デートX073 年上の上司の家族事情
酒精により口が軽くなっているのだろう。局長は自分が異世界に拘る理由を話す。
「私には妹がいてな。年が離れているから、妹はまだ学生だった」
グラスの余りを豪快に一気飲みした局長は、妹の顔でも思い出しているのか天井を見上げる。
「……行方不明になる前日、初めて姉妹喧嘩をした、年の差もあって喧嘩などした事はなかったというのに、妹の言動に私も感情的になってしまって」
「局長が怒る姿はあまり想像できませんね」
「妹が母の食事を食べたくないと言い出したのだ。出された夕食を見て、こんなのは人の食事ではない、豚のメシにも劣る、冒涜的な何かだと」
「親の食事を、酷いですね」
「まったく。いつもと変わらない味だというのに突然言い始めた。反抗期のない妹だったというのに急に暴言を」
妹の心無い発言により、一般家庭の夕飯が凍り付く。
母は泣き崩れ、父は何故か無言を貫き、両親の代わりに姉は激高した。
そして次の日の朝、妹は書置きも残さず家から姿を消していたという。
「あの時、妹を叱った事を間違いだとは思っていない。更に言えば、私は一言も家を出て行けとは言わなかったというのに、妹は……」
局長は一日中、妹を探したそうだが姿は見つからず、夜になっても家に戻ってこなかった。
警察に連絡したが、三日経過しても進展はなかった。
そして一週間後、局長の妹と同じように行方不明になった子供が複数存在するという報道が世間を駆け巡った。
「中高生集団行方不明事件ですか」
「ああ。異世界ゲートの存在が噂でしかなかった当時、異世界に憧れる若者達がネット上の情報を頼りに異世界ゲートを発見し、通り抜けた可能性が高いとされた集団失踪だ。失踪人物の名簿の中に、私の妹がいる」
記憶が確かならば、メドゥーサが歩行者天国を石化させる事件を起こした直後に起きた事件のはずだ。半人半蛇の怪物がどこから現れたのかを推測し、具体的な場所を示す投稿がネット上に流れまくっていたと思う。
信憑性皆無の情報ばかりなので多くはイタズラだったのだが、川底に隠れる砂金のごとく、本当に異世界ゲートの場所を言い当てている投稿があったのである。数時間も経たずに投稿は削除されたが、行方不明になった中高生の半数以上がその投稿へとアクセスしていたログが残っていた。
公共交通機関を使い現地へと移動する中高生の姿も、監視カメラの映像に複数残されている。彼等彼女等が異世界ゲートを目指し、通行した可能性は酷く高い。
「状況証拠は多く残っている。だというのに、異世界の奴等は私の妹の事など知らんとしか言わない。ふざけている」
今も行方不明者達は行方不明のまま。
異世界との国交成立を急ぐ政府は、正式な交流が開始すれば事件調査が格段に進むと謳っているが、確実に発見できるとは一切口にしていない。
「どうして異世界ゲートが二つも繋がっていたのだ。その所為で両陣営が別のゲートを通ったのではと言い逃れしている。ふざけている」
「局長。そのグラスは空です」
「ええい、だったらお前のグラスを貸せ。……ちぃ、水か」
警察からの出向組たる局長。彼女は事件の関係者の中では誰よりも、一年以上事件を進展させられていない状況を歯がゆく思い、自己嫌悪に陥っているはずだった。
異世界と接する仕事をしている者として、どう接すれば良いのか。
他の誰よりも異世界に慣れて、そこそこの知識を有する俺であるが、局長の妹の事までは知らない。
「そういえば、ユーコ準騎士が日本人である可能性が高いのですが」
「そんな報告もあったな。私の妹も偶然、名前は有子というが、母の夕飯を貶して家出した妹なのだぞ。お前の悲惨な料理をうまそうに食う娘が、私の妹であるものか」
「ちなみに妹さんは猫派ですか、犬派ですか?」
「さあな。家でペットは飼っていなかったから知らん」
俺の実体験ぐらい、局長は報告書として読み上げている。
いちおう、局長の方でも行方不明者の中にユーコ準騎士らしき人物がいないか調査はしているようだが、顔写真もない状態では難しいとの事らしい。
「……ん、顔写真?? 局長はユーコ準騎士の顔をまだ見ていないと」
「出入国ホールの監視画像では、丁度、何かの死角に顔が隠れてしまっていたな」
局長は仕方がないと言っているが、無視できない違和感がある。
ホワイトボードへと被疑者や被害者の顔写真を貼り付けるのは刑事ドラマ特有のフィクションと聞くが、それでも、警察からの出向組である局長が疑わしい人物の顔を確認しようとしないのは怠慢を通り越して、異常だ。
敏腕美人たる局長自身がその状況に疑いを持っていないのは、作為的とさえ言える。
「神妙な顔をお前がするな。所詮は私の家族の事だ」
「あ、いえ。局長も偶にはホールに来てくださいよ。今度、来客があったらお呼びしますから」
「……頼むから私を殺すなよ」
特定の行動を心理的に避けさせるとなればRゲートの呪術だろうか。いや、Lゲートの魔術でも似た芸当は可能だろう。俺に影響が出ていない理由は不明であるが、局長は幻惑されてしまっている様子だ。
ユーコ準騎士に対する疑いは更に強まった。
コース料理の前菜が到着した事で、深刻化してしまった世間話を終えて、楽しい食事を始める。
局長の態度を審査してみたところ、俺が男として守備範囲にいる訳ではなさそうだった。この夕飯でポイントを稼いで親密になりたい。
「ナイフとフォークは外側から使うのだぞ」
「局長。自分だってそのぐらいのマナーは知っていますよ」
料理ごとに専用のナイフとフォークを使っていたなんて、西洋の人々は宮大工の素質があったに違いない。
俺は局長へと笑顔を向けたまま右の端にあるナイフを取ろうとして……手がスカる。
「あれ? コース料理に、男性には装備できないナイフなんてありましたっけ」
「置き忘れだろう。店員に頼め」
俺の席にはナイフが一本足りなかったらしい。
近場を通る店員に頼んで予備を用意してもらい、改めて食事を開始する。
左手はまだフォークを握っていなかったので、左の端にあるフォークを取ろうとして……手がスカる。
「あれ? ナイフだけで食べる前菜なんて、この店は斬新ですね」
「置き忘れだろう。店員に頼め」
両端が一本ずつ置き忘れられていたのか。ナイフがなかった段階でフォークは置いてあった気もするが、俺の記憶違いだろう。
その後も若干のアクティビティ――フィンガーボールがひっくり返る。紛失していたナイフとフォークがパイの中から現れる。飲む前のスープが空になる――があったものの、夕食は順調だ。
そして、運ばれてきたのはメインディッシュ。鹿肉をいい感じに焼いたものらしい。
ドームカバーに隠されてテーブルまで運ばれてきたため、当初は中身を確認できなかった。
「料理の美味しいお店ですね」
「まあ、な。……私の好みから言うと薄味過ぎるが」
局長がボソっと何か呟いているが概ね料理は好評だ。鹿肉は初めてであるが期待できる。
「お待たせいたしました。鹿肉の……ぐふぇっ!?」
ドームカバーを開けた店員が声を詰まらせた。
それはきっと、カバーの中から溢れ出る蒸気と共に広がる甘く辛い、苦くてまろやか、繊細なのに豪快な、ぶっちゃけ刺激臭が鼻の穴を貫いたからだろう。
鹿肉というからには鹿が使われているのだと思うのだが、鹿そのものはバーベキューソースとオーロラソースに沈んでしまって見えない。それでいて蛸足が見えているのだから不思議だ。フランスの鹿には触腕が付いているのだろうか。
中央に盛られているクリームと味噌はお好み焼きソースでコーティングされている。
周囲を飾るツブツブはタピオカかな。うん、流行りだからね。
「ほう、この料理は――」
「申し訳ございませんっ。きっとシェフの奴が異世界料理を出す料亭に嫉妬したあまり酸素欠乏症に」
「――なかなかに美味そうだな。うむ、やはり美味しい」
謝ろうとする店員を放置して、局長は鹿肉(?)を実食し始めた。
見た目に反して味は良いのだろうかと錯覚して、俺も一口味わっ――。
――気が付くと、俺は店の前に立っていた。
「まさか私好みの料理が出る店だったとは。それともお前の差し金か? お前のサプライズだとすれば、なかなかやる。正直、見直したぞ」
おかしいな。メインデッシュが運ばれてきた瞬間までの記憶はあるのに、以降は何も思い出せない。一つ理解しているのは、俺は今後、鹿肉を絶対に食べないという事だけだ。
「私の行きつけで飲み直さないか? 美味い料理を出す店なのだが」
「明日も早いので、失礼しますッ!」
「そう言わず、付き合え。局長命令だ」
局長は上機嫌でパワハラを働いて俺を連行していく。過去最大の親しみを持って手を掴まれて嬉しいはずなのに、寿命が縮む未来しか想像できないのは何故だろうか。
俺は局長にお持ち帰りされてしまう。
「あれだけ妨害してやったのに、あいつらっ。もうっ!!」




