没収品L004 ひのきの棒
無管理時代と異なり、一般人が異世界を旅行するのは難しい。
だが、絶対に不可能という訳ではない。応募が殺到している少ない枠に当選さえしてしまえば、誰だって旅行できる。宝くじを当てられる確率で世界を渡れるのである。
特にLゲート側――通称、光の扉――の国のいくつかは、日本からの観光客を快く迎え入れている。せっかく世界が繋がったのだから隣同士友好を育みましょうという意図があるそうだ。
異世界人は心の温かな人ばかりだ――。
「思わず買ってきちゃったんですけど、駄目ですかね?」
「どんなに粗雑でも武器は武器なので。没収になります」
「家に持ち帰っても邪魔なので、どうぞ……」
異世界旅行を存分に楽しみ、本日、日本に戻って来た観光客。彼の手より、カウンター越しに禁輸品を受け取った。内心、観光客は余計な物を減らせて嬉しそうだ。
木製、というよりも木そのものな棒がテーブルの上をコロコロ転がる。
「ぴろーん。私の下僕たる人間族はひのきの棒を手に入れた」
「……鳥かご生活の癖に、どこでそんな言葉を覚えるんだ」
「で、装備するの?」
「いらない。こんな落ちていた枝に少し荒縄巻いただけのズボラな土産」
異世界にも商売に聡い人間がいるようだった。観光客向けに異世界土産を売る露天商が、異世界側の入国管理局の近くに集まっている。どうも、ひのきの棒っぽい棒はそこで売られているらしいのだ。
観光帰りで財布の紐が緩くなった観光客は、使い道もないのにひのきの棒を買って帰る。余った硬貨を使い切るための意味合いも強いのだろう。あるいは、観光地で木刀を買ってしまう心理が働くのか。
ともかく、ひのきの棒の売れ行きは上々だ。現に、没収した棒が薪のように俺のテーブルの上に積まれている。
「……はぁ、そこいらに落ちていた木の枝の皮を少し剥いだ棒が千円前後。皆よく買うよな」
戦いで小回りが利くひのき棒のサイズは、日常生活では実に中途半端だ。杖として再利用するには短い、菜箸にするには太い。日本での活用用途は見いだせそうにない。
異世界においても出国時に携帯を許されるぐらいに弱々しい武具なので、本当に価値がないのだろう。
「ひのきの匂いがしないから、ひのきの棒ですらない」
いちおう、後ろから鳥かごを持ち出してペット妖精に物を検めさせる。
「コレニの木の枝かなー。どこにでも生えてるメジャーな木」
「本当にただの棒でしかないのか」
「攻撃力プラス1ぐらい?」
「異世界言葉は時々意味不明だ」
棒以外に不適切なお土産が見当たらなかったため、観光客の一団は場外へと去っていく。
合計が二十本近くまで増えた没収品の山に溜息を漏らした。
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▼押収品ナンバーL004、コレニの棒
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“コレニの棒。ひのきの棒ではないが、匂い以外はだいたい同じ。
落ちている枝を少し加工しただけで作成できるので、異世界では初心者向けの武具としてメジャー。ただし、攻撃力プラス1にしかならないので頼りにできない”
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「先輩。透明袋を用意しました」
「ありがとう。一本ずつ入れて番号シール貼って」
「先輩。全部まとめて縛って、粗大ゴミの日に出しちゃ駄目なんですか?」
「これでも没収品だから無理。レポートを書いて、一定期間保存して、それから廃棄」
「ペネトリットちゃんはお人形さんみたいで可愛いー。先輩。鳥かごから出してあげてくださいよ」
「そうだ、そうだー」
「真面目に仕事しなさい。仕事」
手伝いに来てくれたのに一瞬で飽きてペット妖精と遊び始める後輩の鑑たる後輩。後輩は人差し指を鳥かごの格子の間に入れ、ペット妖精は手を突き出し、ヤンキードゥードゥルで手遊びに興じている。後輩はもちろん、アルペン踊りしているペット妖精も眺める分には微笑ましい。
「真面目な話、ペネトリットちゃんを外に出してあげられないんですか?」
後輩はやや真剣な面持ちで訊ねてきた。
確かに、ペット妖精が我等の異世界入国管理局にやってきて早くも一週間が経過している。けれども、妖精密輸事件の調査は進展していない。
密輸犯が既に捕まっている事と、事件が世界外で起きた事が理由だ。
封印状態にあった妖精をどこで購入したのか。犯人の自供では怪しい店で買った事になっているが、なにぶん現場が異世界。日本の警察が裏付けを取るのは難しい。異世界側に問い合わせているが、返事は未だにない。
それに、犯人と証拠が揃っていれば罪を問うには十分と警察は考えているかもしれない。ペット妖精がどこで捕まったのか分からないまま、密輸事件は終わろうとしている。
「どこの妖精か分からないと、異世界へ帰してやれない。異世界側が受け取ろうとしない」
「そんな冷たいっ」
密輸品自身に出身地を訊ねる。それが手っ取り早いはずなのだが――、
「お前はどこに住んでいたんだ?」
「女の過去は問わない。それが良い男の条件よ、ボウヤ……って、もうっ! かごを揺らさないで!」
――このように適当な事を言うので、鳥かごから出してやれないのだ。
一週間も狭い鳥かごに住んでいて可哀想だ、と後輩は同情的な表情を作る。おやつの十円チョコを自分の机まで取りに戻り、ペット妖精に与えるぐらいである。
対して俺は、ペット妖精に懐疑的なのだが。
「姿形は森の純妖精。けれども、このタイプでも、子供をさらってチェンジングするような悪性はいるからなぁ……」
金色の髪に、青い瞳に、緑の服。まさかこの外見で殺人妖精レッドキャップという事はないだろうが……まだ服を赤く染めていないだけという可能性もある。種族、最低でも出身地が分からなければ鳥かごの外で自由に飛ばせてやる事はできなかった。
話をしている間にも仕事を進めて、そろそろ十五本目の棒の処理に入る。
透明袋のジッパーを開いて枝を押し込んでいく。今回の棒は特に粗悪で、真ん中あたりに穴が開いている。
「何の穴なのか……んっ?」
穴そのものは棒と同じく特別なものではない。
問題は、その穴の中に潜む長い触角を持つ黒い甲虫。注意、Gではありません。
「先輩、この虫、何ですか? 私、都会っ子なんで見た事なくて」
「異世界産の……カミキリムシだッ。マズイ、アラート押せッ!」
カミキリムシ。
長い触角が特徴の、柔らかいYみたいな格好をした虫の名前である。世界に広く分布する珍しさのない虫なので、どうやら異世界にも住んでいる種が存在するようだ。異世界種の特徴は黒の胴体に紫の斑点。
「クソ、棒の穴はこいつの食事の痕か」
「アラート押しました。先輩!」
“――侵入警報。侵入警報。異世界入国管理局は一分後に隔離閉鎖されます。一分後に隔離閉鎖されます”
「建物の外に出るのは間に合わない! 後輩は奥部屋に逃げ込め」
「先輩は!?」
カミキリムシごときに大げさな処置であるが、それだけの理由がある。かつて、無管理時代に渡って来た異世界カミキリムシが樹木を食い散らかす事件を起したのだ。
森林消滅事件。
当初は気候変動説や廃棄物汚染説が疑われたが、実際には異常な食欲を持つ異世界生物による侵略だったのだ。地球原産のカミキリムシも植物被害をもたらす害虫なのだが、異世界産はスケールが違う。
異世界へと通じる二つのゲートの発見は山から木がなくなったお陰と言えなくもないが、自然への被害が大きい異世界カミキリムシは酷く嫌われていた。
「俺はどうにかして、カミキリムシを駆除する!」
赤い回転光に支配されたホールから背中を押して後輩を追い出した。
それから、書類をまとめた束で異世界カミキリムシに一撃を加える。
……ありえて欲しくなかったが、書類を顎で受け止められてしまった。噛まれた書類が圧倒的な力で引かれて奪われてしまう。異世界生物は虫さえも非常識で困る。
“――危険外来種指定の虫を検出しました。これよりゲート前ホールに殺虫剤を噴出します。殺虫剤を噴出します”
「ちょっとーーっ!? 私、人間族より体小さいのよ。薬が効き過ぎるぐらいに効いちゃうんですけど!」
鳥かごの中で、生命の危機を察知したのか羽音がする。
鳥かごの外でも羽音がして、斑点模様の虫がホールを飛ぶ。
顎で挟まれると肉を千切られてしまう異世界カミキリムシ。ブース内で屈んで虫を回避する。
“――噴出開始します”
「ぎゃああァ、助けてッ」
「ペット妖精! 助けて欲しいなら、異世界カミキリムシの弱点を教えるんだ。同じ小動物繋がりで知っているだろ」
「大きさ同じなら親戚でしょ、的な感覚で言わないでよッ!」
天井と床の穴から黄色い煙が噴き出てくる。カミキリムシ一匹に対してオーバーキルが過ぎる装置だろう。
駆除業者ではなく審査官である俺は早く逃げるべきだったが、職場の安全のために危険生物は確実に始末しておきたい。
だが、武器がない。書類の束以上の攻撃力が欲しい。
左右を見渡して探すが、武器になりそうなものは置いていない。……やっぱり逃げようかな。
「机の上に山程あるじゃない! ひのきの棒ッ!」
ペット妖精の叫びに導かれて、俺はテーブル上に散乱する棒に手を伸ばして掴む。
嫌に手に馴染む棒を正眼に構えた。壁へと張り付き、クライミング中の異世界カミキリムシを棒の中心で捕えて叩く。
石を叩いたような感触が棒から伝わってきた。
異世界カミキリムシは壁から落下したが……床の上で動いている。左右に触覚を振っているだけで大してダメージを負っていないような。
「新世界の人間族、貧弱過ぎッ」
「仕方ないだろ。自衛隊投入してようやく始末した害虫が相手なんだぞ!」
「アンタがレベル0でショボイだけなのよ!!」
異世界生物は虫サイズであっても強靭だと対戦して実感する。
とはいえ相手は虫。ひのきの棒を装備して戦えば勝てない事はないだろう。
殺虫剤の噴霧が完了して、ペット妖精が息絶えるまでに決着を付けられる自信はまったくなかったが。後輩を呼び戻して鳥かご運んでもらうのは悪いし。
「そんな虫より、私の命でしょ!?」
「おっとっ。俺を敵と認識したのか飛びかかってくるぞ。背中を見せると噛み付かれる。まずいな」
「だから、私の命ッ」
ペット妖精が鳥かごの入口をガシャガシャ拳で叩いて訴えてきた。
噛まれるのは嫌だが、ペット妖精が苦しんで全身の穴から血を吹いて死ぬスプラッタを目撃するよりはマシか。鳥かご抱えて施設の奥に逃げるなら今だった。
だが、ペット妖精の決断が逃走以外の方法を示す。
「ええぃッ!! 殺虫剤で死んだ妖精第一号になるぐらいなら――ッ。私も知覚していない潜在能力よ、目覚めよ! この貧弱なる下僕に妖精の加護を!」
「かごの中でかごって何の事だ??」
「尊い私の命の危機なのッ。妖精の加護を出血大サービスしてあげるから、私を外に出す!!」
カミキリムシだけでも切迫する管理局だというのに、更に妖精まで自由にしてしまったらどうなるか。新たな外来生物の危機に繋がる可能性が脳裏をよぎった、が、ペット妖精の命がけの懇願を無視できずに鳥かごを開放してしまう。まあ、逃げても砂糖水トラップで翌朝には捕えられるだろうし。
緊急事態ゆえ、現場判断でペット妖精を鳥かごより解き放つ。
「ペネトリットの名の下に、告げる! この下僕を我が眷属とし、力を分け与えよ!」
檻より飛び出したペット妖精は俺を中心に旋回した。勢いそのままに額にぶつかってくる。目で追えない速度でぶつかられたので、主観的にはバードストライクと変わらない。
小さな唇が触れてきた事なんて分かるはずがなかった。
「略式簡易加護付与!! よし、バフったはずだからレベル1のカミキリムシぐらい瞬殺できる……はず」
「痛っ。俺に一体何を――」
「いいから、早く倒すのッ」
スーパーナチュラルの戯言を信じた訳ではなかったが、異世界カミキリムシの方から飛んでくる。少し引き寄せてから、腰だめの一撃をジャストミートで食らわした。
ペチっと軽い感触で床をバウンドしていくカミキリムシ。ホールの中央で停止した甲殻は少しの間だけ痙攣していたが、直に動かなくなる。
まさかの討伐成功だ。
ペット妖精のおまじないが利いたような、利かなかったような。
「ただ当たり所が良かっただけだったような……。どう思う、ペット妖精? ……ッ、ペット妖精!」
無事に異世界の危険な害虫を倒せたが、俺は時間をかけ過ぎていた。視界が黄色く霞むぐらいに殺虫成分が満ちて、ホールは薬剤の霧に沈みかけている。
「けふぉ。けふぉ。うげぇ、げふぉ。ぼげぇ、もう駄目ぇぇ」
女らしくない咳き込み方をするペット妖精が、口を押さえながら墜落していく。
「おいッ。しっかりしろ!」
空中キャッチして事なきを得たが、ペット妖精はぐったりしたまま動かない。
小さな体を両手で包む。少しでも殺虫剤が降りかからないようにしながら、外へと向かう。