プロローグ~彼女はいかにしてこの土地にあらわれたか~
生い立ちパートです。 らくがきつき。
――「聞いてください。この土地は最悪ですよ。あなたがたも遍歴されるなら、よその土地で栄達を望んだほうがよいですよ。あなたがたは私にとって、この土地での最後のお客さんです。翌朝にはヤハウェの地へ出発する予定です。かの地では聖地も奪還され、世界中の富が集まってきているそうじゃないですか。私は馬商人をやって長いですが、この土地では散々な目に会いました。ここは血みどろの沼地ですよ。怪物や幽霊、魔女が跋扈し、おまけに人間ならざる蛮族どもが我が物顔で人間の領域を荒らし、少女たちを嬲りものにして喜んでいます。もっとひどいのは領主たちです。彼らは打算的で、人を自らの利権を守るために利用することしか考えておらず、簡単に信頼とか、契約を蔑ろにします。人同士であろうが人と蛮族であろうが、どちらにせよ戦争が絶えません。人々はただの道具ですよ。え? これからこの土地の奥深くまで旅するだって? おやめなさい。一刻も早くこの不愉快な土地から離れて、もっと善良な人々に囲まれた、光にあふれた豊かな土地で運を試されたほうがよいでしょう。ここは世界から忘れ去られる運命を宿命づけられた惨めな荒れ地です。……それでも行くというのなら、まあ、止はしませんがね。あ、騎士さま方は、神殿騎士でしたか? こりゃ失礼いたしました。あー、では、神のご加護を祈っております。」
――ユニコーン専門馬商人『クレバー・フロレンス』
アビエニア辺境部にて。
「非現実の世界として知られる地における、少女騎士と老騎士の物語」
筆者は以前、ヤハウェの地にうじ虫のごとく蔓延る異国の商人に捕らえられ、あわや家畜か奴隷かとして売られそうになったことがある。地獄から引き出してきたような、背中にこぶがあり、よだれ臭い生き物に曳かれた荷車へがらくた同然に載せられた。自らの運命に絶望しかけたが、天使たちが私を救ってくれた。
その天使たちは、柔らかなローブをまとって羽を生やした姿ではなかった。重厚な騎士の戦装束であった。鎖帷子の上から真っ白な上着。上着には赤い十字が染め抜かれ、あるいは縫い付けられており、みな一様に樽型の兜やどんぐり型の兜をかぶっていた。馬にまたがり、丘の上から全速力で駆けてくる。槍を真正面に向けて、口々に「神がこれを望まれる」と喊声を上げ、クロークやマントが羽のようにはためき……。私が目撃したのはそこまでである。その後すぐ、天地が逆さまになる衝撃とともに荷車が倒され、私は意識を失ったのだ。
――――
いまでこそアビエニアにおいて「泥まみれの赤毛娘」として知られるアンナ・カタリナ・ド・ラ・ミルフイユであるが、彼女はこの土地出身ではない。彼女はヤハウェの地の出である。
この土地にやってくる前、彼女は宗教的情熱から「異教徒」に支配される聖地を巡って戦った。「神のご加護によって」(彼女によれば)聖地を奪回すると、少女だてらに「神殿の貧しき戦友達騎士団」の一員として「異教徒」を殺して回っていた逸話は、かの地ではもはや語る者はいない。
なぜ彼女はここ「アビエニア」にやってきたのか。偶然、という言葉は適切ではない――
――後に筆者が彼女自身から聞いた話によると、事のはじまりは異教徒の隊商に積まれていた、ある「商品」だった。だが、まずは彼女の生い立ちから紹介せねばなるまい。
この土地に現れる前、彼女はヤハウェの土地で田舎貴族の娘として生まれ、幼い頃から修道院で育った。おとぎ話が好きで、よくその空想の世界に自分自身が旅立つのを想像して楽しんでいた。おとぎ話の妖精や怪物たちは本当にいると信じた。多くのひとびととは違い、聖書でいう神が実在する理由はおとぎ話を信じる理由と同じであった。それゆえ、読書家で、写本制作も大好きだったが、乗馬と騎士の真似事はもっと好きだった。
彼女には兄がおり、時折、修道院から家に連れ帰ってくれた。家は貧乏貴族であったが、お城を保持しており、たとえそれが木製の城壁に囲まれた安上がりなものであっても、彼女にとっては聖地の城壁と同じ価値があった。その城壁の中で、馬にまたがり、鎖帷子と兜を身につけ、馬上槍で遊ぶのは至上の喜びであったと語っている。
そのようなおてんばが許されたのも、彼女の家が没落寸前であったことが関係しているのかもしれない。彼女の血縁はもはや、兄だけだったからだ。封土も痩せた土地であり税収は期待できない。
そんな彼女が15の冬を迎えようとしていた頃、残酷な試練を経験することになる。
1週間後に兄が修道院へ迎えにきてくれ、まもなく家に戻るというときである。突如、冷酷で地獄の業火で焼かれるべき無法者の盗賊団が修道院を襲撃したのだ。冬が近づき、餓えた傭兵くずれの盗賊団はなりふりかまわなくなり、罰当たりにも神聖な修道院を汚すことに決めた。
院はまたたく間に制圧され、備蓄品は略奪され十字架は打ち壊された。さらに悪いことは、女子修道院ということだった。野獣より下劣な無法者たちは、修道女たちを5日かけて蹂躙し、それにも満足せず、新たな余興として、救世主が受けた数々の苦難と同じことを修道女たちに与えた。悲痛な叫び声が毎晩空に響いたが、修道院は人里離れている。また、雪が降り始め、通りがかる者もいない。それでも信心深い彼女たちは、祈りの言葉を唱えつづけた。
もちろん、彼女もその悪魔から逃れることは出来なかった。彼女も救世主と同じように骨が見えるほどに鞭を振るわれ、熱した赤熱する剣で顔、胸、足、腕、背中を散々に切り刻まれた。性根の腐った豚どもは、彼女を切り刻みながら辱めを続けた。
唾棄すべき野獣たちは、ついには神を試みた。敬虔な修道女たちを、火あぶりにかけたのだ。ほんとうに神がいるのなら、お前達は熱さを感じず、死ぬこともないだろう……などと冒涜しながら。
しだいに、火あぶり以外にも趣向を凝らし始めた。語ることもおぞましいほどのことを。
彼女の番が回ってくる。過酷で残酷な試練を受けることになる。小柄な彼女は、油が煮えたぎる釜の中へ沈められた。
悲鳴を上げる間もなく、意識を失い、獣達の興味が薄まると、釜から引き出され、打ち捨てられた。
このような仕打ち、神に見捨てられたのだと考えて当然である。神はいなかったのだろうか。修道女たちは神を見捨てた。
だが、彼女だけは、神を信じた。あのおとぎ話のように、救世主がやってくると。馬糞のように無造作に床へ打ち捨てられた彼女は、かすかに息を残していた。
神は、彼女を見捨てなかった。彼女の兄が、ついに修道院に到着したのだ。兄は同行していたわずかな部下たちとともに、愚劣な獣たちを残らず地獄へ送り返した。彼自身も瀕死の重傷を負いながらも、妹を助け出したのだった。
だが、医者や司祭は、生命の灯があとわずかだと語る。すべての運命は神に委ねられたと思われたが、心優しき兄は妹の命をなんとしても救いたいと願った。
兄は自らの怪我もそのままに、不眠不休、飲まず食わずで礼拝堂で祈っていた。すると、以前、吟遊詩人から聞いた「アイノン王子の命を救ったドラゴン」の伝説を思い出し、家財をすべて投げ打ってドラゴン探しを始める。とうてい見つからないと思われたが、あろうことか、神のきまぐれで(彼女によるとこの表現は間違いで、すべては神の計画の一部であるから必然とのこと)ドラゴンは見つかった。ドラゴンは「善行を積みたい」という極めて人間的な理由で自身の心臓の半分を彼女に分け与え、彼女は息を吹き返したのだった。だがその後すぐに「悲劇の乙女を救ったドラゴン」として同族の賞賛を浴びるはずだった「彼」は、助けるべき命は見かけに惑わされて決めるべきではないという一生の教訓を得る羽目になる。
――生命を取り戻した彼女であったが、たとえドラゴンと心臓を分け合おうとも、全てが生まれたままの姿へ戻るわけではない。傷は残る。身体にも、心にも。
かつては牛乳色で美しかった肌は、全身に深い切り傷と火傷の跡が残り、目にする者は目を覆う。かつては幼さを残す可憐さで愛くるしいほどだった顔は、見る者に吐き気を催させる悲惨な姿。火傷に覆われ、無数の傷跡で表情が歪む。わずかな情けは、3分の1だけ……右目の周りと鼻の周辺だけはそっくりそのまま、傷もついていない。愛らしい二重に、エメラルド色の瞳が浮かんでいる。そして長くて癖毛が魅力的なほおずき色の赤毛。そのわずかな残り香だけが、かつての姿を偲ばせる。
そんな姿では生きるのは難しい。外へも出ず、彼女は礼拝堂に閉じこもった。だが、やはり、彼女は神を見捨てず、神も彼女を見捨てていなかった。
「神がそう望んでおられる」
という呼びかけとともに、聖地を巡る聖戦に、世界は向かい始めた。
彼女の兄は騎士である。聖地奪還への遠征の為、大諸侯の招集に騎士として馳せ参じる義務があった。しかし兄は妹を救った代償で大怪我を負い、とてもではないが長期の遠征に耐えられる状態ではなかった。とはいえ招集に応じないのであれば大金を納める必要があった。だが彼女の家は貧乏貴族そのものであり、とてもではないが支払うことはできない。
兄にとっての救世主は、妹であった。いままで礼拝堂に閉じこもっていた妹が、突然こう主張しはじめたのだ。
彼女が兄の代理の騎士として戦役に参加するという、かの地では前代未聞の話である。当然、兄は拒絶し、世間、教会も許すはずがなかった。しかし「神の思し召し」によって口頭で大司教が彼女の戦役への参加を認め、その上祝福を与え、金の拍車と共に騎士へ叙勲したと語ったのだ。この話は、神の地上代理人である教皇へ伝えられたとか、そればかりか教皇自身が、神託を受けて大司教へ指示を出したとか、そんな噂がわずかにあった。しかし、いまではそのような記録はどこにも残っていない。
確実なのは、兄の鎧は妹用に仕立て直され、妹はおおいに喜んだということだった。そして、うきうきとしながら「神の啓示」について語る妹に、不思議と兄は不安よりも幸福感を覚えて安堵してしまったことだろう。
ところで、ドラゴンには悪いが、傍から見ていれば滑稽で喜劇そのものの運命が「彼」を襲う。彼は、蘇った少女があの悲劇によって嫁にもいかず静かな人生を歩むものと思い込んでいた。しかしあの少女は、聖なる戦いが宣言されてすぐ、神の加護とこれからの運命への喜びに打ち震えて、大喜びで聖地奪回という戦争に出発してしまった。
誤解している者も多いが、ドラゴンと心臓を分けあってもおとぎ話の勇者のように無敵にはならない。魔法のような力が宿るわけでもない。ただ、命の永さが定命の存在ならざるドラゴンと等しくなるだけである。剣で切り裂かれれば、死ぬのだ。
恐怖したのはドラゴンで、「アイノン王子とドラゴン」の逸話を聞いたことがある者は知っての通り、心臓を半分分け与えたことによって、いまやドラゴンと少女の命は文字通り一心同体。片方が死ねば、もう一方も死ぬ。
狼狽したドラゴンは、まだ死にたくない上、とんでもない気狂いを世に解き放ってしまったことが着々と判明し「罪を償いたい」という人間臭い理由から、彼は老騎士の姿に変身すると、少女を追いかけた。これが今日、彼女とその「おじさま」がいつも一緒にいる姿を見かける理由である。
「おじさま」と接したことのある者は彼のことを、かなりの皮肉屋で斜に構えた人物であると評するであろう。しかし、元来高貴な存在で世間知らずな高位のドラゴンが俗物的で汚れた我々人間社会に触れれば、荒んでしまうのも理解できるのではないだろうか。それに、彼がついていかねばならないのは、敬虔な信徒である我々をはるかに凌駕する宗教的情熱を持った少女なのだから。
さてその後、神のご加護のおかげというべきか、実戦は最高の教師というべきか、彼女は戦いで生き残るたびに戦い方を知り、生き残っては戦う術を身に着けた。狂信のなせるわざと言い切れるものか。命知らずゆえに死のほうが彼女を恐れたのかもしれない。あるいは本当に神が愛されているのか。ともかく彼女は返り血にまみれ、にこやかであった。
やがて神の望まれた聖地奪回を成し遂げ、元気に異教徒を浄化していたある日。ルノー・ド・シャティヨンと共に不本意な(彼女にとって)休戦協定を無視して異教徒の隊商を襲撃した際、不思議な積荷を発見した。
気を失っているひとりの少年。一見すると美しい少年であるが、少年は人間よりも耳が長くとがっていた。白金色の髪。肩まで届きそうに長い耳。ガラスのように透き通る肌。それでいて「美形」。とくれば、読者諸君はこの不思議な積荷が「ハイエルフ」であるとお気づきだと思う。しかし当時の彼女にはそのような知識は無かったので、この悪魔的な、人間とは違う存在に恐れおののいた。まだ息の残った隊商の生き残りに、この積荷の出所を尋ねると、聞いたことのない地名を幾つか話し始めた。傷口を蹴り飛ばしながら尋問しても、それ以上の答えはなかったので、彼女はその男の喉を切り裂き、地獄の火で焼かれることを祈った。
彼女は少年の耳を引っ張り、演劇で用いるような飾りではないことを確かめた。老騎士はその様子にあきれ返り、この種族のことを教える。彼女はその荒唐無稽の話に、老騎士はもう耄碌しているとけなした。しかし、ドラゴンたる老騎士自分自身そのものが、おとぎ話ではないことの証明であると主張すると、彼女は「それもそうか」と納得し、この異形の非人間は神の僕なのか否かということを考察し始め、悪魔の手先であるときめつけると、剣を十字架に見立てて祈った。
ひとしきり祈り終わると、彼女はハイエルフの少年を殴ってたたき起こし、胸ぐらをつかむと、出生の地はどこかと詰め寄った。少年は混乱し、同時にあたり一面血の海になっている光景に、動揺した。さらに殴打を2、3発食らわせ、質すると、咳をし、息が詰まりそうになりながら少年が話し始める。しかし、彼女には少年の言語がわからなかった。ラテン語でもフランス語でもドイツ語でもイタリア語でもイベリア半島の言葉でもなく、デーン人等北方人の言葉でもなく、ブリテン島の人々が使う言葉でもない。アラビア語とも違うようだ。それぞれの言語に、僅かに似通った単語や発音はあるものの、それらの言葉がごちゃ混ぜに話されているように聞こえた。彼女は多くの言語を嗜むが、そのどれにも当てはまらないので、様々な言語で「この言葉で話せ!」と怒鳴った。
――彼女のために弁明しておけば、当時の彼女にとってエルフ族は未知の存在であること。また彼女とこのエルフ少年は現在ではよい友人である。と付け加えておく――
その様子に、またしてもあきれ返った老騎士はアビエニア語のこつを教えた。彼女は当地の貴族のご多分に漏れず多言語話者であったこともあり、その場で拙いながらもぎくしゃくとした会話が成り立った。
彼女はエルフ少年の話にまず感嘆し、次に胸の前で十字を切りながら、雲の狭間から彼方を指さす天使が現れる幻視を目にした。天使を神の啓示と捉えた彼女は、自らの新たな使命を自覚し――そしてちょっぴりの好奇心から――エルフ少年に故郷へ案内するよう「要請」した。
その土地は、ヤハウェの地からは遠く離れすぎていた。そこで彼女は老騎士もといドラゴンの背中に乗って、その土地を訪れたのだった。
映画「ドラゴンハート」に敬意をこめて。ショーンコネリーおじさまの声がすてき。今後、おじさまもとい老騎士の英語吹替はショーンコネリーでどうぞ。
タイトルや「アビエニア」はヘンリーダーガーおじさまの「非現実の王国で」から。ダーガーおじさまに敬意をこめて。ヴィヴィアンガールズに神の祝福あれ。