生放送R085 新たなる生き方
アジーと対話するために、一段高い位置にある舞台へとよじ登る。
鉄骨に致命的な損傷を受けた天井がいつ落ちてきてもおかしくない状況であるが、俺の考えが正しければまだ時間はある。急がず焦らず、慎重に言葉を選んでアジーの説得を開始した。
「アジーが望むなら、この状況を打開できる。全員を助けるのは難しいかもしれないが、少なくとも過半数の人間を助ける事が可能だ」
「黙れ、人間族風情がアジー様の邪魔を――」
「――邪魔なのは貴女よ、マルデッテ。私の言葉を代弁しようなどと、何様?」
「はっ、失礼いたしました」
アジーを守っていたマルデッテに対して、アジー自ら傍から離れるように命じた。
メドゥーサの長い胴体の防御が解かれ、生身をさらしたアジーが現れる。彼女の目は……酷く冷たい。マルデッテを黙らせたからといって、それが友好的な態度であると勘違いしてはならない。
「人間族を助ける? 馬鹿らしい、どうして私が助けなければならない」
「では逆に問おう。アジーはどうして人類を三分の一も虐殺するんだ?」
「悪意の竜に対して今更な。お前は病原菌に対してどうして人間族を殺すのかと涙ながらに問いて、優しい答えが返ってくると思っているのか」
「アジーはアジーだ。心を持たない病原菌とは違う」
「凡庸な言い回しで吐き気がする」
「いいから答えろ。どうして虐殺を実行するんだ」
「愚問であるが、あえて答えてやろう。私が、そう運命付けられているからだ。創造神より魔族の敵を討てと命じられている。それが答えだ」
自信を持って宣言するアジー。
……わざと、なのだろう。アジーは自分の気持ちを述べずに運命に従っていると答えた。明らかに本心を避けている。
「では、その運命が命を奪うものではなく、命を救うものであったら。アジーはどうする?」
「だから愚問だ。私は悪意の竜なれば――」
「慎重に考えて答えろよ、アジー。お前は自分の生き方を選択できる機会を初めて得ているぞ」
俺はアジーの怠慢を許さない。運命に従って生きているから仕方がないという諦観に反論する。
「悪意の竜だから悪逆非道に手を染める。そんな当たり前の答えで逃げるな」
「それのどこが悪いッ。悪に適した機能を有する者が、悪に染まる当然を悪く言うな!」
「悪に生きろと言われて悪に従うようなお利口な奴がっ、悪人に育つ訳がないだろうが!!」
これは暴論だ。
悪というルールを必死に守ろうとするアジーは、魔界の中では優等生、良い子という事になる。魔界におけて良い子であるのなら、アジーは悪人とは言い難い。
ちなみに、アジーが魔界におけて非行に走っていた場合は、黒に混じらない白は良い子という暴論を展開していたのだが。
「狂った理論で私を混乱させて、結局お前は何がしたいッ」
「アジーが何をしたいのかが重要なんだ。運命も出自も関係なく、自分がしたい事を言ってくれ」
「何故言わねばならないッ」
「アジーが他人に振り回される悪意ではなく自分が思う善意を真に望んでいるのなら、希望が叶うからだ!」
アジーの『生命虐殺(三分の一)』スキルは他人を虐殺する。殺傷性しか高くない、自他共に求めるどうしようもないスキル。
まあ、悪意に従うだけの素直なアジーならば、スキルを説明文通りに使ってしまうのは仕方がない。
「そうだッ、私は他人を害するしかない化物だ!」
「違うッ、アジーは他人を大量虐殺から救うための支えなんだ!」
「だから暴論で私を惑わすな! 私の死は全生命の三分の一と直結しているのだぞ」
「だからアジーは死んだら駄目なんだ! アジーが死なない限りアジーの目の届く範囲にいる者は誰もしなない!!」
暴論に聞こえても、俺の主張は正しいはずなのだ。
そうでなければ爆発によって深刻なダメージを受けたはずなのに、今にも落ちてきそうな天井が未だに落ちてこない現状を説明できない。
「嘘を言うなァアぁァッ!!」
アジーが大声を上げた。
人間に見えても中身は魔族である。タックルされたかのごとく、声に後退させられて舞台から落ちかける。
そして、天井へと反響したアジーの声は、崩壊寸前であった構造物を揺らしてしまった。
とうとう限界点を超えて、崩れた鉄骨とコンクリートの塊が崩壊を開始して――、
「――おーほほほっ! 魔界の仕事をほっぽり出して新世界に留まった甲斐がありましたぞ。新世界の建築物構造は理解しました。ここを支えればもう五分は持たせられるでしょう。トラス構造を信じるのです!」
――いや、地面からレンガの支柱が伸び上がって、崩壊しかけた天井の一部を押し上げる。
支柱の傍の床にはボール紙を広げて図面を書き込んでいる牛顔の魔族。誰だっけ?
「ミノスッ、何をしている!?」
「アジー様は姫君なのです。もっと我儘を仰っても良いのですぞ。そのための時間は吾輩が稼ぎましょうぞ。おーほほ」
「この建築馬鹿がっ」
とはいえ、支柱一本では崩壊は止まらない。圧倒的に天井の強度が不足している。
「『石化の魔眼』アクティブ発動! やったっ、二連続で発動した」
けれども、砕けた天井がそのままの形で石となって再結合した場合はどうだろう。全体重量は増えてしまうが応急処置にはなるはずだ。
「マルデッテまで!? どうして天井を支えるっ」
「私は人間族がどれだけ死のうと気にしませんが、アジー様のお命を犠牲にはできません!」
「幹部が二人も裏切ってっ、こ、このぅ」
幹部二人がアジーのために崩壊を食い止める。アジーの人望が崩壊を遅らせていると考えれば、包括的に考えてアジーがいるから皆の命が守られていると言えるだろう。
「アジー様はアジー様の思う通りに、おほほっ」
「我々は何を選ばれてもアジー様に従います。どうぞ、お心のままに!」
この隙に体勢を立て直して、俺はアジーへと詰め寄った。
アジーはその場から一歩も動こうとしていない。
肩を震わせて、両手を握りしめて、それでも違う自分へとなるための一歩を踏み出せない少女に対して激甘かもしれない。が、本人いわく二度目の人生。一度目で失敗しているのなら二度目はイージーモードであるべきだろう。
「……幹部二名からの諫言があったため、訊ねてやる」
アジーは俯いたままだが、訊ねてきた。
「審査官。……悪意の竜なる私が、どうすれば、他人の命を救えるというのだ?」
「アジーの死と虐殺が直結しているという解釈が許されるのなら、アジーが生きている限り虐殺が行われないという解釈も許される。俺は、そうアジーの運命を審査した」
「な……に??」
「三分の一を虐殺するためには、その瞬間まで三分の三すべての生命が欠ける事なく生き延びていなければならない。そういう考え方もできると言っているんだ。運命に縛られていると諦めるな、アジー。運命さえも利用するぐらいに強かになれ」
過去の異世界で行われた大虐殺。
アジーの死により引き起こされたと聞くが、見る角度を変えれば、アジーが生きている間は虐殺が阻止されていたと言える。
「……何だ、それは。結果は大して変わらないではないか」
「だが、悪意の竜と他人から好き勝手に言われる現状よりも、ずっとマシだと思わないか?」
顔を伏せたままのアジー。
「…………業腹だ。酷く業腹だが、より傲慢な選択はと問われれば、たかだか三分の一しか殺せない私よりも、全ての生命を救ってやっている私の方となる」
顔を上げるアジー。
彼女は二度目の人生にして初めて、悪意の竜という他人から貼られたレッテルを破り捨てた。
「私は、悪意の竜などではない。私はっ、生命を支える守護竜だ!!」
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“スキルが更新されました
『生命虐殺(三分の一)』 → 『生命守護(存命中)』”
“『生命守護(存命中)』、他人に振りまわされる運命を否定した竜のスキル。
本スキル所持者が死亡するという条件が揃うまでの間、本スキル所持者が認識する範囲にいる全生命の命を保障する”
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個人の意思など世界に関与しない。そうやって諦め続ける運命を否定して、そんな運命は嫌だと強がり続ける運命をアジーは採択する。
たったそれだけで世界は変わる。少なくとも、アジーが見える範囲の世界に住む生命の命は守られる。
天井の全崩壊は未だに始まらない。それが何よりの証拠だろう。
「全員、アジーの近くに集まれッ! アジーの見える範囲にいれば命が助かるぞ!!」
生存手段は整った。出口に集まった人々に向けて呼びかける。
必死に扉を開こうと頑張っていた者も、脱出できずに泣き崩れていた者も、一斉に振り返り俺の方、いや、アジーの方へと振り返る。
溺れる者は藁をも掴むというが、だからといって最も天井が落ちてきそうな会場の中心、アジーの傍へと近寄ろうと思う者はなかなかいない。全員が助かるなんて現実味がない。
「早く集まれ! 最悪、アジーが死んでも、ここにいる三分の二の命は助かるぞ!」
「……ん? お前、今なんと言った?? 三分の二とは、ん?」
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▼能力ナンバーR085、生命生存(三分の二)
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“『生命生存(三分の二)』、運命を否定した竜の運命を更に審査したスキル。
本スキル所持者の犠牲により、認識する範囲にいる生命の三分の二は守られる”
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全員は生きられないかもしれないが、三分の二ならば生きられる。
なかなか現実的な俺の言葉を聞いた人々は一斉に走り始めた。
「ちょ、ちょっと待てッ! お前。私のステータスに新しいスキルが生じたが、これは何だ!? お前は私に何をしたッ」
「近くにいる程、生存率が高くなるぞー! 早い者勝ちだぞ。さー、さー!」
「おいッ。散々、私の意思がどうのと言っておいて、お前が私に新しいレッテルを張り付けてどうするつもりだ! やっぱり三分の一殺す!!」
集まった人々にもみくちゃにされているからだろう。アジーが何か叫んでいるが聞こえない。この調子なら皆助かる。
ただし、俺は違和感を覚えていた。
命がかかっている状況だというのに……ペネトリットの姿が見当たらないのだ。
「――魔族ごときが守護竜なんて。私は絶対に認めな……ぁッ!?」
人々が集中する中心地を見下ろす場所で浮遊しているペネトリット。ふと、彼女の体が彼女の意思に反して光始める。間違ってLEDを食した訳ではない。
「――新世界の人間族の異常行動を検出。魔族に助けを求める行為より、新世界が魔族に組みする危険兆候を確認。有事により自発的な封印解除を開始する。封印突破まで推定X日とX時間――」
体中から宝石を浮かび上がらせたペネトリットは、ペネトリットではない声を発する。
ペネトリットが無垢な妖精でいられるまで、残り数日。




