【第三部】わたしでよければ話してくださいと、後輩は言った
夕飯の片付けは、陽太が買って出た。
料理はほぼ任せっきりだったのに、家主がなにもしないでは申し訳ない。いいよと断られたが、土下座して頼み込むことで許可を頂いた。
「じゃあ、そろそろ帰るね」
食後のコーヒータイムを切り上げ、優陽が腰を上げる。
「え、もう帰るの?」
つい、もう少し一緒にという気持ちが声に出る。
なんならお泊りしてもいいのよ? なんて考えも、なかったわけではない。恋人同士だし、別段変な話でもなくあり得る話だろうと。
想定していた。
が、恋人らしいちょっぴり淡い空気を知ってか知らずか、優陽はややドライに言う。
「うん、もう遅いし。ほら、それに明日からゴールデンウィークでしょ? 四ツ谷くんも予定とかあるんじゃないかなって」
「いや、特にはないけど……」
恋人と過ごす! 出かける! お家デートもいいよ!
これ以上に望むことなんて、今の陽太にはない。
それも事実だけど、でも欲を言えば――
「せっかくの大型連休なんだし、恋人らしいこともしたいなー、なんて……」
言葉にするのが照れくさく、つい歯切れが悪くなる非モテ……もとい陽太。
「恋人らしいことって、どんな?」
「そりゃあどこか出かけたり、家でまったりDVDでも観たり……プチ旅行に出かけるのもありかなー、なんて」
「んー、前日になって旅行はちょっと無理があるんじゃないかなぁ。宿泊施設だって、どこも満室だよ」
「た、確かに……」
もっと早めに行動しておくべきだった。
後悔する。ただ言い訳するのであれば、優陽が音信不通になるからなにも話せなかったんだよ! と。
仮にこまめに連絡を取り合えてたとて、話題を提示出来たかは甚だ疑問であるが。
「結城さんは? やっぱり、八神さんとの予定で埋まってたりするの?」
それは、意図的に意識しないように避けてきた事実。
八神弥々。
陽太よりも前に、優陽の恋人として傍らにいる女性。
異性ではなく、同性の恋人。正直なところ、想像がつかない世界ゆえに、思考の片隅に追いやっていたのもまた事実。
「んー、まぁそれもなくはない、かな」
まるで恋人のように仲の良い友人。
そういう立ち位置ではないかと、勝手に想像していた。
だけど、反応を見てると。
あぁ、自分は入り込む余地がないのだなって。
止まらなくなる。
「結城さんにとって、僕はなんなの?」
今までの、ちょっとおどけた口調の彼とは一転。
ピリッと肌が焦げ付くような空気に、さしもの優陽も目を丸くする。
「僕たち、恋人でいいんだよね? なのになんでそんな、まるで僕には興味がないみたいな……2人で予定立てようとしてくれたって、いいじゃないか」
「…………」
思い返せば、優陽は自分になにをしてくれた?
確かに、告白したのは自分だ。
惚れたのは自分だ。
けれど、曲がりなりにもオーケーの返事をくれた。受け入れてくれたんじゃないか?
止まらない。
感情が。
感情の濁流が。
決壊した防波堤では、止められない。
「そんな、普通の恋人じゃないのに八神さんばっかり優先するみたいな――――っ」
言って、すぐに冷静さを取り戻しても。
遅い。
「普通じゃない……」
「や、違うんだ。今のはちょっと勢い余って……」
「本音じゃない、って? うん、大丈夫だよ四ツ谷くん」
必死に取り繕おうとする陽太に、ただ一言。
「みんな、そう言うからね」
ばっさり言い残して、優陽はその場をあとにした。
いつもの変わらない、ふわりと優しい雰囲気、笑顔。そのままに。
***
己を愚か者と攻め続けている内に、ゴールデンウィークは半分が経過していた。
今年は異例の10連休。実に5日間を、一歩も部屋から出ずに過ごしたことになる。
買い置きしていたカップラーメンも、残り僅かとなっていた。
とてもじゃないが、連休中を食いつなぐことは出来ない。
あの日、翌日も食べられるようにと少し多めに作ってくれた肉じゃがは、鍋に残ったまま。
買い揃えてくれた食材は乱雑に冷凍庫に放り込み、調味料は机の上に散乱している。
優陽は笑顔だった。
悲しそうでもなく、怒ってもなく。ただ、笑顔。
感情のままにぶつけてしまった言葉に、後悔しかない。
何度も床に額を打ち付けて、ただただ己を罰した。下の階の住人に叱られた。
「あー、なにやってんだ僕は……」
陽太が恋い焦がれが彼女は、異性も同性も愛せる。
攻め立てる陽太にも笑いかけて、まるで慈悲深い女神のような振る舞い。
きっと、許されているのだ。
言われ慣れているから、大丈夫だから、と。赦免された。
むしろそれが、罪悪感を増幅させる。
スマホには、いくつかの通知が届いている。
佐々木紗季からのLIME、企業からの広告メッセージ、親からの留守電。どれも無視して、返事はしていない。
「死にてぇ……」
無気力なボヤキと同時に。
バァン! と。
部屋の扉が開いた。
「よ、う、せ、ん、ぱ、い!! なんでLIMEの返事くれないんですかー!?」
騒々しい声と同時に、お騒がせ娘が登場!
陰鬱な空気全てをカラッと吹き飛ばすかのような、快活で明朗な少女の声に、
「やかましい」
勢いよく近づいてきた顔面をわしづかみ。
「ぎゃー!! ちょっと先輩!! 乙女の顔になにしてくださってるんですかぁ!?」
「不法侵入者を撃退してるだけだ。僕に非はない」
バタバタと翼でも羽ばたかせてるかのように、必死の抵抗を見せる侵入者を諌める。
「あー、苦しかった。酷いじゃないですかぁ。せっかく可愛い後輩が、音信不通の先輩を心配してわざわざ来訪したというのに」
「てかなんで僕の家をお前が知ってるんだよ。結城さんにも勝手に教えてたろ? しかも鍵閉めてたのにどうやって入り込みやがった。虫か」
「誰が虫ですか! ここを知ってたのはほら、先輩が帰る時に姿を見かけたので、こっそり同じルートを通ってみたんですよ」
「世間はそれをストーカーと呼ぶんだ。おとなしく自首してこい」
「やだなー、愛情じゃないですか」
「返品で」
「クーリングオフないです」
「たちの悪い押し売りだ……」
はぁ、とため息ひとつ。
「で、なんの用だよ?」
「さっき言ったとおりですよぉ。先輩、LIME見てくれてないでしょ? ちょくちょく連絡したのに、全然既読もつかないし……」
促されて、LIMEを開くと実に数十件の未読メッセージとなっていた。
通知音で把握してはいたものの、ここまでか。
「もしかしてですけど、結城先輩となにかありました?」
おそるおそる。紗季の言葉はただの好奇心でなく傷つけまいと、それでいて相談に乗りたいといった口調だった。
ちら、と上目遣いに。質問に動揺している陽太の顔を覗き見る。あざと可愛い。
「なんでそれを……」
「やー。内緒とも言われなかったのでこの際だから言ってしまいますが、結城先輩に頼み込まれたんですよ。陽先輩がきっとろくな食生活してないから、なにかちゃんと食事を採らせてあげたいって」
「結城さんが、紗季に?」
「作りに来てくれたんでしょ? 5日前、わたしとLIMEしてた時はさしずめすることがなくて待機してるんだと見ました」
「あの肉じゃがは、お前が……」
「はい。わたしでよければ、話してください。今の陽先輩、いつもの数倍は酷い顔してます」
数分前のおふざけムードは一転。
珍しく真面目な表情で、佐々木紗季は陽太と対面するように正座する。
「実は……」
溜まっていたものを吐き出すように、少しずつ、当時のやり取りをかいつまんで説明する。
説明するにあたって、優陽が全性愛者であることを話さずには難しい。
本人ならまだしも、許可もなく話をすることは到底、許されることだとは思えない。
が。
この後輩、信頼はできる。
いつも気を遣わず気楽に適当に接していながらも、他人に対する踏み込むべきラインをわきまえている。
なにより、様々な感情が渦巻く胸中を、ごまかし続けるのは陽太にはできそうもない。
せめて、話したことを今度伝えよう。怒られたら、謝ろう。
意を決して、諸々の事情込みで陽太は語る。
紗季は決して茶化すことなく、陽太の心境をただうなずいて聞いていた。
洗いざらいを語り終えたあと、紗季は口を開く。
「なんで怒らせたか、明日までに考えといてください。ほな」
「待て」
帰ろうとする紗季の腕を掴み、制止する。
「そもそも、結城さんは怒っていたのかな? あまり怒っているようには見えなかったし、むしろ笑顔だったんだけど」
「陽先輩はおバカさんですねぇ。確かに、結城先輩はひじょーに優しいんで、怒ってはいなかったのかもしれません。ただ……」
「ただ?」
「……先輩、ほんとーにわかりませんか? 先輩がどれだけ愚かしい行動をしたのか」
自分がした、愚かな行為。
もちろん、心当たりはある。
笑顔で許してくれたんだと、思おうとしていたのかもしれない。
なんの解決にもならないことくらい、理解していながら。
「きっと僕は、結城さんにとって大切にしている感情を、簡単に踏みにじってしまったんだ。一時の癇癪で、僕は彼女を想像以上に傷つけている」
「ちゃんと、話をしてみたらどうですか? 嫌われたわけじゃないんでしょうし」
「そうだね。ちょっと行ってくる」
「はーい。留守は任せてください!」
「おう!」
勢いそのままに、部屋を飛び出す。
財布とスマホだけをポケットに突っ込んで出る陽太を、先輩思いの後輩は優しく見送って。
「色々、複雑なんですね。……それに、先輩」
ほんとに、結城先輩のことが好きなんですね。
小さな呟きが、部屋に大きく反響した。




