第41話 夢路と白粥
ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ……
この音を聞くのは今朝で何度目だろうか。
スヌーズ機能によって勝手に鳴り出した規則的な電子音で目が覚める。
目を擦りつつ、枕元に置かれたデジタル目覚まし時計の上部を乱雑に押し、アラームを止めた。
思考がはっきりしてくると、ハッとして時計の時刻を見る。
そこには「8:45」と表記されていた。ちなみに、目覚まし時計に設定してある時刻は8時丁度である。
「…………寝坊したっ!」
そう声を上げて、俺はベッドから跳び起きる。
が、もう一度冷静になって時計を見ると、時刻の下に「9月█日〈日〉」と表記されていることに気付く。
「か、勘違いか……」
そう呟いてから、2度寝でもしようかと思ったが、目覚めの衝撃で目が冴えてしまい、2度寝するような気分ではなくなってしまった。
顔を洗った後、部屋の床の上に雑に置かれたリモコンを手に取ってテレビの電源を点ける。
特に見たい番組がある訳ではなかったが、部屋が静かなのはなんとなく嫌だったからだ。
「先日東南アジアの北部の海上で発生した台風8号は、現在暴風域を伴い九州から四国にかけて進んでおり、今だ勢力は衰えず今日の昼頃から夜にかけて██付近に到達する恐れが……」
「台風来るのか……ベランダの物しまっとかないと」
ニュースの気象予報を見ながら、朝食を用意する。
オーブントースターに食パンをセットし、水を入れた鍋に卵を入れて火にかけてタイマーを設定する。
少し待つ間に部屋のカーテンを開けると、朝日が差し込んできた。
「台風が来る割には、まだ全然晴れてるな……」
ベランダに置かれた雑貨を室内に仕舞い込み、朝日を浴びつつ伸びをしていると、オーブントースターが「チーン」と音を立てた。
「あちち……」
素手でトーストを皿の上に乗せ、冷蔵庫からマーガリンを取り出す。
その時、冷蔵庫に貼り付けてあったタイマーがカウントを終え、ピピピッと知らせてきた。
コンロの火を止め、卵を落とさないように気を付けつつシンクに熱湯を捨てる。
殻を剝いて先程の皿のトースト横に置く。皿を持ってテレビの前に移動し、ちゃぶ台の上に乗せた。
「いただきます」
マーガリンと塩を持ってきてテレビを見つつ朝食を食べ始める。
「こんな食事ばっか続けてるから一向に料理が上達しないんだよなぁ」
そんな寂しい独り言を呟きつつ、俺はトーストを齧った。
昼過ぎになり、惰性で見続けていたテレビ番組に飽き、部屋を見回す。そんなとき、テレビ台の下に黒いバックを見つけた。
それは見慣れたレンタルビデオ店のレンタルバックなのだが……
「返却期限、今日までじゃね?」
慌てて中に入っていたレシートを取り出すと、そこには「7泊8日」と書かれている。
これを借りてきたのは先週の日曜日。暇で3本ほど映画を借りてきていたのだが、結局まだ2本しか見れていない。
「勿体ないが、返してこないと……」
と言いつつ窓の外を見るが、既に台風の影響か雨や風が強くなり始めていた。
だが平日に返却しに行くとなると難しく、なにより延滞料を取られたくはない。
仕方が無いと腹をくくり、部屋着から着替えて傘を持って外へ出る。
マンションの廊下へ出ると、屋根があるにも関わらず横殴りの雨で既に廊下はびしょびしょに濡れていた。
1階へ降りて路上に出たが、道路には人はおらず、通る車もまばらだった。
まあ、こんな時に出かける人の方が少ないかと思いつつ、駅前のレンタルビデオ店を目指す。
途中更に風が強くなり始め、差していた傘が裏返る。
「うわっ! これもう傘差すの無理だな」
傘が壊れていないことを確認し、傘を閉じる。
俺は傘を差すことを諦めて、上着の裏にレンタルバックを隠すように仕舞い、濡れながら足を速めた。
レンタルビデオ店に着き、返却ボックスにバックごと入れる。
目的を達成した俺は店内を見ていこうかと思ったが、また来週返却しに来るのも面倒に感じて店を後にした。
店から出ると豪雨と暴風はさらに強くなっていて、空き缶や新聞紙が凄い速度で目の前を飛んで行く。
いったん帰るのを躊躇したが、このまま待っていてもさらに悪化するだけだろうと思った俺は走り出した。
帰り道、進行方向から1点の光が向かってきた。見ればそれは自転車で、雨合羽を着て運転しているようだった。
「おいおい、こんな状況で自転車乗るのかよ……」
段々とこちらに近づいてくるが、その様子はふらふらと安定せず、見ていて危なっかしい。
俺の目の前まで近づいてきたとき、自転車が「キィィイイ!」と音を立てて倒れた。
俺は駆け寄って運転者に声を掛ける。
「大丈夫かっ!?」
「あぁ、はぃ……」
近くに寄ると運転していたのは女子高生の様で、口では大丈夫と言いながらも膝から出血していた。
「怪我しているようだけど、本当に大丈夫?」
「家は近いので……」
そう言って自転車を引きながら立ち去ろうとするが、見ていて痛々しい。
「あの、これ! 要らなければ捨ててもいいから!」
押し付けがましいと思いつつも、財布の中に入っていた絆創膏を取り出して、彼女に持たせた。
俺は性格のせいか昔から怪我をすることが多く、少しだがいつも絆創膏を持ち歩くようにしていたのだ。雨に濡れているせいで使い物になるかは分からないが……
「あ、ありがとうございます……」
彼女はそう言うと若干足を引きずりながら立ち去る。俺はその様子が少し心配で、彼女が遠ざかるのを見ていた。
その時、交差点の向こうからどこからか強風に飛ばされてきたトタン屋根が彼女の方へと飛んでいくのが見えた。
「危ないっ!」
俺は走って彼女の元へ向かい、怪我をしているのに申し訳ないと思いつつも咄嗟に突き飛ばす。
「えっ……?」
倒れながら驚きの表情でこちらを見る女子高生。
知らない男に突然絆創膏を押し付けられ、いきなり突き飛ばされて意味が分からないだろうなと思った時――
頭に鈍い衝撃が走り、意識を失った。
………………
…………
……
「……夢か」
《やっと起きたか。まさか人間に擬態した状態で眠ると俺の声が届かなくなるとは思わなかったぜ……》
夢うつつがはっきりしない状態で、ゼラノスの声が頭に響いてきて頭が回るようになってくる。
そういえば、ミミックの状態で仮眠状態の様な眠りをした時はゼラノスが話しかけてきたなということも思い出した。
部屋を見回すと、俺がさっき眠ったタヴォカハの宿の一室だった。だが、窓の外を見れば陽は既に傾き、オレンジ色の光が差し込んでいた。
その時、ガチャっという音と共に、部屋のドアが開く。
「あ、マティスさん! 起きたんですね! 今、ご飯温めてきます!」
ドアの縁からサムが一瞬顔を覗かせ、またドアが閉じられる。
そういえば、サムが厨房を借りて何か作ってくれると言っていたのを思い出す。
時間経過的に、出来上がってから俺が寝ているのを見て起きるまで待っていてくれていたのだろう。出来立てを食べることが出来なかった事を申し訳なく思った。
色々と考えていると、さっきまで見ていた夢の内容が思い出される。
確証は無いが、あれは……俺が人間だった時の記憶だろう。特に、俺が死んだ日と考えて恐らく間違いない。
ゼラノスは俺の見ていた夢の内容を覚えているのか?
《いや、お前が寝ている間に何を見ていたかは知らんが、俺の呼びかけにずっと答えないだけだったぞ》
そう言えば、さっき魔王に乗っ取られている時の記憶は夢ではなかったため、さっきのは俺がこの世界に来て初めて見た夢ということだ。
初めて見た夢が死ぬ夢ってのは縁起が良くない気もするが、久しぶりに人間だった頃を感じられた気がした。今の生活もそこまで人間らしくないというわけでもないが。
恐らく、俺が夢を見るのは人間に擬態した状態で睡眠をとった時だけなのだろう。
だが、やはりというか俺の前世について新しい再発見というべきものは無かった。時計に映っていた日付の記憶も曖昧で、俺が学生だったのか社会人だったのかも分からない。
しかしながら、人間だった頃を懐かしく思う気持ちがあるのは確かだが、未練が残っているという感じは不思議としなかった。
頭の中でぐるぐると思考を巡らせていると、部屋にノック音が響いた。
「マティスさん。ドア開けてもらえますか?」
「あーわかった」
声を聞き、ベッドから降りてドアを開けると両手にお盆を持ったサムが立っていた。
お盆の上には……
「お粥?」
「そうです。マティスさん、体調が良くなさそうだったので……」
サムの言葉を聞きつつ木製の器に入ったお粥を見る。
見ていると梅干しが欲しくなってくるが、この世界に梅干しはあるのだろうか。
「普通なら体調を崩した時は麦粥を作るんですが、レックスが米を使った白粥が良いと言うので、作ってみました」
「ああ、俺も米の粥の方が良い。ありがとう」
ヨーロッパに近い気候のこの周辺では米は普及しているとはいえ、出てきたのは最近で浸透しているわけではない。わざわざ日本風のお粥を作ってくれたサムに感謝だ。あとレックスにも。
「はぁ~食べた食べた」
「お粥なのにあんなにおかわりしたら病人食の意味が無いですね……」
「まぁ病人ってわけでもないしな」
結局、残すのも悪いと思ってサムが鍋に作っていてくれた分を全て食べきった。ただ食べたかっただけ……ではないとは言い切れないが。
食事を終えた頃には陽は沈み、窓の外は暗くなり始めていた。
サムが鞄からマッチを取り出し、部屋の壁に掛かっているランタンに火を灯す。
「レックスによると出発は明日みたいです。マティスさん、大丈夫そうですか?」
サムが手を動かしながら俺に訊ねてきた。
「ああ、じゃあ明日に備えて早めに寝るか……あ、その前に」
そう言って俺はベッドから立ち上がり、擬態魔法を解く。
「あれ? 解いちゃうんですか?」
振り返ったサムが質問をする。
「魔力が回復したからと言って、擬態しっぱなしじゃ魔力が無くなっちまうのは目に見えてるからな」
なにしろさっきは擬態しながら睡眠までとったのだ。魔力の回復手段である食事も昨日からさっきのお粥以外ほとんどとっておらず、まだ擬態魔法の魔力効率も完璧になっていない。
「とはいえ、上りの時みたいに擬態できる時間をあまり気にせずに進めるようになるから、下山は迷惑はかけないと思うぞ」
「というか上りで体力が無いせいで迷惑かけていたのは僕な気が……」
サムがそんな事を言うが、サムの支えがあってこそという場面も多かった。
「そんな事無いって。明日からも頼りにしてるさ。そんじゃあ、おやすみー」
「……おやすみなさい」
サムの返事を聞いて俺は眠りに落ちた。




