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訪問者R008 大幹部

 異世界入国管理局の仕事は手探りなところがある。

 地球上のあらゆる領域が○ーグルマップに掲載されるようになった時代に突如出現した未開領域、異世界。何もかもが分からない相手をしているため、現場レベルで日々試行錯誤が行われている。不備の多いマニュアルを改版しているのはだいだい俺だ。

 ただ、上の人間が何も考えていない訳ではない。安全な審査を行えるよう対策を講じてくれるのだ。


「……それで、何故にひのきの棒?」


 本日より客に見えないカウンターの内側に、手で振るには丁度良い長さの棒が常設されるようになった。柄の部分には丁寧にひもが巻かれて、攻撃時にすっぽ抜けないような工夫がほどこされている。

「この棒に俺は見覚えがあるんだが」

「もう、りずにまたコレニの棒を持って帰っちゃった馬鹿な人間族がいたの?」

「あー、やっぱり」

 ペット妖精の指摘で棒の正体が確定した。

 カミキリムシのキャリアとなった異世界の枝を、管理局は廃棄ではなく再利用する事にしたらしい。勿体もったい無いの精神だとしても迂闊うかつではなかろうか。

 いちおう、X線で内部を撮影して問題がないものを選んだらしい。虫の卵が残っていたり、別の何かがひそんでいたりはしないらしい。

「わざわざ異世界の枝を再利用した理由は、素材強度と重さで特殊警棒を勝るから? 本当なのだろうか」

「わざわざコレニの棒プラス1にしたの。新世界の人間族は無駄に面白い事考えるのね」

 極力曲がっていない棒を研磨し、ブースの数だけ用意した。

 ようするに、審査員は自分の身を自分で守れと言いたいようだ。


「これ使う状態って管理局がかなり攻め込まれているよなぁ……」


 新たな装備を得て、異世界入国審査官はより厳格な審査を行えるようになった。喜ばしい事である。

 ……気休めである。




 その日は突然やってきた。

 屋外は完全なる快晴で降水確率ゼロパーセント。だというのに異世界入国管理局の内側、特別、異世界の扉へと通じるホールは異様に重たい空気に包まれる。室内でありながら低気圧の直撃を受けたかのようで、明らかに照明が暗くなっていた。

 液晶画面にはノイズが入り込み。

 吐く息は白くなる。

 何か良くない者が現れる前触れであると、霊感のない人間であっても察知できる程の悪寒だった。


「これは……不味いな。後輩、今日は早退しろ」


 身震いしながらも、俺はまず後輩をかばうと決めた。

 この前触れを俺は一度体験している。体験しただけで対処できた訳ではなく、今も特に対策できている訳ではない。だからこそ、まだ働き出して一ヶ月の後輩を巻き込みたくはなかったのだ。

 今日をもって俺は後輩の先輩ではなくなるだろう。最後に格好付けたかっただけなのかもしれない。

「せ、先輩ッ。こ、これって?!」

「良いから早く帰れ。相手が悪過ぎる」

 両肩を抱えて青い顔をしていた後輩を強引に帰宅させる。

 スタッフオンリーの扉の向こう側に後輩が消えるのと同じタイミングで、Rゲート――通称、闇の扉――側の黒い地平線がまたたく。


「前と同じか。……はぁ、今日から俺も病院通いか」


 いや、瞬くなどという表現は肯定的過ぎる。

 その光景を正確に言い表すならば、ゲートの向こう側の光が小さく細かな影にさえぎられたのだ。吐気をもよおす悪意のきりが異世界より飛来する姿だった。


「ちょっとっ! 不味いわよ、絶対に不味いわよッ。この気配って魔王軍の幹部クラスじゃない!!」

「……あっ、ペット妖精が残っていたのか」

「あっ! じゃないわよ!?」


 しまった。後輩にペット妖精を連れて行かせるべきだったがもう遅い。小さく分裂して飛行しているため目算し辛いが、あの御仁の移動速度はかなりのものだ。直にホールへと到着してしまう。


「すまない。まあ、命まではとられないはずだから安心するんだ。重度の精神ダメージで一生鳥かごに引きもる事になるだけだろう。……きっと」

「それのどこに安心できる要素があるの?! 私は新世界に行きたいの!」

「俺も駄目になるだろうが、水を取り替えるぐらいはしてやるからな。一生面倒みてやる」

「そんな最悪な告白しないでッ」


 ペット妖精まで犠牲になるとは悲劇的だ。異世界入国管理局はなんと過酷な職場なのか。

 ぎゃーぎゃーさわぐ気力さえ冷えてちぢこまったペット妖精が巣穴に隠れる様子は、ホラー映画で子供がベッドに潜り込んで殺人鬼から隠れようとする行動と瓜二つだ。ようするに、次のシーンで可哀想な被害者となる。

 俺にできる精一杯は、鳥かごを我が身で隠して飛来する御仁を直視させない事ぐらいである。座っていた椅子から立ち上がり、代わりに鳥かごを置いて背中で隠す。

 最後にネクタイを締め直して到着を待った。


 ブーン、と先触れらしき一匹の羽虫がカウンターにとまる。虫の無感情な赤い目が俺を品定めしてくる。


 耳障みみざわりな羽音は一匹では終わらず、二匹、三匹と。

 ……そんな少数なはずがない、十匹、百匹では完全に不足だ。千や万でもホールが黒く染まって見えなくなる密度にはならないだろう。

 生物に死に際の悪寒を引き起こす、無数のはえの羽音に視覚と聴覚はむしばまれる。

 叫びあげたくなる光景が最高潮に達した時、蠅の軍団が一箇所に集まって密度を増した。


「――我ヲ、通セ」


 無数の蠅の中より、漆黒のローブを身に着けた異世界人が出現していた。

 その異世界人の顔は、蠅そのものだ。


「うッ。い、いらっしゃイ、まセ」


 複眼ににらまれて身をすくませてしまう。見っともなくも手が震えて止まらなくなってしまう。純粋に怖くて怖くて仕方がない。

 人間と同サイズの蠅男というだけでも失神ものであるが、目前の御仁に感じる恐怖心は外見の醜悪さから持たされるものではなかった。人間に対する悪意を固めて形作ったものが動いている。そう、分かってしまうのだ。


「――我ヲ通セ、と言ッタ」

「つ、通行許可書をっ、お願い……しますッ」


 この御仁は俺を触れる事さえなく絶命させられる。

 銃口をひたいに向けられているのと同等か、それ以上の恐怖で息が苦しい。

 だが、勇者のような特別な人間でなければ対抗できない悪意と殺意の混合物に対して、俺は国の最前線に立っているという職務感のみを頼りに立ちふさがった。窒息しそうな声で、魔族の命令を無視する事に成功したのだ。

 赤い複眼がゆっくりとかしげられる。


「我ヲ、魔王軍幹部ベルゼブブ、と知ッテいるだろう。何ユエ許可ガいる?」

「だ、誰であろうと例外は、ありませんっ。通行許可書を提示してください!」


 悪意の塊。蠅の王。ベルゼブブ。

 三か月前に一度だけ管理局に現れた事のあるRゲート側の異世界人。その時には前局長の説得でどうにかお帰りいただいたのだが、魔族との対面で精神をやられた前局長はそのまま退職してしまった。

 次は俺が退職する番で間違いない。

 複眼がゆっくりと近づいて、蠅のトゲトゲした手をテーブルに置いてブース内に侵入してきている。心がもうズタボロだ。


「――通セ、と言ッテいるのだ」


 蠅の赤い眼には呪詛が込められている。魔眼というものの実物なのかもしれない。

 命じられるたびにあらがう勇気が殺されていく。

 思わずテーブルの下、備え付けたばかりの棒を手に取った。が、棒で殴って倒せる相手ではないのだ。むしろ、恐怖にられて殴ってしまえば相手の思う壺。魔王軍との条約を破棄したものと見なされて、ベルゼブブは日本国内へと侵攻してしまう。

 審査官として戦うしかなかったが、奥歯がカチカチ震えて発音できなくなってしまってそれも難しい。

 屈服せずに無言を続けるだけでも大金星と主張したいが、何も言わなければベルゼブブを制止できない。この悪意の化物が日本に侵入してしまう。


「あ、ぁ、ぃっ――」


 だというのに、窒息直前で言葉を発音できない。

 そもそも口を開きたくない。目の前を飛び回る蠅が、蠅の大群が口から侵入して体内からおかされてしまう。

 駄目だ。もう駄目だ。


 職務がどうした。審査官がどうした。国がどうした。

 まずは自分の命ではないか。


 逃げたい。

 逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい、何としてでも、ここから逃げ出して何もかも投げ出したい。


 眼球手前。

 一センチまでせまった魔族に対抗できる心の強さは俺の中にはない。

 俺の心を補強するだけの何かだって、傍にあるはずが――。



「ひぃぃ、私の中の眠れる力よ。眷族に力を与えて恐怖を払いたまえ。っていうか、こいつはどうなっても良いから私を助けてッ。略式簡易なんかてきとうに加護付与!!」



 ――ベルゼブブから逃れようとして背中が鳥かごと接触した瞬間、何故だか心理的な負担が少しだけ軽くなる。それでどうにか、審査官としての役割を奮起させる。


「ぅ、あ、あああああッ。通行許可書をッ、提出願います!!」

「――ム?」


 ベルゼブブの前進が、止まった。赤い眼ににらまれている状況は変わらないが蠅の羽音が退いていく。


「――微弱ダが、加護カ?」


 加護? かごの間違いではないだろうか。後ろにあるのは鳥かごと、その中にいるペット妖精のみである。妙な温かさはあるのだが、ペット妖精の奴が粗相そそうでもしたのだろうか。


「……レベル0ガ、我ガ魔眼ニ屈セヌか。屈辱的デある。……ガ、良カろう。今日ハこれまでダ」


==========

 ▼訪問者ナンバーR008、ベルゼブブ

==========

“魔界全土を統一する魔王軍の大幹部。

 はえの王と称えられる蠅の異形で、魔術、呪術に精通する。


 赤き複眼ににらまれただけでも、呪術的対策のない人間は恐怖に敗北し屈服させられてしまう”

==========


 ベルゼブブはゆっくりと後退していき、ブースから離れたところで拡散した。蠅の軍団となってRゲートの向こう側へと飛び去っていく。

 蠅の霧が消え去って重圧がなくなる。暗転していた室内照明が復活する。

 けれども、悪寒がなくなっても、体は硬直し続けていた。


「はぁ、はぁ、はぁぁぁぁ。げふぉ、はぁ。助かったぁぁ」


 危機は去ったのだ。こう確信できてようやくまともな呼吸を再開した。呼吸が下手になってしまっていたので、呼吸の合間にき込む。


「も、もう行ったッ??」


 巣の中に避難していたペット妖精が、顔だけ出して聞いてくる。

 一人だけ隠れていたな、と非難する事は今回できそうにない。ペット妖精の顔も真っ青になってしまっている。

 Rゲート側の要注意人物ベルゼブブ。明らかに悪意を巻き散らす事を目的に、日本へ侵入しようとしている。

 先程のように、審査官を脅して無理やり入国しようとしてくる危険人物だ。

 危険であるが、今のところは自ら条約を破るつもりがないのが唯一の救いである。魔法が実在する世界の住人だから、契約を守らせる何かが働いているだけなのかもしれない。


「どうして魔王軍の大幹部が来ちゃう訳!?」


 どうしてって、Rゲートの先が魔界と繋がっているからである。


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― 新着の感想 ―
[良い点] >一生面倒みてやる」 告白だー。ニヤニヤ。 [一言] それはそうと、前局長すごいなあ。 ベルゼブブを説得?して追い返しているんだから。
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