入国者R006 ゴブリン
「プーッ、クスクス! 馬鹿な芸能人。こんな問題も分からないのー?」
「妖精が日本のクイズバラエティ観て楽しいのか。答え分かるの?」
「知らなーい」
就業時間を終えたアフターファイブ。
休憩室を占領した俺は、後輩に買ってきてもらったコンビニ弁当と、休憩室付属の急須と湯飲みを並べて夕食を開始していた。ペット妖精は隣席に置いたスマートフォンを観てゲラゲラ笑っている。
三日経ってようやく機嫌を直したのか、あるいは機嫌を悪くしていた出来事をすっかり忘れ去ったのか、ペット妖精は俺の隣でゲラゲラ笑っている。
体とほぼ同じサイズの大画面でバラエティを視聴できるのは、小さな妖精の特権だ。隣には体と同じサイズのプリン――後輩が弁当と一緒に買ってきた――が鎮座していて、透明スプーンをシャベルのように用いて食していた。
「甘いものばかり食べていると体に悪いぞ。……焼き肉弁当いるか?」
「カレーじゃないのなら、いらなーい」
森に住むタイプの妖精なら花の蜜ぐらいしか食べられないかと思いきや、コンビニ弁当を普通に食べる。雑食性で、好んではいないものの肉も食べる。ペット妖精の正体が益々分からなくなってきた。
“問題、応仁の乱が起きたのは何年?”
「1467年でしょ。自分の国の歴史も分からないって新世界の人間族って馬鹿ね」
「どうでもいい事ばかり覚えていくよな、ペット妖精」
テーブルの上でペット妖精が腹をかかえて笑っても、羽から鱗粉は落ちない。だから、隣にいても食事については支障はない。
ただし、異世界生物に日本のテレビ番組を視聴させるのはコンプライアンス違反な気がする。心筋梗塞になりかねない危険行為だったと後で気付いたのだが、ペット妖精は呪術的にセーフ判定らしく体はすこぶる快調だ。
“問題、木炭と硫黄、それと硝石の混合物で作られる爆発物質の名前は?”
「知らなーい。一切興味ないわ」
「興味の方向が歴史と遊戯と芸能寄りだよな」
ペット妖精がバ……天真爛漫で助かった。
番組がコマーシャルに入ると、ペット妖精は急須の傍まで飛んできてお茶を要求する。妖精の体では急須を持ち上げられないので、俺が淹れてやる。
「熱いじゃないっ!」
淹れたお茶が熱かったのか、ペット妖精は一気に天井まで飛ぶ。その後は抗議のために俺の脳天を叩いてから、再びスマートフォンの傍へと戻っていった。
……そろそろ分かったかもしれないが、ペット妖精は鳥かごの中にはいない。格子の外、娑婆でバラエティを視聴している。
悪性疑惑は未だに晴れていない。が、警察の調査はついに打ち切られて密輸犯は起訴されてしまった。密輸品たるペット妖精の原産地不明のまま罪が確定する可能性が高い。
このままだと、異世界入国管理局で永遠にペット妖精を飼い続ける事になってしまう。その悪夢を避けるために管理局が独自に調査を開始したのである。
営業時間外の休憩室に限ってではあるが、ペット妖精を鳥かごから出す事を我等がボス、管理局の局長は許可した。飼い主が責任持ってコミュニケーションを取り、出身地を探れというお達しだ。
「そのままだと、プリンが半分以上余るぞ。少し食べてやるから分けろ」
「がるるるるッ」
俺がペット妖精の飼い主なのは公的なものになりつつある。当事者たる俺とペット妖精は一切了承していないのに、どうしてこうなった。
ホームページに載っている営業時間が終了している異世界入国管理局であるが、夜にも職員は残るようにしている。異世界の扉は常に繋がっている。万が一、向こう側から誰かがやってきた時に職員が対処するためだ。
本日の夜勤は俺である。
異世界の扉へと繋がるホールで常時待機しておく必要はないので、スタッフオンリーのドアの向こう側にある休憩室でのんびり過していた。
夜十時。バラエティが終わって休憩室は静かだ。魔法が技術として確立されている異世界に繋がっている管理局にいると、霊的事象が発生しそうで心寂しい。
「たべ……すぎ……ぐふぇ」
「食い意地はって、プリン全部食べた報いだ」
ペット妖精がいると寂しい気分になっている余裕はないのだが。
「異世界って幽霊いるのか?」
「スピリット系? それともアンデッド系? どっちもいるけど」
「分類可能なぐらいに、いるんだな……」
「厄介な魔物だけど、エンカウントする場所が墓場とか戦場跡とかで限られるから怖がる必要ないと思うけど」
審査官として、ペット妖精とのコミュニケーションは思っていた以上に貴重だった。まだ詳細の分かっていない異世界の風習や生態を知る良い勉強会になっている。
だらしなくテーブルの上で仰向けになっても妖精の羽は弾力があって心配いらない、という事実も最近知った。
「嫌われ者としては圧倒的にゴブリンの方が上よ。あいつら、魔界から出て来て悪さするから!」
ふと、話題に挙がるゴブリン。異世界種族でありながら地球でも広く知られる存在だ。特徴も多く知られている。
人間と比較して小柄。歯並びは悪く開いた間から唾液を垂れ流す。小汚い布切れを身に付けただけの姿で徘徊する。最弱のモンスターであるが斥候として人界へと紛れて村を襲う。軽く挙げるだけでもこれだけある。
「ゴブリンに襲われた村は百を超えるわ」
「異世界の戦争は本当に酷いものだな」
異世界では、世界を二分する大戦争が長く続いている。異世界を理解する上で必須となる前提知識だ。
人間に近しい姿を持った種族が住む、人界。光の勢力。
モンスターのごとき異形の存在ばかりが住む、魔界。闇の勢力。
二つの生態系が、互いを知った一千年以上前から戦争を続けているのだから常軌を逸している。和平を結んだ期間は一度もない。異世界の死因一位は常に戦死。日本が異世界との交流を制限しているのが分かるというものだ。
「首狩り族の末裔に私達の精神疑われたくはないわね」
「戦国ゆえ仕方なし」
ペット妖精の話から、異世界における種族間戦争の根の深さが窺えた。人を馬鹿にするのが生き甲斐の妖精でさえ魔界を嫌悪している。千年以上続いている戦争の和解には、より長い時が必要となるのだろう。
“――ぴんぽーん。Rゲートから定期便が到着する時間です。審査官は向かってください”
前触れのないアナウンスで呼ばれたが、慌てる事はない。今日の夜勤は丁度、定期便の日と重なっている。
「呼び出されたから行ってくる」
「スマートフォンは置いて行って! もうすぐ観たい番組が始まるの」
「置いていくから悪さするなよ」
コミュニケーションにより、ペット妖精を室内に一人で残せるぐらいには安心できるようになってきた。
それでも隙を見せず、休憩室のドアの施錠をしっかりしてから俺はホールに向かう。
Rゲート――通称、闇の扉――からの来客は最近途絶えていたのだが、定期便は別らしい。幅二メートルの巨大木製トロッコが現れて、ガタガタな車輪でホールを振動させている。
「定期便、お疲れ様です」
「ゴブ」
Rゲート専用のレールをゆっくり移動する重量感あるトロッコ。その原動力はなんと人力。トロッコの後ろにいる子供程度の背の人達が腕の力のみで押している。
背丈の割にはかなりの力持ちだ。グランドピアノ以上に重いトロッコを押すとなると、同数の人間だけでは難しいだろう。
まあ、彼等が力持ちなのは、日本ではお馴染みだ。人材不足に苦しんだ建築会社や農家が、身元不明、人間かも怪しい人材を雇い、法律違反な低賃金労働させていた事件は記憶に新しい。ブラック企業怖い。
「いつも通り、輸出品は石炭ですか?」
「ゴブ」
「分かりました。では、トロッコをこちらに。交換はいつも通り、同量の水でよろしいですか?」
「ゴブゴブ」
「了解しました。お疲れでしたら、あちらのウォーターサーバーを。皆さんもご自由にお使いくださいね」
「ゴブっ」
力持ちの人達はトロッコを運び終えると、ホールに備え付けられているウォーターサーバーに並んだ。押し合うような事はなく全員が秩序を守る。一列となって順番を待っている。
石炭満載のトロッコの運搬はかなりの重労働のはずであるが、運搬後の水飲み放題はかなりの役得らしく立候補が絶えないらしい。
紙コップに水を汲み終えた者はベンチへと移動。タオルで汗を拭きながらチビチビと水を飲んでいる。
日本語が入ったタオルを持っている者は、おそらく不法労働事件、俗にゴブリン・ステイと呼ばれる事件の当事者なのだろう。その姿は工事現場にいるおじさんとあまり変わらない。
「奥にいるので、お帰りの際にはお呼びください」
「ゴブ」
頷く彼等を置いて、休憩室に戻る。
さて、ペット妖精は大人しく待っているだろうか。
「深夜にガタガタうるさーい!」
テレビ視聴を音で邪魔されたペット妖精は頬を膨らませていた。
鬱憤を解消しようとした結果なのか、ティッシュ箱が荒らされて中身がテーブルの上に散乱している。
「猫なのか犬なのか。どちらにせよ、やっぱりお前はペットだわ」
ペットのいたずらを怒ったりはしない。ただ、ティッシュは勿体無い。
捨てずに長細く千切ると、鳥かご内部にある藁製の巣の中に敷き詰めていく。そろそろ寒くなってくる季節なので布団代わりになるだろう。
「何それ?」
「ベッドだ。温かいぞ」
「げっ歯類扱いしないでっ!」
「次の休みに妖精サイズの布団用意するから、しばらく我慢しろ」
「もうっ、この私をいつもいつも馬鹿にし……ぐぅー」
ティッシュ片を掴み出そうと鳥かごに戻ったペット妖精であったが、存外ティッシュの温もりが心地良かったのか、巣に入って眠り始めた。深夜なので眠気が高まっていたのだろう。
“――ぴんぽーん。ホールから呼び出しです”
ペット妖精が眠ってくれたので、俺は安心してホールへと向かえる。
Rゲートから持ち込まれたのとは別の、ブルーシートを敷いて水漏れ対策したトロッコを押してRゲートの労働者達は去っていく。
Rゲートの向こう側は過酷な土地だ。
飲める真水を確保する手段は乏しく、環境に耐えられる異形の存在しか生きる事を許されない。が、異形とて生物であるのなら生きるために水を絶対に消費する。そのため、環境に適応できない未成熟な子供が水不足で最初に衰弱死してしまう。
人道的な見地より、日本はRゲート側との交易を限定的に許可していた。
二十日ごとの定期便で彼等は貴重な水を得て、Rゲートの向こう側、魔界へと戻っていく。
「ゴブリンさん達、次は二十日後でよろしいですか?」
「ゴブ」
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▼入国者ナンバーR006、ゴブリン
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“低身長で子供のような体形の種族。苛烈な魔界の環境に長年さらされた体はかなり変質してしまっているが、本来は妖精の一種である。
人界からは嫌われまくっているが、エンカウント率に比例した評価とも言える”
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魔界という名前はおどろおどろしいが、その秩序は一人の絶対的な王によって守られている。複数の国が立ち並ぶLゲート側とは文化や文明がまったく異なる。文化の相違が、大戦争が続く理由の一つなのだろう。
トロッコを押すゴブリン達を見送り終えた。夜勤は続くが、大きな仕事はこれで終わりだろう。
「もうっ! 騒音で睡眠邪魔してきて! 何なのかしら!?」
眠ったはずのペット妖精が起きていた。トロッコを押す音に起されて不機嫌ゲージをMAXまで溜めてしまっている。
「夜にうるさくするとゴブリンが襲ってくるって、新世界の人間族はママに教えてもらわなかったのっ?!」
「あー、うん。ゴブリンか」
「あいつら夜行性だから、音で村の位置を知らせないように夜は静かにするのが鉄則なの! 分かる!?」
「夜行性なのは知っている。深夜残業させていた個人経営者が警察に捕まったから」
「だったら、どうしてうるさくしちゃう訳っ!」
鳥かごから出てきたペット妖精は、俺を正座させて叱り始める。睡眠欲が復活するまで、ずっと叱り続けるのだろうな。
「ゴブリンは恐ろしいの! アンタなんか簡単に殺されちゃうから!」
「あー、はい」
「曲がりなりにも私の加護を受けた眷族なのだから、助けてあげなくもないわ。でも、私に甘え続けようなんて考え方は甘いから。まずは甘い物を貢いで、日々私を敬うようにね」
「あー、眷族ね、うん。……うん??」
「返事ははいか、YESだけよ!」




