管理局X050 地球の侵略者
「妖精の私をこんなチャチな錠前で幽閉しようだなんて、舐めてくれるわ」
深夜未明。
異世界入国管理局の休憩室、その壁際に設けられた妖精エリアで動きがある。
若干内側へと凹んだ鳥かご、その中にある巣箱より現れた手乗りサイズの森妖精ペネトリットが目覚めたのだ。
魔界観光ツアーで仕出かした様々な事件についてたった一言、ごめんなさい、と書くだけで自由に外を飛べるというのに、まったく反省しないペネトリットは鳥かご生活一ヶ月を達成していた。
自由、我侭、からかいの三原則に従い生きる妖精にとって鳥かご生活はかなりのストレスだ。ルールや法律に縛られて生きるように脳みそが進化していない……のではなくペネトリットの性分が囚われた生活を許容しない。
ペネトリットがペネトリットである限り、彼女は自由を続けられるのだ。
「このヘアピンで……開いた」
では、どうしてペネトリットが鳥かご生活を続けられるのか、それは深夜にこっそりと出所していたからに他ならない。
鳥かごの内側から腕を外に出して、器用に南京錠のピッキングに成功するペネトリット。
宝月滝子のヘアピンをこっそりと盗み取り、南京錠の構造を毎夜理解した努力の勝利である。妖精の癖に魔法的な力を一切用いていないところがペネトリットらしい。
「百均の安い鍵で封印しようとは、私を安く見過ぎたわね。その慢心への報いを受けると良いわ!」
ペネトリットの夜の日課を紹介しよう。
最初に彼女が向かうのは、審査官が使用しているロッカー室である。
普段から妖精を小動物と同等の知能しか有していないと勘違いしている不敬なる眷族。あの愚かしい男に天罰を下すためにペネトリットは飛ぶ。
「ここがあの男のロッカーね」
審査官のロッカーは南京錠とは異なり高価な鍵が備わっている。流石に妖精のピッキング技術では鍵を開けて、中の服に口紅で悪戯描きするのは不可能だ。
だから、ペネトリットはロッカーの上に隠しておいた下敷きを持ち出す。更に別の場所においてあったハンカチも用意する。その二つを併せ持つと強く擦りつけた。
すると、妖精の金色の髪が意思を持っているかのごとく動き出したではないか。静電気が溜まっていっているのだ。
「ふふふ。明日アイツが出勤して、このロッカーに触れた瞬間の驚く顔が目に浮かぶ」
ペネトリットは己に溜め込んだ静電気の全てをロッカーへと流し込む。三千ボルトを超過する高電圧が移動していくと、逆立っていた髪がゆっくりと下がっていく。
「私をぞんざいにした罰よ。せいぜい苦しむが良いわ!」
静電気がロッカーに残る。
静電気が朝まで続くだろうかという疑問も残った。
ただ、ペネトリット自身が満足して飛んでいくので、それで良いのだろう。やっぱり魔法的な力で復讐を考えないところが彼女らしい。
その後もペネトリットは悪戯を続けた。いつか発見した通気口を通じて妖精はどこにでも移動できるのだ。
交代で夜勤を続けている警備部の詰め所へと現れると、飲み残しのコーヒーへと砂糖ではなく塩を投入する。戻って来る警備員の気配を感じ取ると、素早く机の下へと逃げ込む。
「ふう。まったく、いつまでエルフは俺を待たせるんだと……ん、今日もいつの間にか塩味が効いている。目が覚めるな」
警備員が塩味の効いたコーヒーを飲み干す。
歪む額の角度に満足したペネトリットは次へと向かう。
局長の部屋に入ってコニャックを飲む。没収品の保管場所をアルファベット順からあいうえお順に入れ替える。観賞植物へ水をやる。コンビニの清掃を手伝って弁当を分けてもらう。神出鬼没だ。
夜に充実した生活を送るペネトリットは一切のストレスを感じていない。この様子では彼女が反省文を書いて鳥かご生活を終了するとは思えなかった。
異世界からやってきた彼女にとって、日本の夜など恐ろしくも何ともないのだ。
異世界には凶悪なモンスターが実存し、地球は知恵と勇気とノリでどうにか乗り切っている。科学技術というアドバンテージもあるが、知識で再現可能なものはいつか奪われる宿命だ。
地球は弱い。
異世界は強い。
地球はいつも異世界から現れる強者に襲われる。公然と認めてはいないが、異世界入国管理局に勤める者が潜在的に感じている恐怖だった。たった十五センチぐらいの妖精さえも職員の多くから恐れられている理由だった。
これは正しい認識だろう。
「うぎゃーーーっ!?」
いや、正確に言うのであれば……昨日までは正しい認識であった。
「見えない怪物に騎士五人がやられたのですか?」
「はい。どうにか追い詰めたはずが、怪物は異世界ゲートを通じて新世界へと逃亡しました」
「おかしいですね。外の結界が破られた形跡はありません。外からモンスターが侵入したのではなければ、その怪物はどこからやって来たのでしょう」
Lゲートの向こう側では、謎の襲撃により騎士団オーケアノスの騎士が多数負傷していた。腕を切られた者、足の肉を千切られた者もいる。
急報を受けてグラザベール本国より帰還した従軍司祭キケロが、自らが施した魔物避けの結界を確認したものの損傷は見受けられない。関の外からモンスターが入り込んだとは思えない。
「……まさか、新世界からモンスターが紛れ込んだと? 怪物は逃げたのではなく、戻っただけ」
キケロが細い目を更に細めて睨む先では、新世界へと通じる異世界ゲートが怪しい色合いを維持している。
「さーて、今夜もシャバを楽しんだわ。帰って昼まで寝ましょうか」
ペンライトを背負い、通気口の中を飛ぶペネトリットは夜を楽しんで鳥かごへと帰宅中だ。暗く狭い道を飛んでいるが、だからこそ周囲から襲われたり咎められたりする心配がないため安心して羽ばたいている。
だから、ペネトリットは気にしない。
カサカサと微かな移動音が聞こえても、気のせいだと思い込んでそのまま飛び続ける。
ペンライトの光が一瞬、鋭利な角度に折れ曲がった腕部の影を映す。死神の鎌を模したかのごとき腕が、ペネトリットのか細い首を背後から襲う。隙だらけの彼女の命は呆気なく途絶えようとしていた。
「おっと、お酒を飲み過ぎちゃったかな」
飲酒飛行でふら付いたペネトリット。それにより妖精の首を刈り取るはずであった腕の軌道から逃れる事に成功する。後ろ髪が数本切られて舞い上がっただけの被害で済む。
舞い上がった数本の髪を器用に掴み取った腕。
妖精の金の髪を捕食する獰猛な口。
味わった事のない美しい味に、つい涎が零れ落ちていく。
「冷たっ!? 何の水滴…………ぇっ」
ペネトリットが背負うペンライトが通気口の天井に張り付く謎の襲撃者の姿を照らしている。
漆黒なのに光沢を持つ襲撃者が、カサカサ、クチャクチャと気色悪い音を出しながらペネトリットの髪を食っている。
ペネトリットは襲撃者の正体を知らない。異世界にはいない生物だから。
地球人なら襲撃者の正体を知っている。けれども、異世界に一度渡り、経験値を稼いでクラスチェンジしたソイツは、既存のどの種類よりも凶暴化してしまっている。
「ひっ! ぎゃああああっ!?」
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▼地球生物ナンバーX050、G第二形態
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“人里ならばどこにでも住み着く害虫であり嫌われ者。山奥の異世界入国管理局へも侵入済みである。最近は北海道にも生息しているようだが、生態系が異なる異世界には存在しない未知種。
旅行者の荷物に潜んでLゲートへと突入した一匹が、異世界の過酷な生存競争に打ち勝ち、レベルアップとクラスチェンジを済ませて凱旋帰国を果たした。
今度は仲間達を率いてLゲートに進出するつもりである”
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