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「オオカミの赤ずきん」

――――「オオカミの赤ずきん」


 太陽は真上だ。白樺の森は樫の木の森へ移っていく。背の高い木々は小石の混じったでこぼこの道へ、木漏れ日を落とす。風が吹くたびに、木漏れ日が踊る。少女騎士が馬上で見上げると、手を伸ばせば届きそうな木の葉たちの間隙からターコイズ色の空と、まばゆい太陽が見え隠れする。

 道の両脇にはあいかわらず巨大なムラサキシメジや、馬の顔よりも大きな花びらを咲かせる色とりどりの花が咲いている。

 馬を休ませながら、老騎士は人間よりも人間らしく今後の金策について思案し、少女騎士は頭上で飛ぶちょうちょを目で追いかけ、ふたりはバーチ家の領地を目指していた。

 すると、道の先に荷車の姿が見えた。子どもでも曳ける小さな荷車だ。荷台には麻袋がいくつか積まれている。

 だんだんと近づいてゆくと、どうやら車輪が地面の溝にはまって動かせなくなったようだ。やがてこちらの馬蹄が鳴らす音に気が付いたのか、荷車の陰から人影が日の下に出てきた。

「あ、あの。旅の方……。」

という声は、なんとも可愛らしい。耳元でささやくような少女の声だ。姿もその声にふさわしい。透き通るような肌で、アメジスト色の瞳、白金色の髪で、血のように赤いずきんをかぶっている。背丈は小柄な少女騎士と同じくらいだ。ずきんはケープ状になっており、裾が腰まである。

「あ、騎士さまでしたか……あの、もし……。」

という、胸の前で祈るように指を重ねる赤ずきん少女に、老騎士は馬を進めながら少女騎士に耳打ちした。

「おい、無視するぞ。」

という言葉に、思わず振り返りざま聞き返す。こちらは耳打ちどころではない。日常会話の声量だ。

「なぜです。見てください。」

と言って手を赤ずきん少女へ向ける。

「か弱き乙女が困っていますよ。」

「か弱き乙女がこんなところに?」

 さて少女騎士、せっかく出された経験豊富な老騎士の提案、あるいは忠告のことなど聞いちゃいない。馬で赤ずきん少女のそばまで寄ると馬上から、

「Bonjour.(ボンジュー) 神がお傍におられますように。Mademoiselle,(マドモ

アゼル) お困りですか?」

 親切な少女騎士は下馬し、後ろから荷台を押してやった。そんな様子に、観念した老騎士はため息をついてから手伝わざるを得なかった。

 三人がかりで荷車を押してやると、簡単に車輪は溝から脱した。赤ずきんはふたりの騎士に礼を述べ、お礼にとリンゴを差し出した。それを受け取りながら老騎士、

「どうも。お嬢さん、こんな森の中、ひとりで一体何を?」

「ああ、騎士さま。実は、森の中におばあちゃんの住んでいる家があるのです。私は食べ物を届けに行こうとしていたのです。」

 りんごを鞄にしまった少女騎士はあたりを見回してから、

「森には危険がいっぱいですよ。」

「わかっています……ですが、おばあちゃんは私の唯一の家族なんです。」

とうつむき加減に指を組む赤ずきんに、少女騎士は明後日の方向を見つめる老騎士をつついた。

「おじさま。」

「ハァー、しょうがない。お嬢さま。お前との旅路は退屈しなくていいよ。」

「不幸な乙女を救うのはおじさまの趣味では?」

「ちょっと前に手痛い教訓を得てね。最近はますます身に沁みつつあるよ。」

 心優しい老騎士は腰に手を当て地面を見つめる。オオカミの足跡がある。足跡を目で追うと森に続いている。顔を上げ、不安げな赤ずきんを見つめた。

「よし、赤ずきんちゃん。おれたちがおばあさんの家まで護衛しよう。」

「本当ですか!」

 赤ずきんちゃん、顔を老騎士に向け、太陽のように明るい笑顔だ。手を合わせ、頭を下げた。

「ありがとうございます!」

「まあ、だがその前に休憩させてくれ。太陽は真上。昼食といこうじゃないか。」

 赤ずきんちゃんは快くその提案を受け入れ、一行は道の端に座り込んだ。老騎士は巨大なムラサキシメジを切り株のように斬り飛ばし、腰かけをつくって座った。ユニコーンはその辺の巨大クローバーを尻尾を振りながらむしゃむしゃと食べ始めた。

「ちゃんとした秣じゃなくても結構食べますね。」

「とはいえ、ずっとこれだと不平を訴えるだろう。早いうちに村にたどり着かねば。おれも不平を訴えそうだ。」

 赤ずきんちゃんは麻袋から硬い黒パンを取り出し、ふたりに差し出した。少女騎士が食前の祈りをささげると、三人は水でふやかしながらパンをかじった。少女騎士は先ほどもらったリンゴを半分かじると、残りを馬の口元へやった。するとユニコーンは喜んでシャリシャリと食べはじめた。

挿絵(By みてみん)

 ふと、赤ずきんを見たところ、動物の毛がまとわりついていることに気が付いた。余計なことを口にするのが大好きな少女騎士は、頭巾を指さしながら、

「頭巾に黒い毛がついていますよ。」

「あ、ありがとうございます。家で飼っている犬のものですね。気が付かなかった……。」

「犬を飼っておられるんです?」

「あ、ええ、はい。羊を守るために、父が。」

と、ずきんについた毛をぱたぱたと振り落とした赤ずきんに、クンクンと鼻を鳴らした老騎士が、

「なるほどな、確かに犬のにおいがする。」

「私も昔、家に犬がいたんですよ。兄の猟犬で、狩りについていったときは……」

 などと少女騎士は少女らしく話し込み始めた。同年代の――といっても見かけにおいてだが――少女と久しく話すのに、彼女は久々の楽しみを感じたのであった。

 老騎士はパンをかじりおわると、馬のサドルバッグから携帯用の砥石を持ち出し、剣を研ぎ始めた。

「お前も剣を研いでおけ。」

「おじさま、剣は昨晩――」

と言いかけた少女騎士のホーバージョンの袖を引っ張り、引き寄せた。鎖帷子がじゃらと鳴く。

 口元を引き締めた老騎士は怪訝そうな少女騎士を引っ張って馬のそばに寄った。

「おじさま、いったい?」

「怪物がでそうなんでね。」

と、サドルバッグをごそごそと探りながら少女騎士に耳打ちする声量で答える。

「面倒になる予感がする。お前、聖油を持っていただろう?」

「Oui,(ウィ)確かにありますが。いつも持ち歩いていますね。」

「なら、それを剣に塗っておけ。盾にもしみこませろ。」

「Qu'est-ce que.....(クェスク......)」

 などと言いかけたが、続けなかった。彼女は従った。浮世離れした娘であっても、長く戦場で過ごした血濡れの娘である。古参兵のいうことは耳を傾けるに値する。彼女はそれを理解していた。ただ彼女の理解の仕方は「その古参兵の言葉を自身に聞かせたのは神のお導きだった」というものである。そして不思議と高鳴る好奇心が細々とした疑念を心のすみっこに追いやった。敬虔な信徒とは呼べない老騎士がわざわざ祝福されし香油を求めたのだ。これはきっとなにか楽しいことになるに違いない……。彼女にとって信仰心と好奇心は同時に存在するものなのだ。結果として、そのふたつの心はいつも彼女を守った。

 馬のサドルバッグをごそごそと探ったのち、ふたりの騎士は道端にしゃがみこんで、剣を鞘から抜き、携帯用の砥石を剣にかけ始めた。

 騎士のしていることを理解できているのかいないのか。どちらともわからない表情の赤ずきん。そんな彼女もパンをかじり終わったところで、ちょうどふたりの騎士も剣の手入れを終えた。

「さあ、出発しようか。」

 しばらく道なりに進んでいくと、右手に森の木々にはさまれた細い道があった。道といってもほとんど獣道である。

「このさきにおばあちゃんの家があります。」

と指し示すのは獣道。

「なるほど。馬に乗っては進めなさそうだな。」

「ずいぶん、へんぴなとこに住んでらっしゃるんですねぇ。」

 のんきな少女騎士と眉間にしわを寄せる老騎士は下馬し、手綱を引いて徒歩で道を進んだ。一行は一列になって進まざるを得なかった。先頭を老騎士、中間に荷車を曳く赤ずきん、最後尾に少女騎士といった体である。

「おばあちゃんは、昔、村が飢饉に襲われたとき、自分で村から出て行ったんです。」

 道に飛び出す小枝を折り飛ばし、しばらく進むと、森の木々によって薄暗い道の先に、少しひらけているのか、太陽の光の差し込む空間があった。ほとんど藪の中ではあるが、小さな小屋が一軒、ツタに飲み込まれながら建っていた。ふたりは馬を木々の中で待たせ、小屋に駆ける赤ずきんに続いた。ユニコーンたちは耳をくるくると回し、低くいなないた。

「ここがそうです。おばあちゃーん。私よー! お客さんも一緒。騎士さまがふたり。」

と、赤ずきんは腐りかけたドアをノックする。

「おお、来てくれたのかい……。」

という声は、おばあちゃんの声と呼ぶには男性的過ぎた。うなるような、そして妙に響く低い声だった。

 ふたりの騎士は、赤ずきんの後方に控えているはずだった。しかし、風が吹いてふたりのクロークをゆらすと同時に、赤ずきんの姿は見えなくなっていた。

 少女騎士が辺りを見渡そうとする瞬間、老騎士が叫ぶ。

「散れ!」

という声に、素早く反応した少女騎士は左に飛びのいた。老騎士は右側に転がりこんだ。と、同時に、小屋の扉は内側から吹き飛ばされ、ドアだった破片が木々に向かって吹き飛んでゆく。

 吹き飛ぶ破片とともに、大きな塊が飛び出した。真っ赤にぎらつく二つの光。鋭く巨大な爪。黒い毛皮の塊。

 黒い毛皮の塊は地面をえぐって土を巻き上げながら前転した。そしてムラサキシメジをえぐり飛ばしながら”両足”で立ち上がり、少女騎士へ正対した。その大きさは小さな彼女の倍はある。黒い毛皮の中には筋肉質な体があった。妙な猫背で前傾姿勢をしているが、人の形をしている。巨人に見えた。しかし、鋭く大きな爪のある足元から上へ見てゆくと、鋭い爪が大きな手にもあり、手は丸太のような腕に支えられ、丸太は岩のように硬そうな大きな肩にぶら下がっていた。大きな肩は切り株よりも太い首を支え、首の先は、よだれを滴らせる獰猛なオオカミそのものだった。

挿絵(By みてみん)

「あークソ! やっぱりだ。人狼ウェアウルフだぞ!」

という老騎士の悪態と同時に、ふたりは剣を抜き放った。ウェアウルフはうなり声をあげて、少女騎士に飛び掛かった。彼女はとっさに右に転がり込む。

「Oh ! la, la ! 赤ずきんのお嬢さんは!」

 そのとき、老騎士の後方から濡れた犬の匂いとともに黒い塊が飛び掛かってきた。老騎士は左足を軸に左回転し、その塊をかわすと同時に両手で構えた剣で斬りつけた。

 しかし、斬り裂いたものは、赤い布の切れ端だけだった。

 黒い塊が老騎士を襲ったのと同時に、再び鋭い爪が少女騎士に襲いかかる。両手でつかみかかるように振るわれたその爪に、ずたずたに引き裂かれるはずだった。だが小さな彼女はあえて強暴な爪の主の方へ飛び出した。そして、恐ろしい形相で目をぎらつかせるウェアウルフの左脇をすり抜け、すり抜けざまに脇の下を斬り裂いた。鮮血がしなる鞭のように飛んだ。

 斬り裂き、2、3歩とステップして距離をとり、剣を両手で肩に担ぐように構えなおした彼女は、すぐ左から飛んでくる黒い塊に気が付いた。

 反射的に剣で右上から斬りつけようとしてしまったため、剣で受け止める形になってしまい、その衝撃に押し飛ばされ、黒い塊に押し付けられるようにぼろぼろの小屋に背中を打った。背負った盾ごしに、腐った壁がきしむ音がする。

 あまりの威力に剣身を左手でつかみながら受け止めた。その剣を超えて、ヘルムに何かが当たったのを感じた。

 彼女が目にしたのは、牙をむき出しにしたウェアウルフであった。左脇を斬ったはずだが、この人狼は血を流していない。代わりに、血のように赤いずきんをかぶっていた。

「Ca alors !(サアロール!)怪物だったか……。悪魔の手先め!」

 剣を両手でつかむように押し込んでくる怪物の凶悪な爪が、ぎりぎりと、憎悪に満ちた騎士の兜に傷跡をつける。恐ろしい形相の怪物と目が合う。血走り、ぎらつく赤い瞳。しかし脅しを効かせる瞳ならば、彼女も負けてはいない。兜の目の奥で、神の敵を打ち倒すべく燃え上がる彼女のエメラルド色にきらめく瞳もぎらついた。まるでトカゲの目だ。

 だがあくまでも小さな少女にすぎない彼女は、このつば競り合いも長くは続かないことを予感していた。自身の倍の大きさをほこる獣に対しては、自身の力では押し負けることは自明であった。ところが、この攻防はすぐに終わった。

 青筋を立て、いまにも少女騎士を打ち負かさんとしていたはずの赤ずきんは飛びのいた。背中に激痛が走ったのだ。あまりの痛みに、小さな騎士を突き飛ばし、そのまま左後方へ転がりこむように飛びのくことになった。勇猛な老騎士が背後から一撃したのだった。

 体勢を回復し、再び剣を構えた少女騎士と老騎士は背中合わせになった。ふたりは2匹の怪物に囲まれるように対峙している。怪物の一匹は左脇から血を流しつつも、ぎらつかせた瞳から戦意は失われておらず、狩りをするオオカミと同じうなり声を上げていた。もう一方の怪物は、赤ずきんをかぶり、背中から血を滴らせているものの、同じように喉からうなった。

 少女騎士は剣を肩の高さで垂直に構え、老騎士は右脇に構えた。彼女たちは握りこんだ柄から、人差し指だけを鍔に引っかけ、親指は少し立てたような、人差し指と中指の間で鍔を挟む構え方をしていた。

「オオカミよ、傷が癒えないことにおどろきかな?」

と挑発した老騎士に、血管を浮き出させた人狼が飛びかかった。同じくして、赤ずきんの人狼も右から回り込むようにしてふたりに接近する。

 老騎士と少女騎士はそれぞれ左右に飛びのき、怪物の致命的な攻撃から逃れる。老騎士は飛びのいてすぐ、研ぎあげた剣よりも鋭い爪で大地をえぐる怪物に、大上段から跳躍して斬りかかった。

 少女騎士もまた、飛びのいてすぐに、こちらを引き裂こうと迫る赤ずきんの怪物に目をやった。牛を真っ二つにかみ砕けるほどな牙を見せて飛びかかってくる赤ずきんをしゃがんで回避し、立ち上がりながら左回転で振り向く。振り向きながら左から右へ剣を薙いだ。

 老騎士の跳躍した大上段からの攻撃は怪物の肉を断ち切ることはなかった。怪物は持ち前の瞬発力で着地と同時に前後両方の足を使い、前方へ駆け抜けたのだ。そうしてすぐに振り向き、再び老騎士に襲い掛かった。

 少女騎士の立ち上がりざまの横なぎも、空気を切り裂くにとどまった。振り向きざまに赤ずきんの怪物が襲いかかってくると読んでいたが、実際には賢い獣は攻撃を回避されたとわかるな否や、そのまま目の前にいる老騎士に飛びかかったのだ。

 前方と右の二方向から襲い掛かられた老騎士は、舌打ちすると大きく後方へステップして退いた。彼の眼前を赤ずきんに包まれた黒い塊が突風のように過ぎ去っていく。

 視界から赤ずきんが消えたと同時に、目の前にはもう一匹の怪物の大きな口が迫っていた。獰猛な牙がならぶその口で噛みつかれれば、板金が縫い付けられたコートオブプレートならば防げても、鎖帷子だけの部位を狙われれば重傷は間違いない。いかに重厚な鎖帷子といえども、たちまち食いちぎられるだろうと思われた。彼は、思い切って剣を袈裟がけに振り下ろそうとした。

 しかし、地獄の番犬のごとし怪物の牙も、袈裟がけに斬りかかる老騎士の豪勇な剣も、交わることはなかった。怪物が老騎士の視界から、左後方へ肩の上をかすりつつ、倒れこむように転がり込んだのだ。

 袈裟がけに空を斬る勢いのまま、転がりこんだ怪物へ右足を軸に振り返り、左脇に剣を振りかぶる。すると、老騎士の目に映った怪物の首筋には、深々とフランキスカが刺さっていた。

 少女騎士は横なぎの剣が風切り音を鳴らしただけだとわかると、すぐさまフランキスカを腰から引き抜き、赤ずきんへ投擲しようとした。しかし、老騎士へ飛びかかるもう一匹の怪物を見て、とっさに標的をその怪物へ変えたのだった。

 だがしぶとい怪物は、首筋から血を吹き上がらせつつも、すぐに立ち上がろうとした。それを狡猾な老騎士が見過ごすはずもなく、左脇に振りかぶった剣でもって怪物を叩き斬る。

 ところが、その行為を黙って見過ごさない存在がいることを忘れてはいけない。ずる賢い赤ずきんがそれを見過ごさなかった。たたき切るべく薙ぎ払われる剣が、怪物に触れる直前、老騎士は右から迫る赤ずきんの鋭い爪に気が付いた。怪物めがけて振るわれた剣筋を、少し上へ向きを変えて薙ぎ斬った。

 結果として、残忍な怪物はとどめの一撃を逃れ、その代わりに赤ずきんをかぶった怪物が斬りつけられた。

 斬りつけられた赤ずきんはそのまま転がり込むように倒れこむ。飛びかかろうとした勢いのまま倒れこむので、老騎士の右肩にぶつかりながら小屋に突っ込んだ。ぶつかられた老騎士は体勢を崩し、片膝をついてしまう。

 そこへ、立ち上がり、とどめの一撃を免れた怪物が老騎士めがけて両腕を振り下ろした。老騎士はそのまま獰猛な爪で悲惨な姿になるかと思われた。

 しかし、そうはならなかった。悲惨な姿をさらしたのは怪物のほうであった。怪物は内臓をまき散らしながら老騎士の左へ倒れこんだ。大胆不敵にも少女騎士が怪物と老騎士の間に立ち、剣に渾身の力をこめて、怪物の腹を斬り裂いたのだった。

 少女騎士はフランキスカを投擲してすぐ、剣を両手に強く握って駆けだしていた。彼女の左をすさまじい勢いで赤ずきんが吹き飛んでゆく。前方には老騎士が膝をついている。彼に襲いかかる醜い怪物。恐れを知らない彼女が迷うことはなかった。結果は老騎士がひき肉になることはなく、倒れ伏したのは怪物であった。

「Ca y est!(サ イェ!)おじさま、ドラゴンがオオカミに苦戦を?」

「オオカミの内臓がドレスにぶっかかっておりますぞ、マドモワゼル。」

 ヘルムとクローク、サーコートに飛び散った内臓をはたき落とすと、崩れ落ちかけた小屋のほうからうなり声がした。すると、壁の残骸が吹き飛び、残骸とともに、ぼろぼろになった赤ずきんを被るウェアウルフが飛び出してきた。

「おてんば娘がまだいたな。」

 飛び出した怪物は少女騎士めがけて飛びかかる。ふたりの騎士は左右に転がり込んで復讐に燃える爪から逃れた。

「お兄ちゃんを! よくも!」

 その声はウェアウルフから発せられた。太く響く声であったが、赤ずきん少女の面影が感じられた。

 赤ずきんの人狼は地面をえぐりながら騎士へ振り返り、大きく咆哮する。犬の遠吠えどころではない。耳をふさきたくなるような、草木が揺らめくほどの咆哮であった。だがそんなことでうろたえる騎士たちではない。

「DEUS VULT!(デウスウルト!)」

人狼の咆哮に負けじと、少女騎士は“神がそう望まれる”と叫び、怒り狂った赤ずきん人狼に斬りかかった。

 怪物は騎士の斬撃に対し、腕を犠牲に受け止める。肉が裂け、骨が削れる。剣は骨を切り裂きながら足元の土をえぐる。これを見逃さなかった怪物は、体当たりをかけ、小さな騎士は吹き飛ばされた。

したたかに地面へ背を打つ少女騎士であったが、背負った盾のおかげで痛みはそれほど感じなかった。だが、立ち上がる間もなく、怪物は大きな口で小さな騎士に噛みついた。

少女騎士の視界は真っ暗闇に包まれた。そしてまた、腐った肉のにおいに包まれたのを感じた。噛まれたと思ったが、どうもちがうらしい。兜に、何やら粘っこい液体がかかる。

すると突然、真っ暗闇の穴の向こうから、間欠泉のように粘っこい別の液体が噴出して、彼女を襲った。兜の目や通気用の穴から、その液体が入り込み、顔にかかる。

 液体は口に入りそうになり、思わずごほんごほんと咳き込む。

 咳き込んだところで、彼女は両脇を誰かにつかまれ、この真っ暗な洞窟から引きずり出された。

「お目覚め下さい、血まみれ姫。」

と、聞きなれた老騎士の声とともに、力任せに引き上げられ、その勢いのまましっかりと両足で立った。

「けほ、けほ、Merci,おじさま。」

 赤ずきんをかぶったウェアウルフは口から血の池をつくりながらうつぶせに倒れ伏していた。延髄には、深々と剣が刺さっている。老騎士は足をオオカミの頭にかけ、剣の柄を両手でにぎり、力をこめて引き抜いた。

「ふぅー、やれやれだ。」

 少女騎士は十字を切りながら、

「神のご加護のおかげですね。」

「その血は早いとこ落としたほうがいいぞ。臭いにつられてグールがやってくるかもしれん。」

「おじさまも無事でよかったですよ。」

「いいから自分の姿を見てみろ。」

 彼女が自身の体を見てみると、クロークもサーコートも赤褐色に染まっていた。老騎士が崩れ落ちかけた小屋の脇を指さす。そこには湧水が近くから流れてきているのか、ちょろちょろと小さな水の流れができており、地面に掘られた窪みに水を貯めていた。

「グールとは、あの死体を食べる?」

「そうだ。死体じゃなくても血の匂いがするやつは食われるぞ。」

「Ah bon? じゃあ私はごちそうですね。こんな森に出るんですか?」

「清められていないところではな。この森なんかいかにもだ。」

 少女騎士はクロークを脱ぐと、コイフの端から下りる、ふたつ三つ編みにしたほおずき色の赤毛がゆれた。兜を外し、チェインコイフを脱ぐと、形容するのが憚られるほど醜い傷跡に覆われた顔が出てくる。老騎士は何も言わない。一部生え際が焼かれており、爛れた頭皮が見えるものの、なお美しい赤毛の前髪は眉の下で切りそろえられている。ようやくサーコートを脱ぎかけると、老騎士が口笛を吹いた。すると木々に隠れていたユニコーンが耳を動かしながらそばに寄ってきた。

「血で水たまりを汚す前に、このユニコーンどもに飲ませてやろう。」

 馬に水をやったのち、クロークとサーコートを洗ってみたものの、少々染みになってしまった。とはいえ、彼女はあまり気にしない性質だったので、ひと絞りすると馬の背にかけて干し始めてしまった。そしてコイフとヘルムを被りなおした。

「この怪物たちは、焼くのがよさそうですね。」

と言いながら、首筋に刺さったままのフランキスカを引き抜いたところ、ウェアウルフの身体が筋肉をうごめかせながら動き始めた。とっさに斧を叩き込もうとしたが、みるみるうちにオオカミは人間の姿になり、彼女の目の前には美しい青年が内臓をまき散らしながら倒れ伏していた。赤ずきんの人狼も、同じく可憐な少女の死体となっていた。

「Oh ! la, la,l a, la, la, la! 」

「ウェアウルフはもともと人間だからな。死ぬことで呪いが解けたのだろう。」

「呪いとは……。いったいだれが呪うんです?」

「さあな。できるやつは限られる。魔女がかけたか、ウェアウルフの血を飲んでも呪われるといわれている。」

「あ、わたしちょっと口に含んでしまいましたよ。明日からオオカミ少女ですかね。」

「お前は平気だろう。ドラゴンの血のおかげでね。感謝してくれ。」

 少女騎士は、おじさまに対して、ドレスの裾をつまむふりをしてお辞儀した。ところで、彼女がふと青年の死体をみやると、耳がやけに長くとがっているのに気が付いた。足で乱暴に顔を正面へ向けさせると、青年がエルフであることに気がついた。続いて少女のほうへ寄り、赤ずきんをはぎ取ると、こちらも耳が長くとがっており、エルフであることがうかがえた。剣を鞘へ納めた老騎士が腕を組む。

「こいつらはエルフのようだな。お前が殴った少年はハイエルフだから、奴とは違う部族だが……。」

「ハイエルフのことは少年から聞きましたが、このエルフ族はうよういよいるもんなんですか?」

と、赤ずきんを蹴飛ばす。

「いや、たいていは森の奥深くで集落をつくって暮らしている。たまに人間の町に住む変人もいるがな。だが、こんなところで二人暮らしをしていたとは……。ふむ、推測だが、人狼の呪いを受けて、エルフの集落から逃げてきたのかもしれない。エルフ族もウェアウルフと仲良くはできないからな。」

「この赤ずきんは『お兄ちゃん』と、もう一匹に対して言っていましたね。」

「真実はわからん。もし兄妹だとして、兄妹そろって人狼の呪いを? ちょっと調べてみよう。」

 老騎士は崩れかけた小屋へ向かい、崩壊した壁の一部を投げ飛ばしながら物色をした。少女騎士もそれに倣い、残骸をどかしながら小屋の中へ入った。

 室内は汚く散らかっていたが、鍋や水差し、包丁、スツール、くし、木箱を並べて作ったベッドらしきものから生活の香りを感じさせる。ベッドは藁を中に詰めた布袋と、亜麻のシーツである。

「オオカミもベッドで眠るんですね。うん、この首飾りは……。」

 枕元に首飾りが転がっている。彩色された木片と、動物の角を組み合わせたものであった。単なる装飾ではないことをうかがわせる、意味ありげな模様がある。老騎士を呼んで見せると、それはエルフ族が信じる神々を模して造られたものであるとわかり、彼女はすぐさまそれをちぎって床に叩きつけ、踏みつけた。

「Beurk! 異教徒が。」

 彼女が首飾りを踏みつけていると、老騎士がこちらを呼ぶ声がし、声のほうを見やると手招きしていた。残骸をどかしたところ、小屋の裏口を見つけたようである。その裏口のドアを蹴飛ばして開け放つと、柵に囲まれた薬草園が目についたが、もっと目についたものがある。人間の白骨が山のように積まれていた光景である。

「おれたちがこうなるはずだった姿だな。」

「旅人を襲って食べていたと?」

「人狼の呪いを受けると、人肉以外では空腹感を満たせなくなる。そのせいだな。」

「鍋で料理をしていたみたいですよ。ほら、ここにキャベツの切れ端も。」

「人間らしい食事を忘れたくなかったんじゃないか?」

 再び小屋内にもどると、ふたりは試しに木箱を開けてみることにした。がらくたが詰まっており、目につくものはむやみにすべて開ける。木箱の中にはずたずたに引き裂かれた様々な身分の服と、破れた鞄、錆びた短剣やぼろぼろの鎖帷子などが詰まっていた。

「あわれな白骨たちの持ち物だな。金目のものはなさそうだ。」

「おじさま、お行儀がよくないですね。」

「無一文になったからな。生きるために必死さ。さて、わかったことはひどく少ない。」

 老騎士は木箱から顔を上げ、辺りを見回しながら、

「死体の山がある割には金になりそうなものがない。あの人狼たちは人肉以外にも死体から得るものがあったようだ。」

「旅人を襲って生計を立てていたようですね。」

「まるで山賊のごとくだな。赤ずきんの妹が獲物を導き、兄が襲う。奇襲が外れれば妹も一緒になって襲いかかり、貪り食う。あどけない少女に対しては油断するものだ。」

「しかし、この異教徒どもがなぜ人狼の呪いを受けたのかはわかりませんね。」

「だが、この小屋と死体たちは燃やしたほうがよさそうだということはわかった。」

「異教徒はともかく、敬虔な信徒もいたでしょうに。」

「今までは人狼の呪いという強力な力がここを支配していた。しかし死によって呪いが解けた今、この非業の死を遂げた骸骨たちは今すぐにでも動き出しておかしくないだろう。」

 ふたりはエルフたちを小屋の中へ放り込み、また、布袋を裂いて藁を取り出した。白骨の山に聖水を降りかけた後、藁を山へ突っ込んだ。そして火をおこすと、小屋へ火をかけ、燃やし尽くした。少女騎士が白骨たちの安らかな眠りを祈り、異教徒のエルフに対しては地獄の炎で浄化されることを祈る。

 祈りの言葉によって祝福された清らかな火の光が、ふたりの騎士を照らす。辺りはもう日暮れだ。夕日の赤が森に差し込む。その赤色は燃え上がる小屋と同化して、まるで小屋を清める炎がこの空を染めているようだった。

「白骨も死体も、アンデットになって動き回るとやっかいだからな。適切な埋葬をしている時間はない。火葬はお前にとって不服だろうが。」

「異教徒は火にかけて浄化したほうが彼らのためですよ。神の僕は祈りの言葉によって天に召されることを願います。それに、神は自らのしもべを知っておられますから。」

 ふたりは今夜はまたしても野営を行うことになった。血の香りのするこの場に留まるわけにはいかず、街道へもどった。道に近く、ほどよい空き地を見つけると、そこで一夜を明かした。

 月が夜の世界を薄く青白い世界へと照らしていたころ、寝付けなかった少女騎士が、くるまっていたクロークをのけて、立ち上がり伸びをした。空になった小鍋に夜露が滴っている。赤ずきんが曳いていた荷車には野菜がいくつかあり、今夜は干し肉と野菜のスープをつくることができた。満足げなドラゴンはぐうぐうと寝ている。ニンジンを与えられたユニコーンたちは膝を折って眠り、時々、高いびきをかいている。

 ふと、小屋のあった方角を見やると、夜目の効く彼女は燃え尽きて燻る煙が月へ上ってゆくのを目にした。その煙のまわりには青い人魂がくるくると踊るようにまとわりつき、煙とともに月へ向かう。彼女は十字を切ると、草に寝っ転がってその光景を眺めつづけた……。


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