【第六部】きっかけは暗闇に紛れたんだと、彼は痛感した
狭い通路は、いくつかに分かれて続いていた。
【妖精の森】
【向日葵の丘】
【七色の湖】
等と書かれた看板が、道しるべとなり二人を誘う。
「どこから行こっか?」
「んー、じゃあとりあえず妖精の森からで」
順路はない。
気の向くままに歩き、目まぐるしく変化する景観を楽しむ。
そこで目にする、その時、その瞬間だけ存在する世界。
幻想的で、魅惑的な光のアート。
人が行き来できるだけの通路を通り抜けると、ぶわっと視界いっぱいに色とりどりの光が飛び込んで来た。
「うわぁ……」
隣の優陽も、思わず息を呑む。
黒い壁をキャンバスに、緑だけじゃなく赤やオレンジも交えた配色で表現される、たくさんの木々。
それらの間を縫うように飛ぶのが、おとぎ話に出てくるような妖精だった。
アオ。
ピンク。
オレンジ。
まるで妖精たちは意志があるかのように、森に足を踏み入れた2人の傍に寄ってくる。
「この子達、ほんとに人間に反応してるみたいだよ?」
「え、そうなの?」
「うん。ほら、他のお客さんのとこにも近寄ってる」
優陽の言う通り、偶然とは言えないほど正確に、妖精たちは人間に集まっている。
しかし手を伸ばし、触れようとすればするりと逃げ出す。本当に生きている錯覚を覚えるほど、自然。
まるでそこで生きているようなのに、これがただの光なのかと。
ものの数分で、魅了されていく。
さらに、道を進む。
壁一面を滝に模して、床があたかも渓流のように水が流れゆくフロア。
水に立つと、自分を避けるようにさらに下流へと流れて落ちる。
数多のガラス管に、無数の光の粒が散りばめられ、点滅させることで天候を表現したフロア。
壁や床が一面、鏡となっており見渡す限りに迫力のある光源が、規則的に不規則に繰り返し動く。
中央の広場では、クジラやイルカ、たくさんの魚などの水生生物から蝶やカエルといった陸の生物が、所狭しと生きている。
「うわっ」
不意に踏んでしまったカエルが、その場で霧散してなくなる。
精巧に、リアルに。
作り込まれた演出に、思わず目を丸くする。
「知らなかったとはいえ、ごめんよカエル……」
「えいっ!」
「ごめんよカエル……新たな犠牲が生まれたよ……」
「あはははは」
「こわいこわいこわい。ただ笑うだけが一番怖い。なにか言って、せめて」
わざとカエルを踏みつけ、時には逃げるそれを追いかけて踏む。
自分の恋人ながら、荒ぶった奇行に引き気味に反応する。
だがどうやら、潰れる生物には種類があるらしい。
流石に、クジラみたいに大型の生物はびくともしなかった。
あっという間に、2時間ほどの時間が経過した。
行ったことがない道だと思って進んで、同じ場所に出たり。
もう一度訪れようとして、まだ行ってない場所に出たり。
ころころと表情を変える施設内では、方向感覚も脳内地図も全く機能する様子がなく。
いくら散策しても、きっと踏破した自信は持てないだろう。
ほら、また。見たことのない道だ。
けれど。
歩き疲れた2人はおあつらえ向き。
施設内部で営業されている、カフェへの入り口らしい。店先に置かれたメニューボードを見る限り、軽食もあるようだ。
「入ってみない? ちょっと疲れちゃった」
「いいね、僕も喉が乾いたとこだし」
優陽の提案に是非もない。
早速入ってみたカフェ内部もまた、同様に光のアートが散りばめられて動いている。
真っ黒で無機質な机にも、色とりどりの華が咲くことで飾り気がないのに暇することがない。
「見て、四ツ谷くん。コップに花が咲いてる」
「水面にも映り込むんだ……すごいな」
幻想的に揺らめくそれは、水面に咲く睡蓮のようで。
手のひらに持てる、小さな湖。リアルタイムに姿を変える絵画とでも呼ぼうか。見ていて飽きが来ない。
「なんだか、浸っちゃうね。まさか四ツ谷くんとこうやって、2人きりで出かけることがあるなんて思わなかったな」
「高校の時なんて、ほとんど話す機会もなかったしなぁ」
「ほんとにね。なのになんで、私なの?」
「それは……」
言いよどむ。
彼女の指摘どおり、高校時代の2人にはろくに接点がなかった。
クラスも3年間別々だったし、部活動も違う。生徒会や委員会活動には陽太が積極的ではなかったし、ともすれば人気者の優陽と個人的に接点なんて生まれようがなかった。
「一目惚れ、かな」
「えー。私に? そんな好かれるようなとこあったかな」
「あるよ! まず見た目も可愛いし。明るくて人当たりがいいじゃない?」
「んーー、そうかなぁ。あんまり意識してないや」
あはは、と可愛らしく笑う優陽。
「でも、ありがと。私のこと、見ててくれたんだ?」
「そりゃあ、まぁ。なんてったって一目惚れなんだし?」
「だったらもっと早く話しかけてくれたらよかったのにー。そしたらもっと四ツ谷くんのこと、知れたと思うんだよ私」
「君がこっちの世界の住人だったらやぶさかではなかった」
「こっちの世界?」
「や、こっちの話」
アニメ、マンガ、ゲーム。
2次元と呼ばれる世界は、未だに世間との溝が深い。
一般向けのアニメやアニメ映画、マンガなどの作品は年々増加しているし受け入れられてもいる。
反面、なにか事件が起きれば、いわゆるオタク趣味の有無が必ずと言っていいほどメディアに取り上げられて言及される。
やれ刃物や重火器に影響されただ。
やれグロテスクなシーンに感化されただ。
現実との境界線が曖昧になって、悪影響を与えている?
正しい判断力を失っている?
笑わせる。
むしろ、境界線がはっきり分かっているからこそ、2次元を選ぶのだ。
現実ではありえない空想を、起こりえない妄想を具現化するひとつの世界を求めるのだ。
リアルを求めるなら、創作物は全て現実のものではない。破棄してしまえ。
フィクションを淘汰するなら、テレビはニュースだけやればいい。ドラマもバラエティも、人が手を加えた産物でしかないのだから。
閑話休題。
つまるところ、フィクションとノンフィクションの確執は未だに強く、減りつつある偏見もメディアがまた昔のように矯正してしまう。
そんな世界に、優陽のような子は似合わない。彼女の性格だ、偏見なんか持ち合わせていないだろうが、深く関わったことのない世界であることも事実であろう。
「どしたの? なんか怖い顔してるよ、四ツ谷くん。暗いからホラーみたい。顔がホラー」
「顔がホラー。ちょっと現実の理不尽さを考察していたところさ……」
「なにそれー、変なの。まぁでも、そんな接点のなかった私に好意を寄せてくれて、しかもこうして今ここにいるのって凄いことだよね」
「だねぇ」
もっとも、大学を選んだ理由は……以下略。
薄い可能性に賭けて追いかけてきて、まさか本当に付き合えることになるなんて。もっとも驚いているのは、陽太自身である。
「そろそろ行こっか」
「あ、もうこんな時間か……」
スマホで時間を確認する。
暗闇に慣れた目に、スマホのライトはちょっと明るすぎた。
「ご飯、どうする?」
歩きながら、優陽の質問に、
「せっかくだし、迷惑じゃなければ行こう。美味しいラーメン屋を知ってるんだ」
提案。
「ラーメン……四ツ谷くんらしい、気がする」
初デートで、ラーメンを提案。
いや、美味しいんだろうけど。女の子1人じゃなかなか行きづらいし、前向きに捉えたらいい気遣いかもしれないけど。
なんだかなぁ、とこっそり優陽は笑った。
おかしな人だ、と。
「高校からかな、めっちゃラーメン好きになってきて」
「もし、その時にちゃんとお話する仲だったら、誘ってくれてた?」
「ん……んー、どうだろ……チキンだったし……」
「自分で言っちゃうんだ……」
特に、恋愛なんて。
失敗したくないし。
特に、心から惚れた女性だったから。
足踏みだってしてしまう。
自分とは生きる世界が違うからって。
共通の話題だってないし。
容姿だって、並び立つにはあまりにも不足していたし。
そんな言い訳を並べるだけ並べて。
己を奮い立たせるための、努力なんて何もせず。
ただ、逃げていた。
臆病と言わずに、なんと言えばいいのか。
「やっぱり、無理だったと思う」
「ん? なんか言ったー?」
「なんでもー」
一目惚れ、なんて優陽に説明したけど。
実際は違ってて。
もっと大きな、少なくとも陽太にとって気持ちを大きく揺るがすほど大きなきっかけ。
今でも、強く心に残っている。きっとこの先、何があっても残り続けてる。
でも。
彼女はそれを、覚えてもいないようだから。
当時、臆病で話しかけられなくてよかったと、今になって痛感した。
そして、夕飯を終え、帰宅したこの日の夜以降――――
――――彼女との連絡の一切が、途絶えた。