治療薬L057 薬草を求めて
メドゥーサの参戦により、Rゲート大使館の魔族人口は昨日までと比較し、なんと二倍。片方の手の小指だけでは数えられない人員となっている。
「ゴブリンごときが消息不明になる奇妙な空間の調査に何年かけていたのよ。幹部ならもっと手早く制圧して見せなさいよ。馬鹿じゃないの!」
「も、申し訳ありません。アジー様……」
だが、メドゥーサが暴れた所為で警備部に大きな被害が出ている。死者こそ出なかったものの、重軽傷者は多数。
腰の骨を折る重傷者、腕の骨を折る重傷者、首を寝違える重傷者、健康診断で高血圧と診断された重傷者、いないはずのエルフに毎朝挨拶する精神重傷者、と重傷者が多発して八割が行動不能状態だ。これではまともな管理局運営が行えない。
審査官が審査に集中できるのは、後ろに必ず助けてくれる仲間が控えてくれているからである。
「危険な新世界にどうして手を出しちゃったのよ。いらぬ尻尾を踏んで不眠で働く店長を目覚めさせたらどうするのよ。未知の世界なのよ、もっと慎重に対話を重視しなさい。馬鹿じゃないの!」
「も、申し訳ありません。アジー様……? あれ、先ほどと言っている事が真逆なような??」
ブルーシートの上……ごほん、大使館で正座され続けるメドゥーサと、メドゥーサに説教垂れ流し続けるアジー。人間に擬態できる魔族って器用なだけでメリットがない。
アジーがキレ続ける様子を見ていると、被害を受けた側の俺達が何故か冷静になってしまう。というか、感情的になっていられる状態ではない。被害そのものも深刻であるが、事はより一層深刻である。
「Rゲートの魔族が暴れて局員に被害が出た。これを理由に、現在の職員の能力を問題視し、排斥に乗り出す。これが、メドゥーサが突然送り込まれた陰謀の筋書きだ」
「あ、あの。局長。俺もそこそこ背中が痛い負傷者ですよね? 労災案件ですよ」
「程度の低い陰謀でも、好都合な事実のみを公表された段階で対処不能となる。世論という数の暴力は防げない。所詮、我々は公務員なのだと思い出させてくれる」
気絶から復活したばかりの俺は局長室に呼び出されて、局長から政府の陰謀を明かされてしまっている。政府の考えも局長の人使いの粗さも意味が分からない。
「被害が出ているのは事実なのですから、仕方がないのでは?」
「馬鹿を言うな。日本がファンタジーに汚染尽くされていない理由の大半が、偶然集められた職員達の努力一割、運一割、理由不明、理解不能八割のお陰なのだぞ。今、職員が総入れ替えとなれば必ず破綻する。断言してやる」
「断言するのなら、職員の実力によって日本が守られている、と言ってほしかった」
貼り付けたばかりの湿布の効能を地肌で感じつつ、局長に相槌する。
「今の異世界入国管理局を守らねばならん。そのためにも、今回の被害は隠蔽しなければならんのだ」
局長は皮の椅子に腰かけて簡単に足を組み直しているが、目の前にいる異性の職員に、タイトなスカートの中身を隠せていると思っているのだろうか。
「局長は簡単に言いますが、骨折した人間がこんなにいるのに、隠せるはずがありません」
「地球では無理だが、異世界には希望がある」
「というか不正ですよね。警視庁から出向している局長が許されるのですか?」
「異世界が原因ならば、異世界に解決策を求める」
局長が何を言いたいのかは分からないが、局長室に集められていたのが俺とペット妖精のみという事実は何かを暗示させている。
「政府からの監査が四日後に予定されている。お前とペネトリットの両名はLゲートから異世界へと渡り、驚異的な治療効果を発揮する薬草を採取して来い。そして監査が入るまでに帰還せよ」
「これって管理局の完全なる暴走ですよね。監査に引っかかるべき事案ですよね」
「やったわ。これで古巣に戻って新世界の事を自慢しまくれるわ! さっそく、お土産見繕わなきゃ!」
突然の隠密出張命令。真剣、困惑、歓喜の三人三様の表情でお互いの顔を見合うしかない。
「ペット妖精をLゲートへって、局長は正気ですか!」
「異世界の薬草に一番詳しいのがペネトリットだ。お前だけでは不安が残る。最低限にして最大限の人員がお前達二人となる。分かれっ」
「最近、局長の業務外命令ばかり受けている気がするのですが、自分がただの審査官だって忘れていませんかっ」
「……魔王軍幹部と戦って無事な審査官とは一体、うごごごご」
「大義名分が欲しければくれてやる。審査官として異世界を視察し、審査業務に反映しろ。いいなッ」
管理局の危機で焦っているのは分かるが、今日の局長はずいぶんと強引だ。
「行け、行って管理局を存続させろ!」
若干以上の不満を感じながらも、俺は局長に逆らわない。だって、上司だし。
不満顔の部下(男)と満面の笑みの部下(小)がいなくなった。
ようやく、宝月滝子は深く溜息をつく。
「――僅かな可能性であっても、私は、有子を見つけ出すまで、ここを離れる訳にはいかないのだ……」
机の上の写真立ての中では、仲の良い姉妹が並んでいる。
――魔界入国管理局(建築中)にて
魔界観光ツアーの反省点を活かすため、新世界から訪れる人々を審査する魔界版、異世界入国管理局の建築が急ピッチで行われている。たった一か月で一階部分の建築に着手できたのは、魔王軍幹部を二人も投入しているからに他ならない。
管理局の長を務める新進気鋭の幹部、オーク・ワイズマンのゼルファ。
魔界のガウディとも言える建築の父、ミノタウロスのミノス。
二大幹部の活躍により、今年度中には建築完了の予定となっていた。建築そのものはすこぶる順調だ。
「――馬鹿なッ。ダイダラボッチ様が、敗走されたというのか!?」
建築以外で大事件が発生していたが。
魔界と人界が土地の取り合いを行う最前線。その南部方面から早馬ならぬ早ワイバーンで届けられた知らせに、ゼルファは驚愕の声を上げる。
「過去の傾向から、最低一年は膠着状態が続くと考えていたが。いや、光の勢力が動いたとしても、大幹部であるダイダラボッチ様が負けるなど……」
ゼルファが驚くのも無理はない。南部方面軍を指揮していた体長百メートルの巨人種の幹部、ダイダラボッチが光の勢力の奇襲を受け、敗北したのである。
現幹部の中では北部方面軍のベルゼブブ、魔王直轄軍のリリスに続く第三位の地位と年齢と実力を有する大幹部であり、巨体に見合ったタフネスでは他を寄せ付けない。南部方面が陥落する事があっても、ダイダラボッチが敗れる事はないとまで言われていたぐらいである。
しかし、ダイダラボッチは敗れた。
幸いにして光の勢力の部隊は少数だ。地域制圧を行わず引き返したため、南部方面自体の被害は極小である。が、それはつまり、光の勢力はダイダラボッチの討伐を最初から狙っていたという事になってしまう。
「中央前線を預かっているのは俺だ。ミノス様に管理局を一時お任せすると伝え……いや、私が直接お伝えする。特務魔法大隊は先行出撃し、最大レベルで前線警戒せよ」
人手不足、幹部不足の魔界ゆえ、ゼルファは管理局の長でありながら防衛指揮もこなしている。
光の勢力と接する地域にいる幹部はゼルファとベルゼブブのみ。
ダイダラボッチを破った部隊が次に狙うとすれば、まだ幹部になったばかりのゼルファである可能性が高かった。




