魔王城R043 魔界観光ツアー 最終日の最後
深宇宙から帰還した宇宙カプセルの開放音みたいな呼吸で目覚める。
「はァぁっ、げふぉ、あが、ぁっ」
長く呼吸が止まっていた。というか、心臓さえ停止していたのではなかろうか。脳細胞が厳しいレベルで死滅してしまったかもしれないが、今は気にしていられる状況ではない。
「だ、大丈夫。お医者連れて行ってあげようか? 給料で桃の缶詰買ってあげるから」
酷く神妙な顔をしたペット妖精が顔を覗き込んでいるが、無視である。
今すぐに動き始めなければ再び生命活動が停止してしまう。
「魔界のどこかにソドムの看板を廃棄可能な場所はないですか! きっとダンジョンの近くですっ」
どこで聞いたのかもう思い出せないが、魔界のどこかにソドムの看板の機能を無効化できるゴミ捨て場があると確信していた。絶対にあるはずなのだと全員に問いかける。
「一度発動したソドムの看板を? そんな都合の良い場所があるはずがないですわ」
(神器を滅する難易度となる。決して容易ではない)
「酸素欠乏で妄想を見たのね。意識を失っている間に泡吐いて痙攣しちゃっていたから、それぐらいの後遺症は覚悟していたわ……」
異世界人共は全員揃って答えに辿り着かない。現地人であるオーク達、アジ・ダハーカは首を傾げるだけだ。ペット妖精はそれで俺を労わっているつもりなのだろうか。
そんな中、ぼそりと呟やいたのが……テロリストのカメラマンだ。
「……あそこじゃないのか? ほら、ツアーで周った」
ツアーで起きた様々な事件の中心の端ぐらいにはいた攘夷テロリスト。正直、今更彼が関われる程に問題は易しくないはずであるが、隣にいるイケメンも頷きながら同意する。
「あー、行きましたね。確か二日目ぐらいに」
「どこですか。そこッ!?」
「えっと、名前は確か……縁切り火口?」
俺もツアー同行者としてツアーの行き先についてパンフぐらいは読んでいたのだが、二日目は味噌盗難事件調査のために魔王城に残っていた。せっかくツアーに同行したというのに、観光地の多くに出向いていない。
だが、二人はツアー客として魔界を体験している。観光地巡りは記憶の中でも新しい分類となる。看板の廃棄と聞いて簡単に連想できたようだ。
縁切り火口とは、魔界の活火山の頂上付近にある観光スポットである。
かつて存在した邪悪な魔王の指輪という危険物を他に捨てるところが見付からず、もうここで良いだろうと投棄した歴史がある。魔王の呪いらしい呪いも特に生じなかったので、かなりの浄化作用がある火口であると発覚。以降、悪縁を絶つ事のできる名所としてストーカー被害者や貧乏神に取り憑かれた者達の間で人気を博している。
「あそこは観光地ですわよ??」
(我が一度消滅して、ミミックとして転生するまでの間の事ゆえ観光地としか聞いていないな)
地元民の癖に、というよりは地元民だからこそ魔界の危機的状況を救う重要スポットが近場にあると考えられない。学校の遠足で行く寺が重要文化財と知らなかったようなものかもしれない。
「火口ッ、そこで間違いないっ! そこに看板を捨てれば神罰はキャンセルされる。縁切り火口に行かないと!」
「距離的に間に合わないわ」
俺達の現在位置はダンジョンの最下層近傍。
一方の縁切り火口は魔王城に近いとはいえ一時間の馬車移動と二時間の山登りが必要となる。タイムリミットにそれだけの余裕があるとは思えない。やはり間に合わないのか。
「……そう言えば、このダンジョンを建築した幹部の人が、一度床を掘りぬいてマグマダイブした事故がありましたっけ。お父様?」
(ミノの奴が全身火傷で焼き肉みたいな臭いを漂わせていたな。あの時の調査で、マグマは縁切り火口と地下で繋がっていると報告を受けていたぞ)
「そのマグマの場所に案内をッ! 今すぐ!!」
マグマダイブ事故の発生現場は、丁度、階段を下りた真正面らしい。周囲を鎖で囲っているだけで穴は塞いでいないようだ。
徒歩一分以内という好立地。そこで間違いないと直感したが……階段は現在、巨大害虫の束により封鎖されてしまっている。
試しにワニの尻尾みたいな部位を押してみたものの、ぴっちりと詰まっていて動いてくれない。
「アジ・ダハーカ、邪魔なのだが?」
「仕方がないでしょうっ。身動きできない中、お前達を攻撃しようとして無理やり動いて、完全に嵌っちゃったのですから」
「Rゲートとツアーの危機を何だと思っている! 肥満体型が原因で神罰に焼かれましたってシャレは笑えないぞ」
「これのどこが肥満に見えるっ。これはこういうスキル!」
乙女の体は不思議でいっぱいだ。パズルのピースが揃えば問題解決するのが定番だというのに、完成したパズルみたいに組まれたアジ・ダハーカは自力で脱出できずにいる。
黙ってみているだけでは間に合わない。俺は率先してアジ・ダハーカの両肩に握って押し込んだ。
「全員で協力して押し出すぞ!!」
数多く続いた事件の最後は文字通りの力押し。
力自慢のオークは当然のこと、テロリストや光の信徒だろうと関係ない。全員が一丸となってアジ・ダハーカを下の階層へと押す。触っているものが蛇の頭だろうとヤスデの体だろうと気にしていられない。隣が人間だろうと魔族だろうと関係しない。
「ちょっ。そ、そこは私の太もも!?」
「押せええええッ!」
「きゃ、どこ触っているのよ! ドレスが、ドレスが脱げるからッ」
「押し込めぇええッ!!」
些細な事柄に囚われず、利害関係さえ放棄して、ただ生き残るためだけに協力しあった。
(敵も味方も関係なく、純粋に互いを信じて生き残ろうとする。異常な光景なのだろうな。これが魔界で行われているというのも信じ難く、得難いものだ。貴重であり、美しくも感じる。しかし――)
それでも……開いた隙間は鼠一匹が通るのが限界の小さなもの。
「ペット妖精ッ。いけぇーーッ!」
「ラストアタックを決めるのはやっぱり私ね」
だが、隙間さえ生じれば十分だった。かつての神罰を逃れたソドムの看板。その板切れを抱えたペット妖精が隙間へと突入していく。
ペット妖精が最下層へと消えていくと、力を出し切った皆はその場に倒れ込んだ。
汗だくとなり、塩辛い粒が額を伝って落ちて……いく事なく蒸発していく。
「なっ!?」
(始まったか……)
営業開始前のダンジョンとはいえ地下空間が静か過ぎた。先程まで荒い呼吸をしていた者達も、口を噤いで神聖なる気配に黙り込んでしまう。
熱せられる直前の炉の中に俺達はいる。
もうすぐ周囲は赤く熱せられてすべてが燃え尽きる。今は周囲の温度がゆっくりと上昇しているだけであるが、ある温度を過ぎると急激な変化が訪れるだろう。そう感じ取れた。
抗う術はない。生めよ増えよ地に満ちよと言われるがままに繁栄した俺達なのだ、燃えろと言われたなら燃えるしかないのが定めである。
神罰が開始される――、
「――こんな看板、捨てちゃいましょうねー」
――その寸前に俺達は救われた。
「はい、次の方。こちらにどうぞ!」
世界の境界線を越えた先で最初に俺を出迎えてくれたのは、異世界入国管理局の審査官。後輩である。久しぶりであるが、無事に仕事を続けていたらしい。
「先輩、お帰りなさい。無事の帰還なりよりですが、妙に眠そうですね。Rゲートはどうでしたか?」
「魔界って名前ほど恐ろしい所ではなかったな。管理局で働いていれば大した事ない」
 




