没収品L007 味噌
通常勤務時間たる午前十時。いつも通りに業務をこなす。
「はい、次の方。こちらにどうぞ!」
ホールの奥には峠道のような長い一本道が二本、別方向に続いている。
片方は白い道であり、もう一方は黒く酸化した道である。施設内とは思えない長さで空間容量的にありえない。道を少し外れるとそこは群青色一辺倒の不気味な背景となっており、底がない。底という概念があるかどうかも疑わしい。
左側の白い道、Lゲート――通称、光の扉――より現れた次の入国希望者は、装飾した馬車を伴う使節団だった。
「神聖帝国グラザベールの、大貴族カスティアの使者……ですか?」
「はい。以前、当方の偽者がご迷惑をおかけしたようで申し訳ない」
同じ一団が以前現れて、警備部隊と乱闘騒ぎを起している。彼等の正体は神聖帝国グラザベールのカスティアとは異なる貴族だったらしい。日本から通行許可書を発行する権限を与えられておらず、貴族間の対抗意識から騒動を起したと聞いている。
整えられた白髪に、片目にモノクルという分かり易い老紳士が、一介の審査官に深くお辞儀をしている。紳士と同じように使節団の護衛らしき白い鎧の騎士や従士もお辞儀してくるから居心地が悪い。
「ご丁寧に、ど、どうもです……。えーと、通行許可書をお願いします」
「どうぞ、お確かめください。今回は本物ですよ」
「あははーっ」
人の良い紳士だ。俺の知っている異世界人の中では一番親しみ易い顔付きをしている。
「入国目的は何でしょうか?」
通行許可書の発行者、印、シリアルナンバーはすべて問題なし。カメラを使った画像解析でもOK判定。今回は本物で間違いなさそうである。
「日本との貿易開通に向けた協議が主な目的ですな」
「ついに正式な国交が開かれるのですか」
「そうなる事を我が国と我が主は望んでおられます」
人間も機械も騙せるような高度な魔法を使っている可能性がないとは言えないが、そんなものは対処の仕様がないので諦めるしかない。
「ペット妖精。何か違和感や気付きはあるか?」
「私はペネトリットよ!」
いちおう、背後にいるペット妖精にも聞いてみたが何もなさそうだった。
「――ほう。新世界にも妖精がいたとは初耳ですな」
「あ、この妖精は密輸されかけたところを管理局で保護しまして。故郷が分からないから返品できずそのままズルズルと」
「私を迷子みたいに言わないで! 新世界へと羽ばたく華麗な妖精の勇気が分からないのは心が枯れているからよ」
異世界人の老紳士にペット妖精の出身地に心当たりがないか訊ねてみたが、首を振られた。少なくともグラザベール近郊に住む妖精ではないらしいが。
「人慣れする妖精も数が多いですからな。ですが、森に住む純妖精はあまり縄張りを離れようとはしないはずですが……さて」
「やっぱり分かりませんか」
「森林同盟ならばあるいは。いや、根拠のない希望は抱かせたくはないですな」
森林同盟。複数の民族が徒党を組んだLゲート側の主要勢力の一つだったか。広大な領土と、領土のほとんどに広がる深い森が特徴と聞いている。実際に行った事がないので噂話程度の知識だ。
密輸事件の発生源となってからは入国も出国も途絶えていた。元々かなり保守的な国なのでグラザベールと比較すれば人の行き交いはないに等しい。ただし、森林同盟の種族はブームを起すぐらいに人気が高い。
「フロンティアスピリットでゴーウェスト。私は西を目指す!」
「いや、ここ東日本だから」
鳥かご越しに俺とペット妖精がやり取りする様子を眺めていた老紳士が、ふと、真剣な顔で忠告してきた。
「妖精との付き合い方にはご注意を。愛らしく見えても中身は人間族とは異なるものです。我々とは別の法則、別の思惑を持って生きる隣人としての接し方を忘れぬよう。それ等は無邪気という邪気をもって、微笑みながら人間族を陥れるのですから」
異世界人の貴重な忠告だ。
鳥かご生活にすっかり慣れて無害にしか見えないペット妖精が、爆笑しながら俺の生命を奪う。そんな未来が来るかもしれないと常に想像し備えておかなければならない。
異世界入国審査官の仕事とは、そういった危険と隣り合わせなのだと改めて自覚した。
「通行許可書をお返しします。ようこそ、日本へ。こちらのゲートを通行ください」
「先輩―っ、ヘルプーっ!」
仕事を続けていると隣のブースから悲痛な声がかかる。可愛い後輩からの助けを呼ぶ声だ。
後輩は優秀であるが異世界入国管理局に配属されてからまだ一か月の新米である。特殊な仕事なので分からない事はいつでも訊くようにという言い付けを守って、助けを求めてきた。
自分の持ち場を離れて、後輩の所へと向かう。
後輩のブースにいたのは、シワのない青いシャツをきっちり着込んでいる後輩。出国希望者らしき日本人女性。
そして、二人の間のカウンター上にある、黄土色の食品。
「先輩―っ、どうして味噌って異世界に持って行ったら駄目なんですか??」
世の中、どうしてそんな物を旅行に持っていくんだ、という人は多い。せっかくの異世界旅行だというのに現地の料理を味わおうとせず、馴染みの味を持参しようとする。今回は味噌のようだが、醤油やお茶漬けを荷物に入れて運ぼうとする旅行者の多い事、多い事。
「味噌は完全にNGです。法律で禁止されています」
「何でよ!? 味噌は私達のソウルフードじゃないっ!」
後輩に代わって、味噌を異世界に持ち出そうとした恰幅の良いおば様と相対する。おば様はさっそく食いついてくる。
「私、毎朝味噌をパンに塗って食べているの。健康に良いから!」
「それは素晴らしいですね。では味噌を没収しますのでここにサインを」
「ちょっとっ!? 話聞いていたの!」
己の話を聞いて欲しいのなら、俺の話も聞いて欲しい。味噌を異世界に持ち込む事は完全にアウトなのである。
空港でも最近は味噌の機内持ち込みが禁止されているが、異世界の場合は別の理由が存在するのだ。
「味噌は異世界で未発見の食品です。将来的に輸出が検討されており重要品指定されているので、法整備中は技術流出を防止するために持ち出しが全面禁止されています」
地域が変われば食文化が変わる。日本でチーズが発達しなかったように、異世界では麹が発達しなかった。
けれども、発達しなかった物が気に入られないかというと、そうとは限らない。
Lゲート側の国々と国交を開いた時のため、日本は先んじてどういった品が異世界人に好まれるのかを調査した。
結果、森林同盟にて味噌が猛烈な支持を受けたのである。異世界の中でも閉鎖的と揶揄される森林同盟が、味噌のために新世界に近づいた、と言われているぐらいである。
「そんなのフェアじゃないわ! 良いものは皆に知らしめるべきよ!」
「そういう意見もありますが、政府の方針では現時点で味噌を広く伝えるつもりはありません。技術の流出を我々は阻止します」
「なんて心の狭いっ!」
「狭い国土だから、他国に通用する売り物は独占するんです。後輩、没収するぞ!」
「わっかりましたー」
おば様は味噌宣伝大使としての使命に突然目覚めて、強引に味噌を持参しようとする。それを後輩と一緒に防ぐ。
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▼没収品ナンバーL007、味噌
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“言わずと知れた日本の伝統食品。白とか赤とか米とか麦とか色々ある。
各ご家庭に拘りがあって、どの味噌を使うかで戦争が起きる”
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「味噌ねぇ。ベジタリアンというか、ベジタブルそのものなドライアドは気に入りそうね」
俺達の必死な様子を、無関係なペット妖精は純粋に楽しんでいた。