させる地震。それに襲われたように立っているのが難しくなり、膝をつく。だが、実際に地面が揺れているのではない。これは錯覚である。彼女はそれがわかっていたが、大地が揺れる感覚に逆らえなかった。少年も同じようで、亡者を大切に抱きかかえながら、揺れに耐えている。

 しばらくすると最後の審判のような揺れは収まった。そして、荘厳なギリシャ遺跡は、ただの洞窟の中に変化していた。マホガニーのテーブルは腐りかけており、石の円柱は洞窟の壁であった。本棚はただの山のように積み重ねられた本であり、カビの生えたものだ。空間は松明によってうっすらと視認できる光量が確保されている。

「うん? ここは? 森じゃない。いったいなんなんだ。洞窟に入ったと思ったら森の中で、化け物と戦っていたら、今度は洞窟だ。」

 その声は聞き覚えがあった。金髪騎士のディエゴ卿だ。声のする方を見てみると、確かにディエゴ卿がいた。兜を脱ぎながら、辺りをきょろきょろと見渡している。もちろん懐かしい声の主も一緒だ。ディエゴ卿と連なって影が表れる。

「ハァー、最高だな。考えなしに突っ込んで、危なくなったら剣を振りまわせばいい。いわゆる勇者はいつもこんな発想なんだろう。もっとよく考えるべきだった。」

「Oh ! la, la ! おじさま、元気そうでなにより。会いたかったですよ! どうやら迷子になっていたようですね。」

 ふたりとも五体満足、元気そうだ。ドラクロワおじさまは口元を隠していたチェインコイフを引き下げ、素敵なお髭を露わにする。アンナ嬢は剣を逆手に持つと彼に飛びつき、抱き着いて、髭を口にくわえようとする。が、バケツ兜を被っているので、彼の兜と頭突きをしあうだけに終わった。

「よしよし、お嬢ちゃん。そっちも血まみれだな。おれたちもだが。」

 アンナ嬢が離れて、十字を切り、ふたりをみると、騎士たちは返り血を浴び、血まみれだった。手にした剣からも血が滴る。

「おお? アンナ卿! 無事だったか。さすが人狼退治をしただけある。」

 そういって、ディエゴ卿は剣を振り血ぶるいをする。

「おじさま、いままでどこに。」

「魔法の森で、凶暴なカラスや巨大クモ、腐った死体と戦ってたよ。まんまと魔術にはまった。おれとディエゴは別空間に飛ばされていたわけだ。」

 ドラクロワが肩をすくめて、ため息をつくと、ディエゴ卿が剣をサーコートの裾で拭った。彼は辺りを見渡しながら、

「魔女め! 見事に分断された。だがアンナ卿も無事だったようで、なによりだ。こちらはカラスの死体の山をつくるので大変だった。腐ったトロールを相手にしたのは初めてだったよ。いい経験になった。」

 ドラクロワもまた、剣を振って血ぶるいをしながら、

「魔法が解けたということは、魔女は死んだか? どうなった。」

「魔女なら、あそこで寝てますよ。」

と、手にした剣で魔女を示した。勢いで剣から血が滴る。

「貴殿が倒したのか! お見事。」

「まだ息があるようだな。情けをかけたのか?」

「このまま生け捕りにして、村で火あぶりにかけようかと。司祭の祈りと、永遠の炎で浄化すべきと考えました。安心してください。舌は切り刻んで、両手首は切り落としてあります。」

「あまりの寛大さに涙が出そうだ。おかげで失血死寸前だな。まあ、このばあさんの運命だったんだろう。だが火にかけるのは賛成だ。魔女は死ぬと、魔力を持った精霊になり、森をさまよう。精霊は善良とは限らない。肉体を火葬すれば、魂は神の身許へ。」

「地獄へ送りましょう。神はそう望んでおられます。」

「まあ、好きにしてくれ。」

と老騎士は肩をすくめ、少女騎士は十字を切った。そうしていると、辺りを見渡していたディエゴ卿が、歩み出し、

「お、少年! お前がピトか? 助けにきた。悪い魔女はこの通りだ。さあ、帰ろう。」

 アンナ嬢とドラクロワおじさまもディエゴに続き、少年に歩み寄る。するとドラクロワが立ち止まり、剣でも少年の抱きかかえているものを指し示す。

「まて、この亡者だったものはなんだ。」

「彼女は……ぼくの妹です……」

「ああ、おじさま、どうやら魔女は死霊術を行使しようとしていたようです。ほら、そこの大釜に儀式の跡が。聖水を投げ込んで、邪悪な行為を止めてやりました。」

「なるほど。それで、中途半端に蘇ったわけか。ハァー、後味が悪い結末だな。」

 ディエゴ卿はそれを聞き、振り返りざまに、腕を組んで問うた。

「忌々しくも、儀式が成功していたら?」

 ドラクロワは首を左右へ振って、

「この少年の命と引き換えに、少女が生前の姿で生き返る。」

「Helas.優しい魔法使い、めでたしめでたし。とはいきませんね。」

「チッ、やはり魔女は汚らわしい!」

と、ディエゴ卿が石ころを蹴とばすのに、ピト少年はびくりとおびえて、

「ご、ごめんなさい、ぼく、ぼくは妹を……。」

「あー。何も言うな、少年。」

とドラクロワは少年に寄り、しゃがんで、少年と目線の高さを合わせる。肩へ手をかけると、少年は老騎士と目が合った。老騎士は目線を合わせて言う。

「少年、お前は魔女の呪術で操られ、ここへ来た。そして魔法の触媒にされかけた。そういうことだ。妹を愛した心優しき兄よ。お前に罪はない。」

――

 一行は魔女の住居に火をかけた。あわれな亡者は、少年が洞窟の傍に穴を掘り、小枝で十字架を拵えた墓に埋められた。少女騎士が弔いの祈りを捧げ、亡骸を清めた。

 少年は名残惜しそうに、いつまでも墓を眺めている様子であったが、朝日が森を琥珀色に照らすと、墓から霊魂が浮き出し、少年へ抱き着くかのようにまとわり、そして天へ昇って行った。少年は振り返って、騎士たちに礼を言い、ようやく歩き出せた。

 アンナ嬢は魔女を曳きずっていこうとした。首根っこをつかんで、ずるずると持っていこうとしたが、ついに魔女は息絶えた。死体を持ち歩くのは厄介であったため、首を切り落とし、身体は燃え盛る洞窟へ放り込み、焼き清めることにした。

 湖の傍へ出ると、忠実なる馬たちは草を食みながら待っており、ドラクロワの馬へ少年を乗せた。老騎士は少年を抱きかかえるようにして騎乗し、クルティボ村へ向かう。アンナ嬢の馬の鞍には魔女の首がぶら下がっている。首をぶらぶらゆらしながら村へ戻り、そして村人全員の前で、司祭ヨセフによって、神の名のもとに焼き清められた。

 勇敢なる3人の騎士は称賛され、ディエゴ卿は他領まで名声を高めた。ふたりの修道騎士も村人から救世主のように歓迎され、教会からも信仰心を示した修道騎士として賛美された。悪魔のわざである魔法を、神聖なる神の御名によって粉砕したと。教会の威光を高めるものとして、他の教区へも伝えられ、しばらく後には、この地の大司教にも知られることになる。

 しかし、洞窟で焼き清めたはずの魔女の身体は、完全に焼けてはいなかった。邪悪な魔力を宿した肉体は聖なる炎で浄化されることなく、腐敗するにまかされた。やがて、魔女の亡骸から魂が抜けだし、森の石や木に乗り移った。

 クルティボの人々は森にある湖で時折、ドレスの様に木々をまとった、奇妙な石の精霊を見かけるという。その精霊は貢物をすると、小さな願いなら叶えてくれるのだと、人々は言う。明日の天気や、紛失物が見つかることや、想い人の好みを知ること。そんな小さな願いである。だがその精霊は貢物にうるさく、ドレスやヴェール、首飾り以外では願いを聞き入れないらしい。なので、いつしか人々はその精霊のことを「湖の貴婦人」と呼ぶようになった。


はたして悪い魔女だったのか? そもそも魔女は本当に魔女? など、なぞは残りますが、我らがアンナ嬢が殺してしまったので真相は闇の中。

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