密航者L045 侵略される職場
旅行気分のツアーばかりだった先週と異なり、今週は通常業務である。弛んだ気持ちの引き締めが必要だ。
「はい、次の方。こちらにどうぞ!」
本日の担当は異世界ゲートの帰国側。通行量はやや少なめ。
「この薬は先週解禁されましたが……はい、ビンの底に別の薬が隠れていましたね。没収します」
「見逃してくれッ。母の腰痛のために、百万円したんだぞ!」
「こちらは赤い宝石……に見せかけた何か。たぶん、血を凝固させたものです。研究所に売れば高値になりますね。もちろん没収です」
「この鬼っ、悪魔っ、審査官っ!」
Lゲート――通称、光の扉――との国交樹立が近いという噂があり、毎週とは言わないが二週間に一度は輸入可能品目が改定されている。Lゲートからの帰国者が持ち帰る品種も幅が広くなっている。そんな中、今日はあまり難しい審査が多くなくてリハビリとしては最適だった。
特に審査へと集中できているのが良い。羽虫のごとく耳元へと飛んでくる小動物がおらず、いつも足場にされている肩が軽い。
「出せぇぇ。私は無実だぁっ」
「どの口が言うか」
洗濯ばさみできっちり施錠した鳥かごの中から怨嗟が響く。
Lゲートの生物が日本を経由してRゲート――通称、闇の扉――へと侵入する。戦争中の両陣営が最も危惧しているショートカットであり、日本が最前線になりかねないタブーでもある。
知能のない小動物が間違って侵入した。こうRゲートが大人の対応で理解してくれたので外交問題に発展していない。
だからと言ってペット妖精を無罪放免にできないので、反省文を書き終えるまで鳥かご生活の刑を科している。まあ、貸してやっているスマフォにはまだ一文字も反省の言葉は書かれていないのだが。
「私のお陰でツアーが成功したのに、反省文なんてふざけている。妖精を不当に扱えば、後が怖いわよ!」
「本心はどうあれ反省しているという姿勢が重要だ」
「はっ! 私のプライドは安くないの。嘘であろうと下げる頭はないわね!」
当分、ペット妖精は鳥かごから出られないだろうな。
猛妖精。餌を与えないでください、という看板へと裏側から噛み付く妖精から目を離して仕事に戻る。Lゲートに反応が見えたので、そろそろ次の客がブースに到着する頃だ。
「はい、次の方。こちらにどう――あれ?」
ブースの正面には誰も立っていない。Lゲートの峠道のごとき細い道も無人で、休憩スペースもやはり無人。どこにも帰国者ないし入国希望者がいなかった。
経験上、Lゲートの反応から最低一人は世界を越えて現れるはずなのだが。誰も現れないのは初めてのケースである。
異世界そのもの以上に特異な異世界ゲートなので、勝手にスイッチの入るテレビみたいに意味もなく光る事があるのかもしれない。
俺達はまだ知らない事が多過ぎる。気にし過ぎても仕方がないのだろう。
「……サーモグラフィーにも反応なし。透明人間って訳でもなさそうだ」
「疑り深い男ね、アンタ」
「やっぱり仕事のカンを取り戻せていない。休憩にするか」
人の往来が途絶えたのならば丁度良い。少し早い昼休憩にするため、鳥かご片手にバックヤードへと移動する。
――潜入成功。水分……在り。夜を待って作戦を開始する。
営業時間終了直後に、Rゲートが瞬いてトロッコが現れた。本日は定期便の日ではなかったはずなので、石炭以外の物を運んできたのか。
Lゲートに遅れていたが、Rゲートも日本との国交樹立を目指して活動中だ。物資の輸出入で言えばRゲートの方が一歩進んでいるのかもしれない。
「トロッコの中身は……白い枝?」
「ゴブ」
「ああ、骨ですか。確かに大腿骨っぽいのがありますね……ん、骨? 遺棄??」
「ゴブ」
「料理の出汁用のスケルトン・デモニクスですか。トロッコ一つで一頭分ってかなり大きな動物なのですね」
さっそくツアー客だった料理人が政府に働きかけたのか。Rゲートの配達もスピーディーで、国交樹立したいという本気度が覗える。
グランドピアノを運べるサイズのトロッコの中には、四足歩行動物の全体骨格が丸ごと納められていた。底には頭蓋骨らしきものも見え隠れてしている。象とまではいかないが河馬ぐらいの大きさはありそうだ。
トロッコを押してきたゴブリン達の一人が預り証へのサインを求めてきたので、判子を押す。
「ゴブ!」
「取り扱いに注意があるのですね」
「ゴブ!」
「新鮮なスケルトン・デモニクスは組み立て直すと復活する? 普段は温厚だが、復活後は栄養を摂取しようとして暴れる? 危険生物じゃないですか!」
「ゴブ?」
「草食性だから人間族は大丈夫。あ、それなら安心です」
食われる事はなくてもパワーのある動物なので無闇に復元しないように。こうゴブリンは注意してくれた。注意されなくてもフライドチキンから骨格標本を造り上げるような趣味はない。
いつものようにウォーターサーバーで喉を潤したゴブリン達がRゲートへと戻っていく。
「食材らしいから、石炭と同じ倉庫においておくのは駄目か」
局長に確認したところ朝一で宅配業者がやってくるので、一晩、管理局で預かっておけというお達しだった。
置き場は異世界ゲートが見えるホールで問題ないとの事だったので、ブルーシートをかけてそのままにしておく。
「私が料理してあげましょうか?」
「肋骨一本だろうと拝借したら盗難だぞ。というか、まだ反省文書けていないだろうに」
「……あれ、妙な気配がするわね。このスケルトンじゃなくて、深緑系?」
「今日の仕事は終わりだ。夕食にするぞ」
照明を落としてパソコンを停止し、終業処理を終えると鳥かごを持ってホールを後にした。
――人間族気配なし。これより自己再生、自己増殖を開始する。
管理局内のコンビニ飯はうまいが、栄養の偏りは避けられない。
そのため、週一で街まで出かけて買い込んだ食材を冷蔵庫から引っ張り出して、休憩所の電磁調理器で調理するように心掛けている。
「ほーら、今日は肉じゃがだぞ」
「どうして肉じゃがなのに豚肉なのよ。牛肉使いなさいよ、牛肉」
「森の妖精が肉肉言うな」
「エルフだって狩猟しているのに、妖精が花の蜜だけで生きているはずがないじゃない。ヴィーガニズムなのは植物なドライアドだけ」
昼、夜をペット妖精とほぼ毎日食事しているのを今更気にしても仕方がない。ペット妖精に慣れている職員が俺の他には後輩しかいないので、世話は俺の業務になっている。
「ドライアド、か。森林同盟を構成する主な種族がエルフ、トレント、ドライアドだったな」
「緑髪の女だらけの種族よ。古木の器官が他種族とのコミュニケーション用に変化しただけだから、昔は木から離れられないって言われていたけど。最近はそうでもないみたい」
肉とジャガイモしか食べず、人参を残そうとするペット妖精。おかわりの皿に人参だけ追加してやる。
「自分で木を背負って移住したり、別の木に接木して移り住んだりやりたい放題よ」
「それなら日本に観光へ来てもらう事も可能だな。いや、植物に都会の空気は酷か」
「都会に出かけて枯れるどころか大繁殖した一族もいるから大丈夫じゃない? 中にはタンポポみたいに綿毛付きの種にまで退化して世界旅行する一派もいるのよ。逸話程に柔な奴等じゃない」
スマフォ操作に慣れた妖精がいるぐらいなので、ドライアドが旅しても不思議ではない。というか、そのスマートフォンは反省文を書くために貸したのだから早く書け。
「……ん、タンポポみたいな種?」
綿毛で空中浮遊して移動する異世界人。
もしそんな奴が異世界ゲートを通って現れたとしたら、今の管理局の設備で発見できるだろうか。対魔法のために最新設備を取り揃えているが、小さな種となって漂流する者まで想定されてはいない。
どう対策すれば良いのか。局長はまた大変だな。こう他人事みたいに肉じゃがを食べ続けた。
“――侵入警報。侵入警報。異世界入国審査局は一分後に隔離閉鎖されます。一分後に隔離閉鎖されます”
そして、和やかな食事時に響く警報。
“――ゲートホールに謎の樹木が発生、侵食中。職員はただちに退避してください。退避してください”
ゲートホールと言えば休憩室の壁一枚向こう側にある職場なのだが。
箸を持ったまま立ち上がり、余った片手で鳥かごも持参してドアに向かう。
ドアノブをゆっくりと捻ってホールの状況を目視すると……ウォーターサーバーが置かれていた休憩所が枝葉で埋もれて森と化していた。固定されたソファーは動いていないが、ゴミ箱や椅子が散乱して根に巻き上げられている。
そっとドアを閉じてから戻り、茶碗を握り締めて米を食う。
「……そうそう、あれがドライアド。樹齢は五百年ぐらい?」
「観葉植物のプランターに無理やり根を突っ込んで養分を横取りしていた。なんて酷い奴なんだ」
異世界人に侵略されていく職場に、箸を持つ手へと自然に力が入った。残っていた副菜も憎い敵を噛むようにもちろん食べていく。
「どうするの、あいつ?」
「植物相手にテーザー銃は通じ難いだろうから、自動防衛機能じゃ無理っぽいな。……はぁ、残業申請しないと」
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▼密航者ナンバーL045、ドライアド
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“森に住む精霊の一種で、古い樹木の一部が人間に擬態した姿。
緑髪の美しい女性ばかりで構成される。本人達はエルフよりも自分達の方が美しいと常々思っている。
気に入った異種族の男がいると誘惑するか誘拐する悪癖があると言われるが、本人達は他種族も似たようなものだと反論している”
“異世界入国管理局へと侵入したのは樹木国所属、特殊部隊ニュムペーの一員”
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