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「ごきげんですよ!」Ⅰ

――ごきげんですよ!・Ⅰ



 今日も雨の日である。しとしとと降り注ぎ、地面は泥となり、ブーツにまとわりつく。跳ねた泥はクロークやスカートのすそを汚す。さあさあと静かな雨であった。

 三人娘は今日も写本室にこもる。だだ今まで違って、来客が一名。胴長短足耳の長い犬。リザ嬢が飼い始めたモナである。犬は本と本の間で、顎を地面につけて、蛇のように丸くなって寝っ転がっている。三人娘は、羽ペンを動かしながら、それぞれラテン語の勉強をしたり、識字と筆記の練習をしたり、勝手に挿絵をつけた写本を制作したりしている。

 相変わらず窓の鎧戸ごしには雨の音しか聞こえない。雷鳴もならず、嵐ではない。穏やかな雨の日。戦場におけるアンナ嬢の姿しか見たことがない者は、このように清貧な淑女姿で羽ペンを走らせる姿からは、その正体に気づくことができないかもしれない。

 ちょうどお昼が過ぎて少し経った頃。間食をとりたくなったところで、犬がむくりと首を上げた。瞼がひどく重そうである。

「う~ん。」

と羽ペンを置き、背伸びをしたのはリザ嬢。右隣で座っているアンナ嬢が、”ツバメの飛行経路を計算する聖アンジェリカ”の筆を止め、

「Bah,..休憩にしましょうか。」

「そうしましょう、アンナおねいさん、エリシア。オート麦を混ぜたものだけれど、クッキーを焼いて来たのよ。モナ~おいで~」

と振り返って呼びかけると犬は立ち上がり、でこぼこになった本の山を、よたよたと昇ってきた。

 少女たちも振り返り、一度立ち上がるとスツールや本の山をまたいで、テーブルや書見台を背にして座りなおした。

 リザ嬢はテーブルに置いてあった袋を手にとり、開けると中に詰まっていたクッキーをアンナ嬢とエリシアに分けた。食べかすをローブの裾にこぼしながら、もぐもぐと食べる。犬はそのクッキーをじーっと見つめて、尻尾を振っている。リザ嬢は「待て~待て~」と犬の前でクッキーをつまんで見せている。犬はクッキーに鼻を近づけて、クンクンさせてにおいを嗅ぎ、自身の鼻を舐めた。

「よし~!」

とリザ嬢。すかさず犬はクッキーにかぶりつき、むしゃむしゃと食べた。食べる際、半分に割れて落ちた片割れも、鼻をクンクンさせて探し出すと、ぺろぺろと舐めて、あっというまに平らげてしまった。

「丸のみですね。」

「なんでもおいしそうに食べるのよ、この子。お気に入りはウサギの干し肉と、白パンだもんんね~?」

と犬の鼻先に顔を近づける。犬は左側へ首をかしげる。そしてすぐに、クッキーの入った袋のほうへ鼻をクンクンさせる。リザ嬢は同じように、また食べさせた。エリシアは手を伸ばし、犬の首元から背中にかけてを撫でた。犬は撫でた手をぺろりと舐める。

 するとそこへ、馬のいななき。教会の正面扉が開けられ、次にどたどたという足音。拍車のついたブーツの音だ。だんだんと少女たちの写本室へ近づいてくる。男一人。腰からつるされた剣がゆれる音がする。

 やがて、扉がノックされ、木がきしむ音とともに扉が開かれた。

「やあお嬢さんがた。」

「おじさま! なんの用ですか。ここは乙女の園ですよ。」

 登場したのはドラクロワおじさま。クロークを纏い、ギャンベゾンに、剣をつるしただけの軽装だ。

「ずいぶんと埃っぽく、修道僧みたいな園だな。花畑はどうした?」

「華ならここに。3人もいるではありませんか。」

「たしかに、これは失礼した。レディ・リザに、シスター・エリシア。たしかに二つの美しい花が目の前に。だが、もう一つはどこに?」

「ここですよ。」

と自身の胸に手を当てるアンナ嬢。ドラクロワは腕を組んだ。そして眉を片方だけ上げると、犬を指さし、

「こちらのワンちゃんかな。ご機嫌麗しゅう、犬殿。」

 するとリザ嬢、犬の前足を後ろから握ると、ぱたぱたと動かして、

「この子はレディ・モナですよ~。」

「これはご無礼を。お許し下さい。レディ・モナ。」

とうやうやしく頭を下げるドラクロワ。

 アンナ嬢は腕を組んで、むすりとし、右手を上に向けてから、

挿絵(By みてみん)

「それで、何か御用があったのでは?」

「それだ。乙女たちの午後を邪魔して悪いが、お前に用がある。」

 アンナ嬢が聞き返す前に、つまみかけたクッキーを袋にもどしたリザ嬢がすかさず、

「ドラクロワ卿、何事ですか?」

「レディ、地平線に人影の集団が見えたとの報告が。」

「まあ! エリシア、こっちへ。砦へもどるわよ。モナ! ついてらっしゃい!」

「いえ……わたしはここで、祈りを……。」

「落ち着け。敵の軍勢が迫っていると決まったわけではない。そもそも、こんな雨天では戦争どころではない。とはいえ、ここにいる赤毛の少女は借りていくぞ。お許しを?」

 ドラクロワがアンナ嬢へ手を向ける。アンナ嬢は肩をすくめる。

「もちろんですわ。アンナおねいさん、お気をつけて。」

「Oui oui.ご安心を。これぞ我がつとめ。我が喜びというやつです。」

と腰かけにしていた本の山から、ぱたんと立ち上がり、少女たちはお互いにハグをし合い、

「では、神のご加護を。」

 アンナ嬢は十字を切るとぽてぽてドラクロワについていった。老騎士が会釈し、続いてアンナ嬢が出ていく間際に、

「神のご加護を」

と、リザ嬢が呼びかけ、彼女と、エリシアは十字を切った。

 教会の外へ出ると、老騎士の青毛のユニコーンと、少女騎士の栗毛のユニコーンが待っていた。

「つれてきてくださったんですね。Merci beaucoup.(メルシーボクー)」

「走らせると思ったか?」

「さいきん、いぢわるですから、おじさま。」

「意地悪されてるのはどちらやら。さあ、そのローブで乗れるか? とりあえず砦に行くぞ。おとぎ話の修道女じゃあるまいし、鎖帷子と剣くらいは身につけねば。」

「問題ありません。いきましょう。」

 ローブの裾を跳ね上げて、そのまま鐙に足をかけると、慣れた様子で騎乗する。そして拍車をかけると、ユニコーンは高くいななきながら前足を空へ高くして、後ろ足だけで立つ。そして跳ねるように走り出し、老騎士を置いてさっさと砦まで駆けて行ってしまった。

「やれやれ。まあ、行くか。」

 砦で借りている一室――老騎士と少女騎士の部屋――へやってくる老騎士。扉を開ければ、まさしく着替えの真っ最中の少女騎士。ローブを脱ぎ捨て、ギャンベゾンを着こみ、鎖帷子のなかで芋虫になっているところであった。

挿絵(By みてみん)

「やれやれ、お嬢様。お召し替えを仕りましょうぞ。」

「おじさま~」

ともぞもぞする彼女を、老騎士は手伝って鎧を着させた。同時に、老騎士もまた鎖帷子やコートオブプレートを身に着け、剣帯に斧やらメイスやらをつるしなおす。

 清貧な修道女から、バケツヘルムを被ってすっかり戦装束の騎士となった彼女は意気揚々と足取り軽く部屋を飛び出た。血糊や泥にまみれていたサーコートやクロークも洗濯され、糊が効かされており、純白さを取り戻す。

「ごきげんだな。」

「ごきげんですよ! で、みなさんはどこにお集まりで?」

 砦の城壁。その一角にあるやぐらへ少女騎士たちがやってくると、ロベルト卿に、マウリシオ卿、そしてブライアンを含む従士数人が一様に東のかなたを見つめていた。このやぐらは板葺きの屋根が誂えられており、太鼓を細かく打ち鳴らすかのような雨だれの音が反響している。城壁を伝った向こうのやぐらでも、同じように衛兵たちが東のかなたを見つめていた。みな雨に濡れるのを嫌って、屋根のある所へ固まっている様子。

「Bonjour. Monsieuロベルト。みなさん、神がお傍におられますように。お待たせしました。」

「アンナ卿、神がお傍におられますように。リザはどこにいます?」

「教会でヨセフ司祭、シスター・エシリアと居ますよ。」

「ならよいか。ありがとうございます、サー。」

 騎士たちは兜を被っていない以外はすっかり完全武装であった。従士たちも兜は小脇に抱えている。

「やあ、赤毛卿。雨で見づらいが、丘の頂上に集団がきたぞ。300ほどか?」

「Bonjour. Monsieuマウリシオ。貴殿も赤毛ですよ。ça va?(サヴァ)」

「今朝は寝違えて首がまわらんのだ。もしも歩兵隊を指揮せねばならぬなら、ドラクロワに任せるとしよう。」

「待て。一応、おれたちは修道騎士だぞ。……お嬢さん、神のしもべ同士で戦うか?」

と両手を上げたのち、アンナ嬢へ向ける。アンナ嬢、首を傾げてから、十字を切って、

「Tout a fait. C'est bon,おじさまのおっしゃるとおり。もしも正しき信徒同士の世俗的ないざこざならば、わたしたちは静観せざるを得ません。激情のあまり行き過ぎた行いをする騎士がいるならばたしなめますが。もちろん、悪漢どもや、異端者ならば別の話。異端者はこちらで裁きますが、en fait,犯罪者なら、司法の権利を持っているのはMonsieuロベルトですので、勝手に裁いたりはいたしませんよ。」

「フーン、修道騎士も面倒なものだな。裁判権を守ることには感心だ。聖アンジェリカの連中は、そこらへんお構いなしだからな。」

と赤ひげマウリシオはため息をついたのち、腰に右手を腰へ当て、左手は剣の柄頭へ気怠そうにのっける。彼方を見つめていたロベルト卿は振り返って、

「マウリシオ、彼女たちは、クルティボの客ですよ。たびたび、ご協力をいただいておりますが……。まあ、もしかしたら異教徒ということもある。エルフを処刑したことが彼らに知れれば、ハイエルフたちが怒って報復に来ないとも限りません。」

 腕を組むと再び彼方を見つめる慎重なロベルト卿。それに対して、楽天的なアンナ嬢は十字を切ってから、後ろ手に両の手を組み、

「異教徒ということでまとめて地獄へ送ってしまいましたからね。」

「やれやれ。このお嬢さんはかなり情熱的な神殿騎士でね。異教徒とみれば手を出さずにはいられないのさ。それが起因となって何が起こるかなんてお構いなしなんだ。ロベルト卿、このお嬢さんは政治には使えないぞ。」

 誰に対する警句なのか判別のつかないことを述べるのはドラクロワ。やぐらのはざま胸壁に肩肘をついている。ロベルト卿は身体ごと振り返り、胸に手を当て、眉を上げると、

「これはドラクロワ卿。とはいえ、連れ帰ってもらわれてもどうしようもないもので。それに、神の敵を打ち砕いたことをとがめることはできません。正義はアンナ卿のものです。いずれにせよ、丘を越えようとする集団がエルフと決まったわけではありません。彼らがやってきたのは、お隣のダッグワース家の方面から。とはいえ、軍隊というにはお粗末な。軍旗も見えない。」

「まともな指揮官なら、こんな雨の日に剣を交えようなどととは考えんだろうな。てんでばらばら。まるで難民の集団だ。」

と赤ひげマウリシオ。かなたの丘には追い立てられる羊の群れのごとくな人影たち。むくれた様子のアンナ嬢は腕を組むと、左手をくるくる動かしながら、

「Bah...わたしは誰の臣下でもないですからね。仕えるのは神のみ。しいて言うならば神の地上代理人たる教皇猊下のみ、といったところですか。」

「ということで、まともに騎士団総長に従ったことはないし、戒律も守らないわけだ。」

とドラクロワは皮肉っぽく笑う。アンナ嬢は兜をこんこんと叩きながら、

「Ah bon.お題目は結構ですが仲良し同好会に政治活動が付録となれば、Bah,私には手に負えなくなりましてね。C’est-a-dire,世俗貴族出身の方々と同じように、領地を寄進したあとは好き勝手やっている不良修道騎士ってことですね。」

「不良娘だな。その制服を纏う責任から逃れ続け、義務を果たさず権利だけを横着に行使するわけだ。」

 するとアンナ嬢、にへへと笑って十字を切ると、

「Comment dire,義務は果たしていますよ。異端や異教徒、サタンの手先たる怪物を退治をしてるじゃありませんか。Je panse ,白いサーコートを神の敵の返り血で汚さず、銭勘定で汚れた手を拭うのに用いるのが義務というのならば、おじさまのおっしゃるとおりの不道徳者となるわけですけど。」

 ロベルト卿らはハハハと笑う。笑う拍子に首を押さえるマウリシオ。老騎士はため息をつく。従士ブライアンは困惑する。

「おーい! 衛兵……そこにいるのはダニエルか? お前、目が良かっただろう。こっちへ上がってきて、あの群衆が何者か確かめるのだ。」

 ロベルト卿はおもむろに身を乗り出して叫んだ。城門前で雨に濡れない場所へ固まっていた衛兵に呼びかけたのだ。呼ばれた衛兵は予期せぬ呼び出しに驚いたのか、一瞬びくりと背筋をのばすと、

「閣下! ただいま参ります!」

と返答をした。

 ばたばたびしゃびしゃ、ギイギイと衛兵が駆け上ってくる音がする。やがて、同僚に盾と槍を預ける会話ののちに、梯子段を上って固い顔をした衛兵ダニエルがやってきた。20代半ばほどで、きちんとひげを剃ってある。足元は跳ねた泥で汚れていた。

 騎士たちが衛兵ダニエルへ場所を開け、丘を指さすと、彼は畏まって小さくなりながら胸壁へ手をかけた。日差しが強いわけでもないが片手を額に当てる。

「あれは……あれは、えーっと……。杖を突き、荷物を背負った人、荷車を曳いた人、子供もおります……。」

「ハァー、こりゃ難民だな。ロベルト卿、受け入れるか?」

 首を気にするマウリシオが、片手で赤ひげを弄りながらため息をつく。ロベルト卿は両手を肩の高さで上にあげながら、丘を見る。

「お隣さんが騒がなければいいんだが。」

 真面目な衛兵はなおも片手を額に当てながら目を凝らす。

「おや彼らが走り始めました。あ! 閣下! 難民どもがグールに襲われているようです!」

 という言葉とともに、バタバタと騒がしい音とともにいなくなったのは我らが少女騎士。ぴょんぴょんと軽い足取りでやぐらを降り、ばしゃばしゃと雨も気にせず厩舎へ駆け込む。厩番とのやりとりが聞こえたなと思えば、馬のいななきとともに飛び出してきたのは栗毛のユニコーンに跨りし少女騎士。これまた穂先を新調した馬上槍を手に、拍車をかける。

「道をあけよ!」

と声を張り上げながら駆ける。純白のクロークと赤毛の三つ編みがなびく。衛兵たちが慌てて避ける。泥水が飛び散る。城門を抜け、村の広場を駆けてゆく姿は、やぐらから見るとプレゼントに駆け寄る子どものように楽し気な背中だ。心なしか馬も足取りが軽い。蹄鉄を変えたばかりだからだろうか? その様子にいつものように呆れ顔の老騎士。

「やれやれ。雨は嫌いなんだが、お嬢さんを追わねば。」

 重そうな足取りでやぐらを降りてゆく。

「マウリシオさま! 自分も修道騎士どのに同行してもよろしいでしょうか!」

と興奮気味に伺うのは従士ブライアン。

「好きにしろ。ワシはここで見物しているよ。首が回らんし、グールの臭さには堪えられんのでな。」

「ありがとうございます!」

 若き従士はコイフを被ると、上から鎖帷子のフードを被り、脇に抱えていたフラットトップのヘルメットを身に着けた。そして顔を赤くしながら厩舎へ駆けこんでいった。

「ブライアンが行くというのなら、私たちもいかねば。閣下! よろしいでしょうか?」

と問うのはほかの従士たち。ロベルト卿は彼らに許可を与えると、従士たちは兜を身に着け、厩舎に向かい、厩番が馬たちを連れ出し、鞍をつけると、彼らは飛び乗った。修道騎士を追って各々の馬たちに拍車をかけ、城門から飛び出してゆく。


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