密輸品L009 命の実
「報告書は読んだ。私が外出中に災難だったな。……と、済ませたいところであるが――」
知性的に細められた美人の目が、予想外の事態に対応しようと一度閉じられる。
「――ベルゼブブ卿にガン付けられた翌日に、何事もなかったかのごとく出社できたお前の精神構造はどうなっている?」
「危険人物追い払った部下に対してそれですか」
「私の前任がベルゼブブ卿と相対して退職してしまった事件は私以上に詳しいだろ。彼は未知の異世界と戦っていけると政府が太鼓判を押した優秀な人物だった。そんな彼ですら正気を失った言動を取るようになった相手と真近で会話して平気でいられるお前は、極度の鈍感なのか??」
朝礼後に局長に呼び出された俺は、デスク越しにキャリアウーマンへ昨日の出来事を報告していた。
部下よりもワンランク高い皮の椅子に腰かけ足を組む姿は様になっている。惜しむべきはデスクの天板の死角に入り込んでいるためにガーターベルトが見えない点だろうか。
「そんな顔をするな。冗談だ」
残念な顔していた事がバレたようだが、勘違いしてくれたのでセーフである。
「Rゲート側には昨日の内に抗議文書を送っておいたが、今回も通行許可書を持参し忘れただけと言い切られるだけになるだろう。魔術か呪術か。我々では感知できない何かによって心を砕きにくるベルゼブブ卿は最重要課題だ。Lゲート側と交渉してでも対抗策を得る必要があるが、直にという訳にはいかん」
異世界入国管理局の現局長は女性である。
現場の統括、上部との交渉に才覚がある人物で、部下としてはかなり頼りがいがあった。異世界と接する管理局を預かるに相応しい人物と言える。
年功序列社会に反して年齢は若くまだ三十代にも達していないアラサーであるが、一度貴重な人材を潰された政府が管理局を僻地認定したのが原因だろう。エリート候補がこぞってそっぽを向いたため、今の志ある局長がやってきたのだ。
「そこで、しばらくはベルゼブブ卿と対峙して正気を保ったお前を頼りにさせてもらう」
「せっかく頼りになる上司だと心の中で褒めていたのに、なんて酷い上司だ!」
「魔族でも壊せんお前の心中など知らん」
「では今思っている事を伝えます。局長はお綺麗ですね」
「はっ。口説き文句のつもりなら浅いな」
コーヒーを飲む姿が雑誌の表紙になりそうなバリバリのキャリアウーマンから頼られる俺は、もしかして脈ありなのだろうか、
「だったら、せめて労ってください。二人で飲みに行きましょう!」
「馬鹿な事を言っていないで、いつも通り仕事しろ。仕事」
持ち場であるホールのブースへと、鳥かご片手に入っていく。
「……きょ、今日は魔族来ないでしょうね」
「昨日来たばかりだからしばらく来ない……と良いな」
「やだ! お家帰る!!」
「ペット妖精の家は休憩室ではなく異世界だろうに」
休憩室の方向に羽で飛び、格子に顔面をはめ込んだ面白い顔の妖精と一緒に仕事を開始した。
Lゲート――通称、光の扉――とRゲート――通称、闇の扉――は互いに連絡を取り合っている訳でもないのに渡航者が同時に現れる事がない。生物としての行動時間がそもそも違うのか。ともかく、今日はLゲート側から人がやって来ているのでベルゼブブは現れないだろう。
日本への帰国者が八割、入国希望の異世界人が二割といったところか。異世界入国管理局としては平凡な日となりそうである。
「はい、次の方。こちらにどうぞ!」
目の前にやってきたのはヒョロリとした異世界の男である。ニコニコした顔を絶やさない人物で手をもみもみしている。どことなく商売人っぽい印象を受ける。
「いやー、新世界の建物は変わっていますな」
「荷物を検査しますので、こちらに置いてください。動きますよ」
「おお、勝手に動いて。これが新世界ですか」
見る物すべてが珍しい上京者と同じ反応を見せてきた。異世界人としてはテンプレートな行動である。
ベルトコンベアで荷物をX線検査機の中を通す。
そこで刃物を代表とする危険物の影が写れば中身を調べて、異世界へ戻すか没収するかを判断する。基本的に管理局で預かったりはしない。
服ぐらいなら素通りさせるのだが、まあ、大抵は何かがひっかか――、
「――あの、この大量にある丸い物は何ですか?」
男が持ち込んだ皮製の背嚢をX線撮影した映像に映り込んでいた物。それは二、三センチ程度の丸い物体。その数は二十個ほどもある。
「どうぞ、お近づきの印に一つ」
「いえ。ナチュラルに賄賂を渡してくるのではなく、これの正体は何ですか?」
「……ふむ。新世界の方は固いですな」
男から手渡されたのはクルミの実のような物体だ。触れた感触は硬質で釘が打てそうな程である。
結んでいた紐を解いて、背嚢の中を改めると同じ実で一杯だった。すべて同じ物のようだ。
「ペット妖精、これが何か教えてくれ」
異世界由来の物は判別が難しい。が、植物系に強いアドバイザーが後ろに控えているので最近は悩まずに済んでいる。
振り向いた先では、ニヤりと笑う小さな妖しげ。
「いつも教えてもらえると思ったら大間違い。人間族が慌てる姿を見ていると心が潤う。それが妖精なのよねー」
駄目だ。このペット妖精、毎日餌をやっているのに懐いていない。
「仕事中にふざけるな」
「私、給料もらっていないもの」
ペット妖精は女王のような態度と仕草で己の優位性を誇示している。ただし、腰かけているのがハトの巣なのでいまいち恰好良くない。
「どうしても教えて欲しければ、私の足を舐めな――」
「……今日のプリン抜き」
「――卑怯よッ」
どこの馬の骨かも分からない妖精に頼るのを止めて、直接、異世界人の男に問う事にした。
「失礼しました。それで、こちらの実はどういった物で?」
「新世界の皆様には馴染みないでしょうが、これは命の実と呼ばれる大変貴重なものでして」
「命の実?」
「ええ。硬い皮の中にある中身を一粒食べれば、なんと不思議。寿命が一年も増える効能があるんですよ」
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▼密輸品ナンバーL009、命の実
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“一粒で寿命を一年伸ばす効果のある貴重品。深い森にある、最上位の精霊の加護を受けた森でしか育たないと言われる命の樹から十年に一度だけ収穫できる。
異世界でも王族や大貴族しか口にできないため一般には出回らない”
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男はやはり商人のようで、Lゲート側の各地を巡っている。いわゆる行商人だ。
新世界の事を耳にして、商売の臭いを嗅ぎ分けて、はるばる世界を渡ってきたらしい。
「本当ならすごい効果ですが」
「丁度、収穫時期だったので持てるだけ持ってきました」
本当に一年寿命が伸びるとは思えないが、異世界におけるスーパーフードみたいなものなのだろう。健康ブームの日本でなくても高値で売れるとは思う。
だが、残念ながらまだ法整備が終わっていないのだ。
「申し訳ありませんが、商売目的での入国は禁止されていますので」
男が実を目の前に置く。
「どうぞ、どうぞ」
「いや、ですから賄賂は困ります」
「まーまー」
男が更に追加する。合計で三つ、三年か。まだ二十代なので切迫していないものの、自分で使わなくて他人に売るという手も――いやいや。
「駄目なものは駄目です」
職務に忠実な俺は命の実から目を離す。真っ直ぐに男の目を見て意思を伝えた。
「……そうですか。では、正式に国交が開いた時にまた来るとしましょう」
粘られるかと思っていたが、案外あっさりと男は諦めた。実を背嚢の中にしまってLゲートへ戻っていく。
……いや、一つカウンターに置き忘れているな。
「忘れ物ですよ!」
「ふふ、それは迷惑料としてお受け取りください」
行商人は希少品と言っていた実をあっさり一つ置いていってしまう。
「良いなー、先輩。良いなー」
隣で一部始終を目撃していた後輩が物欲しそうな目で実を見ていた。後で何か言われたり、後ろから刺される事件が起きてはたまらないので種明かししておく。
「偽物だぞ、これ」
「えっ。分かるんですか?」
「寿命を伸ばす貴重品を一人で抱えて行商するって不用心が過ぎる。偽物で間違いない」
状況証拠から言って、命の実は偽物で確定だった。
商売の基本は需要のないものを需要のある場所へ移動させて儲ける事。異世界でも十分に需要がありそうな貴重品の販路を、わざわざ新世界に求めてくる理由がない。貴重品があれだけ揃っているのも怪しさ満点だ。
男は行商人ではなく、本当は詐欺師だったのではなかろうか。
一つ残された実は男の詐欺を立証する重要な証拠であるが、異世界人の逮捕は入国審査官の仕事ではなかった。
ゴミ箱に捨てるしかない実の行き先であったが、良い活用方法を思い付いたので思いとどまる。
「プリン、プリン、プリンをよこせ。ガルル!」
「ほーら、給料だ。次からはきちんと働けよ」
実を鳥かごの中に入れている最中、妖精が指に噛み付いてきて痛かった。
「もうっ! 寿命のない妖精に命の実なんて、ゴミじゃない!」
「お調べしてきましたよ。新世界側の関所は、賄賂では動きませぬな」
「……そうか、ご苦労。いや、良くやった」
「どうも、今後もごひいきに」
男は行商人を装っていたが詐欺師ではなかった。目的のためには平気で嘘を吐く点では詐欺師と変わらないかもしれないが、全国各地を行商しているのは確かなのですべてが嘘とは言い切れない。
隠密ギルド。フリーの諜報機関の集まりこそが本業である。
今回の依頼内容は、Lゲート側および新世界側の入国管理局の審査能力、職員の士気の高さの調査だった。結果を簡潔に依頼者へと伝えると、詳細を記載した布を手渡す。その後、隠密は街の中に紛れて消えていく。
残されたのは、隠密に調査を依頼したクライアントのみ。
「……さて、我等の悲願を叶える上で、新世界は障害となるであろうか。あるいは――」
貴族が愛用する馬車の中でクライアントは今後の方針を思案する。
できるだけ質素な馬車を選んでいるが、作りの精巧さから神聖帝国グラザベールの馬車以外にはありえない。