【第一部】予感はしてたと、彼女は言った
結城優陽との連絡が途絶えて、約半月が経過した。
と、大袈裟に表現すればあたかも大事のようだが、大学では普通に姿を見かけたし、弥々とデートしている場面も目撃した。
ただ、自分に連絡がない。それだけである。
明日から、世間はゴールデンウィークに突入する。
連絡さえつくならば、彼女とデートでも……いや、可能ならばプチ旅行くらい出かけてもいいんじゃないか、などと画策していたが現状では叶いそうもない。
そこで陽太は、ひとまずオンラインゲームにログインすることにした。
数日の間、一切インしていなかったのは優陽が気にかかってのことだったが、どう行動するのが正しいか判断が出来ない。
ここは、仲間に頼ってみるのも手ではないか。そう思ったのだ。
シャイン:こんにちはー
ギルドチャットに入力すると、いくつかの返事が返ってくる。
インしたら挨拶。これは基本中の基本。
天邪鬼サバエ:やあ、数日ぶりだね
少しして、ギルドマスター、天邪鬼サバエから個人チャットが送られてくる。
ちょうど、こちらから彼に連絡しようとしていたところだ。
シャイン:マスター。ちょっと相談したいんですけど、時間いいですか?
天邪鬼サバエ:おや、珍しく深刻な様子。いいよ、ちょうど暇していたところなんだ
シャイン:彼女と連絡がつかなくなっちゃいまして。旅行とか行けたらなーなんて思ってたんですが、これってどんな状態なんですかね?
天邪鬼サバエ:ふむ、漠然とし過ぎていて的確なアドバイスがすぐに思いつかないが……まず言えることがある
シャイン:な、なんでしょう?
天邪鬼サバエ:リア充爆発しろ
しまった。
オタクの世界では、色恋沙汰は空想の世界。嫁は二次元。現実に彼女なんてまるで異次元。
彼女持ちで幸せ絶好調なリア充は爆発の対象であり、嫉妬と憤怒の入り混じった祝砲で鬼畜クエにソロ凸強要なんてことも。
マスターの私情こそ知らぬものの、もしかしたら彼女のいない寂しい生活を送っているのかも……
舞い上がっている陽太はひっそり哀れんだ。
天邪鬼サバエ:まぁ、そこに関してはひとまず保留としておこう。それで? その恋人と連絡がつかなくて悩んでいると?
シャイン:はい。まだ付き合い始めて短いんですけど、初めてデートした日の夜から、RIMEに既読すらつかなくて困ってまして
天邪鬼サバエ:その彼女は本当に存在しているのかい? 2次元である可能性、妄想である可能性を本当に否定できるのかい?
シャイン:現実なんですよねぇ!
天邪鬼サバエ:ふむ……ともすればまぁ、考えられるのはそのデートで君がよからぬことをしたとか
シャイン:よからぬこと……
天邪鬼サバエ:付き合いたて。あまつさえ今まで彼女がいなかった健全な男だ、その欲望のままに襲いかかって……
シャイン:なんで初めての彼女って前提なんですかね! 正解ですけどね!!
天邪鬼サバエ:それで。なにか心当たりはないのかい?
シャイン:と、言われても……
デートの記憶を思い出しつつ、様子を天邪鬼サバエに説明していく。
陽太ことシャインが説明し終わるまで、彼は相槌のみに徹した。
カタカタと、孤独な部屋にタイピング音だけが響く。
天邪鬼サバエ:君はバカなのかね?
話し終え、開口一番のバカ呼ばわり。
天邪鬼サバエ:まず、その後輩女子との鉢合わせが問題なのではないだろうか
シャイン:いや、でもそれに関しては気にしないって言ってましたよ?
天邪鬼サバエ:付き合いたての彼氏に、誰が好き好んで言及するんだね。
天邪鬼サバエ:彼女は誰にだって優しく愛想よく、まるで女神のような女性なのだろう?
天邪鬼サバエ:ならば尚更さ。言葉の裏では、腸煮えくり返ってるに違いないね
シャイン:うっ……返す言葉もないです……
あの時は舞い上がっていたのと、少しでも優陽に釣り合おうとして配慮が足りていなかった。今更になって、自覚させられたように思う。
天邪鬼サバエ:だがしかし、私は真の理由はそこにないと見たね
シャイン:と、というと!!?
天邪鬼サバエ:君はその夜、夕飯にラーメンを選んだ、と言ったね?
シャイン:え、ええ……
もしかして、初デートの夕飯にラーメンをチョイスするのはまずかったのか? ラーメンは美味かったのに。
自室で頭を抱える。
天邪鬼サバエ:一説によると、女性は1人でラーメン屋に入りづらい。だがラーメンは美味しい。入りたい。でも行けない。
天邪鬼サバエ:葛藤はある。だが……
天邪鬼サバエ:初デートくらい、ちょっと背伸びしたっていいじゃないか……!
シャイン:お、仰る通り……っ!
ああ、まさに!
童貞、ゆえの失敗!
女性と出かける。しかも、惚れた女性と。
ただその一点への経験値が低すぎたのだ。配慮も提案も出来ず、ない頭と経験を絞り出したつもりだったが、そもそも!
インターネットを使えばよかったのではないかと。
今やどこでだってインターネットでお手軽に調べることができる。紗季に頼ることだってできる。
天邪鬼サバエ:やや取り乱してしまったね。だがしかし、私の考えもあながち間違ってはいないのではなかろうか
シャイン:デートプランが未熟でしたね……
天邪鬼サバエ:君の浅はかさが透けて見えたのが、彼女にとって期待はずれだったのかもしれないね
天邪鬼サバエ:しかし、いい勉強になったではなかろうか?
天邪鬼サバエ:連絡が取れないとはいえ、別れたわけでもないのだし、己を磨く時間が作れたと思うのが吉かと私は思うね
天邪鬼サバエは言う。
これもまた恋愛だと。
全てが最初からうまくいくはずがないのだと。
悩んで、転んで、傷ついて起き上がって。
学んで、活かして、成長するのだと。
その時に、手を差し伸べてくれるのが恋人で。
その時に、手を取りまた手を差し伸べるのが恋人としてのあり方なのではないかと。
ひとつのギルドを束ねるマスターらしい、威厳と風格に満ちた言葉だった。
そして彼は、最後にこう締めくくったのだ。
天邪鬼サバエ:ま、私も恋愛経験はないので全て妄想なのだけれど
シャイン:おい!?
なんだかちょっぴりセンチメンタルになりつつ、己を見返していた自分が恥ずかしい!
その後、いくつかのクエストを共にして、今日のところはログアウトすることにした。
結局、アドバイスになったのかなってないのか。ともかく、人に話すことで少しは整理できたようには思う。
しかし、だ。
こんなことなれば、なぜ事前にデートコースを下調べしなかったのか。
後悔。
「明日から、幸せ色のゴールデンウィークだったのに……幸せの色って金色なんだなぁ」
実はわりと、余裕なのかもしれない。
と、このタイミングで。
「ごめんくださーい」
チャイムが鳴った。
「この声……」
聞きたかった声。
いや、遠巻きには聞いてたけど。なんだかストーカーみたいだから内緒で。
「やー、なんだか久しぶりだね? 半月くらい?」
ゆるっと揺れ動く栗毛に、いつも通り温和な笑み。
優しくて、大学でも密かに人気があると噂の。
結城優陽は、突然、来訪する。
「結城さん……なんでここに? いや、てかなんで僕の家を?」
「ん? あー、それはあれだよ。佐々木さんに聞いたら教えてくれた」
僕の個人情報はどうなっている!!?
とツッコみたい気持ちはさておき。
「聞きたいことがあるって顔してるねー? うんうん、まぁ順番に説明するから待ちたまえよワトソンくん」
「誰がワトソンか」
立ち話もなんだし……と、優陽を招き入れる。
何気に、女性が自分の生活空間に足を踏み入れるのは初めての経験かもしれない
いや、正確には母と祖母と妹と、あと昔の幼馴染くらいは実家の自室に入ったことがあると思う。
なんだ、結構あるじゃない!
「端的に言うとだね。君、食生活ものすごく偏ってるんじゃないかな?」
部屋に上がりつつ、言うが早いか優陽は台所に向かう。
狭い部屋だ、目当てのものはあっという間に見つかってしまった。
冷蔵庫。
一応、そこに存在はしている。
だが、基本的に使用することはない。
なぜなら。
「……やっぱり」
「……えへへ」
「なんとなくそんな気がしたんだよねー」
食材を冷やすための箱に、中身はほぼなく。
マヨネーズやケチャップなどの最低限の調味料と、賞味期限が切れかけている卵。
あと、牛乳が1パック。
それ以上に、彼女が目ざとく見つけたものは――
「カップ麺の山……」
「知ってる? これ、安く買えて簡単に作れて早く出来上がるんだよ!」
「うん、知ってる。栄養バランスガタガタじゃんかー。夕飯にラーメンが選ばれた段階で、なんとなく気になったんだよね」
「見事な洞察力ですね!」
なるほど、この観察力があったからこそのワトソン呼び。
さしずめホームズ大先生は、この状況をどう打破してくれるのだろうか?
「ってなわけで!」
「はい!」
「ご飯、作るから食べよ。車に食材、積んできたんだ」
チャリ、と。
愛車の鍵を見せつつ、優陽は微笑んだ。