第1話 目覚め
長い眠りから目が覚めたような感覚だった。
……ここはどこだ、寒い、暗い。
目が慣れてくる。周りは基本的にコンクリートや石畳の様になっていて、所々剥がれ落ちて裏の岩壁が露出している。
向いている方向は通路の様で、突き当りの先は丁字路になっている。
目線が低い。立ち上がろうと足に力を入れようとした。が、足の感覚が無い。
脚ごと失ってしまったのだろうか、その痛みで気絶してここに倒れていた?
だが今は体のどこも痛くない。気絶していたならアドレナリンの効果はもうないだろう。
手探り……をしようとしたが手も無い様だ。腕すらない。
視線を下げて、体を見る。自分の体は木箱の中に閉じ込められていて、視界だけ隙間から確保できているようだ。
だが、自分は動揺していない。今まで自分は人間だと思っていたが、どうやら違うらしいことが分かった。
なぜ人間ではない生物が自分の事を人間だと思っていたのか。
それは簡単な理由で、記憶があったからだ。自分が日本人だということを覚えて居る。
だが、自分が一個人としてどんな人間だったか全く覚えていない。
名前も、住んでいた場所も、家族も、友人も、自分の身に何が起こったのかも……何も覚えていない。
かろうじて性別が男だったということは覚えている。
記憶を思い出そうとした瞬間、日本人の自分――俺にはあるはずのない記憶が出てきた。
それは多種多様な未知の言語……いや、知っている。理解できる。
そしてこの言語が使われている世界は、今まで居た地球のどこでもないらしい。
そして……”今”の俺はどうやら「ミミック」というこの世界で魔物と呼ばれる存在の一部の様だということも分かった。ミミックというのは人間の時にファンタジーの物語やゲームで出てきた宝箱に擬態するモンスターの事だ。
個人が分かる情報は思い出せないが、人間の時に見聞き・体験したことも覚えている。
どうやら、さっき見た俺が入っていると思った箱は、今の俺の肉体の一部のようだ。
そしてさっきから何となくわかっていたが、人間の時の俺は死んでしまったらしい。輪廻転生というものだろうか。普通なら生まれ変わっても前世の記憶など無いと思うのだが……
自身の生物としての生態もなんとなくミミックとしての記憶にあった。ミミックは生まれたての時点である程度の知識を持っているようだ。
今いるここはダンジョンと呼ばれる場所で、俺のやるべきことはひたすら待ち続けて、宝を求めてやってくる人間を食い殺すこと。ただそれだけだ。
この世界の人間が喋る言語が全て理解できるのも、ミミックの狩りを成功させるための生物としての特徴らしい。
だが、気分的にはさっきまで平和ボケしていた日本人として、人間を食い殺すことに抵抗があり過ぎる。
一応普通の肉食生物だから人間でなくてもいいようだが、対人間に特化した生物過ぎて、普通の狩りは難しそうだ。どうしたらよいものか。
人間に対話を試みる?だが恐らく人間を殺すためだけに生まれた生物とまともに取り合ってくれる人間がいるだろうか。
それより、今の体は喋れるのだろうか。
「ア”ァ”……イ”…………ヴ……」
あいうえお……と言おうとしたが上手く発声できない。だが、声っぽいものが出たので訓練すれば出すことが出来そうだ。
あれから何日か経った。正確じゃないのは太陽は見えないため、なんとなくの体内時計だからだ。
「こんにちは。おはよう。こんばんは。ありがとう。ごめんなさい」
簡単な単語程度なら話せるようになってきた。もちろん日本語ではない。
正直役に立つかどうかも分からないが、意識が人間なせいでなにかしていないとつまらない。暇という感情が初めて邪魔だと感じたかもしれない。
意識が戻ってから何も口にしていないが、待ち伏せする生物なので燃費は良いようで、空腹感や喉の渇きは感じない。
ミミックに喉はなさそうだが。声出るけど。
移動するために体を動かせないかと試してみたことがあったのだが、思い切り体を振ったらガコッと30㎝ほど前に進んだ。
しかし、その瞬間物凄い疲労感が体全体に広がり、体力を奪われた感覚がした。このまま進んだら丁字路の先を見る前に餓死してしまうかもしれない。
元々自分から活動するタイプの生物ではないからだろう。十分に食料に余裕がある状態なら違うかもしれないが、結論として動けない事は無いけど動くことは極力しないということになった。
さらに数日経ち、少し空腹感が出てきた。だが暗い石壁を何かが歩く音一つしない。
今まで一度も眠気が襲ってきたことは無かった。体の大部分を占めている人間が加工したような木箱や金属の装飾が生まれながらに備わっている時点で自分の体に対する謎が多すぎる。
もう目を覚ましてから数週間になる。空腹と水分不足でつらくなってきた。
本当に数週間だろうか。時間の感覚が麻痺してどのくらい経ったのか分からない。数分だったような、数十年だったような気すらしてくる。木箱部分にはコケとか生えてきてるし。
少し前に一度だけ、向こうにある丁字路から足音がしたと思ったら、2足歩行のロボットの様な人影が横切って行ったがあれは何だったのだろう。
ミミックが存在するこのファンタジーのような世界ではロボットみたいなのも普通なのだろうか。恐らくミミックと同じ魔物に分類されそうだ。
自分がどういう存在かは元々記憶にあったが、この世界に関する基本的な知識が欠けている。人間としての記憶や地球の知識があるせいで元々あるべき記憶が一部飛んだのだろうか。
そんな空腹を紛らわす考察をしていると、複数の足音がしてきた。またロボットか?
「あ、宝箱だ!」
「罠かもしれない、警戒しろ」
「後ろから敵が来ないか見ておくわ」
元気な少年の声に続いて若い男性、そして落ち着いた女性の声が聞こえた。どうやらこの世界の人間との初遭遇になりそうだ。