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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

アットラース(VR)

作者: かずっち

過熱する課金ガチャ。政府はユーザー保護のため”天井”を促した。

とある五感を刺激するVRMMOゲーム、そして電磁波過敏症に苦しむ主人公の他者との交流。

「あのー」と女の声がした。


 薄暗く平坦一直線の屋内通路。その輪郭線が視界の四隅から遠ざかるに従って中央へと伸びる。それらがクロスする消失点は白く光っていた。そこが外への出口だろう。


 通路は灰色の墓石大のレンガが交互積みされた壁。

 右側にはいくつかのレンガが外され、或いは半分に切断されて出来たようなぽっかりと空いた闇。

 女の声はそこから聞こえてきた。


 (これはゲームなのだ、今始めたばかりの。だから臆する必要はない)

 穴の正面から仁王立ちで様子を窺がう。ほんの一瞬、豆電球ほどの明かりがついた。

 小部屋だった。その中央で低い天井に両手をついたひとりの女が立っていた。天井を全身で支えていた。


「少しの間、代わってください。すぐ戻るんで……」


 騙されることになると、寓話的に察した。だからこそ女も迷惑な肩代わりを気安く頼めるのだ。


「いいよ」


 小部屋に入り代わりに天井を支える。俺の方が背が高く、肘と後頭部で支える格好に落ち着いた。

 ヘッドギアから痛みの信号が届いた。

 ゲームなのだから、他人に分かり易く、出入り口に向かって支えるのが筋だろうと考慮した結果、出ていく女のひざ下が見え、すぐに視界から消えた。


 その後、通路で何度も気配が生まれ、その足音が遠ざかっていく。大抵小部屋をのぞき込み、まれに声を掛ける者も居た。

 しかし俺は返事をしなかった。体は今も出入り口に向いているが、外の様子を見るためではなく、会話する気も一切なかった。


 しばらく経った頃、不意に足元から呼び掛けられた。男の声だった。


「ああ、やっちまったなあ」


「だれ?」


 誰何に応じて、足元で豆電球がぽつんと灯った。

 丸い土台の網かごの中でハムスターが滑車を廻している。豆電球はかごの頂にあり、滑車と連動していた。滑車の発電負荷は強いらしく、ハムスターがサボると部屋は途端に暗くなった。


「騙されたんだよ。ほら足音――」


「き、きえた」と、俺はおちょくってみた。


 恐らくはチュートリアルを中々終えない俺をゲームスタッフが不審に思い、様子を見に来たのだろう。対するこちらは、静寂を破られイライラしていた。


「だぁー」っと不快感あらわに発電が再開された。


「彼女を待つのが筋だろう」


「これはそういうクエストなんだよ。彼女は戻ってこない。一度外に出たら戻ってこられないんだよ」


「まあ、今日は落ちるよ」


「待つのが筋って大場大尉かってんだ――って、おいおいおいおい――」


 ハムスターの呼び止めらしき声を無視をする。

 ログアウトが選べなかったが、それはチュートリアル中にはありがちな事なので、気にせずゲーム機の電源を切った。


 翌日の中学校。帰りのHRが始まった。

 周りの学友は総じてこれからの予定をスマホで確認する。それは学校公認の行為だった。

 しかしそれが俺を苦しめる。俺はいわゆる電磁波過敏症だった。


 中学生になり、スマホを持つ者が増えると同時に、俺の痛みは増した。痛みの傾向は主に片頭痛だ。

 ところが医者による診断では花粉症とか思春期のこじらせだろうとの見立てだった。

 やっかいなことに診察直前に花粉症のけが軽く出始めて、電磁波過敏症の再診断は花粉が落ち着くまでの先送りとなった。

 その先送りのせいで、真面目に取り合ってもらったのか妄想と決めつけられたのかは、うやむやのままで、ただ、痛みだけが残った。


 そんな中、昨日は不思議な体験をした。

 ゲーム中、とある小部屋に入った途端、痛みが嘘のようにひいたのだ。

 きっとあの静けさが良かったのだろう。興ざめハムスターの出現までは最高の気分だった。


 帰ったらあの部屋に戻れるだろうか。もしあれがチュートリアルなら、受け直し可能なら楽なのだけれど……。


 再開は小部屋から、ハムスターの小言からだった。


「戻って来たか。お前のせいで危うく一億がパァになるところだったぜ。メンテを前倒しして誤魔化したけどよぉ」


「……」


「知っててやってるのか? 迷惑プレイヤーとしてBANしてもいいんだぞ」


「……俺が居ちゃ困るのか?」


「困るよ! 誰かにバトンタッチせずに抜けられたら困るんだよ!」


 一瞬、光が強まった。


「二時間も頑張ったんだから、誰かに助けを求めるか、自分の足で逃げ出せよ! 諦めて天井に潰されるのもいい。しかし昨日の不正リタイアだけは駄目だ」


「……わかった。俺はこの部屋が気に入ったんだ。昨日は悪かった」


 光が消え、静寂が訪れる。


 年々過熱する課金ガチャに対して、政府は自主規制を促した。

 多くの会社が課金額に月上限を定める中、このゲームは世界が唐突に崩壊し、全員が一斉に全ての所持品を失うという連帯アイテムロストを仕様に組み込むことでプレイヤーに自制を促した。のめり込むのは危険なのだと。


 ゲームのタイトルは『アットラース(at-wrath)』。天柱を支える巨人(Atlas)とはスペルが違うものの、それがモチーフなのは明白だ。


 商標的にギリギリアウトな響きがするこのゲームのスタッフらしきハムスターの興奮から察するに、天井を支えるという行為は仕掛けそのもので、想定外の全ロストは補償対象、データ復旧となる。

”一億がパァ”とは皮算用的逸失利益を分かり易く説明したものだろう。

 つまり期待されるガチャの儲けが先送りとなり、さらにはロールバックの汚点が残る。


 この考えを正解として、俺の即落ちをBANできずに特別扱いした理由を推測する。

 まずは二時間も粘った俺をスタッフが見かねて接触したというイレギュラー行為があった。その最中にロストを招いては、そのイレギュラーが補償案件に発展しかねない。それをメンテで誤魔化して、昨夜は天井が落ちなかった、何事もなかったことにしたのだ。


 世間一般で言う天井とは、ユーザーが課金沼にハマるのを防ぐのを目的とした、大当たりに必要な金額のことだ。対するこっちの天井はプレイヤーキラーなのだから、なんとも皮肉な話だ。

 そして、プレイヤーに天井の管理を委ねるのは単なる駄洒落、思い付きであると共に、運営はロストに積極関与していません、という批判逃れだろう。


 天井を支える続ける巨人、絶え間ない苦痛。誰かに押し付けなければ逃れられない。

 しかし俺には救いだった。この静寂な小部屋にいると電磁波過敏症による頭痛が嘘のように引いた。そして幸いなことに、ヘッドギアからの痛みは今までのそれとは雲泥の差ほどに小さい。

 苦痛がすり替わる位だから、結局のところ、俺の過敏症は妄想の産物だったのだろうか。

 以前、試みとして現実世界でいわゆる隔離部屋に入ったことがある。その時はなんら成果がなかったのだから、やはり妄想。そしてネットの事はネットで解決するのが筋なのか……と考えてしまう。


 at-wrath……@と憤怒。この小部屋は騙され苦しむ者の”憤怒の間”なのだろうか。

 しかし俺にとってはまさに救いの間だった。


 それでも、ここに居座れるのも今日までだ。ここは俺の部屋ではない。ゲームの大事なシステムなのだ。頃合いを見て潔く立ち退かなくてはいけない。

 それにもしかすればこの先、迷惑プレイヤーとしてBANされなければ、電磁波過敏症を抑える何らかの手がかりがゲームプレイを通じて掴めるかもしれない。

 それが頭でわかりつつ、執着の涙が頬を伝った。


 ……いつのまにか眠ってしまったらしい。

 ハッと目覚めた時には、頭から外れたギアが床に落ちていた。


 ゲームから寝落ちしてしまった。電磁波過敏症の痛みから解放されたことにより快眠だった。

 そして、まるで痛みを小部屋に置いてきたかのように今も解放されている。逆に天井を支える痛みが残っていた。

 しかし誰かに天井を引き継ぐつもだったのに、俺のうっかり寝落ちが世界を崩壊させてしまった。


「やばい」


 過敏症が治ったのかもという淡い期待もあった。恐る恐るギアを再装着する。

 俺のキャラは健在だった。変わらず天井を支えていた。


 これが俺の電磁波過敏症の存在証明となった。

 通常、ヘッドギアが脳波を受信できなければログアウト処理がなされる。

 そのはずが俺の場合、過敏症がヘッドギア代わりになってアクセスポイント経由で交信。受信どころか送信までこなした。それが落とされなかった理由だ。 

 しかし過敏症が存在しても妄想との割合は一対九といったところか。俺に関しては小さな不快感を妄想がブーストしているのだろう。

 でなければ、ギアなしで苦痛がすり替わる程のシンクロを体質だけで成していたのなら、その証明として一陽指でエアコンが点けられるはずだ。


 後日、メンテ後の再接続を利用してゲームプレイに関してわかったことは、電源は必須だが、ギア装着は必要ない。

 屋外に出ようがアクセスポイントと交信さえできれば。ゲームを意識の片隅に置き続けることで俺のキャラは小部屋に存在し続ける。

 常に意識の片隅に保つ。それは難しいようで、忘れかけると電磁波過敏症の兆候が現れるのだから割と簡単だった。


 メンテ中を利用して停電対策を施した。家庭規模の停電はロストの補償対象にならないためだ。

 イレギュラーな接続法は運営に悪いと思う反面、天井を支える痛みに襲われ続けていることで、代償を払っているから問題ない、むしろ支え続けるのが使命とすら思いつつあった。


 それから俺は四六時中、そりゃあもう、夢の中でも支え続けた。


   ◇ ◇ ◇


 ゲームを始めて五年が経った。

 頭痛から解放されたおかげで、勉学と部活にいそしむ毎日だ。

 ゲームの業績も好調なようで、俺が始めた当初は一つしかなかったサーバーが八つに増えていた。

 小部屋利用者としては、今後も安泰なようで喜ばしい限りだ。


 今もなお、ある程度の意識をゲームに向ける必要があり、それが途切れかけると電磁波過敏症に襲われる。その痛みを絆の目安として色々試して、その結果わかったのは、他のヘッドギア型VRゲームへの浮気が許されないということ。幸いその他のことに支障がなかったので、小部屋暮らしが俺のVRゲームなのだと諦めることができた。


 そんなある日、学校からいつも通りの帰宅途中、突然、未知の痛みが体を貫いた。

 衝撃が右手、左腕、頭頂から伝わってくる。ゲームで天井に触れ続けている部分だ。

 天井に何か起こったのだ。それしか考えられない。

 その衝撃は三十秒ごとに、いままでの荷重を残したまま追加で襲ってきた。


 電磁波過敏症がぶりかえした。小部屋から静寂が失われたせいだ。

 新旧ふたつの苦痛に襲われる。集中を切りたくなる。そうすればゲームから逃がれられる。

 しかし天井になにが起こったのかを、五年もそこに居続けたのだから、この目で確かめたくもあった。


 さらに右膝が痛くなった。度重なる衝撃にゲームキャラが片膝つかされたのだろう。

 天井に潰されたら……ぞくりとしつつも自宅にたどり着いた。

 衝撃の合間を見計らって、ヘッドギアを装着する。

 小部屋の俺はやはり片膝立になっていた。圧の弱まりに乗じて押し返したものの、体勢を戻すには至らなかった。

 潰されるのは時間の問題か、もはや脱出するしかない。


 衝撃は依然三十秒間隔のままであり、タイミングを計るまでもない。

 そして五年もこの小部屋の主でいたのだから脱出はスマートに決めるべきだ。出口ににじり寄るなどあり得なかった。

 飛び込み前転の要領で頭から出口へと飛ぶ。スライディングは避けた。石床から受ける足裏の感触はスベスベでありペタペタでもある。ブレーキが思いの外強かった場合は危険だ。苦痛まみれのこの期に及んで尻や太もものヒリヒリ痛も避けたかった。


 飛び込みの途中、ギアからの視覚情報の回復と同時に思い出し、薄明りの中で見つけた滑車籠を、肝心の中は留守かを調べられぬまま拾った。

 肩から上は通路に出た。籠を転がさぬ様に接地点にして前転まがいに背中から着地。そのままだらんと手足を投げ出して仰向けになった。


 小部屋からザッと音がした。頭頂に風圧を感じた。

 つっかえが外れ、そのまま無慈悲な自由落下かと思われた天井は、まるで崩壊と呼ぶには相応しくない程の割れ物扱いでじわりじわりと降ろされて、そのまま優しく接地した。


 滑車に気配があった。ハムスターの力ない声。


「ありがとよ。俺のことはそこに置いといてくれ」


 俺は立ち上がり、彼を通路脇にそっと置く。

 もはや天井とは呼べない物体に締め出され、残されたのは石材一つ分の厚さの通路のくぼみ。

 デッドスペース活用術としてはそこに置くのが順当かと思われたが、余韻とは別に、柱は何らかの理由でかすかに振れ続け、止まる気配がない。

 もしも置いた滑車が振動で柱にもたれかかり、何らかの拍子に一瞬跳ね上がった柱の方へと滑車が倒れ込んでしまったら……プレスという結末を恐れた。

 それからは無言のまま通路を抜け、陽の光に身を晒した。


「一体なんだ?」


 振り向けば、そこは山であった。出口はふもとにあった。

 頂上から、棒倒しのように柱が一本立っていた。

 山頂の柱の露出部分より、上へ上へと舐めるように目で追う。先が雲で見えない。

 天の柱と想像はしていたが、本当に真下であれを支えていたのか。まるで軌道エレベーターだ。

 その柱には数本の槍が刺さり、十数人がかりでそれにぶら下がり、或いは縄をかけて揺すっていた。しかしそれは棒倒しとは違い、棒を立てたまま小気味良くバランスを取りつつ、まるで棒の先で空をかき混ぜる動きだった。


 奴らが俺を追い出したのか。あるいはその狼藉者から柱を奪還して、倒壊を防ごうとしている守り人か。

 後者なら、通路に居れば元に戻れたのかもしれない。早まったことをした。


 しかし、しばしの見物で、彼らこそが騒動の主体だと悟った。集団の手並みは柱の危機に瀕して慌てる様子がなさすぎた。

 巨大な天界が傾いたことで、そのフチが遠くの雲間のあちらこちらから姿を見せたが、徐々に露出面積が減りペースも落ち、やがてはなくなった。さながら柱を揺すっての巨大な皿回しだ。


 背後から男に話しかけられた。

 

「ふふっ、みんなあんたに感謝してるんだぜ。五年間もよく支えてくれたって。おかげで、みんな安心してガチャにつっこめた。それだけじゃない。多くのプレイヤーがこの鯖を選んでくれた……親友や、恋人を見つけた奴だっている。何より崩壊の日を体験したトッププレイヤーの情報がありがてえ。つまるところあんたを解放したのは安久の大恩赦ってやつさ」


 それを、そいつの侍女から渡された水を飲みながら聞いた。

 俺を開放してくれたらしい。なんとも手荒なノックだった。

 そして、俺が噂通り世情に疎いかを探りたかったのか、最後はでたらめな元号だった。

 そう、噂になっていた。確かに常時接続でゲーム内の個室に籠っていれば外界の情報を知る術はない。疑問に思うのも当然だ。

 小部屋に居た時、通行人に一番多く訊かれたのが、ヨーガの達人説。先程の勘繰り同様、外界に無頓着な変人か、はたまた本来ならゲームに占有される聴覚を外界のラジオにでも向ける術を知っているのか、なんて推測もあった。


 感謝されるのも困る。居座りたくてそうしただけだ。プレイにかかりきりでないという、献身とは程遠い実情が後ろめたさに拍車をかけた。

 この話を終えようと、さも急な疲労に襲われたように手で顔を覆い、よよよとよろめいた。


 周囲をうかがい見る。彼らは草原に散開する軍勢だった。

 皆が皆、屈強な男たち。胸板は防具で見えずとも、二の腕の太さからギリシャ彫刻さながらの体躯がうかがい知れた。

 対するわが身は、遮二無二天井を支えたにも関わらず、手足はほっそり。ギリシャ彫刻と遜色ない部分は、股間のみであった。


「そろそろ裸をつっこむ――指摘する頃合いだろ。走れメロスも知らんのか?」


 劣等感を軽口で拭った。


「すまんな。まあ親友ではないが、裏切り者の女なら……女がどうなったか知りたいか?」


 女の心当たりは一人しか居ない。続きを待った。


「ガチャするたびに奪ってやるのさ。あの女にはレアすら相応しくない、持つ資格はないからな」


 ガチャ排出は最低でもレア等級、さらに上がある。つまり根こそぎだ。


「PKか? あんまりそんな事はするなよ」


「許すのか?」と、あいまいな態度を咎められた。


「許すもなにも――」


 ゲーム初日、騙されると予想しつつ敢えての承知なのだ。わだかまりはない。いまさら被害者面などおこがましい。


「許すなら許すと言え」


 PKは正しい制裁である。その根拠たる罪から解放するのかは彼らにとっては重要な事だった。


「……ああ、許す」


 もしも女をここに呼んでアイテムを返せたら、どんなに幸せだろうか。

 女が机に並べられたアイテムを受け取り、最後に差し出された剣を鞘ごとひったくるように掴み、回れ右をして去って行く。俺に気付いたであろうが一顧だにしない。いや、斬られたって構わない。

 それは俺の後ろめたさからくる、都合のいい妄想だった。


 それに返しても今更だ。天井が支えを失い、全てのアイテムがロストするのだから。

 しかしそこに、男らの落ち着きという違和感があった。


 彼らは地均しまがいのやり方で俺を小部屋から立ち退かせ、皿回しの要領で天界のレベルを保つ。

 ロストを引き換えにしてまで、俺を解放したかったとは到底思えない大掛かりな何かがあった。

 運営への抗議か、はたまた引退のセレモニーか(と乏しい知識で推測する)、彼らは恐らく何らかの意図を持ったレベリオンに違いない。


 俺の気付きを待ってましたと言わんばかりのタイミングで、空に変化が訪れた。

 白い雲間からの差し込む光を背に、天界から揃いの剣と盾を持った男どもが舞い降りる。地上の平穏がとたんに乱戦模様となった。

 襲撃者が俺を無視して、逃げる女の背を斬った。俺にコップを差しだした女だ。

 女が顔をこちら向きにして倒れた。

 近辺の襲撃者は女の仇が一人。無力な女を見下ろし、止めの必要を見定めているようだった。

 男の足越しの女と目が合った。瞳の中に天井を支える彫像があった。

 怨嗟の視線。俺は知らず知らずに長年取り続けたせいで体に染みついたポーズをとって……やり過ごしていた。


「うああああ」


 落ちている石を男の側頭部めがけて強打した。


 不意を突かれた男は一撃で死んだ。剣と盾と薬らしき液体ビンを落とした。ビンを拾ったら他は消えた。選択制なのだろう、深く考える暇はない。

 俺は女に液体を飲ませた。女は生きていた。


「傷を……」


 ゲージの上限を突き抜けた女のHPが見えた。まずは薬で上限の三倍超は回復したが、徐々に減っていく。傷口を塞がなければ駄目らしい。しかし薬は飲ませ切った。半分残して傷口に掛けるのが正解だったのだろう。

 しかしあの時、死んだと思えた女を前に、全て飲ませる以外は思いつかなかった。

 斬られた背中を見た。深手だった。止血もままならず、薬欲しさに次の獲物を探す。


 つばぜり合いに気を取られている敵を見つけ、背後から近づく。

 また彫像のマネをすればいい、だるまさんが転んだを連想した。

 ゴチンとぶん殴る、アイテムが落ちた。拾おうと伸ばした手が見えない何かに遮られた。

 敵と相対していた男が剣を選ぶ。これはゲームだ。俺には取得権が無かったらしい。


 男は拾った剣と自身の剣を平行に対面させると、拾った剣は粒子状になり、隣の剣の重心部めがけ、渦巻状に吸い込まれ、剣身を白黄に輝かせた。

 武器の強化だ。これがこいつらの狙いか。天界を崩壊させることなく、挑発したのだ。

 男が満足げに俺に頷いた。感謝の意思表示だ。俺の横殴りは卑怯で余計かと思えたが、そうではなかった。

 そいつは勢い勇んで次の敵に向かっていく。


 改めて周囲を探る。一騎打ちの者がいれば、二人で立ち向かう奴らもいる。中には五人がかりで、それでも敵を持て余し気味のチームもいた。

 そして武器を強化した者の活躍により敵は倒され、その勝利がさらなる強者を生んだ。


 女の体力ゲージは今も徐々に減っている。そしてゲージ半ばでそれ自体が消えた。

 新手に殺されたのか。しかし確認に戻るよりもまずは薬の入手であった。


 俺が六体ほど手に掛けたところで、襲撃者の一団は空へと帰って行った。追随して彼ら側の死体も腰からつまみあげられるように、くの字になって垂直に上昇する。


 結局薬は手に入らなかった。失意のまま女の所へ戻ると、彼女は地べたに膝を抱えて座った格好で、背後でかがんでいる男からの文字通り手当のようなヒール魔法を受けてた。

 女が生きていたのだとすると、さっき急にHPが俺の視界から消えた理由は、ヒールに専念するためのパーティの組みなおし的ななにかだろう。とすれば乱戦の最中でも、目をかけてもらえて居たことなる。彼らがただのアイテム狂でないことにホッとした。

 あせらされたことによる怒りはなく、あったとしても仕様を理解していない俺のせいになる。


 立ち去ろうとする俺の背後に、いつからか気配があった。


「あの奴隷が好きなのか?」


 襲撃前、言葉を交わした男だった。


「そうかもしれん」


 あいまいな返事、女が気付いて頬を染めた。

 正直、なんの感情もない。一人、彫像の振りをして難を逃れた負い目から意識し始めたのだとしたら、他人には放っておいて欲しい。指摘されたら照れが出てしまう、と他人事のように思った。

 もしも運命の出会いなら、二本目の薬は容易に発見できたであろう。


 右手にはいまだに凶器たる石を掴んでいた。何の気なしに力を籠めると文字通り爆ぜた。


「妬くな」と男が言った。


 今も続く治療、ヒール中の男に嫉妬したと思われのか。しかし言葉が簡潔すぎて冷やかしか、奴隷の所有権に基づく警告なのかは理解しかねた。


 電磁波過敏症の課題が残った。一人で、ゲーム内の静かな場所を求め、見た目安全そうな付近をさまようも、今まで以上に意識を小部屋に向けようとするも無駄であった。

 このゲームでは初となるログアウトを選び、周囲の通信機器の電源を極力落して横になった。


 翌日、静かな小部屋を求めてサーバーを変え、通路に出現する。

 先客は五年前と同じ女だった。その顔が怨憎会苦に一瞬歪んだ。美しいと思った。ほんの一瞬であったが、ここで会った誰より人間的魅力に溢れていた。

 思えば女はさらに課金アイテムと引離されるという求不得苦の、いわば二冠の苦しみに苛まれてきたのだ。俺の(もし電磁波過敏症をそう捉え得るならば)五蘊盛苦に比して二倍だなと安易に思い、うやまった。


「あんた、ストーカーなの?」


 からかい口調だった。お互い直近に崩壊したてのサーバーを選んだに過ぎず、それ故に起こり得たバッティング。それを踏まえての発言だ。


「まあいいわ、少しの間、代わってよ」


 俺は交代した。


「……お前はなぜここに?」


「お前って馴れ馴れしい……」小さく舌打ちされた。「許されたってアイテム返してくれないんだもの。いる意味あって?」


「ああ、迷惑をかけたな」


 そう、アイテムは返されなかった。

 好きで天井を支えていた男と、たまたま前の番だった女。そして地上の自治者。

 五年前、俺が次に引き継がなかったばっかりに、戻ってこなかった彼女は虚言の罪で裁かれた。

 ふたりの問題のはずが、俺はいつしか伝説となり、俺の知り得ぬ場所で裁きが行われていた。


「じゃあ、悪いと思ってるなら、私の奴隷になりなさいよ」


 俺は巻き込んで済まなかったと思う反面、サーバーの歴史に組み込まれた以上、仮に俺をダシにした略奪だったとしても、自治者の裁定に身をゆだねるつもりだ。

 ゲームの事はゲームで。いわば、”郷に入らば郷に従え”だ。


「それは嫌だな……そのなんだ、このゲームは奴隷ってのが流行ってるのか?」


「一部ではね。あんたの惚れた奴隷、そいつのせいで流行ってるのよ。あれはバイト。バイトで奴隷を演じてるのよ。私もかいヌシに誘われたわ」


「現実の……リアルマネー?」


「そう。っと関わりたくないからもう止めるけど、あの女のこと知りたければ、検索すればすぐ見つかるわ。公式ページに載ってるから」


 ”ローマではローマ人のするようにせよ”。彼らは神話・古代的な雰囲気を合意の上で演じることに趣の妙を感じたのではなく、単なる契約なのだろうか。


 ヘッドギアをずらして、さっそくスマホの電源を入れ、”アットラース 奴隷”と検索する。

 まずはそれらしい記事を引用したまとめサイトが候補に挙がり、その下に公式のアドレスを見つけた。

 女は公式では被験者と呼ばれていた。奴隷という単語が見受けられない分、表示順が律儀に負けていた。


 二年前、女はこれとは別のゲームの天井なしの課金ガチャにはまり、ついには会社の金に手を付けた。よくいる課金中毒者だ。

 裁判を起こされ、会社から和解案として(どうしてもやめられないのなら、とあるゲームでアイテムロストの瞬間を間近で体験てみろ)との条件つきで横領金の減額弁済を提示される。そして受け入れた。


 運営はゲームセラピーの試みとして、ユーザーにあの女を受け入れたことを告知した(俺の記憶には全くない)。一部界隈ではこう呼ばれていた――。


「モルモット、か」


「なに、思考読んだ? インドで修業した?」


 否定に首を振る。そして「結果……」と言いかけてやめた。代わりに会話の着地点を見失ったように「うーん」と誤魔化した。

(目論見に反してロスト危機を乗り切った)との発言は、そのアイテムの中には目の前の女から奪った物も含まれるのだから、デリカシーに欠ける。


 今、あの奴隷は、和解金でにっちもさっちもいかない困窮状態なのだろう。

 そうか、俺も一緒だ。喜んで天井を支えて、電磁波過敏症からの解放という利益をこっそり得ていたのだから。


 女が横で天井を支えた。


「なーんだ。協力できるのね、半分になったわ」


「うん、軽くなった……な」


「なに? とっくに知ってました? ムカつく」


「いや、知らなかった……たぶん支え過ぎて鈍感になってるんだ。すまない、悪気はなかった」


 女の言葉通り、苦痛を分けられるのだとしたら、いままで試したであろう大勢が気付けなかった、何らかの条件があるはずだ。恐らく約束通り戻ったおかげか、協力などこれっぽっちも意識しなかったという点も怪しい。


「ふふ、ホントにヨーガなの?」と女の声がした。


「……システマさ」


 女が呼吸を整える。システマ被せか? 吸った息を長く吐きだす……偶然だった。


「それじゃあ、約束を果たすわ。ありがと、じゃあね」


 天井を一人で担う覚悟の調息だった。


「きょ、協力は?」


「いらない」


「……」


「二人でいる所を見られて、天井攻略のヒントになる前に、早よいねいね」


「じゃあ」


「そーだ。それにあんたを残して、帰りを見届けなかったら、元の木阿弥じゃない」


 俺が苦笑と共に部屋を出掛かかると、息も絶え絶えな声がした。俺は壁を隔てて耳をそばだてる。


(きっと、このゲームは元々コープさせる気だったのよ、きっとね。それをどっかの誰かがソロで済ませるから、おかしくなったのよ。全く、私の五年間返して、って――)


 恨み言に見送られ。足音を立てずに出口へと向かう。

 電磁波過敏症に当然苛まれる。しかし大事な小部屋を女の要望のためにあえて明け渡したのだ。つまり、この痛みは誰かの望みを叶えた代償なのだ。その事実さえあれば、痛みが和らぐってものさ。


 外に出てすぐに操作キャラを戻す。 

 この因縁にさらなる続きがあるのなら、その舞台には慣れ親しんだサーバーこそがふさわしい。

 フレンド登録をすれば、互いの居場所は所属サーバー名込みで数秒でわかるらしい。

 しかしそんな物がなくとも、きっと追いかけて来るはずだ。


   (完)


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