第53話 一閃
水中へと泳ぎ出た俺は、深海へと引き摺り込まれる潜水艦を俯瞰する。
既に水深は1000mを超えており、太陽光はほとんど入ってこない。唯一の明かりは潜水艦上部に設置されたサーチライトのみであり、その光は船体に巻き付く巨大な何かを照らし出していた。
急速に沈みゆく潜水艦を浮上させることが目下最優先すべき課題である。あの潜水艦がどのくらいの潜航深度に耐えることが可能なのか分からないが、このままでは圧壊することは免れない。
仮に圧壊しても俺やイザベラは空間魔法の応用によって水圧に耐える事は可能だが、サムやラミにシャロン、マティスは…………ギリ助からないだろう。
腰に提げた聖剣に手を掛け、精神を集中する。
船体に巻き付いている触手は全部で三本、その全ては更に潜水艦下方の暗闇へと繋がっている。本体の姿は視認できない。
三本が纏まっている位置に狙いを定め、一気に接近する。
「喰らえぇぇッ!」
聖剣を抜き放ち、左から右へと横なぎに切り払う。
「……チッ」
三本纏めて切り飛ばすつもりで振るったが、左端にある一本目に深めの傷が付く程度の損傷しか与えられなかった。
この調子で複数回、斬撃時に聖剣に魔力を込め続けると刀身がもたないだろう。ゼドラと対峙した時にも感じたが、魔王戦において〈限界突覇〉で力を消費した聖剣の弱体化は想像以上だった。
俺がこれなら魔法で直接攻撃した方がまだ効果が期待できる。
……しかし、そもそも海中というものは魔法と相性が悪い。5大魔法は特にだ。
火と雷は周囲の水の温度を変えたり帯電させることが可能だが、行使した本人にも影響が及ぶ。
土と風は魔力によって生み出すことが可能であるが、海という大質量の水の塊に作用させるのは効果と割に合わない魔力を消費する。
水は周囲の水を自在に操ることが可能だが、元来海に棲む魔物は激流に耐性を持っていることがほとんどだ。
しかし事態は一刻を争う。自分に影響が返ってくることなど気にしていられない。
「〈斥雷々〉ッ!」
俺の両手から紫電が走り、潜水艦も怪物も全てを巻き込み感電させる。
電撃によって潜水艦の動力系統は全てダメになるだろうが、バラストタンクは既に排水済みだ。動力がなくても浮上するだろう。
触手らしき三本は電撃を受けて痙攣し、船の拘束が緩む。
その間をすり抜ける様に潜水艦は浮上していき、俺もその後を追う。
この場で決着をつけるのは骨が折れる。一時撤退だ。
――――――
――――
――
サロンの窓のシャッターが破壊された直後、艦内に鳴り響いていた警報が止まり、艦内照明も消える。室内の傾きはゆっくりと直った。
明かりが無くなり、完全な暗闇が訪れるとともに、体が浮きあがるような感覚がした。登っていくエレベーターと近い感触で、若干の懐かしさを感じる。
「な、な、なんスか!?」
「気持ちが悪いです……」
暗闇から声だけが聞こえてくる。クリスやサムは初めて味わう感覚に戸惑っているようだった。
「あれ……? なんか明るくなってきたッス!」
その状態がしばらく続いた後、段々とサロンの大窓から光が入ってくるようになってきた。
予想はしていたが、潜水艦は明かりが止まった直後から急速に浮上しているらしい。
だとするとこの勢いのまま水面までいくと……
「皆、衝撃に備えろ!」
俺はその場の全員にそう声を掛け、近くにいたサムとラミの頭を押さえて床に伏せさせる。
――ズザザザバァァァン!!!
直後、船外から水音が轟音の様に伝わってきた。大きな揺れによって俺達の体は一瞬だけ浮き上がり、体に衝撃が訪れる。
「な、なんとか海面まで戻ってきたようだな……」
俺がそう呟いた時、上部ハッチが開く音が聞こえた。
それから時間を空けずにサロンへレックスがやって来た。海の中に出て行ったはずなのに体が一切濡れていないことは今更気にしない。
「レックス! 大丈夫だったの!?」
サムが驚きつつも心配するようにそう問いかける。
「ああ、だが少し刺激を与えて距離を取っただけだ。まだ安心はできない」
「あ、あれってクラーケン……だったッスよね!? 現実に居たんスか!?」
「アレが話に出てくるそれそのものかは分からないが……」
クリスの問いにレックスが答えようとしたが、俺は話についていけず、思わず口をはさむ。
「な、なぁ……俺の頭に浮かんでるクラーケンってのはデカいタコかイカみたいなのなんだが、みんなもそんな感じの認識で合ってるのか?」
「たこ……?」
「いか……ってなんスか?」
「あー……タナコラスとイスティカの事だ」
不思議そうに首をかしげるサム達にレックスが補足した。どうやら、この世界ではタコとイカは違う名前で知られているらしい。
「変な略し方をするんだなマティス。まあそれは置いておくが、概ねその認識で正しい」
俺の問いかけにシャロンがそう答え、クラーケンについて話を続ける。
「とても巨大な8本の触手を持ち、瞬く間に船を沈めてしまう。船出をして戻らなかった船はクラーケンの餌食になったと船乗りの間で語り継がれているが、実際にその姿を見たものは存在しない。姿を見た者は誰一人として逃れることは叶わないからだ」
「誰も生き残っていないのに語り継がれているのか?」
「お伽噺にそんなこと言ったらキリがないッスよ」
「まぁそれもそうか……」
前世であった怪談話みたいなものだ。ドラゴンやミミックは当たり前に受け入れられているこの世界でも、クラーケンに対する認識は俺と同じ程度のようだ。
「じゃあさっきのアレはクラーケンによく似ているだけのただの化け物ってことか?」
「そうかもしれないし、当人かもしれない。それは今判断できることじゃないな」
レックスがそう言った。ラミが不安そうな表情で言葉を発する。
「 、じゃあもし本物のクラーケンだったら……」
「どうであれ、俺が倒してやる…………と言いたいが、一筋縄ではいかなそうだ」
「レックスらしくないな」
「信じられないが、実際に斬りつけた手応えからしてあいつはゼドラ並みだ。話の通りの存在なら、魔王と関係なく自然に生まれた魔物では最強だろう」
レックスの口から滅多に聞くことない最強という言葉が発され、俺は思わず唾を飲み込んだ。
「大丈夫、なのか……?」
「心配するな。一筋縄ではいかないとは言ったが、策がない訳じゃない。それに…………今回は場所が良いからな」
「場所……?」
大海原のど真ん中で海の怪物と対峙するのは不利な気がするんだが……
「あぁ、今回はタヴォカハの時と違って周りを気にしなくて良い」
そう言って白い歯を見せるレックス。…………どうやら俺達とは考えているスケールが違うようだ。
「まあサム達は引き続きここで待機してくれ、俺は甲板でヤツを迎え撃つ」
レックスの言葉に思わず俺は口を出していた。
「レックス……聖剣を使う様子、見せてくれないか?」
レックスは目を見開いてこっちを見た。隣に居たサム達も似たような表情をしていた。
俺はこの体をまだ十分に活かすことが出来てない。それは破壊神の前で何も出来なかった時……いや、その前からずっと感じていたことだ。
ルマーシェの町につく前、俺は『星喰らい』で何が出来るか試したことがあった。
結果は酷いものだった。
どんなものでも斬れる魔剣のはずが、俺が振り回しても木の枝一つ斬ることすらできなかったのだ。魔王によれば俺は星喰らいを"使いこなす"ことが出来ていないらしい。
……心当たりは沢山あった。俺は剣を握るどころか、他人とまともに戦った経験など一度も記憶になかった。レックス達と出会ってからも、この人より丈夫な体に甘えていた。それ故に、俺は星喰らいの力を引き出すことが出来なかった。
俺しか持つ事の出来ない剣を、俺が扱えなくてどうするのか。
俺は変わる必要がある。そう強く感じた。
そのためにも、俺は強さとはどういうものなのか知りたいと思っていた。
稽古を付けてもらおうと機会を伺っていたが、この際実戦でレックスから学んでみたいと考えたのだ。
それも今回の相手は破壊神並み。なにか感じるものがあるかもしない。
「私も可能なら同席させていただきたい」
俺の発言に全員が口を開けずにいる中、最初にそう声を上げたのはシャロンだった。
彼女も勇者の強さの一端を肌で感じたいと思ったのだろう。
「マティスの提案は受け入れる。……だがすまない、シャロンには俺が今から行う事を見せることはできない」
それが、少しの間思案する表情を浮かべた後にレックスが発した言葉だった。
「…………了解した」
シャロンはレックスの言葉に素直に従う。
「あまり時間はない。俺とマティス、操舵室を任せているイザベラ以外の全員はここで待機していてくれ」
「……わかった」
「了解ッス」
レックスの言葉にそれぞれが返事をし、俺は部屋を去るレックスの後を追った。
ハッチを登りきり、レックスが甲板に立つ。俺も続こうとしたが、レックスに止められた。
「ここまでだ。危ないから甲板には手や足を出すなよ?」
「あ、あぁ」
なんか遊園地のアトラクションみたいな注意勧告だな……と、どうでもいい事も考えつつも、素直に従う。
俺は、半開きのハッチから頭の上半分だけ出している状態となった。視界は……あまり良いとは言えないが、レックスの姿ははっきりと見えている。
俺達が甲板まで上がってきてから少し時間が経過した。
空は夕焼け色へと変化しており、遠くの水平線からは、季節を感じさせる巨大な入道雲が立ち昇っていた。
レックスは警戒するように海面を睨んでいるが、大きな変化は見られない。
「なぁ」
波の音以外は無音の状態が続いていたため、俺は思わずレックスに声を掛けた。
「なんだ?」
「なんで俺は良くてシャロンはダメだった?」
「……前に、聖剣が折れたことについて話しただろ?」
「あぁ……そういえば国家機密レベルみたいなこと言ってたな。それを言わなきゃいい話じゃないか?」
「問題は折れた事実よりも、聖剣が力を失ったという事が世間に知れ渡る事だ。彼女ほどの技量の騎士ならば、俺が世間に語られる全盛の力を出せていない事に気付くかもしれない」
「そんなに目に見えるほど力を失っているのか?」
「あぁ、なにせ…………」
レックスはそこまで言いかけると、急に黙った。
「どうした――」
俺が声を掛けようとすると、手で制して口を閉じさせた。レックスの真剣な眼差しは周囲の海面へと注がれている。
「…………来る」
レックスがそう言った直後、海面が荒れ始め、艦自体も大きく揺れた。
――ザザアァァァ……
大きな水音と共に、艦の前方の海面から高層ビルのように巨大な触手が生えてくる。
その横にもう一本、また一本、更に一本と姿を現し、遂には潜水艦を取り囲むように8本の触手が海面に姿を現した。
……だが、俺はその触手に対し、場違いとも思える疑問が浮かんでいた。
「あれ…………タコじゃなくないか?」
触手(?)の本数は確かに8本である。しかし、その表面にはタコの触手にあるはずの吸盤が無かったのである。
もちろん、俺はこの世界の海の生き物に詳しくないため、この世界のタコには吸盤が無い、と言われれはそれまでの話だが……
「確かに、吸盤は無く、鱗が生えているな。タナコラス……タコには無い特徴だ」
レックスが同意するようにそう言った。鱗が生えているなんて俺には見えなかったが、視力どうなってるんだ。しかし、この世界でもタコに吸盤はあるらしい。鱗ももちろんないだろう。
「だが、クラーケンについて伝わっている事は巨大な8本の触手があるという事だけだ。もしも実際に見た者がいたとしてもタコだと勘違いしてもおかしくはない」
レックスは続けてそうも言った。確かに、元から信憑性も何もない話だ。タコという前提が間違っていることもある。
「いずれにせよ、あの触手らしきものが敵の攻撃手段であることに違いはない。…………今出せる全力で斬り落とす」
レックスはそう言い終え、腰に提げた剣に手を掛ける。
――その瞬間、空気が張り詰めたことが明確に伝わってきた。
さっきまで聞こえていた波の音が消えたように錯覚し、目の前に居るレックスの深い呼吸の音だけが聞こえてくるように感じた。
鞘に納められている状態の元聖剣を中心に、周囲の景色は蜃気楼のように歪み、とんでもない量の魔力が籠められていることが一目で分かった。その量は見ている間にもどんどんと増えていく。
レックスは抜刀術の構えの様に、微動だにせず正面の触手に目を向ける。
触手も常にうねうねと動いてはいるが、タイミングを見計らっているようで、こちらに襲い掛かって来ていなかった。
しばらくの間、膠着状態が続いたが、先に動きを見せたのは触手だった。
8本の触手全てが息を合わせる様に大きくしなり、艦に向かって同時に降り下ろされた。
――音が消えた。
俺は、レックスがどう出るかをしっかり見ていたはずだったが、最初に感じた感想はそれだった。
少し遅れてキィィィ――――ン……という耳鳴りの様な音が聞こえ、さらに遅れて周囲に本来放たれていた轟音が耳に届く。
目の前の光景を気にすることが出来たのはその後だった。
レックスは剣を振り抜いたポーズのまま静止していた。右手に握られた元聖剣は融解しそうなほど赤熱しており、俺の元にも余熱が伝わって来ていることに初めて気づく。
次に触手に目を向けたつもりだったが、そこに先程まであった触手達の姿は無かった。水平線の向こうまで雲一つ無い夕焼け空が広がっており、巻き上げられた海水が降り注ぐことで虹がかかっていた。
「れ、レックス……? 聖剣って力失ってるんだよな…………?」
「驚いたか? まぁ今のを体感しておけば、本来の力なんて大したことない。今の……100万倍くらいだからな」
レックスの珍しい冗談(?)を聞いて感じたのは、俺が学べる事なんてないという事だけだった。




