壊滅劇R056 月刊、入国管理局壊滅、十二月号
都内のどこかに勾留されているはずのマルデッテ・メドゥーサがコンテナから現れる。
攘夷の襲撃以降、警備が一層厳しいものとなり、最高のセキュリティで牢屋暮らしを過ごしていたはずのメドゥーサ。今になって彼女が異世界入国管理局へと輸送されたのには訳がある。
上半身のみに注目すれば女性と変わらない体付きであるものの――半裸ではなく白黒ボーダーの囚人服を着用――、コンテナから現れた大蛇の下半身が上半身を上昇させている。俺達を見下ろすメドゥーサの威圧感は、狩りを行う蛇そのものだ。
一触即発の状況。
警備部の隊員達を睥睨するメドゥーサに対して、局長は拡声器で語り掛ける。
「聞け、マルデッテ・メドゥーサ!」
「局長。既に起訴されて第一審も終わっているので、マルデッテ・メドゥーサ被告(二一八歳)が正しいかと」
「それもそうだな。聞け、マルデッテ・メドゥーサ被告(二一八歳)!」
「年齢をわざわざ付け足すなッ」
軽い言葉のジャブを加え、即時戦闘を開始しそうな殺気を漂わせていたメドゥーサの出鼻を挫くのに成功する。
「お前がこうして外に出られたのは、懲役刑の一環だ。お前はこれから、この異世界入国管理局で強制労働してもらう」
「強制労働? 私を強制できるものならやってみせろ」
「まあ聞け。お前が勾留されている間に状況は大きく変わり、我々の世界と魔界は交流を開始している。ここでお前が暴れるのは魔界のためにならんぞ」
「……ふふ、ふふふふっ。笑えない冗談。交流しているというのなら、早く魔族を連れてきなさいな」
メドゥーサが局長の言葉を疑うのは仕方がない。彼女が地球にやって来たのは異世界入国管理局が建てられるより前。つまり、勾留中にマルデッテ・メドゥーサ(二一七歳)がマルデッテ・メドゥーサ(二一八歳)となっている。
「いちいち年齢の話はするなッ。魔界では若い方になるから、若輩若輩と言われていた!」
蛇の癖に耳が良い奴め。
「手続きの関係上、魔界の人間をここに直接連れてくる事は難しい」
「ほら、見え透いた嘘だから直にボロが出る」
「いや、本当に手続きの問題だ。お前の知っている人物も数日前まで倉庫に住んでいたのだが、今は稚内で取材を受けている」
局長の言う倉庫で借り暮らししていた魔族とは、アジーの事である。あんなのでも、唯一公的に日本への滞在を許可されている魔界のお姫様である。
アジーさえここにいれば簡単にメドゥーサを説得できたというのに。酒井プロデュースによりメディアを使ったRゲートアピールは上手くいっているのか、上手くいっていないのか。妙に地方取材が多く外に出てから一度も大使館へと戻って来ていない。
それでも、そろそろ戻ってくる頃だとは思うのだが、移動中なのか今も連絡が付いていない。
「魔界から人を呼んで証言してもらう事は可能だ。魔王軍幹部のゼルファ殿なら応じてくれる」
「……そのような幹部、聞いた事もありませんね」
浦島太郎となっているメドゥーサには話が通じない。
そも、ゼルファに来てもらえるのは異世界ゲートがある出国ホールまでである。時間がなくて日本への入国手続きが完了していない。
つまり、メドゥーサには俺達の言葉に従ってもらい、大人しく管理局の奥へと付いて来てもらう必要があるのだが……敵愾心に富んだ変温動物の目に信用の二文字はなかった。
宣戦布告代わりに地面と平行に振られた尻尾が、最前列の警備部の隊員達をなぎ倒す。
「そこまで言うのであれば、ここにいる全員を丸のみにしてから調査しましょう。そうすれば言葉は不要です!」
「この分からず屋が! 仕方がない。警備部、火器使用自由! 実力で奴の動きを封じろッ」
メドゥーサが高い位置にいるのは威圧的だが、斜め上に向けて発砲できる点においては有利だった。同士討ちを避けつつ、倒された仲間達を救出すべく、メドゥーサへ向けてアサルトライフルの射線が多数向けられる。
対するメドゥーサは蛇行移動で回避を開始する。
「銃という武器にも見慣れてきたものです。直線的過ぎて見切るのは容易なもの」
「こ、こっちに来るな、来るなァっ!?」
メドゥーサが両手を振り上げながら警備部の一人を照準する。緩急を付けた左右への動きに翻弄されているため、銃弾は当たる気配を見せない。
恐怖に引きつる隊員の顔を見て、メドゥーサの眼球が怪しく光る。
不味い状況に陥る前に、俺は局長から拡声器を借りて声を上げた。
「落ち着いてください! メドゥーサに恐怖を覚えると石化してしまいます。上半身限定の美女が相手から抱き着いて来ていると思って、喜んでください!」
「こ、こっちに来いやぁッ!!」
「そこの後ろの奴ッ。さっきからうるさいなと思えば、顔を思い出したぞ!! あの時、ボロボロに砕いてやったのに、生きていたのか」
メドゥーサの標的が後方の俺へと変更された。体を波打たせて防衛線を軽々突破すると、一気に俺の目前だ。
ふと、横で響いたのは発砲音。
硝煙の向こう側で、局長がドイツ製の小銃をメドゥーサへと向けている。考えたくないが、いつも隠し持っているのだろうか。……どこに隠しているのだろうか、ごくり。
「ちぃ、一発二発は鱗に弾かれるか」
「邪魔をするなら、お前から死になさい!」
「局長っ!」
メドゥーサの正面衝突で局長が衝突死しかけたため、押し倒して俺の体で守り切る。
「どけっ、銃を向けられないだろうが!」
「いや、回避優先しましょうよ、局長」
局長の後方にあった壁へと体を埋めたメドゥーサ。上半身は停止したものの、暴れん坊な蛇の下半身が暴れて潰されかけたので、局長と一緒に安全地帯まで必死に這う。
魔族と戦った経験は人生で数度があるが、肉弾戦を仕掛けてくるメドゥーサは純粋に死にかけるので大変だ。十分な準備があっても戦いたい相手ではない。
「ギャアァ、どうして蛇女が通販されているのよ!? 密林通販の品揃え充実し過ぎでしょ」
「ペット妖精、俺から離れるな」
「むしろ、アンタが狙われているのよ! あっち行って!!」
「そこの妖精も覚えているぞ! どっちもジワジワ絞め殺すのは確定だ!」
危険も業務の内とはいえ、せめて、ペット妖精は安全な場所へと退避させておきたかった。
「お前が狙われているのなら都合が良い。コンビニまで走れば勝機があるから、走れ!」
「流石に追いつかれますよっ!?」
半屋外の搬入口から屋内のコンビニまでは遠い。複雑な構造の建物内を通るより、外から正面入り口に回った方が早いぐらいだ。
果敢にもフォークリフト車でメドゥーサへと突撃した警備部のお陰で、一度、最前線から退避する。
一息付いていると、制服の中でバイブレーション。スマフォへの着信である。
発信者の名前はRゲート大使館。
『お電話ありがとうございます。こちら、Rゲート大使館です』
「酒井さんッ! 今どこですか!」
『管理局へ帰る途中でラーメン食べて、車で出発しようとしたところです。どうされました?』
「アジーに代わってください、今すぐッ」
何度も電話しておいて良かった。酒井が出来る男なら電話をかけ直すと信じていた。
「アジー、大変だっ! マルデッテ・メドゥーサが管理局を襲撃中だ。魔界の姫なら止めるように言ってくれっ!」
『はっ、その緊張に満ちた声、いい気味。そのまま死になさい』
電話先にいる女の性格の悪さが電子音変換されても伝わってくる。
「……俺が死ねば、待機中の後輩経由でコンビニ店長に対して、スマートフォン決済の不正アクセスを扇動したのは異世界の魔王だと伝わるようになっている」
『はァぁああッ!? 言いがかりは止めてよ。冗談じゃなく魔界が滅びるじゃないっ』
「俺が死んで魔界も滅びるか、俺が生き延びて魔界も生き延びるか。二つに一つだ」
『この最悪最低の人間族めェッ。性格の悪さが電話越しにも伝わってくる!』
地球上にいる魔族で唯一メドゥーサを止められるのはアジーだけだ。脅すのは忍びないが、こちらも命がかかっている。
「俺という個人のためだけではない。魔界と地球の交流のためにも、これ以上メドゥーサに実刑を加算させるべきではないんだ! 頼む!!」
『交流、ねぇ……はぁぁ。あーもうっ。酒井、車を発進させて直進させなさい』
『失礼ながら、このまま進むとブロック塀へと衝突します』
『それがどうしたの? アクセル全開で行――』
通話が突然途切れて、リダイアルしても繋がらなくなってしまう。
頼りにするしかない唯一の綱がアジーだった。が、どこまで信じて良いものだろうか。信じたとしても、管理局へと通じる道にあるラーメン屋からとなると、法定速度を守らなくても車で一時間はかかる。アジーが急いで帰って来てくれたとしても間に合わない。
それでも、アジーが帰って来てくれるのを待つしかない。
気付けば、メドゥーサへと突撃したフォークリフトが張り倒されていた。警備部隊は死屍累々で、筋肉の塊である尾に少し跳ねられただけで、大抵どこかを骨折し戦線離脱していく状況。
メドゥーサ対策の定番であった鏡もすべて割れ落ちた。マルデッテ・メドゥーサに対してはあまり意味をなさなかった。
残った戦力はあまりにも少ない。
倒れた部下のアサルトライフルを手に、攻撃を加えているのは局長か。勇敢であるがメドゥーサの皮膚を貫通できていない。
メドゥーサが局長を長い胴体で轢き殺しにかかったので、再び俺へとヘイトを集める。
「俺はここだ。マルデッテ・メドゥーサ(二一九歳)!」
「一歳多いッ!!」
俺へと方向転換してくるメドゥーサ。
局長は助かったが、俺はどうしよう。ちなみに、ペット妖精も俺の傍にいるがどうしよう。
「冗談じゃないわよ! 誰も私を助けてくれない!? こうなったら、自分の身は自分で助けるしかない。目覚めよ、私の中に眠りし力!」
「そこの妖精から挽肉にしてやろうか!」
メドゥーサの回し蹴りならぬ回し尻尾が迫った。ペット妖精が片手を水平に伸ばし何か仕出かそうとしているのか、その場で滞空して逃げようとしない。
仕方がないのでペット妖精の体を掴んでから、遠くへと放る。逃げられなかった俺は職場から持参したひのきの棒を構えるのが精一杯だ。
尻尾の先に脇腹を打たれて吹き飛ぶ。壁まで届いて背中から衝突した。手に持っていたはずのひのきの棒は、半ばから折れて手元に残っていない。
肺が外部圧力で強制収縮して、突発的な酸欠が誘発される。脳が動かず思考力を保てそうにない。
「私の邪魔をしないでよッ。チャージからやり直しじゃない」
「邪魔をしてくれたな。人間族!」
味方と敵両方から邪魔者扱いされているのは、たぶん聞き間違えだろう。今は複雑な事を考えられないのである。
神経伝達さえ遅延しているのか痛みを感じないが、同時に体を動かせなかった。
ついに俺も再起不能となって退職する時が到来したのかもしれない。近づくメドゥーサはただの退職では不満らしく、俺に二階級特進を進呈する様子だ。
「うっ」
「まだだ、まだ死ぬな。これから慎重に殺すのだからな」
動かない俺へと蛇の体が巻き付いていく。この後に起きる事は、まだ思考力が復活していないので分からない。何となく、豆腐が握りつぶされてボロボロになっていく光景を幻視してしまった。何故だろう。
巻き付くメドゥーサの体が締まっていく。
全身の骨が悲鳴を上げているが、圧力はじっくりと高まっていった。
そして、ついに限界が――、
「――魔界を滅ぼさないために人間族を救うなんて、矛盾しているのにっ!!」
――天井を突き破って、蛾の羽を大きく広げた漆黒ドレスの女が現れる。
漆黒のドレスの女は、勢いそのままにメドゥーサの後頭部へと両足で着地した。奇襲を受けたメドゥーサが顔面から床に突っ込む。ちょっと頚骨がゴリっと小気味良く鳴った気がするが、うん、蛇だからきっと大丈夫だろう。
「ア、アジーか……、その羽はどうした」
「シートベルト外した状態で車をブロック塀へ突っ込ませたのよ!」
「そんなっ、酒井さんは無事なのか!?」
「お前と私の方がよっぽど重症よッ」
アジーのドレスがボロボロで顔が青ざめているのは過労の所為ではないらしい。体から害虫を産み出す特殊体質を発動させるために、酒井の運転する車にワザと事故を起こさせたようである。
事故の衝撃で後部座席からフロントガラスへと頭から突っ込み、そのまま外へ。負傷した体から羽を生やして管理局へと急行した。人間ではないアジーでなければ負傷で済まないので、皆はシートベルトを着用するように。
「このお声、この気高い気配は、アジー様?!」
破片で顔パックしているメドゥーサが、床から顔を浮かせる。
「マルデッテッ! 管理局へ手を出すなんて馬鹿じゃないの、馬鹿じゃないのッ!」
「どうしてアジー様が私の後頭部を踏みつけておられるのでしょうか。はっ、アジー様がおられるのは、ここの人間族を直接根絶やしにするために!」
「本心はもっとコンビニから離れた所で言いなさいよッ! 迂闊なマルデッテ!! 新世界は危険よ、危険。手出しなんてもっての外なの。それを今すぐ理解しなさい!」
「えっ! あ、はい……あれぇー?」
上司の娘に何度も足蹴にされて、メドゥーサは困惑により停止した。
どうにか、毎月恒例の管理局崩壊の危機を乗り越えたようだ。そう思った瞬間、俺の意識が沈んでいく。流石にダメージを受け過ぎた。アドレナリンが薄まり、一気に眠気に襲われる。
気を失う前の最後の感触は、飛んで来たペット妖精が頬を叩く感じだっただろうか。
「ちょっと、こんな場所で寝落ちしたら風邪ひくわよ。私、お昼がまだなの。お腹空いたから私に奢らないと無銭飲食しちゃうから、コンビニ以外で! ねえ、聞いているの? 起きてよ。ねえってば!」
あるいは、ペット妖精が俺を心配する声の振動だっただろうか。まさか、な。
「……起きなさいよ!」




