「 ROCK YOU! 」 ~槍突き合いは友達付き合い~
ジャンジャンッ バンッ ジャンジャンッ バンッ ロックユー!
――――「ROCK YOU! 」 ~槍突き合いは友達付き合い~
その日の夜、アンナ嬢とドラクロワおじさまはロベルト卿の館へ泊まることになった。2階の一室を貸し与えられ、二人で鎧を脱ぎ合って眠り、起床とともに着せ合うのは、もはや日常である。野営の時にはできないことだ。警戒して鎧はいつも着たままであり、壁に守られた寝床でのみ許される。
部屋は狭いが、ベッドは藁ではなく羽毛がつまったものであったので快適であった。しかし、老騎士はやはりドラゴンの姿で眠る方が心地よいらしい。
「Ah bon.なら、お外にちょうどよい麦畑がありますよ。」
などと少女騎士がふざけると、老騎士は寝返りをうちながら、
「翌朝は大騒ぎだな。ロベルト卿は食べたくない。」
眠る前にはアンナ嬢、盾と武器の刃に聖油を塗る。森のなかで人狼兄妹を退治してから、これを習慣にすることにしていた。ドラクロワおじさまの分まで甲斐甲斐しく聖油をぬりたくる。
――
夜明け前、息を切らして勢いよく起き上がった娘がひとり。我らがアンナ嬢である。大きく激しく息をしている。呼吸が荒い。どうやら悪い夢でも見たようだ。しかし、汗はかいていない。彼女の身体はもはや汗をかくことはできない。
「Mer.....Zut......(ジュット......)」
彼女はベッドから下り、ドラクロワおじさまのほうを見た。こちらに背を向け、ぐうぐう寝ている。
立ち上がって水桶のあるスツールまで行き、桶にためられた水面をのぞき込むと、いつもの顔が見える。夜目の効くトカゲのごとし緑の瞳は、暗闇でもわずかな光を反射してきらきら煌めく。
水面を右手でかき回すと、醜い顔がさらに醜くなった。水面が落ち着いてから、両手で顔を覆ってみた。そして、傷のない、きれいな部分だけ見えるようにして、再び水面をのぞき込むとかわいらしい少女がいた。ひとつ肩からため息をついた彼女は顔を洗い、十字を切ってからもう一度シーツのなかにもぐりこんだ。
――
さて、翌朝から、砦の騎士や従士たちにふたりは紹介され、一同は礼儀作法にのっとって挨拶を交わした。その後ロベルト卿らとともに教会へ礼拝に向かった。
礼拝後にアンナ嬢は司祭に聖水と聖油を求めると、夕刻までには用意してくれるということであった。彼女はもっと司祭と会話を楽しみたかったが、新兵達の訓練のために老騎士にひっぱられて連れ出された。
緑色から、薄いトパーズ色に変わる空。日の出とともに村の人々は活動をはじめる。農具を手に畑へ向かう人々、家畜小屋へ向かう者、井戸や川へ水をくみに行く娘たちや、機織り機を回転させる者、二人がかりで大のこぎりを使って丸太を製材しはじめる者、斧を手に森へ入る木こりの一団、皮なめしをする者、一泊した旅商人たちから税金を納めさせる徴税人、その徴税人と2、3言交わし短弓を手に森へ入る狩人、炉に空気が送り込まれ、火の粉をちらす鍛冶工房。司祭のヨセフは助祭らとともに祈祷をとなえ聖水をふりまきながら村はずれを廻り始める。護衛に衛兵もついてゆく。
砦の工事も始まったようだ。期間労働者たちが続々と足場に上ったり、設計技師と思しき男が図面を広げて親方と談義をしている。ロベルト卿も従士を一人と衛兵二人を連れて、壊滅した村へと向かった。
騎士たちは砦にほど近い休耕地に簡単なフェンスをつくり、新兵たちを集めて訓練を行なった。傭兵がひとり、冒険者あがりがひとり、退役軍人の息子がひとり、難民あがりが4人であった。その中には木こりのイサクもいた。
「お前は木こりじゃなかったか? 廃業したのか?」
「そんなとこで。」
訓練は盾と剣や斧、盾と槍を用いて行なわれたが、傭兵や冒険者、軍人の息子は武器の扱いに慣れている様子であるものの、それ以外の者たちは散々たるものであった。装備の支給前(傭兵と冒険者は自前のものがあるようだが、この仮設訓練所脇においてある)なので、クロースアーマー(布の服)と詰め物入りのコイフ、盾と武器だけだというのに、すっかり装備の重さに辟易としているばかりか、振り回した斧で味方を斬りつけかねない体たらくであり、これには冒険者の男は憤った。難民達は萎縮し、その有様に少女騎士はどうすればよいのかわからなくなった。
老騎士の発案で、実戦が一番の訓練だということになり、木剣を用いた模擬戦を行なうこととなった。結局のところ、傭兵と冒険者と軍人の息子がその他の者達を圧倒した。しかし、痛みに喘ぐとともに、彼らは身を守る術や、確実な打撃の方法を学びつつあった。経験者に打ち負かされるたびに、アンナ嬢と老騎士が効果的な防御の仕方や、攻撃の仕方を教えると、少なくとも自分の振り回す剣で味方を怪我させることはなくなりそうであった。
だが、鬱憤のたまった冒険者と軍人の息子は、ついに新兵たちにどなりちらし、老騎士へ不満を述べ始めた。口々に罵り言葉を織り交ぜながら、ふたりは文句を述べる。冒険者と退役軍人の息子は、傭兵にも「あんたもそう思うだろう?」と問いかけたが、傭兵の男は首を横に振るだけでだんまりだ。しかしふたりは収まらない。ついに怒りの矛先は別の方角へ向きはじめ、木剣をふりまわしながら、自分よりも小さい女の子が指導しているのに不満を露にする。なぜなら騎士と名乗っているが、少女には違いはないのだから。
貴族としては上官への反抗に対しては叱責を与え、鞭打ちを処すべきであった。だが口角を上げた老騎士は悪だくみを考え付いた。その顔はとても楽しげであった。反抗した二人と少女騎士とで模擬戦を行なわせようというのだ。
大きく肩を落としたアンナ嬢。いつものバケツ兜の頭をふりふり左右へ振りながら、老騎士へ文句を述べたが、ぴょんぴょん跳ねる彼女のヘルメットをこつんと叩くだけであった。あきらめた彼女は、木剣をくるくるとまわして露骨に挑発する冒険者を見て、
「D'accord.D'accord.(ダコール、ダコール)、ああ、神よお許しください。」
と十字を切って、クロークを脱いで、剣帯を外し、木剣と盾を手に取った。
「どうも、騎士さま、おてやわらかに。」
冒険者くずれは嫌味らしく、わざと間の伸びた喋り方でそう言った。退役軍人の息子は黙ってダンッダンッと盾に剣を2回打ち付けた。
3人は一様に右手に片手剣を模した木剣、左手に腰丈ほどのカイトシールドを構えている。冒険者は斜めに盾を構え、剣は肩の高さ。軍人の息子は盾は正面、剣は脇の高さで、切っ先を少女へ向ける。アンナ嬢の盾は正面、剣は切っ先を下におろした構えである。ふたりには盾と身体に隠れて彼女の剣先は見えない。彼女と冒険者らは、5歩の距離にいる。
冒険者と軍人の子は少女騎士を左右から攻めようと、お互いに目線を合わせた。彼らが動き出そうとしたとき、突然少女騎士は軍人の子に突進し、盾でぶつかった。軍人の子は盾でそれを受けとめ、押し返そうとする。剣が盾と盾にはさまれる。間合いが近すぎるのだ。また、冒険者はそれを見て、背後から脳天へ斬りつけようとした。
押し返そうとする軍人の子は、突如、太腿に強烈な衝撃を受けた。痛みで構えが崩れる。そこへ盾で盾を押し分けて、少女騎士は彼の顔面を盾の縁で殴りつけた。軍人の子は鼻血をしなる鞭のように散らしながらのけぞった。
彼が腰に受けた衝撃は、少女騎士が剣の裏刃を使って叩き込んだものであった。おろしていた剣を立て、その勢いのまま右斜めへ突き出しながら、右足も右斜めへ踏み込む。肩、肘、手首を返し、スナップを効かせて裏刃を打ち込んだのだった。
熟練した冒険者はその隙を逃さない。殴りつけた体勢でいる少女の頭部へ向かって、渾身の力で剣を叩き込む。
彼女は殴りつけた勢いのまま右足を軸に右回転し、剣を額と水平に構えようとした。回転し、冒険者の方を向いたとき、兜に強烈な一撃が当たるのを感じた。とはいえ、直撃ではなかった。冒険者の一撃は兜の顔面をなでるように滑っていった。兜がなければ、彼女の顔は真っ二つだ。
彼女は剣が滑るのを感じ、額の高さへ上げかけていた手首を返して、男の鎖骨へ向けて打ち込んだ。
だが冒険者はおもむろにタックルをかけ、小さな少女を突き飛ばす。倒れかけた少女は、倒れざまに彼の襟元をつかむ。冒険者は、少女とはいえ鎧を着込んだその重量と、倒れこむ勢いに負けて踏みとどまることができなかった。
冒険者と少女騎士、ともに大地へ倒れこむが、倒れざまに馬乗りになることができたのは少女騎士のほうであった。胸元をつかんだ拍子に、倒れこむ体勢を有利に運ぶことができたのだ。
ぶっ倒れる衝撃を背中に受けた冒険者が次に受けたのは、デコピンであった。少女は剣を握ったまま、冒険者の額に人差し指でデコピンを掛けた。たかがデコピンといえども、板金の小片が縫い付けられたガントレットのデコピンは、少々痛い。額に小さな切り傷を負った男は、
「降参だ!」
と叫んだ。後ろではようやく立ち上がり、鼻を押さえる軍人の子。血が指の間から滴っている。
「マドモワゼルの勝利だな。騎士にしては随分と泥にまみれる戦い方だ。」
「Merci.」
とため息のようにつぶやくと、冒険者からどき、立ち上がる。そしてフェンスにもたれかけながら、冒険者の方をみやる。彼は立ち上がろうとしていた。
「ふたりの紳士もお見事でしたよ。」
と、にっこりと微笑むと(実際にはバケツ兜をかぶっているので表情は伺うことができないが)フェンスに掛けてあった布切れをふたりへ放り投げた。ふたりはすなおに受け取った。
「よし。ふたりとも、鞭打ち5回! 互いに打ち合うこと!」
アンナ嬢がフェンスから剣帯を取ってつけなおしていると、上半身を露わにした冒険者と軍人息子が順番に背中へ鞭を打ち合っていた。
その様子に、難民たちは顔面を強張らせていたが、老騎士におしりをたたかれると、川魚のようにびくりとはねた。
腕を組んでその様子を眺めていた傭兵に老騎士は近づいて、
「お前は文句をいわないのか?」
40代にさしかかろうとする、あごひげを短く生やし、スキンヘッドにした、がっしりした男は向き直る。そして木剣を肩に乗せながら答える。
「べつに騎士さまがたは、俺が領主さまと交わした契約内容と違うことを要求しておられないので。」
「なるほど。この役立たずどもの尻を叩くのは契約に入っているか?」
「それはむつかしいですぜ。ですが、あのバカどもが規律を乱さないようにするのは仕事のうちだと考えられる。」
「ほう? なぜ。プロの仕事の邪魔になるからか?」
「部隊にバカがいると、俺の命……全員の命が危なくなるからで。」
その言葉を受けて、老騎士はちらりと少女騎士を見てから向き直ると、
「その意見には同感だ。」
鞭打ちを終えたふたりに対して、
「今後、お前たちはこの役立たずどもの面倒をしっかり見ること。給料泥棒はさせるな。」
と小枝のような難民を指さしながら指示すると、ふたりは踵を地面に強く打ち付けて、小さく頭を下げた。
そうして、小休憩ののちに訓練が再開された。今回は、このふたりの経験者によって新兵たちへ具体的な助言ともに模擬戦が行われているようであった。
そこへ、馬の蹄の音。5、6頭はいる。フェンスに腰かけて足をぶらぶらさせていた少女騎士が音の方をみやると、どうやらロベルト卿配下の騎士と従士たちであった。彼らはアンナ嬢の前で馬を止めると、その中のひとり、赤ら顔で赤ひげの男が馬上から手を挙げた。
「やあお嬢さん。」
「Bonjour Monsieu~(ボンジュームッシュ~)」
「これはご丁寧に。そのお召しになられている鎧はお父さまのものかな?」
「Non,私のものですよ。でも、よくそういわれます。」
と、サーコートごしにコートオブプレートをぽんぽんたたきながら答える。
「修道騎士らしいね。貴族の娘ではあるようだから、花嫁修業のつもりで入ったのかな? 金貨を積んで?」
「神の思し召しですね。En fait,異教徒から敬虔な巡礼者を守りたくて。」
と首を傾けながら十字を切る。
「ほおー勇ましいですな。しかし、女の子がこんなことをしていると、お父さまは心配されるのではないかな?」
「あそこにお目付け役がおりますので。」
と、新兵たちを訓練する老騎士を指さす。
「なるほど。おてんば娘といったところか。悪いことはいわないから、鎧を脱いで、お家にお帰りになられたほうが身のためだよ。」
「わたしたちの家は教会のはずですよ。」
少女騎士、再び十字を切る。
「でも外は危険がいっぱいだ。あのお目付け役のじいさんがいないと何もできないのでは? それとも本当に騎士のつもりかな? どれ、わしらと一勝負といきませんかな。騎士であり、戦場を駆けたことがあるなら、喜んで受けて下さると――」
「Youpiiiiii!!(ユピーー!)それで、みなさんその馬上槍をお持ちなんですね! よろこんで!」
しまいまで言い切る前に、快活な返事をくらった赤ひげ男は面食らった。彼の後ろに控えるほかの騎士や従士たちも、お互いに顔を見つめあっている。興奮したアンナ嬢、そんなことはおかまいなしだ。さっそく自身の馬を口笛で呼んで、騎乗すると、その辺で呆けていた誰かの従士から競技用の馬上槍と盾をひったくった。
「馬上槍試合!(ジョウスト) 早く始めましょう!」
と、馬で駆けて、ランス突撃のための助走距離分を確保した。ユニコーンもいなないて、前足を何度も地面に打ち付けている。老騎士が遠くでため息をついた。
すると短い金髪で体格の良い男が騎士たちの中から進み出て、
「あー想像とは違ったが、まあいい。よし、おれが相手になってやる。」
と、上部を黄色、面部分を青で彩色されたグレートヘルムをかぶる。鼻当てがなく、一文字にスリットが開けられている。兜の下には詰め物入りの当て布がついた胸まであるチェインコイフを被っていた。彼は従者から槍と盾を受け取ると馬を進め、アンナ嬢と正対する。赤ひげ騎士が中央に馬を進め、
「お嬢さんのためにもルールを。すれ違いざまに、相手の盾へ槍を直撃させるか、落馬させるか! 槍が盾をかすっただけの場合、得点としない! それだけだ。落馬後の徒歩戦はなし! 以上!」
グレートヘルムをかぶった金髪騎士は、ギャンベゾン、ホーバーク、分厚い革鎧の順にまとい、剣を咥えた兎の紋章のサーコートを羽織っている。脚にはスプリント式鎧を身に着け、金の拍車のついた乗馬ブーツには木製のグリーヴを装備している。彼は板金のミトンガントレットをつけなおしながら槍を掲げて叫ぶ。
「吾輩はバーチ家に仕えるロベルト卿の封臣、セボージャのディエゴ! お嬢さん! 怪我をなさっても泣いてくれるなよ!」
名乗りを上げると、これまた誰かの従者が黄色い旗を掲げて、向かい合って今にも突撃しそうな二人の中間に立つ。従者は旗を水平に掲げ、両者を何度かみやる。そして、その旗が振り上げられたとき、ふたりの騎士は同時に馬に拍車をかけ、槍を水平に構えてランスチャージをかけた。ラッパが高々と吹き鳴らされた。
従者は急いで退避し、見物する騎士や従士たちは身を乗り出す。槍を構えて突撃し合う騎士は両者とも兜のスリットから対戦相手をにらむ。馬の速度は最高潮で、ギャロップ(襲歩)で駆ける。あまりの速さに風は壁のように体を打ち、そして風は構えた槍の穂先から切り裂かれる。兜のスリットへ切り裂かれた風が吹き込み、瞳に体当たりをかける。尋常ならば痛みで涙を浮かべ瞬きをするほどであるが、ランス突撃の興奮の熱に包まれた騎士たちは痛みのことなど忘れ、瞬きをすることなど思いもよらない。
槍の穂先が互いの盾へ向けられる。脇に抱えるように構え、前のめりになる。お互いの左側をすれ違うはずである。馬の頭を右に、穂先は左に。全身が馬の躍動に合わせて上下に揺れる。だが熟練したふたりの騎士は穂先をぶれさせることはない。
近づくにつれて槍の穂先が恐怖心をあおる。おもわず目をつむってしまいそうになる。あるいは、体をひねってよけるか。盾を突き出して防御したい欲求に駆られる。しかし、騎士たちはそのような感情を耐える。あるいは、そのような感情よりも、ランスで相手を突き落とすことしか考えられなくなっているのか。
決着は一瞬である。ふたりの騎士がすれ違う。全速力でお互いの左側を駆け抜ける。一方の槍は相手の盾に直撃し、競技用の槍は火花のように砕け散る。あまりの衝撃に受けた盾を超えて全身が突き飛ばされる感覚が襲う。思わず衝撃にのけぞる。もう一方の槍は盾を滑り、折れないままだ。競技用に穂先が丸められ、また折れやすく作られたランスが原型をとどめているということは、この槍の持ち主は有効打を与えられていなかったことになる。砕けた槍はアンナ嬢が掲げており、砕けなかった槍はディエゴ卿が掲げている。
見物していた騎士と従士たちは歓声をあげ、ラッパが高々と吹き鳴らされた。二人の騎士は徐々に馬の速度を緩め、振り返り合った。ディエゴ卿は槍を地面へたたきつけ、グレートヘルムを乱暴に脱いでアンナ嬢へ叫んだ。
「見事だった!」
砕けた槍を掲げながらアンナ嬢は兜の中でよだれをたらしまくっていた。喘ぎ声のように
「Très bien! hmm.....hmm......Trè......Très bien!」
などとうめき、天を仰いでいる。時折、びくんびくんと痙攣のように震えており、黄金の槍が体を貫き、そして引き抜かれる感覚を何度も味わっているかのようだった。だがそれは苦痛ではなく、神の愛に包まれる感覚であった。聖女と呼ばれる修道女に聖なる御使いが訪れたとき、同じような法悦を経験することがある。彼女は今、まさにその法悦に浸っていた。
「お嬢さんの勝利だ! 神よ! 少女に負けるとは! ディエゴ卿! 腕が落ちたかな!」
赤ひげの騎士がそう叫び、ディエゴ卿に近づく。彼は首を横へ振った。
「完全に敗北した。おれは彼女の槍を恐れた。彼女の勇気に感服だ。」
「ふん、妻をもらったばかりで気が緩んでいたんだろうよ! 女の子に負けるようでは戦場ででは役立たずだぞ!」
赤ひげ騎士は馬の鞍に下げていた兜を被った。フラットトップのヘルムに、顔面を覆う面がつけられた兜であり、アンナ嬢のいた地ではクルセイダーフラットトップヘルムか、あるいはノルマン式のヘルムなどと呼ばれる兜である。その兜は全面深紅に塗られており、所々打撃を受けた跡があり、塗装が剥げている。数々の戦場で主を守ってきたことを伺わせる歴戦のヘルムだ。下にはチェインコイフを被っていた。
彼は肩から腕を2度、ぐるぐと回してから、従者を呼びつける。赤ひげ騎士はギャンベゾン、ホーバーク、コートオブプレートの順に装備し、サーコートを羽織る。紋章はいつものウサギ。
木板の肩当てもつけている。肩当てには紋章が描かれており、例の兎であったが、その兎はオオカミの上に乗っていた。腕はスプリント式鎧で守り、板金のミトンをつけている。足元は鋲打ちされたブーツで、金の拍車をつけている。
「お嬢さん、今度はわしが試してやる!」
従者から槍と盾を受け取り、青毛の馬を後ろ足でたたせ、大きくいななかせるのに、ようやくアンナ嬢は法悦から戻ってきた。気がつけば、誰かの従者が新しいランスを持って控えていいたので、砕け散った槍と交換で受け取った。
「わしはクルティボ家に代々仕える騎士だ。ロベルト卿の父とも槍を並べて戦ったこともある。このマウリシオ・フォン・トゥルエノ、少女だからといって手加減はせんぞ。」
律儀に名乗る赤ひげのマウリシオとアンナ嬢は位置についた。再び黄色い旗を掲げた従者があらわれ、旗を水平に掲げる。
小さな騎士と赤ひげ騎士は槍を掲げ、合図を待つ。お互いに相手を見据え、槍を握る手を強くする。赤ひげ騎士は胸が高鳴るのを感じた。アンナ嬢も胸が高鳴った。馬は前足を地面にこすりつける。見物人はささやき合うのをやめ、旗がいつ振り上げられるのかと注視する。
そして、旗が振り上げられ、騎士たちは拍車をかけて突撃する。土埃が舞い、馬が飛ぶように駆け出し、ランスは水平に構えられる。馬が鼻から白い息を吐く。ラッパの音が遅れて聞こえる。
瞬く間に全速力となった馬によって、ふたりの騎士の眼前には、お互いの槍先が迫っていた。
アンナ嬢は馬から身を乗り出さんばかりにに前傾姿勢で槍を構え、すれ違いざまに突いた。だが赤ひげのマウリシオは盾を狙っていた穂先を、わずかに上へ向け、少女の顔面を突いた!
同時にマウリシオ卿の盾に当たった少女のランスは砕け散り、少女はヘルムにすさまじい衝撃を受けた。彼女は、その衝撃で後ろから髪を思い切り引っ張られたかのようにのけぞり、そのまま落馬した。まるで蹴り飛ばされた石ころのように転がりながら地面へたたきつけられた小さな騎士を見て、歓声が沸き上がり、ラッパは鳴らされた。
「ハッハー! わしの勝ちだな!」
折れた槍を高々と掲げる赤ひげのマウリシオは、従士たちに向かって叫ぶ。
「戦場と同じようにやってやった! よく見たか! ブライアン? これが本当の戦い方だ!」
そうして、倒れ伏した小さな騎士に向かって言葉をかけてやろうと、馬を反転させ、振り返ろうとする。
「もしかしたら、死んでいるかもしれないが、まあしょうがない。」
とつぶやきながら振り返ると、
「Bravooooooooo ! もういっかい! もういっかいやりましょう!」
と泥まみれになりながら、元気よくぴょんぴょん跳ねて両手をぱたぱたさせている少女騎士に、唖然としたのだった。
「早く槍を! マウリシオ卿、お見事でした! もういっかい!」
と叫びつつ、落ちた盾を拾い上げ、栗毛のユニコーンにまたがりなおす。彼女はランスチャージで突くのも、ランスで突かれるのも大好きなのだ。すっかり興奮しきった様子で、兜の中はよだれまみれだ。
この小さな騎士はランスチャージ中毒に罹っており、挙動は明らかに常軌を逸している。人々はその悪魔的な様子に恐れおののき、顔面をひきつらせた。だが、さすがは猛者のマウリシオ卿。兜を脱いで、白い歯をむき出しにして満面の笑みだ。そして自身の従者に槍を持ってこさせ、兜を被りなおして、両者は再びランスを手に取った。
「ハッハッハ! 泥まみれの赤毛娘よ、いいだろう! もう一度だ!」
「やったー! あ、おじさまも後でやりましょう~!」
とランスを振り回して見つめる先には、大きく首を左右へ振り、ため息をついてあきれ返った老騎士がいた。
再び旗は振り上げられ、ラッパは吹き鳴らされた。先の一撃でへこんだグレートヘルムのスリットから、少女は赤ひげ騎士を見据える。風が目に当たり、よだれは乾燥する。
そして今度は、正々堂々の一撃が赤ひげマウリシオの盾を粉砕し、その衝撃でのけぞった彼は、砕け散るランスの破片とともに落馬した。
ラッパが鳴らされ、ふたたび見物人たちは盛り上がる。よろめきながら立ち上がった赤ひげ騎士は、
「すばらしい一撃だった! わしの負けだ。」
彼は兜を脱ぎ捨てると、辺りを見回す。3歩歩むと、またしても法悦に浸って馬上で天を見上げる少女騎士を指さして叫ぶ。
「この泥まみれの赤毛娘は女の子に見えるが、熟達した騎士だ! わしが保証しよう! どうだ! みなの者! 彼女と対戦してみないか! 従士パブロ! お前もやってみろ!」
従士パブロは遠慮していたが、金髪騎士ディエゴに背中をたたかれ、思い切った様子で馬を進めた。ほかの従士たちからも口笛と声援が送られる。彼は面当てのついた円錐型兜を被り、従者から槍と盾を受け取った。
アンナ嬢も槍を受け取り、再び突撃位置についた。従士は遅れて位置につき、お互いに槍を掲げる。
従士たちはギャンベゾン、ホーバークを着、例の兎紋章のサーコートを羽織っている。頭は詰め物入りで胸まであるチェインコイフ。その上から各々が鼻当てつき円錐型ヘルムや、フラットトップのヘルメットをかぶっている。ミトンはホーバークと一体になっており、肩や関節部に木板をつけて保護を増している者もいる。そして一様に乗馬ブーツには銀の拍車がつく。
ランスチャージ中毒者と若き従士の馬上槍試合は、従士が落馬して終わった。槍を砕け散らせたのはジョウストに飢えた少女騎士であり、その命知らずの突きに対しては、若き従士はなすすべもなかった。彼はこれでも従士の中では槍に自信があった。
だが、この馬上槍試合に盛り上がったのは、もはやアンナ嬢だけではなかった。騎士と従士はすっかりジョウスト熱にうかされ、続々と対戦相手を決め始め、順番に突撃しあった。やがて誰かが地面へトーナメント表を書き始め、ここに騎士と従士も関係なく組まれた馬上槍試合のトーナメントが始まってしまった。当然、うきうきの少女騎士はいの一番に名前を書き込み、無理やりドラクロワおじさまの名前も書きこませた。
そうして、ラッパが鳴り響き、ジョウスト大会が始まった。騎士たちはおおはしゃぎで突撃しあった。
村人たちもこの騒ぎに集まりだし、次第に人集りとなった。人だかりが人だかりを呼び、ランスチャージがきまり、槍が砕け散るたびに歓声が沸き起こった。その歓声につられて、遠い畑にいた農民や、通りがかった行商人、砦の衛兵隊までもが集合しはじめ、老人から子どもまでもが臨時ジョウスト場となったこの休耕地に集まり、観客となって馬上槍試合に熱中した。
何事かと不思議がってヨセフ司祭が会場にあらわれた。司祭を見つけたアンナ嬢は駆け寄って、この馬上槍試合に祝福をもたらすようお願いをした。はじめはこの乱痴気騒ぎに一喝をするつもりでいたヨセフ司祭であるが、純真無垢な少女のお願いには屈した。
しまいにはロベルト卿の娘であるリザ嬢までもが使用人と共にあらわれ、乙女の祝福と純白のハンカチが振られ、一層ジョウスト大会は本格的なものとなっていった。
昼が過ぎるころにはロベルト卿が戻り、この騒ぎに驚いた。労働を放棄して観客と化した人々たちとそれを招いた騎士たちに叱責を与えようかと考えた。しかし、自身の娘が祝福したばかりか、司祭が神の名のもとにこの会を認めていると聞き、胸から大笑いしてこれを歓迎した。積極的な少女騎士はロベルト卿をも槍試合に誘ったが、彼は当初遠慮した。しかし、臣下の騎士たちからも強く腕を引かれるのには観念し、ジョウストを楽しむほかなかった。そんな彼とドラクロワはいつの間にか仲良くなったようで、肩を落とし合いながら談笑をしていた。
ラッパは鳴らされ、人々の轟き声とともに騎士はチャージ(突撃)をかけあった。天上の神はなんとお思いか。すべてを包み込む神の愛のように朗らかな晴れ模様とまるで天使の息吹のように心地よい風からすると、われらの近くに天使が舞い降り、観客席で楽しまれておられると豪語しても、否定する者はいなさそうだ。
恵みの太陽もすこしづつ傾き、気が付けば、いつのまにか決勝戦まで進んだアンナ嬢。ドラクロワおじさまは前の試合でユニコーンから叩き落した。浮かれ切った彼女は、放っておくと風車に突撃をしかねない様子であった。
天使の祝福を受けたか、あるいは神の御心か、名誉ある優勝に輝いたのは意外にも、先日従士になったばかりのブライアンであった。騎士達は若き従士の隠れた才能が開花したのをわが子が初めて立ったかのように喜び、祝し、抱擁し合い、キスをしまくって胴あげをした。
アンナ嬢も興奮のあまりその若い従士に抱きつき、首に腕を回しながら
「Très bien!(トヘビアン!) おめでとう!」
と呼気はげしく跳ねまわった。
リザ嬢も従士ブライアンに駆け寄り、ブライアンが跪くと花かんむりを頭へかぶせた。観客らは盛大な拍手を送り、ブライアンは赤くなりつつも晴々しい心持ちにつつまれた。
これをもって突然のジョウスト大会は閉会とされ、ロベルト卿は機転を効かせてこの日はすべての労働を休みとし、祝宴を行うこととした。砦ではガチョウと兎を捌くよう指示し、村人たちにもエールの樽が開けられ、世帯ごとにふるまわられた。豚を捌くことを許可され、クルティボは予定になかった来訪者のようにやってきた小さな祭りに浮き立った。立ち寄った行商人や旅人たちも、今夜は領主の名で酒が奢られ、公営の宿屋を兼ねる酒場は音楽が鳴り響く。
騎士たちは砦にもどり、一堂に会して夕食を迎え、がつがつと無作法に食らいながら、各々の健闘をたたえ合った。食卓では吟遊詩人がリュートを爪弾き、アンナ嬢が聞いたことのない人物や土地の物語を唄う。この吟遊詩人は公営酒場に滞在していることを嗅ぎつけた騎士たちによって拉致同然に連れて来られたものだ。しかし、報酬の入ったじゃらじゃら音のする袋を渡されたからか、上機嫌でべんべん演奏する。
「がはは、敵軍に馬の肉を食わせてやった日のように、実に愉快な一日だった。」
「マウリシオ卿、テーブルクロスで手をふくのはおやめください。」
「よいではないかディエゴ卿。無礼講、無礼講。」
「それを主の前でいうかね、マウリシオ。さあアンナ卿とドラクロワ卿の盃が空だ。ワインをもっと! パブロ、そろそろブライアンを放してやれ。」
騎士たち3人は愉快だ。従士たちもブライアンを誉めたたえながら、テーブルクロスに染みを作っている。少女騎士はリザ嬢とおしゃべりをし、ドラクロワは従士たちと飲み比べを始めた。
「本日の勇者ブライアン、もう顔が真っ赤だな。ええ?」
と赤ひげマウリシオが囃す。赤ひげがワインでさらに赤くなる。マウリシオまでもが飲み比べに参加を表明しそうになったので、従士のひとりが助けを求めるかのように少女騎士へ話題を振った。
「ところでアンナ卿、あなたのような淑女が、なぜこのような戦装束を?」
「このお嬢さんが淑女なら、世界中の娼婦は貴婦人だ。この娘が生贄にさしだされるドラゴンは不幸だろうな。」
と、彼女が答える前に、せっかくの質問を台無しにするのはドラクロワ。そこへ金髪ディエゴ卿、盃の口をくるくる指でなぞりながら、
「アンナ卿なら、ドラゴンも一突きだろうな。紳士の心は一突きになさったことは?」
「この食事の席でも半分しか脱がないヘルムの下、いったいどんな美貌が隠されているのやら。――ごほっ」
と赤ひげマウリシオ、言い終わるなり、口から肉の塊を吐き出してむせかえる。
「Oh ! la, la ! Monsieuマウリシオ、乙女に無礼を働くからですよ。」
と乙女アンナ、彼に向って十字を切る。ロベルト卿、手をさしながら、
「おやおや、たしかに無礼がすぎますな。マウリシオの辺りだけ、やたらと染みだらけであるし。」
「まあ、マウリシオ卿も兜を被ったままではないか。常在戦場の志を持つもの同士、仲良くやってくれ。」
とディエゴ卿が右掌を上に向けながら、手を突き出して左から右へ動かす。するとドラクロワは少女騎士の兜をこんこんノックしながら、
「このお嬢さんの顔は傷だらけでね。いっぱしの乙女のつもりだから、見せたくないんだ。わかってやってくれ。」
「ほおー、そういえば聖地を守っておられたとか。異教徒と戦いを?」
宴会の話題は、ふたりの騎士の武勇伝と移りつつあった。聖地をめぐる戦いの際、城壁の下で賛美歌を歌いながら行進した話や、聖地周辺での戦いの様子、そしてこの地に来てから赤ずきんの人狼を退治した話などで盛り上がった。
何度か、フランス語を披露してくれるよう願われ、彼女は何を話そうかと迷った挙句、パンを人に見立てて「Je suis baguette.」などといって笑いをとった。
すると、そこへ突然、宴会場となり果てた塔のドアをノックする音が響き渡る。かなり強くノックされており、急き立てるように何度も叩かれる。ロベルト卿が目配せをし、控えていた衛兵がドアを開ける。するとまるで無理やり倉庫の中へ押し込んだ荷物が雪崩を起こしたかのように、村人と衛兵が転がり込んできた。
「閣下! 大変なんです! 子どもが!」
と汗をかいてひざまずくのは木こりのイサクだ。彼は衛兵に腕を掴まれながら、なおも騎士たちへ近づこうとする。ドアを開けた衛兵もイサクを静止するべく、押さえつける。
「落ち着け。いったいなんなんだ?」
ロベルト卿がそう言って立ち上がろうとすると、先に勢いよくマウリシオが立ち上がる。立ち上がる際にテーブルへぶつかったようで、食器が揺れる。ワインがこぼれる。
「襲撃か!? 蛮族か!? 豚野郎のダッグワースか!?」
「いいえ!」
衛兵のひとりが強く、確実に答えると、彼はイサクを見た。一同もつられてイサクを見つめる。彼はは話そうと努力したが、すっかり取り乱した様子で、両膝に手をついて、話し始めようとするが息があがって声が出せないようであった。
「衛兵、彼に水を。」
という言葉と同時に、開け放たれたドアから、遅れて司祭ヨセフが顔を覗かせた。
「イサク、落ち着きなさい。ああ、閣下。神がお傍におられますように。私からお話ししましょう。」
司祭までもがあらわれたのに、騎士たちは顔を見合わせた。外はすでに月がのぼり、星座が空を駆けている。塔の中はロウソクや松明によってぼんやりとした橙色で照らされていたが、外は暗黒の世界だ。月明りがかろうじて、人間の世界から魔物を遠ざけているようだ。遠くからオオカミの遠吠えが悲しげに聞こえた……。
我らがアンナ嬢の訓練スキルは0でしょうなあ。ついでに統率力も低いと思われるし、取引スキルも低いぞ! 剣は振り回すが、女の子なので筋力ステータスも高いとは言えなさそうだ……。乗馬と武器熟練は高そうだが、意外と知性の方に振ってありそう。ランスチャージと運と無鉄砲さで生き残ってきたようなものです! 野戦では無敵っぽい! たぶん残虐諸侯。愛すべきアンナ嬢に神のご加護を!