第51話 透色の涙
「シャロン、どうしてここに……?」
俺は、俺の背後をとるシャロンへ訊ねた。
「先に私の質問に答えろ。お前達はここで何をしていたと聞いている」
『俺達はこの艦について調べていたら偶然ここに来ただけだ。マティスを開放してくれないか?』
シャロンの問いにレックスがディア語でそう返す。
『命令できる立場だと思うな。……偶然だと? ここの入り口に複雑な魔法施錠の形跡があった事、見逃していないぞ。嘘はつくな』
そう言って脅すように俺の喉元の剣を見せつける。
『それに、そこの容器の中に入った魔物……善くない研究をしていることは一目でわかる。何をしていた?』
『本当に何も知らない。この部屋もあの装置も、何のためのものなのか見当もつかない』
レックスはそう答える。シャロンが納得した様子はない。
『レックス、お前は王国軍に居た時に魔翔機の操縦を学んだそうだな』
『……ああそうだ。今は関係ない話だろう。それよりもマティスを――』
『……何故嘘を吐く?』
シャロンが冷静に、しかし怒りの籠った声でそう訊ねる。
『俺が嘘を言っているって? 悪いが俺は隠し事は多いが嘘はつかない主義でな。王国軍に居た時に魔翔機を学んだのは事実だ』
レックスが軍に居た、というのは確かに嘘ではない。勇者として、という一番重要な部分を隠しているだけだ。
『ふざけるな! 王国軍の軍事訓練で魔翔機について学ぶなど聞いたことが無い!』
『シャロン、君はディア公国の人間だろう? なぜそんな事が言える』
「私は王国軍に入隊するために王都へと向かっているのだ! これまで、必死に自主訓練と学習を重ねてきた!」
それまでディア語で話していたシャロンが王国語で力強くそう言った。レックスはしまったという表情をする。以前、同じ話でサムは納得していたが、それはサムが王国軍の知識に乏しかったからだった。
『マティス、お前もだ。あのクリスと言う亜人に聞いたぞ。以前お前は東方の出身だと答えたがそれを撤回し、答えを濁したそうだな。私には王国圏出身と言い、詳細は同じく濁した。ディア語も母語並みに流暢だ。不自然な点が多すぎる』
『いや、これは……あのちょっと特殊で……』
『どこの国の工作員だ?』
『いや、俺は工作員なんかじゃ……』
俺はそう答えたが、首に押し付けられる剣の感覚が強くなるだけだった。
「……シャロン、君は俺達がどんな回答をすれば納得する?」
レックスが眉尻を下げ、宥めるような様子で訊ねる。
「ここで! 何をしていたと聞いている! この……魔物を使って……!」
シャロンは握ったの剣の柄に更に力を籠めようとした…………が、その手は空を掴んだ。
喉に沿わされていた剣が無くなり、俺も解放される。
『!? なにが起きて……』
「――良い剣だ。…………悪気があったわけじゃないのは分かっていたけどな」
レックスは先程までと同じ位置に立っていたが、その手にはシャロンが俺の首筋にあてていたはずの剣が握られていた。レックスはその剣を眺めた後、同じくシャロンが腰に差していた剣の鞘に収めて彼女に投げ返した。
「な、何をした……空間魔法か……?」
何が起きたか分からず、返還された剣を抱え困惑するシャロン。
「いや、魔法は使っていない。…………それよりもシャロン、お前は結論を急ぎ過ぎだ。もっと冷静に物事を見るんだ」
「私の判断が尚早だと? お前達が怪しいのは事実だろう!」
「……それもそうか」
「ならお前達を――」
シャロンの言葉を遮るように、レックスは黙って何かを彼女に投げた。
『…………!? これは……!』
手に取った何かを見たシャロンはそう言葉を漏らすと、瞬時にレックス跪いた。彼女が拝むように持っていたそれは、それはアクチェスの街で見た、勇者の証明である記章だった。
初対面で名乗らなかった以上、明かすつもりでなかったであろう秘密を、レックスはあっさりと手放した。
「レックス…………良かったのか?」
「手っ取り早く今の事態を解決するならこれが最善だろ。頭に血が上っている状態では、あれ以上の話し合いは無意味だった」
諦めたような表情でそう答えるレックス。事実、先程まで俺達に向けられていた疑惑の視線は、あっさりと解消してしまった。
「申し訳ありません勇者様! 私はただ……」
「別に責めていない。俺達がシャロンとの距離を測りかねて、怪しく見えてしまったのも事実だからな。とりあえず…………こちらも身分を明かした。そちらも"それ"を取ってもらおう」
「……ッ!」
レックスが指差したのはシャロンの兜だった。シャロンは跪いた姿勢のままレックスへと顔を上げた。
「それは……」
「申し訳ないが、初対面の時にその下は視させてもらった。気を張る必要はない」
「それでは、勇者様は私の……! ですが――」
そう言って俺の方を向くシャロン。俺も彼女の"中身"は見てしまったのだが、ここで言うべきではないだろう。
「マティスは気にするような質じゃない。俺が保証する。彼女が……俺達全員が信頼できる者であるという事も」
そう断言するレックス。……いや、さすがに俺も初見だったら多少なりとも驚くと思うが。
「勇者様がそうおっしゃるなら……」
そう言ってシャロンは兜に手をかけ、それを取り外す。そこには相変わらず何も無く、鎧の首が通る穴が開いているだけだ。
彼女の表情は見ることができないが、身に着けた鎧の肩は小刻みに震えていた。
『ほ、本当に……驚かないのだな』
『まあ俺もちょっと事情があって、基準がズレてるからな』
シャロン震える呟きに、俺はそう返した。驚きが少なかったのは昨晩見たからという理由だけではない。
正直、俺はこの世界に来てから魔物やら魔法やら魔王やらで新しい情報が多すぎた。今更透明人間を見ても、そういうのもいるのか……程度の感覚だ。
『シャロンは亜人……って認識で合ってるか?』
『あぁそうだ』
俺の質問に彼女はそう答える。俺やラミの様に何らかの魔物かという可能性もあったが、そうではなかったようだ。
『何の形質を持った亜人なんだ?』
『私にもわからない。この世界のどこかに姿の見えない獣がいるのかもしれないな』
亜人は人間の突然変異であり、獣や魚、蜥蜴などの生き物の形質を持った状態で生まれてくる。亜人の親は動物と子をなしたわけじゃない。
シャロンの場合、この世界でまだ人間が発見していない、新種の生き物の形質を持っているのだろう。透明な生き物がいたとしても見つけるのはとても困難だ。
『この姿を他人に受け入れてもらう事は難しい事は承知している。だから私は隠すのだ。もし見られてしまえば、魔物と勘違いされることも少なくなかった………………いや、ある意味私は――』
「レックス! マティスさん! ここですか!?」
突然、部屋の入り口が開き、入ってきたのはサムだった。後ろにはイザベラ、ラミ、クリスの姿もあった。
「ま、待て……今は――」
「……大丈夫だ」
震える声のシャロンを落ち着かせるようにレックスがそう言った。
サム達は、俺達の前にいるシャロンを目にすると、驚いた様子を見せる。
「そこにいるのは……もしかしてシャロンさん?」
サムが恐る恐るといった様子で声を掛けた。シャロンはびくっと肩を震わせる。恐らくサム達の方を向いているであろうその顔色を窺う事はできない。
「そ、そうだが……わ、私が怖くないのか……?」
「驚きましたけど……僕、最近なにかと驚く機会が多かったもので……恐怖は感じてないです」
サムの言葉にシャロンの鎧がガタっと揺れる。
「なるほど、貴女の鎧はそれが原因だったのね。珍しい亜人だけれど、過去に二、三度見たことがあるわ。そこまでして隠す必要は無いと思うわよ?」
「あ、亜人…… 、お友達になれますか?」
「シャロンさんも亜人だったんッスね! 透明な亜人なんて初めて見たッス! オレ、また一つ賢くなったんじゃないッスか?」
イザベラ、ラミ、クリスもそんな反応を見せたが、シャロンを怖がる様子は見せなかった。
当のシャロン本人は、黙ったまま固まっている。
「シャロン?」
俺がシャロンの側に寄り、彼女の肩に手を置きつつそう訊ねる。
すると彼女の肩は大きく震え、跪いた姿勢から力が抜けたように腰を下ろした。
「おい、大丈夫か……って――」
その時、俺はシャロンの鎧の胸元に水滴が落ちている事に気付き、言葉に詰まった。
『シャロン、泣いているのか?』
俺は、意識的にディア語で声を掛けた。
『泣いてなどいない』
『いや、どこから落ちてきてるか分からないけどポタポタ水滴が落ちてるし……どこか痛いのか?』
『そんなわけないだろう』
『俺なんか悪い事言ったか? それだったらスマン』
『そうじゃない……』
俺の問いに素っ気ない返事ばかり返すシャロン。涙の理由が分からず、俺は戸惑うばかりだった。
『二度目……いや、こんなに一気には初めてだ』
『え?』
『好奇や畏怖ではない……あの時みたいに"私"を見てくれている』
『…………俺にはシャロンの姿が見えないんだが』
『そういう話ではないっ』
俺の言葉に反対しながらシャロンは俺を軽く小突く。
『全く……貴女がいてはおちおち泣くことも出来ない』
俺を責めるようなその言葉とは裏腹に、シャロンの声は震えながらも喜びが感じられた。
――鎧に落ちる水滴は、いつの間にか止まっていた。
「…………ありがとう」
シャロンからの感謝の言葉。その意味は分からなかったが、彼女の嬉しそうな声色から思いつく返事は一つだった。
「どういたしまして」
――――――
――――
――
シャロンが落ち着き、俺達全員はサロンへと集まっていた。
シャロンは本人の希望で兜を被りなおしている。俺達は気にしないと言ったが、被っている方が落ち着くらしい。
「……というわけで、シャロンは透明な亜人、レックスは勇者でした~パチパチー」
「ほ、本当にレックス兄貴って……勇者様だったんッスか!?」
一度色々と話を整理し、俺が棒読みで拍手しながらそう言い終えた後、一番に声を上げたのはクリスだった。
付き合いの短いシャロンにまで明かした以上、クリスだけレックスの事を知らないという事は可哀想という判断が下された結果だった。
「様付けはやめてくれ、兄貴も出来ればやめてくれ」
「分かったッス……じゃなくて分かりましたレックス……さん?」
「話し方もさん付けも改めなくていい。無理しなくていいって言ったろ?」
レックスがクリスにそう言うが、やはりすぐには受け入れられない様子だ。
「その……レックス殿、ではなく勇者様は何故王都を目指しているのですか?」
「シャロンも畏まらなくていいから。俺が王都を目指すのは……」
そう言ってレックスはちらりと俺の方を見る。それについては俺の正体を明かす必要がある。シャロンに隠し事をしたくないという気持ちもあるが、俺は小さく首を横に振った。
「申し訳ないが言えない」
「そうか……だが、勇者様の言う事だ。無理に詮索は致さない」
シャロンはそう言いながらも頭を俺の方へと向けた。洞察力の高い彼女は俺とレックスの間の何かを感じたのだろう。
そのままシャロンは俺の方へと近づいて来た。何を言われるかわからず軽く身構える。
「やはり私の見込み通りだったな」
「な、なんのことだ?」
「最初にあった時、なんとなく気が合いそうと言っただろう?」
「へ?」
予想していたような単語が飛んでこず、思わず拍子抜けな反応をしてしまう。
「あの時はただの直感だったが、今なら確信できる。貴女……いや、マティスとは良い友達になれる。改めて……『よろしく』」
差し出された手に一瞬戸惑うが、俺は笑顔であの時と同じ返しをして、握手をした。
『あぁ、よろしく』
――昼下がり。俺達は食堂で少し遅めの昼食をとっていた。
兜を付けての食事はシャロンにとっても不自由なものであったようで、今は被っていない。彼女の口があるであろう位置に食べ物が消えていく様子は、不思議で思わず観察したくなるが、あまりジロジロと見るものでは無いと思い、目を逸らす。
おいクリス、そんな興味津々な目でシャロンを見るな。
「そういえば、シャロンは王国軍に入るために王都を目指しているんだったな?」
「はい、その通りです」
「あの、遠慮する必要ないからな?」
「いえ、そんなわけには」
レックスの問いに堅苦しく答えるシャロン、その様子にレックスも戸惑いつつも話を続ける。
「もしシャロンが望むなら、俺がシャロンが軍に入れるよう推薦しようと思っているんだが……」
「いえ、その必要はありません」
「実際に戦ったわけではないが、シャロンの腕は先程の立ち合いで把握した。十分入団基準を満たしていると思うぞ?」
「だめだ! これは私の手でやらなければいけない事なんだ!」
レックスの言葉に強く反対するシャロン。彼女は思わず口調が乱れてしまったことは不本意だったようで、手を塞ぐように口に添えた。
「申し訳ない……」
「いや、別にいいんだが……」
「シャロン、大丈夫か?」
先程の様に僅かに肩を震わすシャロンに俺が声を掛けた。
「……ありがとう。レックス様に言われた通り、私は冷静を欠きやすいらしい。マティスのおかげで落ち着くことができた」
シャロンが感情的になるのは、何か理由がある時であるのは先程から感じていた。
「軍に入りたいのは何か理由があるんだな?」
「あぁ」
「だったら、俺にもその理由を聞かせてくれ。力になれるかもしれないぞ?」
「だが、これは私の問題で……」
「一人で何でも抱えると爆発するぞ? 俺にも一緒に考えさせてくれ。……友達なんだから」
ハッとしたようにシャロンの鎧が震えた。
「……そうだな」
シャロンが決心したようにそう呟いた。俺はそれを聞いて笑顔で頷く。
「それで、シャロンはどうして軍に入りたいんだ?」
「私は――」
「魔物を根絶やしにしたいんだ」
………………え?




