怪事件X053 管理局の怪2
急に赤く染まっていたカラー妖精をウェットティッシュで綺麗にしてやってから、通気口を辿る旅を再開する。
経理部を後にして管理局の奥地へと入り込んでいく。
次に見えてきたのは警備部の詰め所だ。二十四時間体制、休日平日にかかわらず常に警備隊員が配備されているここには、ワイド画面な監視モニターが壁にずらりと並んでいた。局内のどこで問題が発生しても直に駆けつけるためだ。
「お疲れ様です。警備部の皆さん」
「おう、お疲れ様だ、審査官。どうした、今日は審査していないのか?」
「局長の勅命で局内の調査をしています」
室内には更に、テーブルやソファー、冷蔵庫にテレビ、トレーニングベンチにルームランナー、異世界ものの書類の詰まった本棚と最新ゲーム機、と室内生活に困らずに済む様々な装備が整えられている。
インカム装備で監視業務に当たっている数人の隊員は業務中のため、モニターから目を離さない。
丁度、休憩中だった班長がソファーに座るように促したので、俺とペット妖精は並んで座る。
「お忙しいところ、すいません」
「今日は特別な事件は起きていないからな、インスタントだがコーヒーぐらい出そう」
『――こちら、Lゲートの審査をしている浦島です。金属探知機に反応があったのでボディチェックしようとしたところ、ベルトみたいな剣を隠し持っていた異世界の人が突然襲い掛かって来て』
「三十秒で応援が向かう。審査官は他の渡航者達の安全を確保せよ」
『――うわ、ポリカーボネート製の盾が真っ二つ!? すごい切れ味!』
「……本当に事件は起きていないんですか?」
「最古参の審査官たるお前か、お前に従事して磨かれた浦島が審査している日は気楽なもんだ」
『――テイザータレットが破壊されました! このままだと被害甚大です』
「もうすぐ完全装備の一個小隊が到着する。どうにか生き延びるんだ!」
『――こちら、浦島。暴れん坊の異世界人の首に絞め技かけたら気絶させちゃいました。どうしましょう?』
班長が煎れてくれたコーヒーを一口飲んでから、最近、詰め所付近で異常が起きていないか訊ねてみる。
「そうだな。ここ一ヶ月の間なら、備蓄品が時々消えている事があるか」
「備蓄品。まさか、拳銃関連が盗まれているので?」
「いや、缶詰やおつまみ。昨日はビッグサイズのポテチがどこかに消えた」
夜勤時にいただく予定だった食料品がごっそり盗まれる事件が起きているようだ。隊員達が自主的に補給して貯蔵している棚には、何も残っていない。
「盗難は大事件じゃないですか。内部犯の可能性があるのなら尚更」
「隊員が神隠しにあって、二、三日してから現れていた頃と比較すると可愛い事件じゃないか。それに俺達もただ盗まれていただけじゃない。昨日は世界最強の発酵食品の缶詰を密かに混ぜておいたが、馬鹿な犯人はそれも盗んでいった」
「シュールな缶詰が盗まれたなんて大事件じゃないですか。屋内で開けたら駄目な缶詰なのですよ!」
ここの隊員達、危機感が足りていないのではなかろうか。長いストレス生活により、帰還兵のごとく精神が病んでいるとしか思えない。
コーヒーをブラックのまま飲んでむせ返ったペット妖精の顔を拭いてやる。
そろそろ次の場所へと向かおうかと考えていると……ふと、世間話みたいに班長が俺に質問してきた。
「それで一つ訊くのだが……お前と浦島は付き合っているのか?」
うん、休憩中とは言え、何を訊いてきたんだ。このおっさん。
「誤解しないでくれ。俺はエルフ一筋だが、若い隊員の中には局内美人の上位たる浦島審査官のファンも多い。こんな僻地に咲いた一輪の花だ。誰にでも気さくで愛嬌もある。愛でたくなるのは当然だが、占有するのはどうかと思うぞ」
「いやいやいや、俺と後輩の間には特に何もありませんって」
「そうは言うが。そこの妖精を出汁にして後輩と個人的かつ親密なコミュニケーションを図ろうとしているのではないか?」
ペット妖精で出汁を取った事はあるが、後輩とは仕事以外の付き合いはない。可愛いのは確かであるが、それは後輩としてである。
「俺は局長に一筋ですって」
「……ふむ、局長が警視庁から引っ張ってきた人脈で構成される広報部は宝月局長派が優勢であるが、幸いにも警備部は浦島派が主流だ。流石は審査官、選択を間違えない。これで今日この場所で神隠しが起きる事はないだろう」
今更気付いたが、班長以外にも休憩中の隊員は何名かいたはずだ。振り返って探してみると、彼等は唯一の出入り口たるドアの前に陣取っている。警棒やらテイザー銃やらを見せ付けるように構えて、俺へと向けていた。
後輩が他部署でここまで人気だったとは、毎日通っている管理局だというのに知らないブームはあるものだ。
身の安全が保障されている内にお暇しよう。
「――こいつ、あの子と次の日曜日に買い物に出かける予定があるわよ」
……隣にいるペット妖精が、ニンマリと笑顔で個人のスケジュールを暴露しやがった。
「いや、それはこのペット妖精が後輩と同居するための買い物で。業務みたいなものでして」
「買い物ついでにレジャー施設に回って、最後はイタリアンなレストランで食事ですって。これって立派なデートじゃない。約束した時のあの子の嬉しそうな顔には、女として特別な何かを感じたわ」
「ペット妖精、お前何を言って!?」
後輩所望のプロレス観戦がデートになるのだろうか。同世代の友達と休日に都心で遊ぶ。それだけの話だと俺は考えている。
だが、ここの隊員達はそうとは捉えなかった様子だ。
ペット妖精の言葉を真に受けたのか、鍛え上げた筋肉を盛り上げつつ俺の逃げ道を塞ぎながらゆっくりと前進。外からゾロゾロ入室してきた完全装備の隊員達は、先程出動していた小隊だろうか。
「ペット妖精の恩知らずがッ、世話を毎日してやっている俺に何の恨みが!?」
「可愛い妖精に朱肉投げ付けた事、もう忘れたの? 前にはメドゥーサに向かって私を投げ付けた事もあったわね。思い出しただけでもムカムカしてきたから……死になさい」
「このっ、体長十五センチ未満の小動物がァッ!!」
天井の明かりを遮る高身長の隊員達が、笑顔で俺を囲い込む。
酷い誤解で酷い目に遭った詰め所から脱出に成功し、旅を続ける。
異世界入国管理局の各オフィスを巡るこの旅により、局内で怪奇現象が多数発生している事が分かってきた。多くは盗難事件のようであるが、ゴールが近付くにつれて謎の影について目撃例が増加している。
「廊下を走り抜けていく幽霊が?」
「深夜に妙な気配を感じて振り返ったんだ。そしたら、スゥーって黒い影が向こう側へ消えていくところを目撃しちゃって」
「どんな姿をしていたのよ?」
「はっきりとは見えなかったが、大きなポテチの袋を抱えて走る幽霊が」
多くの目撃者が幽霊だろうと考えていたが、それは以前、Rゲートからゴースト達が来襲した経験があるからに過ぎない。
管理局バイアスを除外して客観的に考えれば、お菓子や缶詰といった食料を幽霊が盗む必要性はない訳で、管理局内に盗みを働く謎の存在が隠れ住んでいるという単純な結論に行き着く。
管理局の端、荷物を運び入れて保管する倉庫ブロック。
そこが俺達の終着地点となるだろう。
「ぎゃああぁああッ!? 臭いッ、げふぉ、ドレスに付着したぁあ!!」
固く施錠されているはずの倉庫の一つから、女の情けない叫び声と塩漬けニシンの酸っぱい発酵臭が噴き出した。ここがゴールで間違いない。
「聞いた事のあるような、あって欲しくないような声だな」
「気に入らない邪悪な気配ね。出て来られないように外から鍵をかけましょう」
「鬼畜だな、ペット妖精」
内部から両開きの扉が勢いよく開かれた。
倉庫の中から現れたのは……刺繍の細かい漆黒のドレスから臭いを漂わせる女だ。
「お前はっ! 淫魔街で俺を誘惑しようとした淫魔!!」
「ちがーーーうッ!! 私はアジ・ダハっ、けふぉ、うぇぇ、はだ、けふ、た」
「アジは裸? それはニシンの缶詰よ!」
「違うって、だからっ、うぇぇーん」
以前Rゲートで会った頃と比較して、とてもコミカルな子になったな。




