【第四部】女の勘だと、彼女は言った
――――エマージェンシー! エマージェンシー!
システムオールレッド! 緊急事態です!
未知の脅威との遭遇! これより本艦は緊急停止機能を発動し、生存を悟られぬため高度な死んだフリを結構します――――
視界が真っ暗になった。賞金を奪われた! レインボー橋、封鎖できません……っ!
脳内をあらゆるアラートが埋め尽くし、ビービーとやかましく警報が叫ぶ。
直面した緊急事態に、あらゆる対処法を模索しては見つからない。
冷静さを失い、言葉を詰まらせる。一気に血の気が引くのを感じ、額に冷や汗が浮かび始めた。
正直なところ、現状を客観的に見ることが出来ていなかった。
佐々木紗季は後輩である。
まごうことなき事実は陽谷とって不変であり、コーディネートを依頼したのは彼女が適任だと考えた結果であり、デートのつもりではない……言葉は照れ隠しでなく、事実を述べたつもりであった。
が。
「陽太。貴方、もう浮気しているのかしら? いけない子ね」
八神弥々の言及に、突きつけられた現実。
強烈すぎる「浮気」の二文字。
下手な否定は逆効果、しかし沈黙は肯定!
八方塞がり、万事休す。万策尽きたとはこのことか――っ!
全てを諦め、命を投げ捨てる覚悟を決めたところで、左隣から、
「デートじゃないですよー。わたし、陽先輩の後輩です。先輩に泣きつかれたんです、おしゃれな服のひとつも持ってないからコーディネートしてくれーって」
大方の状況を察した紗季が手を差し伸べる。
「貴女は?」
「佐々木紗季です。えっと、浮気がどうって……もしかしてですけど、どちらか、先輩の彼女さんだったりします?」
「あ、それは私! 結城優陽っていいます。よろしくね、佐々木さん」
普段どおり、朗らかな表情で優陽が答える。
「四ツ谷くんも、そんな怖がらないでよー。私、別に怒ってないよ?」
「え、そうなの?」
「うん。理由があってのことだし、佐々木さんも可愛いし! なんならこのまま4人で遊ぶ?」
「4人……」
二人きりでデート。
意気込んでいただけに、この提案はむしろ受け入れがたいものがある。
彼女は言葉通り、特に怒っている様子はないが少し負い目を感じる。ゆえに、あまり強く拒否することが出来ない自分がいた。
「私は遠慮しておくわ。元々、昼食を取り終わったら解散する予定だったのだし」
冷めた声がピシャリとシャットダウン。
よく見ると、弥々の手元の料理はすでに片付いていた。いつの間に。
「そう? んー、じゃあ3人でってのも複雑だよねぇ。4人ならダブルデートみたいだったけど、3人だとただの修羅場みたいになっちゃう」
「ごめんなさい~。せっかくのお誘いなんですけど! わたしも、ちょっとお昼からは予定があるんですよぉ……」
しゅんと肩を落として、紗季もノー。
あざとい仕草も、今だけはむしろグッド。
いや、本心ではいつもベリーグッド。
「あや、残念。だったら四ツ谷くん、予定通りまたあとで集合ってことでいいのかな? 再集合ってのもなんだかおかしい気もするけど」
「虫のいい話かもしれないけど、そうしてもらえたら助かる。まだ服、買えてないから」
「あはは、そんな気にしなくてもいいのにー。おしゃれとは言えないかもだけど、シンプルでいいと思うよ?」
でもわかった、陽太くんがそうしたいなら、と。
納得した優陽は最後の一口を美味しそうに頬張り、ゆっくりと咀嚼して飲み込むと伝票を手に立ち上がった。
「先輩、先輩。呆けてないで、わたしたちも注文しましょうよ?」
「それもそうだな。じゃあ僕は、このサイコロステーキセットBで」
「わたしは煮込みハンバーーーーグ! 結城先輩が食べてるの見て、美味しそうだなって思ってたんですよぉ」
通りがかったウェイターを呼び止め、注文を伝える。
「じゃあ私たちは一足先に行くね」
どこか不機嫌そうなままの弥々を引き連れ、優陽が退散した。
「なんだか緊張しましたねー、陽先輩」
後ろ姿を見送ったあと、紗季はほっと胸をなでおろしていた。
緊張なんて言葉から程遠い存在のように捉えていたが、存外、外に出さないように気を遣っているのかもしれない。
だとしたら、少し申し訳ないことをしてしまった。
昨夜の会話から、優陽と弥々も近場に出かけていて出くわす可能性があるのは想定できていたはず。
確率は低い。が、往々にして不都合なことに限って当たってしまうもので。
今回も似たようなものだ。思慮不足だったことを反省する。
「傍から見たらもしかして、僕たちってデート中に見えるのかな……」
「先輩って、案外アホですよね。だからデートって言ったじゃないですか! なんなら、わたしに乗り換えてもいいんですよ?」
「なんか似たようなこと、八神さんも言ってたなぁ」
「八神さん? え、先輩、すでに二股してます? それは流石のわたしでも引きます……」
「冤罪はやめろ! しかしあの人、名乗ってなかったっけ……ほら、結城さんと一緒にいた、やたら氷河期な女性だよ」
「あー、すっごく綺麗な人でしたね! あんなにきれいな髪なら、わたしも伸ばして黒髪で大和撫子やってみたのになー」
悔しそうな表情で、自分の髪をくるくると指に巻いていじる。
陽太に違いはわからないが、おそらくちょっとしたくせっ毛だったり伸ばしたら手入れがより難しかったり、女性ならではの悩みがあるのだろう。
「先輩は髪の毛、長いのと短いの、どっちが好きですか?」
「単純に好みだけなら、長いほうかなぁ。迷惑がられるかもしれないけど、抱きしめて手ぐしで梳いてみたい」
「わー、そんな童貞っぽい性癖まで晒さなくてもよかったのに。悪寒が走りますー」
「え、そこまで言う? トイレ行くフリしてひっそり泣くよ?」
惚れた女性の髪。
それは普段は触れられない、神秘の領域。
イケメンにありがちな表現、頭ポンポンはイケメンがイケメンゆえに許される。否、イケメンですら嫌がる女性もいるというのに、平均以下の男がそれをした場合――
――ギルティ。
被害者からその友人へ。また友人の友人へ。
またたく間に拡散される様子はまるで大型SNSのツイッチャーの如く。
学生なら、クラスに居場所がなくなり、社会人ならパワハラで立場を失う。
どう転んでも地獄。得られたのは、一瞬だけ叶えられた、男の夢。ほんのひとかけら、のみ。
でも夢じゃん!
欲望に忠実に生きたいじゃん!
誰にでもは出来ない、長年我慢した欲求を、彼女にくらい求めたっていいじゃない!
全男性を代表して、陽太は叫ぶ。
あ、涙が出てきた。
「じゃあじゃあ、わたしが伸ばしたら抱きしめてくれますか?」
「だが断る」
「えー。ケチ」
唇を尖らせて、ジトッと睨んでくる。
ちょっと可愛いって思っちゃうからやめて! 夢、叶えちゃいたいって思っちゃうから!
どうにか欲望を抑えていると、タイミングよく料理が運ばれてくる。
「わぁ……すっごい美味しそう! 熱々の鉄板の上で、溢れんばかりの肉汁が香ばしい薫りをふんだんに振りまいて。ジューシーで肉厚なハンバーーーーグは、まるで旨味の海で優雅に漂っているようで。濃厚なデミグラスソースを絡めて舌に運んで、咀嚼した瞬間に溢れ出す圧縮された味の爆弾は、きっとわたしの感動を爆発させてくれるんですね!」
「いやいやいや、食べる前からなっが! ハードル爆上げにも程度があるぞ!?」
「サイコロステーキも美味しそうですね」
「温度差な!? ハンバーグ好きすぎか!」
「言うまでもなく大好きですとも! あ、でもだからって、ハンバーーーーグに嫉妬しないでくださいね? ちゃんと先輩のほうが……ここから先は秘密です」
「いいから食べようや、もう。あとハンバーグ伸ばすこだわりが強すぎな」
踊りだすかのようなテンションで、瞳をきらめかせる紗季はちっちゃな子を見ているかのようで。
ただ、ちょっといいなぁとは思う。
食べ物を美味しそうに、たくさん食べる女の子は無条件で可愛い。
カロリーがどうとか、ダイエットだとかで、シャリだけ残して寿司ネタだけ食べる女は理解に苦しむ。いや、わからなくもないが、歩み寄りたくはない価値観の相違だ。
幸せそうに食べ始めた紗季を、まるで親のような気持ちで見守る男がそこにいた。
***
時刻は14時。
優陽とのデートまで、もう少しだけ時間が余っていた。
無事に服を買い終え、着替えまで済ませて準備は万全!
あわや浮気騒動に発展しそうで全然そんなことはなかった昼食から一転、浮き立った様子の陽太と、どこか面白くなさそうな紗季はスババでコーヒーを嗜んでいた。
「ねぇ、陽先輩」
なんとなく言いづらそうな様子で、紗季が口を開く。
「ん?」
残り少ないコーヒーに突き刺されたストローで遊んでいた陽太は、それを置いて生返事。完全に浮かれてますね。
「彼女さんとデートなら、最初にそう言ってくれたらよかったじゃないですか。高校時代だってずっと彼女出来なかったのに、いつの間に出来たんです?」
「昨日だねぇ」
「そうでしたか……あーあ、ならもう先輩と遊ぶのも出来ないのかぁ」
店の外、大通りを行き来する人の流れを、遠い目で見つめる紗季。
その姿に溌剌とした天真爛漫さは喪失しており、どこか鬱々とした空気を纏っていた。
「どうかなー。結城さん、あんまり気にしそうになかったけど」
「ダメですよ、先輩。ちゃんと聞きもせず、決めつけてちゃ。いつか離れていっちゃいます。表面上は平気な顔してて、本当は嫌ってパターンだってあるんですからね」
「難しいなー。ま、おいおい聞いてみるよ」
「……なんでそんな適当なんですかねー。それに、そんなことされてたらわたしにだってまだ、可能性あるって思っちゃうじゃないですか……」
「ん、何が?」
「いいえ、なんでも! 浮かれポンチやってないで、さっさと気を引き締め直してください!」
ずっと好きだった人との初デート。
準備もバッチリで、あとは時間を待つだけ。陽太が過去最高に浮ついている様子は、ありありと紗季の目に映っていた。
「あ、ああ、ごめん。もうそろそろ、集合場所に移動した方がいい時間になってきたし、解散にしようか」
「あっ、もうそんな時間ですか」
「今日はありがとね、紗季。散々付き合ってもらって、ろくなお礼も出来ていない。また今度、なにかお礼するよ」
「またそうやって……はぁ。期待して! 待ってますね!!」
春らしく爽やかで、陽太らしくシンプルで。
そして思った以上に安く済ませてくれた紗季に、感謝しかない。
胸の辺りで、最初に購入したリーフのアクセサリーがきらめいた。
「じゃあわたし、自分の買い物して帰るんで。ここは先輩の奢りでおねがいしまーす!」
「はいはい。元よりそのつもりだって」
「あ、そうだ陽先輩」
席を立ち、思い立ったように立ち止まって紗季。
「もしかしたら今後、いろいろと荒れるかもしれません。結城先輩と、八神先輩。2人と、陽先輩と」
「は? よくわからないけど、一体どういう……」
「女の勘です! とりあえず、忘れないでください」
意味深な言葉と共に振り向き、とびきりかわいい笑顔をみせて。
「わたしは、陽先輩の味方であり続けますからね!」
ニシシと笑い、陽太の返答を待たず退店していく後輩。
跳ねるように去っていく後ろ姿が、なぜだか言動とミスマッチなように感じた。




