魔王城R039 魔界観光ツアー 最終日2
営業開始前の大型施設の地下に少女が現れる。状況だけを言葉にするとホラーであり、実際、現場は魔界のダンジョンなのでホラーが発生しても不思議ではない。ただ、地球の現代人にとっては恐怖体験でしかなかった。
「クスっ。ふふふっ」
「だ、誰だ!」
「追っ手ではない? もう疲れたんで、むしろ追っ手なら良かったのですが……」
背中の開いたドレス姿の少女、アジーは口を歪めながら一歩一歩近付いていく。
それを威嚇する逃走中のツアー客二人。
「それ以上近付くなッ。これは武器だぞ!」
カメラマンの方が後ろ腰から取り出したのは手に収まるサイズの物品だ。スライドしそうな筒状の機構と、指を引っ掛けるトリガーが備わっている。魔界的には未知の武器である。
ハンドガンなのは間違いない。しかも玩具ではなく実物。
攘夷活動に参加したカメラマンが本部より支給を受け、審査例外となっていた映像機器の中に紛れ込ませて異世界に持ち込んでいた。カメラマンがテロリストである物的証拠なので色々アウトであるが、近付くアジーに対処する優先度の方が高い。
「それは何かしら?」
「これは銃だ!」
「まあ、新世界の武器だなんて、怖くて足が竦んでしまう」
「だったら止まれッ」
アジーの両手の爪が十センチほど伸びた。両肩のトカゲの頭部を模した装飾からも、牙のようなものが長く突き出す。
姿だけ人間に擬態した異形の気配、鼻を刺す程に悪意が強まったからだろう。カメラマンの隣にいたイケメンも隠し持っていたデリンジャーを構える。
「お前も拳銃を! やはり同業者だったのだな。どこの支部所属だ?」
「いや、私はテロリストではなくてですね……」
「異世界は危険だ。こいつを見てみろ、俺達を殺したくて仕方がない顔をしている」
「話を聞いちゃいない。この状況、上にどう報告すれば」
イケメンの表向きの素性はベンチャー企業の社員であるが、実際は某国諜報機関に就職する平スパイである。渡辺田中という名前も、もちろん仕事で使う架空のものだ。
彼は今回、日本国内で真しやかに報道される異世界の真相を突き止めるべくツアーへと参加していた。あるはずのない異世界の真偽を突き止めるというよりも、どうして日本政府がそんな嘘を吐いているのかと調査するのが主な任務だったのであるが……真実は時に想像力を超えてくる。
異世界は本当にあったと言えば正気を疑われる。
何より妖精に暴行されてテロリストと共闘する破目になったと報告書を書かないといけない時点で、イケメンは次の職を探さなければならないだろう。
「今はこの状況を生き延びる事だけを考えろ。異世界の化物などに殺されてたまるか!」
「そうですね。自分の命は大切ですから。この銃は小さいですが、当たれば大統領だって殺せますよ」
「そうよっ、この反応を待っていたの! 人間族は無謀で勇敢に私達へと立ち向かってくるものじゃないと。いきなり周りに助けを求める弱腰じゃなくて、ありがとう!」
武器を構える健気な二人を見て、魔族たるアジーの嗜虐心は高まっていく。素直に反応してくれて嬉しいという気持ちも六割ほど含まれているが、経緯を知らない二人は気付かない。
ただ、銃口を向けられているにもかかわらず一歩踏み出す魔王の娘に対し、勇者職ではない、テロリストやスパイでしかない二人は強い恐怖を抱いた。トリガーにかけられた指が勝手に動いていく。
発砲音が二つ重なる。
瞬間、アジーの片腕と片脚に焼けた穴が開く。
少し遅れて、血が吹き出るのだろう。魔族の血が赤なのか緑なのか不明であるが、銃でダメージを与えたのだから体液が流れ出る。
「そうよ、私を傷付けなさい。それで私のスキルが発動する!」
しかし、アジーの傷口から出現したのは、ありえない事に蛇の胴体とサソリの尾。穴の大きさに不釣合いで、下手をするとアジーの体よりも大きな害虫が噴出する。
「『悪意のシントロピー』はダメージ量に応じた強さの魔獣を産み出すスキル。残念ながら自傷では発動しないから、貴方達が攻撃するのを待っていたの!」
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▼魔族ナンバーR028、アジー
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“魔王の娘であると内外に知れ渡っているが、彼女は箱ではない。
刺繍の細かい漆黒のドレスを愛用している。背中の露出は激しく、綺麗な肌は人間のようである。ただし、肩から指先にかけては鱗のごとき細かな飾りが続き、肌は一切見えていない。
肩口にはトカゲの頭のような飾りがある。
なお、かつての名前はアジ・ダハーカ”
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“≪R039追記≫”
アジ・ダハーカとは、悪神が創造した最凶最悪の竜の名前である。
かつて異世界で行われた光の勢力と闇の勢力の決戦で猛威を奮い、光の勢力の三分の一を滅ぼしたと言われる。ただし、最終的に山に潰されて敗北。以来、消滅したものと目されていたが……現在は少女の姿に転生中。
レベルは激減しパラメーターは酷い有様だが、凶悪なスキルは失っていない”
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“『悪意のシントロピー』、悪意には可逆性があると示すスキル。
剣や弓でダメージを負った瞬間、血の代わりにダメージ量と同等のHPを有する魔獣を傷口から産み出す。ゆえに、総体としてのHPに変化はなく、悪意は悪意として存続し続ける。
魔獣の種類は爬虫類や害虫に限定される。基本的に人間族が立ち向かえるレベルの相手ではない。
悪神の直系たる悪竜に相応しいスキルであるが、無から有を創造している訳ではないのでスキルのランクは神秘に至らない”
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“『生命虐殺(三分の一)』、悪竜最大の悪意を実行するスキル。
条件が揃った瞬間、本スキル所持者が認識する範囲にいる生命の三分の一を無条件に殺害する”
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ペット妖精と共にダンジョンを下っていく。Rゲートの最新ダンジョンと聞いていたので移動に苦労するものと思っていたのだが、攻略本のお陰でスムーズだ。
「ここの階は東西の端の壁に触れると次にいけるわ」
「次の階は階段から降りて、四秒から八.五秒静止か。攻略本なしでどうやってクリアするんだろうな。これ」
「新世界の人間族はヌルゲーに慣れちゃって駄目ね。こういうダンジョンは人海戦術でクリアしていくものなのよ」
その人海戦術で失われるのは五十円玉ではなく本物の命ではなかろうか。異世界人も命はストック制ではないので、まあ、普通に死ぬ。
異世界の争いには干渉しないスタンスなので、何も言わずダンジョンの奥へと突き進む。
出発してから四時間。最短ルートで最下層へと進んでいるので、もう少しで最下層へと到着できるだろう。
「……破裂音がしなかったか?」
丁度、階段が見えてきた頃、下の方から音が響いた。
ダンジョンのアトラクションの音だろうと深く考えずに進んでいると、今度は叫び声が聞こえてくる。
「残念ながら俺達の冒険は終わった。二人の尊い生命と俺達二人の命は等価なので、ここまでだ」
「そうね。退き返しましょう」
直感が働いて体を百八十度回頭したものの、少しだけ遅い。逃げるなら破裂音がした段階で逃げるべきだった。
(む、この魔力は?)
叫び声と時々の破裂音がどんどん近付き、階段を駆け上って来る。
全力疾走で現れたのは逃走していたカメラマンとイケメンの二人だ。酸欠気味という理由以上に恐怖で顔を青く染めてしまっている。
彼等が手に持つモデルガンっぽいものを階段下へ向けて発砲する。すると、巨大ムカデの胴体らしきものやシャベルカーサイズのトカゲの腕らしきものが伸び上がって縁を掴んだ。
「その銃は本物? てか、何に追われて??」
「お願いだ。た、助けてくれッ」
「化物だ!? 真性の化物が俺達を追って来る!!」
新しい出来事が同時に起きて頭が回転してくれない。捜索対象が突然現れて助けを求めてくる状況だけでも精一杯である。が、危機的状況に陥っており一瞬の判断の遅れが命にかかわる事だけは理解した。
よって、俺はオーク・マジシャン達に指示を出す。
「階段下へ向けて攻撃開始! あの大きさだから、複数現れるとつっかえて上に登れなくなるはずです!」
(うーむ。我が娘のスキルを知っている訳でもないのに、なんと的確な判断なのだ。『直感』や『オラクル』といったスキルを有している訳でもないだろうに)
オーク達が杖を掲げると、呪文を詠唱。杖の先に生まれた火球が一斉に階段へと飛び込んで炸裂する。
すると、増えるワカメのごとく数を増やす巨大害虫。一体一体が不気味かつ凶悪で不気味に蠢いている。触れただけでも致命傷を負ってしまいそうであるが……人間が通行する階段に対して本数が多過ぎて詰まっていた。
「またキサマかァッ! 人間族ゥゥ!」
どこからか激怒した少女の声が聞こえるが、害虫の束に対処するのに忙しくて聞き流す。




