朝帰りX074 妖しげなる雇用
太陽が昇ってから小一時間。
ようするに出勤時間。
冬の優しい陽光に照らされる異世界入国管理局の建物へと、とぼとぼ出勤する男がいる。
ようするに俺。
上司のパワハラとフードハラにより一睡もできていないが、平日であるのなら出勤しなければならない。世の中では過半数の大人達がそうしている。
よれたシャツから着替えても切り替わらない気分と顔と胃腸のまま、よろよろと廊下を歩く。眠気とそれ以上に胃痛が酷くて仕事にならないため、薬を求めてコンビニを目指した。
「おじさん。胃薬ください」
「すいません、店長は不在です。更にすいませんが、胃薬は一種類しかなくて。顔が真っ青なのは二日酔いで? あ、お水を用意しますね」
いつもの店長は不在で、代わりに中性的な美男子が店番をしている。二重に目が覚める状況であったが、残念ながら局長のおすすめ料理によるダメージが強過ぎて気付けない。
初対面の俺に対して、丁寧な客対応をしてくれる。水もペットボトルを売りつけてきたのではなく、近場のウォーターサーバーから取ってきてくれていた。
購入した胃薬をその場で服用する。
「助かった。君は俺の消化器官の恩人だ」
「そんな感謝のされ方、初めてされました」
正直、薬を飲んでも胃痛が改善された気がしなかった。ミネラルウォーターを更に購入してコンビニを後にする。
本日、局長は出張を継続しているので朝礼がない。出入国ホールへと直接出勤だ。
ICカードをかざして職員ゲートを通り、更に目の網膜による生体認証と一週間ごとに変化するパスワードを打ち込み、金庫みたいな重厚な扉を開いてようやくたどり着く。
「きゃははは、きゃはははっ」
「ひぃぃ。こいつ等どこから現れて!? やめろ、コマンドプロンプトを起動してDiskpartを入力するんじゃない!」
「えーと、ディスクを選んでバルスっと……あれ、コマンドが違うのかしら。ヘルプヘルプっと」
「おい、馬鹿、やめろっ! 昨日の集計がまだ済んでいなんだ! やめてくれぇッ」
「わーい。人間族の大人が泣いているー。たっのしーっ」
「サーバーにアクセスっと。後は細かい調整ね。審査官田中太郎、給料未振り込み……クリア、住宅手当未振り込み……クリア、査定内容……問題ありっと」
「人事サーバーに俺のパソコンから不正アクセスするなッ。アクセスするならログを残すな!」
同僚の審査官達が朝から阿鼻叫喚で楽しげだ。何か良い事でもあったのだろう。
下腹のあたりを擦りながら出国側のブースへと着席し、一息付く。
「……昨晩はお愉しみだったようね」
「ペネトリットか。おはよう」
「ふんっ」
俺よりも先に出勤していたペネトリット。
妙に不機嫌なペネトリットは俺の挨拶に返事をせず、顔を背けた。小動物の気持ちと秋の空、もう年末近いが。
胃が痛いので今日は余計な事に首を突っ込みたくない。ペネトリットの機嫌については気付かなかった事にする。
「警備部はまだか!」
「新しい住処としては緑が少ないけれど、三食昼寝付きでデザートが出るのなら文句は言わないであげましょう」
「目標が小さくてすばしっこいから無理? 最終防壁は密閉しておく必要がある? 馬鹿言っていないで助けにこいよ!」
「もー、外部ネットワークと繋がっていないわよ、この面白い箱。ホール全体がシールドルームになっていてWiFiも繋がらないし」
「適応力が半端ないと知っていたが、まさかこれ程とは!? うちのエースとその後輩はどうやってこんな奴等と渡り合ってっ。待て、そこのお前ら! インスタ用の撮影をするために机の上の物を落とすんじゃないッ」
「ここを第二の故郷として、人間族をおちょくって暮らしましょう」
壁を挟んだ反対側がなかなか落ち着いてくれない。消化器官にくるので静かにして欲しい。
「……私に対して言い訳はない訳?」
パソコンを起動して、本日の審査人数と個人情報に目を通している俺に対して、ペネトリットが妙な事を言い出した。
ペネトリットに対して言い訳しないといけない事か。残念ながら一切思い付かない。もう鳥かごの外で生活しているため、夕食の世話も不要となっている。飼育について批判される事は何もないはずだ。
「ねぇ!」
「別に何もないが、どうした?」
「くっ、この男は。朝まで上司とイチャイチャしながら飲み食いしていた癖に」
「グチャグチャしたものを無理やり食わされただけだったが。……あれ、どうしてペネトリットが昨夜の悪夢に言及するんだ?」
ふと、外部サーバーとの回線が途切れた。
誤操作でもしてしまったのだろうか。ネットワーク設定を見直したり、パソコンを再起動して復旧を試みる。作業に集中しているため、ペネトリットに構っていられない。
「このッ。もういいわよ! こんな眷属どうだっていいわ。こんな職場も無茶苦茶にしてやるんだから!!」
ペネトリットが羽で飛び、壁の向こう側へと消えていく。
俺は通信復旧を続行したものの、どうにもうまくいかない。サーバー側の問題か、あるいは、中間地点が物理的に遮断されてしまったのか。お客さんが来るまでに復旧しないと色々まずい。
「さあ、アンタ達! 私が援軍として参戦したわよ。イタズラの限りを尽くして人間族を絶望させなさい!」
「きゃー、気管氏もとい姉さまー!」
「貴女はイタズラの救世主よ!」
「なんだとッ。妖精が更に増えて、組織的なイタズラを開始した。も、もうこの職場は終わったぞ」
「外部との接続が途切れてしまって!? 外の奴等に、俺達は、見捨てられたんだ……」
駄目だ。外と電話も繋がらない。まるでイタズラで大量の出前を取られないように回線を遮断したかのような処置である。
俺の知らないところで事件が起きている可能性があるが、クソ、胃が痛くてまともに動けない。
異世界ゲートを背景に、多数の小さな人影が円形に舞っている。
背中に羽を有する小人達が、怪しげな表情と手の仕草で飛んでいる。
「妖精の中でも森に住む我々は、他種族を惑わし、深き場所、戻れぬ場所へと誘うのに特化する――」
蝶の羽を羽ばたかせるソレ等が小さかろうと関係ない。妖精の妖とは、あやしげ、もののけ、邪悪を意味する。
妖精が幼かろうと関係ない。むしろ、人離れした容姿の彼女等だからこそ現実をより一層乖離させてしまう。
物理的な面積など妖精の前では関係ない。森妖精等は飛ぶ軌道そのものを魔法陣として、ホールにいる人間を戻れない場所へと迷わそうとしている。
「――さあ、人間族。迷いなさい。人界にお別れを言い残して、消えてしまうの」
「お別れを」
「お別れを」
「迷ってしまって、お別れを。ふふっ」
そして、飛び交う森妖精の中央に浮かんでいるのはペネトリット。妖精としての牙を見せた彼女の笑みと指揮の下、出入国ホールは異界化する。
純粋の森妖精ではないペネトリットであるが、その指揮は完璧で、どの森妖精よりも妖しげだ。体の所々に浮かび上がる宝石は、一層、人を惑わすのだろう。
餌食となるのは出勤していた審査官達だった。彼等彼女等は職場で行方不明となってしまうのだ。
「――さあ、人間族。永遠の惑いに――ぐぅゲェ、ふっ!?」
……飲みかけのミネラルウォーターのペットボトルに撃墜されて、妖精の術式が強制中止されなければ。
「お、お姉さま!?」
「ス、ストラックアウト……」
「よ、容赦がないわ」
飛んでいた森妖精AからZがオロオロしている間に、ペットボトルを全力で投げつけた審査官が胃の付近に手を添えながら現れる。
自分達も撃墜されるのではないかと恐怖している森妖精を素通りして、審査官はゴミ箱にシュートされたペネトリットの足を掴んで掬い出した。完全に気絶してしまっているペネトリットを労わらず、人形のように持ち運ぶ。
「まったく、仕事中だというのに遊んで。俺は胃が痛いのに。あ、お騒がせしましたーっ!」
人界からおさらばする直前だった同僚達に軽く挨拶して、審査官は自分のブースへ戻っていった。
管理局の内外を繋ぐ秘匿回線でやり取りが行われる。
『――先輩が無事に事態を収拾しました。殺虫剤散布まで残り五秒でした』
「報告ご苦労、浦島。今日はそのままペネトリットの監視を継続しろ。出現した妖精共の処罰は帰還するまでに考えておく。それまで拘束しておけ」
『はっ!』
秘匿回線を切って、宝月滝子はようやく溜息を付く。
朝まで気分良く飲み食いしていたかと思えば、職場は突拍子もなく崩壊しかける。異世界入国管理局としては珍しくもないが局長としての心労は重くなる一方だ。
ペネトリットと呼称される妖精について、宝月は監視を強化していた。害虫を駆除する際に原理不明の砲撃を行った時から、特別警戒は続いている。爆撃に耐える出入国ホールの最終防壁を軽々貫通する攻撃性能は決して見逃せない。
「獅子身中の虫というものか。危険分子であるのは間違いないが、外敵との均衡を図るためには給料を払い続けるしかない」
ペネトリットは危険である。密輸された事自体に裏がある。
宝月はこう推測しつつもペネトリットを排除できずにいる。光の信徒や魔族といった異世界の他勢力に対処するためには、危険であってもペネトリットの力が必要とされるからだ。今のところは審査官のエースで制御できているという救いもあり、放置を続けていた。
「敵の敵に対処するために、敵ですら雇用しなければならんとは」
宝月は再び溜息を付く。彼女の懸念は妖精だけではない。
愛用のタブレットには、管理局内のコンビニエンスストアで採用されたアルバイトの履歴書が写っている。




