第52話 亀裂
シャロンの発言に和やかな昼食の雰囲気は一瞬にして凍り付いた。
それもそのはず、俺達のパーティには俺とラミ、2人の魔物が居るからだ。普段あまり動じることのないレックスやイザベラも言葉に詰まっている。
「……そんなの無理ッスよね?」
そんな状況の中、素っ頓狂な声でそう言ったのは事情を理解していないクリスだった。
「何?」
「オレ、賢くないッスけどそれくらいは分かるッス。魔物は敵とか味方とか、そういうもんじゃないッスよ?」
クリスの言葉で、俺も冷静さを取り戻す。
レックスやサムから教えてもらったが、この世界の「魔物」は「動物」「植物」などに並ぶ生物の区分の事らしい。軍隊や組織のように明確に争う対象などではなく、生態系の一階層を占める存在だ。魔素の影響で動物や植物が魔物に変化することもあるという。
「魔物を根絶やしにする」という発言は、この世界の常識的に不可能に近い事のはずだ。問題は、なぜそんな荒唐無稽な発言をシャロンが真剣にしたかである。
「それは理解している。一生叶うことのない願いだ」
「じゃあ……どうして王国軍を目指すんですか?」
俺と同じく落ち着いたサムがそう訊ねた。
「"魔王軍の残党"は知っているか?」
「え? それは、まぁ、冒険者になる以上知る必要がありますから……」
サムが戸惑いつつもシャロンの問いに答えるが、レックスは何かに気付いた表情をしていた。
――魔王軍の残党。それについては俺も冒険者試験を受ける際、知識として必要になった。
5年前、レックスによって魔王が倒された後、魔王によって直々に生み出された、普通の魔物とは比べ物にならない力を持った魔物達……通称「魔王軍」は主を失った。だが、その残党の人類への敵対心は失せることは無かった。
そんな魔王軍の残党は5等級の冒険者でも苦戦する相手であり、もし出会った場合は王国へ報告し、その対処は勇者……つまりレックスに一任するというルールが存在した。
俺もそんな魔王軍の残党の1人な訳だが、シャロンが軍の入隊を希望する理由と何の関係があると言うのか。
「魔王軍の残党は勇者様が5年の歳月をかけてそのほとんどを狩りつくした……それで合っていますよね?」
シャロンがレックスにそう問いかける。だが、レックスは煮え切らない態度をとるばかりで、首を縦には振らなかった。
「レックス!? もしかして……魔王軍の残党は今もまだ沢山残ってるの!?」
サムが驚くようにレックスへ声を掛ける。
「……いや、それは違う。この世界に残る魔王軍の残党は残りわずかだ。ただ、この5年で魔王軍の残党を狩っていたのは俺一人ではないんだ」
「どういうこと……? 魔王軍の残党はレックスにしか対処できないんじゃないの?」
レックスの答えに疑問を持つサム。俺も同じ気持ちだった。
「サム、俺が勇者になる前……いや、そのずっと前から、勇者の居なかった時代があった事は分かるか?」
「え、えぇ……歴代の勇者様が亡くなって、次の勇者様が現れるまでの時期の事……ですよね?」
「あぁ。その間、人類はどうしていたと思う?」
「それは……魔王軍に成す術なく生存圏を奪われていたとしか……」
「半分正解だ。だが、それは結果にすぎない。その間も人類は必死に抵抗していたんだ。その最前線で戦っていたのが……王国軍だった」
レックスの言葉から、なんとなく話が見えてきた。
「つまり……王国軍は魔王軍の残党狩りを手伝っていたって事か」
「その通りだマティス」
レックスは俺の言葉を肯定した。
「で、でも魔王軍の残党は5等級の冒険者でも手に余る相手って……」
「勇者の居ない間……押されていたとはいえ、代わりを務めていた集団だぞ? 実力は5等級以上だ」
「そんな話聞いたことも……」
「それは当たり前だ。王国軍に実際に所属している者しか知り得ない情報だからな」
衝撃を受けるサムに、レックスは当然の様に答えた。
「それじゃあ……なんでシャロンはそんなことを知っているんだ?」
俺が口にしたのはそんな当然の疑問だった。その場の全員の視線がシャロンに集まる。
「…………私の兄、シルヴァン=オルブライトは王国軍に所属していたのだ」
シャロンが悲しげな声色でそう答えた。その過去に縋りつくような口振りから、彼女の兄が今どうしているのか……予想がついてしまった。
「私は魔物が憎い。根絶やしにしてやりたいと思っているが、そんな事は出来ない。だからこそ……せめて、この私の手で魔王軍の残党を狩りつくすまで、この気持ちを抑えることは出来ないのだ」
シャロンの告白に、どう返せばよいのか分からなかった。それは、その場にいた全員が同じであったが……俺はそれに加えて、自身が魔物であることを初めて後ろめたく感じていた。
さっき二度目の握手を交わしたにもかかわらず、彼女との間に大きな溝が生まれた感覚がした。
――そんな時、艦内に警報が鳴り響いた。
「な、なんだ……?」
いち早く動いたのはレックスだった。イザベラとアイコンタクトをし、この場は任せたといった様子で操舵室の方へと走り去る。
その直後、食堂の床……だけではなく部屋そのものが大きく傾く。テーブルは備え付けであったため、動くことは無かったが、乗せられた食器や椅子は部屋の片側に滑り落ちていく。
「うわっ!」「きゃっ!」「な、何スか!?」
「落ち着きなさい。ここは物が多くて危険だわ。サロンに移動しましょう」
俺達が動揺していると、イザベラがそう言った。俺は頷き、サロンへ向かおうとする。サム達も同様だった。
「……シャロン!」
魂の抜けたような様子で一人食堂に残っていたシャロンの手を思わず掴み、引っ張る。彼女はハッとしたように体を震わせ、俺についてきた。
俺自身も気持ちの整理がついていないが、今はそれよりも優先すべきことがあると判断した。
サロンに向かうまでの間に艦の傾きは更に大きくなり、到着したころには床に立つのが難しくなるほどだった。両側の窓のシャッターは閉められたままであり、外の様子を把握することは出来ない。
サロンの壁に設置された水深を示すメーターは、この潜水艦がどんどん海深くへと沈んでいっていることを示していた。
「一体どうなってるんスか!?」
「故障……なのか?」
「もし動力が止まっていたとしてもこんな形では沈まないはずよ。今も艦内の照明は点いているようですし」
クリスと俺の言葉にイザベラがそう判断する。
「じゃあ何が起きてるっていうんだ……?」
「――イザベラ! 操縦を代わってくれ! ひたすら浮上を試みるだけでいい!」
何も把握できていない中、操舵室へと向かったはずのレックスがこの場へやって来た。
「おいレックス、一体何が……」
「話は後だ! 俺は艦の外に出て直接対処する!」
「……わかったわ」
俺の言葉はレックスに遮られ、イザベラはレックスの指示に従い、操舵室の方へと向かっていった。
「俺は……」
「マティス達はここで待機していてくれ! 頼んだぞ!」
レックスはそう言い残し、水中用ハッチの方へと向かっていった。
「待ってろって言われてても……」
――ギギギギギ……
俺達は戸惑う事しかできないまま、サロンにいると、艦内に嫌な音が響く。船体から発せられているであろうその音は、明らかに普通ではない。
「オレ達、ダイジョブなんスよね!?」
「いや、分からないです……」
「 、レックスさんを信じましょう……」
クリス、サム、ラミが不安そうにそう言う。
――その時軋むような音が一際大きくなり、サロンの硝子窓の外側を覆っていたシャッターが大きくひしゃげた。
そのまま亀裂が入り、剥がれ落ちる様にシャッターは外れ、外の様子が明らかになった。
「な、なんなんだ、これ……」
「そんな……」
目の前の光景が理解できずにいると、サムがそう言った。
「サム、あれは何なんだ!? 知ってるのか?」
「あ、あんなのオレでも分かるッスよ……でも……」
『ありえない……』
「クリスもシャロンもか!? あれはなんだよ!?」
俺だけ現状を把握できずに狼狽えていると、サムが俺に言った。
「マ、マティスさん、あれは……おとぎ話の中の存在――クラーケンです……」
窓の外に広がっていたのは、とてつもなく長く、巨大な"何か"が船体に巻き付いている様子だった。




