魔王城R031 魔界観光ツアー 二日目 ~ 三日目
「巡回の兵士さーんっ! 淫魔です、淫魔ですよ。ここに違法営業活動している淫乱な淫魔がいます! 今にも襲われてしまそうなので助けてくださーい!!」
拡声器のように両手で壁を作り、表通り方面に向かって大声を上げる。
襲われそうな人間が救援を呼ぶというのは、特に頭を捻らずとも思い付く単純な解決手段だ。日本であろうとRゲートであろうと変わらない有効な方法である。
「なッ、この私が……淫魔風情!?」
「ここでーすっ。ここに十八歳ぐらいの年齢の淫魔がいますよーっ! 反社会的な行動で私レールから外れた人生歩んでいるって勘違いしちゃった、テンプレな反抗期少女が目の前にいまーす!!」
「ななァ、はぁあ!? 色香しか能のない淫らな奴等と、私が同じ?!」
淫魔街は賑わっていて騒がしい。夜十時からが街の本番だ。
大声を上げても誰か耳にしてくれるか不安はあったものの、遠くから複数人が駆けつけてくる足音が近付いている。保護区という名で監視されているというのは本当の話なのかもしれない。
俺を襲うために現れた魔族の女は絶句していたが、しばらくすると肩を震えさせて詰め寄ってくる。
「人間族! 初手で助けを呼ぶとか、恥ずかしくないのですか!?」
「恥ずかしいのは君の方だ。表通りの淫魔達は魔界の法律に従って真っ当に仕事しているというのに、路地裏で性的に人を襲うだなんて恥ずかしくないのか!」
「だから、私を淫魔ごときと一緒にしないでッ」
提灯に似たランタンを掲げたゴブリン兵が道の角から姿を現す。屋根の上にも身軽な獣タイプの魔族が顔を覗かせた。
もはや、女に逃げ場はない。さあ、大人しく補導されるのだ。
「ゴブ(御用だ)、ゴブ(御用だ)!」
「この子です。この子が自分と一緒に遊びましょうとか、私を傷付けてとかアブノーマルな事を言って!」
「ちょっ、止めて。新世界と戦争になるぐらいの大事になるのは望むところだったけど、こういう方向で大事にしないで!」
兵士達が慌てて動いたからだろう。表通りから一般魔族や店の淫魔達も集まってくる。
「違法営業しようとした子? あの子が?」
「まだ若いのに、淫魔の性質を抑え切れなかったのかしら」
「まったく、親はどういう教育をしていたんだろうな。顔を見てみたい」
「止めてッ。こんな事がお父様に知られたら、白い目で見られるか爆笑されるかの二択しかないのよ!」
今日、淫魔街に観光しにきて良かった。
図らずも、一人の不良魔族が道を踏み外す前に補導する事ができて良かった。彼女が今後どうなるかは分からないが、真面目な生き方をしてくれる事を願って止まない。
淫魔街での夜を通り越した翌朝。
ツアー三日目に突入し、まだ半分も終えていないと後ろ向きな事を考えてテンションを落としながら布団を押し退けて起床する。
昨日は色々あったが、今日は波乱なくツアーを続けたいと思う。
「――審査官殿。事件だ」
人の願いのなんと儚いことか。
俺を呼ぼうと走るゼルファと廊下で出くわして、そのまま大まかに話を聞く。
「何が起きたのですか?」
「ツアー客の一人が行方不明となっている」
朝一番からツアー同行者の背筋を凍らせる事件が起きてしまう。正確には昨晩から起きていた事件であり、気付いたのは今朝になってからとなる。
清掃係りのゴブリン達が最初に気付いた。部屋の清掃の許可を得るためツアー客一人一人から承諾を得ていたところ、ツアー客の一人、渡辺田中という普通なのに普通ではない名前のイケメンの不在に気付いたのだ。部屋にも食堂にも姿が見えず、ゼルファ率いるオーク部隊による大捜索が開始されている。
「部屋に不審な形跡はなかった。呪いの可能性はまだ残されているが、自分で室外に出たと思われる」
「ツアー客が移動可能な場所は限定されていますよね」
「スタッフルームも含めてすべて確認済みだ。一階にいなければ手遅れだろう」
想像以上に切迫した事件であった。
ただ、ゼルファ部隊は優秀である。魔王城のスタッフ全員に聞き込みを行い、渡辺田中らしき人物が昨夜、淫魔街へと出かけていったという重要証言をすぐに掴む。
さっそく、ゼルファは百のオーク部隊を引き連れて淫魔街へと急行する。
俺はもう一度、魔王城内部を探し回る役だ。今朝も朝食を食べるタイミングを見失ってしまったと嘆く暇さえない。ツアーの今後を憂うのも後回しだ。人命がかかっている。
「ツアーが失敗すれば俺にも責任が……いや、事がより大きくなれば相対的に俺に対する責任が小さくなっていくと期待できるか」
イケメンの生命を真剣に考えていたからだろう。淫魔街からオークが吉報を携えて戻ってきてくれた。人の願いのなんと尊いことか。
「え、イケメンが街のゴミ箱に頭から突っ込んで眠っていた? 臭いは移っているが、命に別状はないと?」
オークに発見されたイケメンが魔王城へと無事戻ってきた。
スピード解決に胸をなでおろしてしまいたいが、イケメンが何故ゴミ捨て場で外泊してしまったのかが重要だ。第三者による悪意によってであればツアーは即時中止となる。
魔王城に戻ってきたイケメン。若干以上にバツが悪そうな顔で、片手で頭の後ろを押さえている。
無断外泊したイケメンの言い分は――、
「――お、女の子と遊んでいたら、ついうっかり酔い潰れてしまって」
――イケメンらしいというか、そうでもないというか微妙なものであった。
目線が微妙に横へと逸らされていて、男は正面にいる俺ではなく部屋の壁ばかり見ている。
「ゴミ捨て場に突っ込んでいたと聞いていますが」
「昨夜は眠り易そうなベッドに見えてしまって」
「……後頭部を押さえていますが、どうされました?」
「はは、寝る前にぶつけてしまったのかな」
後頭部を痛そうに手で押さえているイケメン。
外務省職員との協議は必要であるが、イケメンの証言がそのまま真実であるのならツアーは続行しても構わないだろう。酔った客一人の不注意で異世界の事業を潰せない。Rゲート側に不備はないのなら、イケメンを厳重注意して、他の客はツアー継続だ。
「誰かに襲われて気絶していた訳じゃありませんよね?」
「まさか。襲われた側になる自分がなぜ隠さないといけないんです」
何となく嘘っぽいイケメンの言い分の中では、尤もらしい言い訳である。
後頭部を殴られた被害者が傷害事件を隠蔽するのは不自然だ。
イケメンは酔い醒ましのため室内待機となったが、三日目のツアーは予定通り行われた。二日目にぎっくり腰となったカメラマンも部屋で静養中のため、七人いたはずのツアー客が五人に減っている。
一夜明けるたびに一人脱落していくゲームのようだが、ツアーに狼は紛れ込んでいない。
波乱は朝で終わりだ。事件の連鎖は続かない。
「――この料理を作ったのは誰だっ!!」
……せっかくの夕食時だというのに、ツアー客の料理人が机に平手を食らわす。




