来訪者L088 貴族来訪
今日は大晦日。
師匠さえ全力ダッシュする月の最終日だ。ウルトラマラソンよりもハードな長距離走を終えようとしている師匠に対しては優しく、ゴールしても良いよね、と語りかけて休ませてあげるべきではないだろうか。
ようするに、俺を休ませろ。せめて有給を使わせろ。
「おい、どうして職場で俺は仕事をしているんだ? 今年最後の日ぐらい休日であるべきだろ」
「安心しなさい、投稿日でいえば一か月前よ」
「もう少しまともな言い訳が欲しい」
局長に嘆願したところ「空港だって普通に営業している。異世界ゲートも年中無休だ」と一蹴されてしまった。他の家の子と我が子を同じように扱う教育はよくないと思う。
それにしても、年末を家で年越しそばを食べず、異世界へ出国しようとしている旅行者はどこのどいつだ。文句ぐらい言わせて欲しい。
「――うふふ、また懸賞に当たっちゃったわ」
野生の、恰幅の良いパープルヘアーなオバ様が、現れた!
彼女の顔は、今年に限って言うと親の顔よりも見ているかもしれない。正体は言うまでもなく、異世界入国管理局の準レギュラーと言うべき味噌マダムである。言うのか言わないのかはっきりしないな。
抽選オンリーの異世界旅行に連続当選している味噌マダム。ほぼ間違いなく、地球人で最も異世界滞在時間が長い。旅行記を書いて売ればベストセラーは間違いない。
「また貴女ですか。今度はLゲートとRゲート、どちらですか?」
「うふふ、両方よ」
「は?」
「両方。同時に当選しちゃったのよ。行かない訳にはいかないでしょう?」
異常な当選率について今更ツッコミを入れるのは無粋だ。世界に愛されているとか、そんな感じなのだろう。
いちおう、味噌を所持していないか荷物検査を行う。X線検査装置へとカバンをベルトコンベアで流し込み、味噌マダムも検査装置に入ってもらったが、旅慣れているだけあって問題なく審査に合格する。
「年末年始に、また旦那さんは留守番ですか」
「うふふ、今回はペアチケットが当選しちゃったから、連れてきちゃった」
味噌マダムの体に隠れて見えなかったが、痩せぎすな男性が立っている。良い人だと一目で分かる人物で、会釈してくれたのでこちらも軽く挨拶した。
「こ、ここがもう異世界なのかい」
「うふふ、まだ日本ですわよ。でも、以前よりも賑やかになっていて新鮮ね。あっちの妖精さん達の集まりと、こっちのブルーシートに座っているお姫様、どちらにご挨拶しようかしら」
「無邪気にかこつけて致命傷レベルの悪戯しそうな小動物に、邪神の一子みたいな子の二択しかないのかい?」
「あなた、異世界交流は体当たりですわよっ」
若干以上に弱腰な旦那さんをつれて未知へと突撃する味噌マダム。管理局は味噌マダムを最初に雇うべきだったのではなかろうか。俺などより高い適応力があるぞ。
味噌夫妻が出入国ホール内の異世界人へと挨拶するため過ぎ去っていく。
「理解できない。人間族の街や魔界を観光して何が楽しいのかしら」
「ペネトリットは相変わらず他種族に厳しいな。ここでの仕事を通じて、少しは自分が属するコミュニティ以外も尊重しようという気持ちは湧かないのか?」
「自分が一番大切で、どこが悪い訳??」
情けは人の為ならずという概念をペネトリットは未だに理解していない。あるいはゲーム理論の囚人のジレンマか。
各人が最適解を選んでくれると期待して行動する。もちろん、そんな理想は現実に起こりえるはずがないが、この世の中、ベストの結果を得るには自分の力以上に他人の善性を信じる他ない。時間とリソースが限られる我々に、他に選べる道はない。
「他人を信じる? 馬鹿ね、絶対に裏切られるわよ。アンタ、碌な死に方しないわね」
「もちろん、ただ騙されるつもりない。つもりはないが、信じる事から始めたい」
せめて、今の時代がその最適解に至る道中なのだと、俺は信じたい。
「最終的には審査官なんて仕事が必要とされない世界になってくれるとありがたい」
「そうなったらリストラよ、リストラ。馬鹿な事言っていないで仕事しなさい」
「ペネトリットに仕事しろと言われる日がくるとはな」
次の出国者をブース前へと呼び込み、審査を開始する。
昼休憩までもう少しという時間帯。Lゲートが瞬いた。異世界からの訪問客が現れる兆候である。
光の大きさはやや大きめ。訪問客は一人二人ではないらしい。
「あれは馬車だな。Lゲートの貴族がやってくる予定はないはずだが、まあ、いつもの事か」
通信手段が手紙に限られるのが異世界だ。大物貴族が地球にやってくる場合は、先んじて手紙が送られてくるのが順序であるが、相手は貴族なので突然の思い付きでやってくる事も少なくはない。そうでなくても、輸送中に手紙がモンスターに食されるのが異世界だ。
豪華な白い馬車以外にも護衛と思しき騎兵の姿もある。
審査しようとすると不快感を露わにする貴族が多く、仕事が大変だ。
「俺達はRゲート担当だから関係ないけどな」
「今日のLゲート担当はご愁傷様ね」
最近の後輩はほとんど手がかからず、ほぼ自立している。
壁向こうの事は気にせず自分の仕事を継続していると、「先輩―っ!」という呼び声がホールに響く。毎度の事なのでそんなに驚かない。
「先輩―っ! 局長を呼んでくださいーっ!」
ただし、いつもと異なり後輩は俺を頼った訳ではなく、何故か局長を呼んでいた。
異世界入国管理局の運営手腕については疑いようがないものの、審査業務については専門外であり放任的。それが局長である。あと、極度の馬鹿舌、フードハラスメント。
後輩が局長を呼ぶ理由が分からず、ペネトリットと顔を見合わせて首を捻っていると……出入国ホール中央のパーティションが押し倒される。Lゲート側から馬車が現れ強行突破してきた。
「どうして馬車が!? 壁を破壊しなくても普通に行き来ができるのに!」
ペネトリットが驚愕していると、馬車の扉が開かれて老紳士が下りてくる。
老紳士が絨毯を敷いた後、続いて下りてきたのは長髪の男である。白に近い金髪の男で、高級な服装から考えて貴族で間違いない。
「失礼。ちょっと通りますよ」
そんなに悪いと思っている雰囲気のしない貴族の男は、ズカズカとRゲート側のホールを歩いていく。Lゲート側の異世界人にとっては敵地だというのに、一切恐れていない。
貴族の男はブルーシートの手前で止まる。貴族が絨毯以外の何かを踏みたくなかったから、ではないだろう。きっと、貴族の男は最初からそこを目的地としていた。
そこは、Rゲートの大使館。
ダンボールの住まいから現れたのは、Rゲートの姫君。アジーである。
戦争状態にある二勢力の貴族と姫が対峙しているのだ。空気が殺伐としてしまうのは仕方がない。
「光の勢力の人間族、名乗りなさい」
アジーの誰何に対して、貴族の男は堂々と名乗り上げる。
「神聖帝国グラザベールの貴族カスティア」
「そんな男、知らないわね」
「では、神の爪先派、△《トライゴン》の盟主カスティアではいかがか?」
「その男なら、予約があったかもしれないわね」
ただ、殺伐としているだけで殺し合いに発展していない。
貴族の男とアジーは揃って、ホール据え付けの応接室へと向かっていく。
「――って、そこの二人、勝手に管理局の施設を使うな!」
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▼来訪者ナンバーL088、貴族カスティア
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“帝国の建国当時から続く由緒と伝統ある貴族。
名前だけなら時々作中にも登場していたが、今回が初入国である。
その裏の顔は神の爪先派、△《トライゴン》の盟主。昨今、あまり人気のない神話を守り伝える弱小派閥でしかなかったが、新世界の登場により大きく動き出す”
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