大使館R055 Rゲート大使館設立
霞が関にて紛糾する話題は年金、税金、プレミアムフライデーと金、金、金ばかりである。が、近年は新たに別の議論も頻度高く話し合われている。
「正式に国交樹立もしていない内から大使館の成立ですって。厚かましいにも程がある要求です!」
もちろん、話題は異世界だ。
国民の関心が高く、インパクトも強い。何より議論の必要性がある。
本日の議題は、Rゲート――通称、闇の扉――の姫君が急に押しかけて来て日本と直接交渉をしたいと言い出した事だった。日本にとっては寝耳に水の来襲であり、議会は月曜日から大盛り上がりだ。
与党と野党がいるだけの議会場であるが、異世界が絡むと主張や陣営は複雑化し易い。そもそも政治自体が難しいので、語られている言葉のみでは真実は見えてこない。
そこで、政治家達の熱い主張と共に本音を追記したい。
「大使館建築の予算は、土地はどうするのですか! そもそも、人間ではない――失礼、国交もまだ築いていない国の大使館にどれほどの意味が。それよりもまず、彼等が異世界での戦争活動を改めるのが先です!」
(きぃぃーっ! 蛮族が日本に住むなんて許せないわ! 攘夷の奴等は何をちんたらしているのよ!)
実際的な問題点を的確に指摘する女性議員。なお、彼女は密かに攘夷組織と繋がっている。
「いえ、日本は異世界の二大勢力を仲裁できる位置にいる。Rゲートが日本と穏便な交渉を望んできたというのはそれだけ信頼されている証拠です。国際貢献、いえ、異世界貢献を果たせるのは隣に住む我々しかおりません」
(個人への依存性が高いRゲート。その幹部のみならず姫も日本に留める事ができれば、Lゲートの後押しとなるか。大使館の話はLゲートに対しても有効だな。ふむ、悪くない)
五十代から六十代と思しき渋い顔付きの男性議員が反論する。まるでRゲートとの繋がり強化を望んでいるかのような発言の裏で、実はLゲートの貴族と強いコネクションを築いている。
「Rゲート原産の骨を使った創作料理、美味しかったからね。良いんじゃない」
(うん、今日もまた料亭に行こうかな)
特にどこの勢力と繋がっている訳でもない模範的な政治家。
様々な裏事情を抱えた日本のトップの判断は、結果的にRゲートの大使館設立を認めるものであった。
ただし予算もとい安全の都合上、大使館は異世界入国管理局の内部に設置、しばらく様子を見る。異世界の姫だけでは運営が回らないので、小規模の運営でテストするという建前だ。
とはいえ、大使館であるのならもう少しRゲートの人間が欲しいところだろう。
「Rゲートの大使館を運営するのであれば、人員もRゲートの人間であるべきです。が、これ以上Rゲートからばかり人間を呼ぶのは望ましくない。……このすべてを解決する適任者でありながら、更に棚上げとなっている難題も一つ解決してくれる人員が望ましいのではないでしょうか?」
(管理局を素人の集団からプロへと取り戻す。そのためにも、素人共へと更なる圧力が必要だ)
「やめてぇっ、ここには私の一か月の苦労と努力の結晶がァ! ホームシックの私を慰めてくれたルームメイトが」
「ひゃっはーっ! 汚物は消毒だぁー!」
アジーが潜伏していた倉庫へ対して粉末殺虫剤が散布されていく。中にいる害虫を逃さないため、警備部が総出で事に当たっている。殺虫が終われば次は内部のゴミをすべて焼却処分。消毒液による殺菌はその後だ。
「あんまりだわ、なんて酷い。新世界人はオーガだったのよ。人の心がないのよっ」
「盗人猛々しいという言葉はあっても、盗人弱々しいって言葉はない。ゴミ屋敷の掃除を見て床に崩れ落ちるなって、アジー」
「私は悪意の竜、アジ・ダハーカ。お父様みたいに愛称で呼ぶのは失礼極まるのよ、人間族」
コンビニ店員が怖くて倉庫に引きこもった女に、アジ・ダハーカなどという大それた名前は似合わない。アジーで十分だ。
「さて、そろそろ行くぞ。暫定らしいがRゲートの大使館が設置されたんだ。大使として働くんだ」
「大使なんて私のスキルを活かせる仕事じゃない」
入社する会社を間違えた新人みたいな事を言って不貞腐れているアジーを連れて行く先は、異世界への出国ホール。
分かり易く異次元な雰囲気が漂うホールの右手側には目新しいブルーシートが敷かれている。しかも、ブルーシートの上には『こちら、Rゲート大使館』と適当にマジックで書かれた、かまぼこ板。
「ちょっと待ってよッ。これが大使館? 館はどこにあるの!?」
「おう、悪い。昨日後輩と買っておいたのを置いてやるから待っていろ」
アジーの抗議を受けて、俺は荷車に乗せて運び入れた館をブルーシートの上に設置する。大型犬用のペットハウスなので、背の低いアジーなら居住性十分である。
「……これは何ですの?」
「ディス、イズ、ハウス」
「魔界にもペットぐらいの概念はあるわよっ。ふざけないで!」
言いたい事は分かるが清掃費用や盗難品の補填で初期費用がかなり限られている。大使館が犬小屋になるぐらいは仕方がないしアジーの自業自得だ。
とはいえ、政府が用意した費用が妙に少なかったのは確かである。局長は抗議――管理局内に大使館を設置する事も含めて――したが回答は得られていない。
局長から全部お前に任せる、と投げやりに大使の助手を任された俺は、予算内でブルーシートとペットハウスを購入していた。かまぼこ板は食堂から無償提供された。
アジーは喜んでいるのかブルーシートの上で癇癪だ。
「ぷー、ぷぷっつ。悪意の竜(笑)がペットハウスって良いご身分ね!」
そんな、新しい生活を始めるアジーを激励するために飛んで現れた十五センチの異世界生物。
「妖精。お前がつい最近まで鳥かご生活だったと聞いているぞ」
「妖精と同列な次点でクズ同然じゃない。魔界の陥落までもう少し、楽しみだわ!」
「ペット妖精。お前、自分で自分をクズと認めていないか?」
陣営が異なるのでペット妖精とアジーの相性は最悪である。大きさ的にトムとジェリーみたいな関係だ。あいつら、時々本気で殺し合うから。
大使館は設置されたが、大使のやる気はゼロどころかマイナス。Rゲートの方ばかり見ていて仕事をしない。観光や国交に関して日本のトップとアポイントメントを取るべきだと思うのだが、ブルーシートに転がって何もしていない。駄目な大使である。
俺にも審査官という大事な仕事があるため、常にアジーに付き添ってはいられない。
だが、対策は既に講じているのだ。なんと実務全般を取り仕切るアルバイトを大使館に雇い入れている。
「……まさか、酔っ払いさんと再び相見えるとは思っていなかったですよ」
「その節はお世話になりました。あれから心入れ替え、現在の私は魔界の姫君に仕える闇の信徒。ちなみに私は酔っ払いではなく酒井です」
「あー、はいはい。人間族の名前なんてどうでもいいの。大使なんて適当にしていればお父様はきっと許してくれるから、それまで雑事は全部任せるわ」
魔界観光ツアーの最後に、光の信徒であると暴露して騒動を起こした酔っ払い、もとい、酒井。
ツアーの結果、人間ごときが転生して第二の人生などという特典を得られないと知った酒井。彼がツアー中に魔界の宗教たる闇の信徒に改宗していたのは知っていたが、まさかもう一度対面するとは思っていなかった。
大使館のアルバイト募集時、かつてのアルコールに弛んだ姿からオールバックにサングラス、キリっとしたスーツに変身していたので、名前を名乗られても誰だかさっぱり分からなかった。
正直に言うと、アルバイトには大きな期待はしていなかった。大使館の体裁を整えるための電話番か、ホームページを作成してくれれば上出来としか考えていなかったため、酒井が仕事の出来る人間だった事には素直に驚いている。
「姫君。本日のご予定は午前九時に移動。十二時に謁見、会食。その後に両国で相撲観戦。夜は晩餐会。生放送番組の背景に見切れてから、料亭で入浴中のスケルトン・デモニクスの激励。二十三時からラジオ番組へゲスト参加。ネット配信用の撮影。飛行機移動で鹿児島県の与論島のローカルテレビに出演。そのままトンボ返りして、午前に歩行者天国石化事件の被害地を訪問――」
「ちょ、ちょっとお待ちなさい。それ絶対に本日で終わっていないスケジュールではないかしらっ。新世界の一日は四十八時間の間違い??」
「――闇の信徒の教義は、限りある今世を存分に楽しもうですので」
「魔界のマイナー宗教なんて知らないから!」
「私のようなものを信じ、すべてのスケジューリングを任せて下さった姫君のために仕事を詰め込みました。さあ、もう一分で出発しないと間に合いません。行きましょう」
「嫌ぁあ、お父様、助けて! 私はただ静かに暮らしていたいだけなのに。働いちゃう、勤労させられちゃうっ!」
アルバイトに負けていられないと感じたのか。
怠惰な一か月を過ごしていたアジーは、Lゲートに後れを取っている外交に本気で取り組むべく覚醒した。床に爪を立てて抵抗しながら足をアルバイトに引っ張られている姿に、強いやる気がみなぎっている。
泣いて喜んでいるのだから、真逆の感情をアジーが抱いているなんて事は絶対にないだろう。
「いい気味だわ。あー、笑う笑う」
「Rゲートが外交で本気を出す姿を見て、そういった感想しか浮かばないのなら異世界は平和だよな」
「ん、何か言った?」
「いいや、ペット妖精はそのままのペット妖精でいて……いや、お前もそろそろ働け」
Rゲートの大使館が無人となり、管理局はいつも通りの業務を開始する。
アジーの事を忘れて二日か三日経過した頃の事だ。管理局へとトラックが現れてコンテナを取り外し、逃げるように去っていったのは。
審査業務を一時中断し、コンテナの放置現場へ出かける。
「一斑から三班はシールドを構えろ。四班から六班は火器を構えろ!」
コンテナの置かれた管理局の裏、資材搬入口では、警備部がいつになく殺気立っていた。管理局の戦力のほとんど――コンビニ店長は局員ではないので除外――が集結しているようだ。
警備部隊が構えている盾はポリカーボネート製やジュラルミン製ではなく、鏡である。管理局や社員寮にある鏡をかき集めたのだろう。
「局長っ!」
「来たか。アイツと直接遭遇したのはお前だ。私なりに最大限装備を整えさせたと思うが、これで足りるだろうか」
「自分は最終的に石になってしまったので何とも言えません。受け入れるにしても準備が足りませんよ!」
「……通達が遅れたのは意図的なものだろう」
警備部が作る防衛ラインの奥で仁王立ちしていた局長の隣に並ぶ。
コンテナが届けられると管理局に連絡が入ったのはたった三時間前の事だった。受け入れを拒否する時間さえ与えられず、管理局にとっては押し付けられた形である。
「荷物を受け取るぐらいで大袈裟だわ。何を通販しちゃったのよ?」
「……ペット妖精は隠れていろ」
「お母さんに見せられない系のものだなんて不健全! 床に並べておかないと!」
「冗談で済まない相手なんだ。隠れていろ」
飛び立とうとするペット妖精の手を握って離さない。
石化していた頃の記憶は一切残っていないが、この胸のザワ付きの正体は確実に恐怖である。体が砕かれていくような耳鳴りで頭が痛い。だれかの手を握っていないと倒れ込んでしまいかねない。
ペット妖精は嫌がって暴れているが、俺は彼女の手を離せなかった。
「内部温度が上昇しているぞッ!」
警備部の誰かがそう声を上げた時だった。
コンテナの両開き扉が内側から外へとひしゃげる。張り裂ける。
金属の亀裂の内側から、怪しい眼光が見え隠れする。
「局長! お下がりください!」
「馬鹿者っ、部下を置いて下がれるか! それよりも出てくるぞ」
裂けた金属の端が……灰色へと染まっていく。ボロボロと脆く崩れて、風化していく。
だが、コンテナの内側にいる者は短気だった。扉が完全に石となって崩れるのを待っていられず、長い尾を叩きつけて扉を破壊する。
ズルズル。
ズルズル。ズルズル。
ズルズル。ズルズル。ズルズル。コンテナの中から長い胴体が這い寄ってくる異音が響く。
「……私の封印を一度ならず二度も解くとは、まったく、人間族の愚かさには呆れ返る。それとも、今日で私を滅するつもりなのか?」
長い髪に、長い蛇の胴体を持つ異形の女が、ゆっくりとコンテナから全身を出現させる。
「たったそれだけの人数で?」
空気中に漂う俺達の味でも確かめているのだろうか。
管理局の総戦力を前にしながら、魔界の幹部、マルデッテ・メドゥーサは空腹状態でごちそうを発見したかのごとく舌なめずりだ。




