【第三部】それはデートだと、誰かが言った
午前10時。
四ツ谷陽太はやや後悔していた。
普段ならば夢の世界に居座っている時間から、渋々行動を開始してから約2時間が経過した。
駅前広場の賑わいは休日ゆえに、より一層彩りを増している。
待ち合わせの最中らしいカップルの片割れや、その場で似顔絵を書いて商売とする青年。
休日でも忙しなく歩くサラリーマンには、心中お察しして同情する。
いつか、自分も社会の荒波に飲まれ、あのようにあくせく働く時が来るのだろうか。
考えるだけで気分が陰鬱になる。
学生最高!
親の庇護下、教師の保護下にいて、適度に愛想を振りまけばいいだけの立ち回り!
もっとも、大学生になった今、一人暮らししてアルバイトで小遣いを稼ぎ自分で授業を管理してと、大人になるための階段もいよいよ大詰めの様相を呈している。
果たして、階段を登りきった先にあるのは絞首のロープか、未来への扉か。
閑話休題。
正直に言ってしまうと、この環境は苦手だ。
人が溢れかえり、ただ歩くことすら制限される。移動はまさしく人波に流されて、余計な気疲れを引き起こす。
ああ、帰って惰眠を貪りたい……
思わず漏れる、陰キャの本音を誰が責められようか。
「よし、帰ろう」
欲望に忠実に、怠惰に傲慢に希望に誠実にあろう!
優陽とのデートまで、家で寝よう!
一度しかない人生、愉快で楽しく自分に正直に快活に。
やらぬ後悔よりやる後悔だと、座右の銘に従おう。
踵を返す陽太の眼前に、しかし。
「あー! あー! ちょっと先輩、なに帰ろうとしてんですかぁー!」
と。
やたら元気で太陽もドン引きな陽気さで、少女は現れた。
「いや? ちょっとあれだよ、トイレだよトイレ」
「なんだ、トイレなら仕方ない……って、騙されませんよ! それで今まで何度も逃げられてきたんですから!!」
あざとげな仕草に、朗らかな表情。
セミロングの明るい茶髪をふわりとひとつ、風に乗せてウインク☆
アイドル的な容姿とあざとさ……もとい可愛らしい行動を持ち合わせる。
高校時代からの後輩で今でも付き合いのある絶滅危惧種――――佐々木紗季は、わざとらしく頬を膨らませて上目遣いに陽太を責める。
「ってか! 今回は陽先輩が呼び出したんですからね!?」
白のトップスに、デニム生地のスカートは膝丈ほどで扇状に広がっている。
春が終わり夏に切り替わる狭間、爽やかでかつ女性的な柔らかさを伴った印象を受ける。
「冷静に考えたら、こんなに人が多い中で活動するもんじゃないなって。僕は体力を無駄にしない主義なんだ。家で睡眠に時間を割く方が、余程ためになるだろう?」
「やっぱり帰るつもりだった! わたしは愛しの先輩からデートに誘われて、ウキウキ気分でおしゃれしてきたのに!」
「や、まずデートってつもりではないし」
「つれないですねぇ。まぁいいんですけど!」
くるりと回ってスカートが踊る。
見え……ないのが少し残念だった。
「見ようとしました?」
「なんのことだかわからないね」
「パンツです」
「……君のような勘のいいガキは嫌いだよ」
恥じらいという感情が欠如してるのか、この娘は。
わざと男をからかう小悪魔は、いたずらが成功した子供のような笑顔をみせている。
紗季後輩が「それで」と前置き。
「今日はどんな用事で呼び出されたんです? 愛の逃避行なら受け付けてますけど、親に挨拶しておきたかったなぁ」
「きっちり挨拶して実行する逃避行ってなんだよ。ほら、僕って私服がちょっとセンスないじゃん?」
「ええ、ないですね。10人の女性中9人はないと答え、1人は中指を立てるレベルです」
「いや最後の1人は自重しろ!!?」
ファッションセンスが皆無である事実は認めているが、そこまでか……
本気で落ち込む陽太を励ますように。
「わたしにコーディネートしてほしいって話ですね? 任せてください! 素材はそこそこいいので、腕が鳴りますよ!」
「紗季……」
ええ子やなぁ。ちょっとテンションがうざ……うざいけど。
日陰者の自分に分け隔てなく接してくれる彼女の存在が、本当はありがたいことだと理解している。距離が近くて、お互いに遠慮なくフラットにあけすけに、これだけ気楽に過ごせるのは男友達のそれに近い空気がある。
「先輩だと、下手におしゃれなお店に行っても本体が負けると思うんですよ。なんで、適当な地下街に入ってるお店がベターかと」
「さりげなくディスってない? ねぇ?」
先輩の苦言はどこ吹く風。
後輩は地下街への入り口にサクサクと歩みを進める。
階段を降りるにつれて、外とは違う空気を肌で感じられ始めた。
真上で往来の真下では、閉鎖された空間ゆえの圧迫感と解放感が入り乱れている。
不可思議。
一種の檻の中だというのに、むしろ地上よりも自由に羽ばたけるのではとすら錯覚する。
ほら、なんだか浮遊感が――
「ちょっ! 先輩、危ない!」
どうやら階段から足を踏み外したらしい。
異変に気がついた紗季が、咄嗟に体を差し込んで落下を防止してくれる。
「うおお、ごめんごめん。つい」
「つい、ってなんの気の迷いですか。またアホな妄想でもしてたんです?」
「さっきから地味に当たり強くない?」
でも不可抗力の接触は柔らかかった。あと、とてもいい匂いだった。
「どこに入りますかねー」
きょろきょろと目移りさせ、立ち並ぶ店を吟味していく紗季。
陽太にとってはどこも自分より数段おしゃれ指数が高いのだが、これで本当に適当なお店と呼べるのだろうか。
服なんて、安くて着られればなんだっていい。
奇抜でなく無難で、機能性に長けていて長持ちする。
結論、UN○QLO最強。
「陽先輩って、どんな服が好みなんです? あといつも買ってるお店とか」
「シンプルで着心地がいい。それでいて、たまにアニメやゲームとコラボしたTシャツなんかを販売してくれれば、部屋着にぴったり! 僕的にポイントが高いね」
「それどこのUNIQL○です? 先輩らしいっちゃ先輩らしいですけど……あ、でもわたし的には、もっとワンポイント増やしてもいいと思うんですよ! もっと腕にシルバー巻くとかさ」
「シルバーアクセは絶対に似合わない……」
そこまで言って、逡巡。
これまでは着飾る必要がなかったから、シンプルだったとも解釈できる。
だが今はどうだ?
曲がりなりにも、恋人が出来た今なら?
恋は決闘。
惚れた惚れられたで、先手後手の有利不利が語られるくらい、恋愛とは戦いだとどこかの誰かがかく語りき。
ならばここらで、アクセサリーのひとつでも身に着けていいのでは?
いつもと違う自分をアピールすることで、違った魅力を見いだせるのでは?
そうと決まれば、さぁ、決闘開始だ!
俺はナウでヤングなスカルリングを装備し、準備完了!
「買ってみるか」
「え、本気で言ってます?」
「え、ダメなの?」
「いえいえ、そんなことはないんですけどねー。ってか先輩、顔はそんなに悪くないんですよ。もっと髪型や服装に気を使えば、アクセサリーのひとつやふたつはむしろ似合うかと」
着けすぎは魅力半減ですけどねー、と付け足しつつ、紗季は目についたアクセサリー専門店に足を踏み入れる。
「ほら、こういうのとか似合いますよ!」
手に取ったのは、民族風の革紐にリーフの造形をした装飾が通されたネックレス。
ジャラジャラと派手でカッコいいものと違って、やや落ち着いた雰囲気が好みに近い。
「これなら着けるのにも抵抗はあんまりないなぁ」
「ま、服装がまずダメなんでちょっとミスマッチなんですけどね」
「そこはほら、今からコーデしてもらうからってことで」
即断即決。
思い切りのよさを前面に押し出して、選ばれたネックレスを即購入した。
「迷わないですねぇ。高価! ってほどじゃないにせよ、たくさんあるんですからもっと他にも見てからでも遅くないのに」
「いいんだよ。こういうのはフィーリングが大事だと思うんだ。ひと目見てこれだと感じたらそれはもう運命だよ」
「わからないでもないですけど……じゃ、それに似合う服を選びましょう! 先輩、こっちこっち!」
サッと手を引き、先導する紗季にされる陽太。
うーん、立場が逆だ……
なんてことを考えていた。
やがて、2時間ほどが経過した。
陽太的にオッケー! な商品は何度か見つかったが「や、もっといいのがあります。必ずあります」と謎の自信に満ち溢れる紗季の暴走……もといエスコートで、店舗をはしごすること数件。
結局、服はまだ決まっていない。
この2時間でひしひしと、はっきりと、しっかりと学んだのが「女性の買い物が長い理由」だった。
人それぞれと言えばそれまで。だがきっとそこには「もっといいもの、安いものがある」という考えが基づいており、後悔しないための行動なのだろう。
優陽との待ち合わせまではまだ余裕があるものの、ちょうど昼食時。
お腹が騒ぎ出す時間帯。
「ご飯にしようか」
「あ、もうこんな時間ですかー。そうですね、一度切り上げて昼食にしましょう時間を置いて見たほうが視野が広がってむしろいい方向に進むかもしれませんし昼食は奢りですね?」
「早口でしれっと奢らせようとしてくる後輩、怖い……」
「なんだー、ちゃんと聞き取れちゃったんですね」
「そりゃ聞き取れるでしょ! いや奢るけどね!?」
付き合ってもらってるのに、昼食代のひとつも負担しないではバチが当たるってものだ。
幸いなことに、使う当てのないバイト代は裕福でないものの余裕がある。
「やった! どこ行きますかねー、地下街のお店ってわたしあんまり知らなくて。なにかしら高いの奢ってください!」
「一瞬たりとも遠慮しないの、図太いというかなんというか……」
「変に遠慮される方がむしろ困るでしょ?」
「ま、そのとおりかな。無遠慮がいい方向に働いてるの、君の長所だと僕は評価してるよ」
「それって褒められてます? ――あ、そことかいいじゃないですか! 美味しそうだし程よく高そう」
紗季が指さしたのは鉄板焼きのお店。
なるほど、ものによっては数千円に届くものから、安目を選択すれば手頃に食べられるチョイスだ。
「じゃ、ここにしようか」
「けってーい!」
歩き回ってお腹が空いた。
扉を開けた途端に、鉄板の上で肉の焼ける音が香ばしく、鼻腔をつくガーリックの刺激的な香りが食欲を刺激する。
「っらっしゃいませぇ! 何名様ですか?」
「2人です」
さ、肉を食うぞ!
この際だ、高い肉でもいいぞ、奢ってやるぞ!
意気込んで、案内されたカウンター席に腰掛け――――
「――――あ、四ツ谷くん」
「――――え?」
隣に座る、女性二人の見知った顔に、止まる時。
「結城さん……?」
結城優陽――陽太の恋人その人と。
八神弥々――陽太の恋人の恋人と。
「奇遇だねぇ。どうしたの、女の子と一緒に?」
修羅場が――始まりそうな、予感が走った。