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大晦日X095 来蠅腐肉

 黒い羽虫の霧に、赤い大きな複眼。

 瘴気の暴風がRゲート――通称、闇の扉――より吹き荒れる。魔界を誰よりも知る最古の悪魔。魔王たる資格を有する程に強大でありながら、あえて最前線に固執し、戦場に居座り続けた魔王軍最凶の幹部が地球へと侵攻する。

 以前のような、ただの顔見せ、小手調べとは異なる本気の領土侵犯だ。これまで以上に多くの眷属を引き連れているのがその証拠となる。

 小さな蠅の無数の影にさえぎられて、異世界ゲートが暗闇に沈んでしまっていた。

 蠅の暴風を引き連れた悪魔の名は、ベルゼブブ。


「――新世界ノ剣士トは、やはり、この程度カ?」

「蠅の化け物ごときが僕の剣技を見くびらないで欲しいですねッ」


 剣先が腐食して短くなった刀を上段に構えて、アルバイト君はベルゼブブに挑む。

 上下から迫り来る黒い暴風を、ただの体術のみでい潜る。

 笑止。人間が地を這う事しかできない、平面移動のみの生物である以上、空間を自由自在に駆け巡り襲い掛かる黒い暴風から逃れようなどと。本気で考えているならそれはただの狂気である。

 進路と退路を同時に蠅で満たす。それだけでアルバイト君はむしばまれて死ぬ。


「三――」


 だが、ベルゼブブは大きな勘違いをしていた。


「――段――」


 小さな羽で飛び交うだけの愚鈍な蠅ごときが、最速の突きを極めし侍を捉えられる。そんな蠅と同じ容積の脳でしか考えられない予想をしていたから、十メートル以上の距離をたった三歩で跳び越えてきたアルバイト君に体を貫かれてしまうのだ。

 音速域を突破した破裂音が、蠅の大集団をかき乱す。アルバイト君が突進した進路が綺麗に残っていた。


「――突きッ!!」


 刃先の溶けた刀は本来のスペックを失っていたものの、いびつとがった金属片は酷く刺さり易い。

 ローブの合間、首元を狙った突き技が、深く深く、ベルゼブブの喉を貫いてしまっている。

 人間であれば、即死は間違いない。


「――速度ヲ極メタ一撃ハ見事。だガ、それでは殺セて蠅一匹ヨ」


 刀に貫かれたベルゼブブは確かに喉を散らしてしたが、散らし過ぎているようにも思える。自ら体を霧散させて、小さな蠅へと変化しているような。

 ベルゼブブの首があったはずの場所には、刀のみが残される。溶けた刃先は、蠅を一匹だけ貫通していた。


「我ガ体ノ一部ヲ葬っタのだ。誇ルが良い」

「異世界人が残機制って聞いていないんですけど!」


 刀で突けば死ぬ。それは地球の常識であって魔界の常識ではないのだ。

 広がるベルゼブブが、無数の蠅と化した手を伸ばす。アルバイト君はたまらず、曲芸染みた動きで旋回し、稜線の上を逆走する。出入国ホールへと逃げ帰るつもりらしい。


「いやぁ、化物だな。これは勝てないや」

「逃ガすとでも?」

「さすがに爆弾を投げれば逃げ切れるでしょ」


 アルバイト君がおもむろに投げ付けたのは、小型の爆弾だ。異世界ゲートを破壊するために支給されていたものと推測される。

 霧散するベルゼブブに向かって投擲された爆弾は、空中で起爆した。蠅の集団を多数吹き飛ばす事に成功する。きっとベルゼブブの数パーセントを焼き尽くしただろう。

 爆風の向こう側に異世界ゲートから押し寄せる大量の蠅がうかがえたが、それでも、アルバイト君がホールへ復帰するだけの時間は稼いだ。




 まるで同じ建物で働く仲間みたいな気軽さで俺の隣まで退避してくるアルバイト君は、刀身が半分も残っていない刀を鞘にしまいながら話しかけてくる。


「いやー、あれは無理! 斬れない」

「お帰り、裏切り者。さあ、もう一度戦ってこい」

「だから無理ですって。でも僕達の主張通り、やっぱり異世界って超危険だったじゃないですか。管理局の審査官なら責任持って対処してくださいよ!」


 テロリストの手先に言われるのはしゃくであるが、それが俺の仕事だ。

「ベルゼブブ、だとっ!」

「味噌がなくなってしまいましたわ。どうしましょう、アナタ」

「魔王軍最高幹部ベルゼブブ」

 エルフや味噌マダムや有子。

「千の呪術を使うというベルゼブブまで登場するとなると……」

「マルデッテ。幹部同士は手出しできないわよ?」

「暗に戦えって言っていませんか!? アジー様っ、私まだ死にたくありませんよ」

 カイオン騎士やアジー、マルデッテ。

 ホールには俺よりも強い人間がいる。けれども、ベルゼブブと比較すれば誰もがおとるのだ。ならば最前線に最弱の審査官が立ったとしても結果は変わらない。

 そう時間をかけず、無数の蠅が出入国ホールの端へと到着した。

 入国希望者を待たせる訳にもいかないので、戦闘で物が散乱しまくっている床を歩いて横断し、俺もホールの端へと移動していく。


「次の方。こちらにどうぞ……」


 羽音がうるさくてたまらない。

 蚊が一匹、耳元で飛んでいるだけでも生理的な悪寒やわずらわしさを人は感じるものなのだ。視界全体が黒く染まる量の蠅と誰が好き好んで対峙するものか。


「――我ヲ、通セ」

「通行許可書をっ、お願い……しますッ」


 どんな相手であっても正規の手続きを求める。それが審査官が取り得る唯一の戦術だ。

 蠅の濃度が高まり、一部が収束、ベルゼブブのローブ姿が復元されていく。赤い複眼に凝視された瞬間、俺の心臓は不整脈を引き起こす。


「馬鹿馬鹿シい。既ニ条約ナど無意味ダ」

「悪魔は契約に従うもの、でしょう!」

「契約ノ裏ヲかくのが悪魔ダ。通行許可書ハ新世界ノ領土ニ入ルために必要な物。我ガ新世界ニ攻メ込ミ、新世界ヲ魔界ニ併合シたなら不必要デある」

「侵略が入国目的ですね。で、では、しばらく審査に時間がかかりますので……あちらに、あちらの長椅子でしばらくお待ちください!!」

「……どこに椅子ガある?」


 しまった。今までの戦闘行為により出入国ホールの備品は全滅に近い。これではベルゼブブを待たせられないぞ。


「審査官ナる人間族。我ヲ遅滞サせる事ハ、もはや不可能ダ。それでも我ノ前ニ立チふさガるというのであれば、蠅ニたかラれ、腐リて死ネ」


 ベルゼブブの、細くて節のある虫の指が俺を指差す。

 すると、空中でホバリングしていた蠅の大群が一斉に向かってくる。


「ええい、審査中の審査官を攻撃する卑怯者めっ。後輩、殺虫剤を強制散布だッ」

「了解しました。ポチっと!」


 床に転がりながら蠅の塊をよけて、後方のブースに待機させておいた後輩へと指示を飛ばす。

 天井や床に格納されているタレットが起動。支柱が伸び上がり、黄色い殺虫剤を噴霧し始める。

 黄色と黒の霧が混ざり合って、ボトボトと音がする勢いで無数の蠅が墜落し始めた。特注の散布薬はベルゼブブにも効果を発揮してくれている。


「駄目だ。そんなものでは、ベルゼブブの『人界腐食、来蠅腐肉』は防げない」

「知っているのですか。アジーさん?」

「あの小さな蠅の集団は、レベルの低い人間を殺戮するためにベルゼブブが考案した広域呪術で間違いない! 一匹一匹は脆弱な小蠅に過ぎないけれど、その分数を用意して人界に大量にバラ撒くのよ。蠅が触れる物は腐っている、という呪いを強制させて、生物も建物も全部腐食させてしまう」


==========

 ▼呪術ナンバーR095、人界腐食、来蠅腐肉

==========

“ベルゼブブ傑作呪術の三十番目ぐらい。

 いかに多くの被害を光の勢力に与えるかを目標に発明された呪術。お得意の蠅召喚がベースのため術式そのものは平凡であるが、だからこそ簡易かつ大量に地獄の蠅を呼び寄せる事に成功している。


 呪いの効果は腐食のみ。蠅が腐食物にたかるという性質を逆転させ、蠅が触れている物は腐食物であるという概念を強制する。

 蠅が対象に物理接触すると、金属だろうと生物だろうと腐敗してしまう。人間族でもそれなりのレベルがあれば対抗できる程度の呪いだが、大抵の人間族のレベルでは耐えられない。


 なお、本呪術に呪われた地域は魔族にも再利用できない腐った土地となるため、殲滅目的以外では使用し辛い”

==========


 一分も続かず薬剤の備蓄が失われて、黄色い粉末が噴出されなくなってしまう。

 黒い羽音の霧は……一時的に失われていた勢力を時間経過と共に回復させて殺到。俺の体を覆い尽くした。


「ッ! ペネトリットだけでも!」


 胸ポケットに入っているペネトリットを隠すように体を丸める。

 羽音が全方向から響き渡る。直感したくはなかったが、耳の中にまで侵入してきた異物が鼓膜に直接触れている。

 ベチャリ、と気色悪い感触が背中から広がっていく。

 己の体が溶けている。それも、臭気を発する腐ってよどんだ肉の汁となっているのだという自覚に叫び上げたくなったが、叫んだが最後、周囲を飛び交う蠅共は口から体内へと侵入して内側から俺を腐らせてしまうのだろう。

 丸めた体の手足を密着させて隙間を埋めて、蠅が胸ポケットに入り込まないように、ひたすらに耐える。

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[気になる点] ベルゼブブの蠅をコンビニに誘導したら悪質なクレーマーとして店長に殺されそうだな
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