呪術品R003 手鏡
異世界入国管理局の仕事はその名の通り入国審査であるが、それは職務の半分に過ぎない。
日本から異世界への審査も担当しているのだ。地獄へ通じる道を阻む最終関門、三つ頭の番犬、ケルベロスのごとく我々審査官は、日本から違法物を持ち出そうとする輩を決して通しはしない。
「だからっ、異世界へバナナは持ち込めないんです!」
「何故だ!? バナナはおやつだ!」
「異世界側への生態系に配慮しているからです。果物は検疫対象です」
「バナナは野菜だ!」
「野菜も検疫対象です! そもそも、事前申請してないでしょう、バナナ!」
入国審査官の青いシャツは公平さや誠実さを表したものだと聞かされているが、実際は審査官のストレスを軽減させるためではなかろうかと常々思う。
困った出国者……ごほん、出国者が処分に困って置いていったバナナがカウンターの上に鎮座している。
出国者が帰国するまで管理局で保管するサービスはない。基本的には廃棄処分だ。
ただ、このままゴミ箱行きなのは罪悪感があったので有効的に残飯処理する事にしよう。
バナナの房から一本千切る。皮をむいて更に半分に千切ると、ブース後方の鳥かごの入口を開き、中にある餌入れに入れておいた。
少し時間を置いて、鳥かご内の鳥の巣――藁を編んだ壺型――が動く。
穴の部分から、鼻を鳴らしながら人形みたいな姿の、手の平サイズの妖精が姿を現した。
「ほれ、お食べ」
「わーい。食べ物―っ」
一対の羽でどうやって浮遊しているのか分からないが、ぱたぱた巣穴から飛び立つペット妖精。羽毛のようにふんわりと、バナナの入った餌入れの前に着地する。
「まったく、もー。こういう食べ物あるならもっと早く出しなさいよね。新世界の人間族って何を食べて生きているのか分からないから、若干以上に引いていたわ」
ペット妖精の食性について未だに分かっていない。ただ、甘い物が好みだと最近分かっていたので、色々試しに与えている。バナナは合格らしい。
「食った質量すべてをエネルギー変換しているファンタジー生物が言ってくれるよな。胃の中で対消滅でもしているのか?」
「新世界語で話さず、分かる言葉で言いなさいよ」
「お前はトイレにいかないアイドル気取りか?」
「私は食事中なの。これだから肉体の制約に縛られる生き物は下品で嫌になる」
ペット妖精が食べた分の質量はこの宇宙のどこに消えたのだろうか。さっさと異世界に返品しないと地球の損失が増えるばかりだ。
「ふう。まあまあな貢物だったわね。今後も私の下僕として美味しい物を用意し続けなさいな。貢献度によっては多少の幸運を持たせてあげない事もないわ」
立場を勘違いしているペット妖精を職場に置いていなければならないのは頭痛ものだが、異世界出身生物であるペット妖精の知識は入国審査において役立つ……かもしれない。だから仕方なくブースの棚に置いてやっている。
「ちなみに、どのぐらいの幸運をくれるんだ?」
「初めて使うラップが綺麗に剥がれ易くなるわ!」
「どこでラップを覚えたんだ」
まあ、俺は本日、出国審査担当なので、ペット妖精の異世界知識は全然必要ないのだが。
異世界から日本へ持ち込んではならない異物が多いように、日本から異世界へ流出してはならないものは有形、無形を問わず多々存在する。地球の優位性を失わせる技術的結晶、知恵の財産、経験の蓄積。これらは絶対に世界外へと持ち出してはならない。
ただ、これは別に異世界に限った話ではないだろう。和牛の精液が国外へ持ち出されそうになった事件は笑い話ではない。
そういう訳で、異世界へと出国する際の審査は帰国時よりも厳格になっている。
出国希望者は管理局に来る前に必ず素行調査が行われる。手荷物も事前申請が必須だった。
そういえば以前、後輩から「先輩、先輩。一番流出してはマズい物は何ですか?」と訊かれた事がある。微笑ましい後輩を自慢したいのではない。審査官としては常に気にするべき事柄だ。
一番マズい物。それは、科学技術だ。
異世界がまったく関心を隠せていない。
「はい、次の方。こちらにどうぞ!」
本日最後のお客さんは二十代の男性だ。
「手荷物の中身は問題ありませんが、随分少ないですね」
「せっかくの異世界旅行に、合成繊維は野暮ですから。それに、服は着替える事になると聞いていましたから」
「服はサイズごとに用意してあります。電子機器はレンタルとなるので帰国時にお返しください」
荷物が少ないため審査時間は極小で済む。病院検査書や渡航証明書に不備はなく完璧である。当たり前と言えば当たり前だが。
「異世界では所定の場所以外には行かないようにしてください。これは安全のためでもあります。異世界の治安は日本程ではありません」
「事前レクチャーでもそう教わったので大丈夫です」
「言葉が通じるので不便はありませんが、通じるからこその注意があります。大小かかわらず、地球の知識一切を異世界人に伝える事はできません。法律で禁止されています」
「……ええ、それもレクチャーされました」
最低限の注意事項も伝え終えたので審査はほぼ終わった。
最後に、手慣れた仕草でテーブルの引き出しから手鏡を取り出す。黒く禍々しい縁取りで、あまり長時間手に持っていたくないデザインだ。
手鏡に出国者たる男の顔を映して、契約を行う。
「貴方は意識的にであれ無意識的にであれ、異世界に地球の知識を伝える事はできません。特定勢力に対して有利となる情報を伝えるのを禁じます。よろしいですね?」
「え、は、はい」
「――この契約は闇の王の手により絶対である。はい、審査完了です。Lゲートへとどうぞ」
手鏡がダークブルーに光った後、男性の顔が鏡の中に飲み込まれて不透明になった。
「な、何ですか、それ??」
「異世界に向かう前のアトラクションみたいなものです。あっちはこんな感じの場所なので予行演習だと思っていただければ。では、良い異世界旅行を!」
不気味に思いながらも男は白い道が続くLゲート――通称、光の扉――へと向かって行く。
本日の出国予定者全員を審査し終えたからだろう。隣のブースで俺と同じように仕事していた後輩が身を乗り出して話しかけてくる。
「先輩、先輩。あまり気にせず使っていたんですけど、この鏡って何なんですか? 無自覚に他人の人生を握ってしまっている気分になっちゃうんですが。……あれ、そういえば、ここの職場に配属された時にも、先輩が私に使っていましたよね?」
後輩も俺と同じように手鏡を使い、出国者に対し地球の知識を流出させないように同意を取っていた。
「この飾り、指の骨っぽいです。私の方は左手側なのかな?」
「ただの手鏡だと思って気にするな。命令に背かなければ呪いは発動しないから」
「了解です、先輩!」
「ただし、異世界でも数百年に一度、たった二つしか手に入らない貴重品らしいから落として割らないように」
素直に従う後輩は自分のブースの中へと戻っていった。彼女の様子なら、前々任者のように情報漏洩しようとして呪いを発動させてしまい、急性心筋梗塞で倒れる事はないだろう。
ふと、慌ただしい羽音が聞こえたので、鳥かごへと振り返る。
何故かペット妖精が藁の巣穴の中へと引き篭もっている。頭だけ隠して尻を隠していないのではしたない。
「な、な、なッ! 魔王の手の手鏡なんて私に向けないでよ。ひっ、呪いがかかるじゃない!」
==========
▼呪術品ナンバーR003、魔王の手の手鏡
==========
“最上級の呪具の一種。
鏡に写る相手に抗えない命令を課す。命令を守らないと心臓が潰れる苦痛を与えて強制的に守らせる。命令を課す相手の同意が必須な分、呪いが強力になっている。
少数種族出身の某魔王が信頼薄い配下達のハートをキャッチして安心するために製作した呪具。材料の関係上、生産数に限りがある。また、材料元の種族によっては手鏡であっても等身大サイズになる事もありえる。
当然ながら地球の物ではない。Rゲート側の異物である。
Rゲートから善意で異世界入国管理局に提供された。もちろん、Lゲートを牽制するためである”
==========
――異世界、Lゲート側、某所――
「物を持ち込めなくても知識は運べる。ははっ、管理局もお役所仕事でスルー同然。実に簡単だった」
「新世界の科学技術なるものは本当に役立つのだろうな?」
「地球では、黒色火薬は三大発明の一つと言われている。安心しろ。報酬によってはニトログリセリンの精製方法だって教えてやるよ。……それよりも、俺の報酬は用意してあるんだろうな?」
「我が国での遊んで暮らせるだけの金と家。それに、森の種族を含めた女奴隷を複数人。ああ、用意してあるとも」
Lゲートを越えて十日以上の長距離移動を果たすと、神聖帝国グラザベールに辿り着く。
神聖帝国の国力は国境から長く続く石で整備された道から推し量れるだろう。魔界に居座る闇の勢力との戦争を続けられるのも、神聖帝国の強大な兵力があってこそだ。
「へへっ。異世界で俺は人生をやり直す」
その日、グラザベールの街に到着した日本人グループから、男が一人自主的に離脱していた。
男は誰にも発見される事なく街で一番大きな建物である聖堂に到着すると、怪しげな仮面で顔を隠した数人と落ち合う。そのまま聖堂の後ろにある謎の扉を通じて薄暗い部屋へと入り込むと、ヒソヒソと密会を開始していた。
「さあ、光の勢力勝利のため、我等に科学技術を伝来させるのだ」
男の出国目的は異世界観光のはずだったが、本当の目的は違う。地球で必死に記憶した知識によって異世界で遊んで暮らす。それが男の真の目的だ。
そのために生まれた国や世界を平気な顔して裏切る。
重大な法律違反、条約違反である。が、日本に戻る気がないのなら処罰など恐れるに値しない。
「手付にまずは、軽く黒色火薬の製造方法を教えよう。作り方はな――ぁ――あれ? いぃぎィっ、ぎゃあああああッ?!」
突如、男は胸を押さえて苦しみ出す。
泡を口から吹いて、赤く血走った目で涙を垂れ流す。
「痛い痛い痛い痛いッ、痛いッ!!」
「クソ、やはり呪いか」
「これは魔族の呪いであろう。それも解呪ができない程に高位の魔族のものだ」
「新世界の奴等め。魔族と繋がったか?」
「あああ、胸が、痛ぁ、ぎゃああァッ」
「そうと断定するには早いが……今回も失敗だ」
自分本位に科学技術を流出させようとした男に天罰は下らなかったが、代りに、魔族の王の呪いが降りかかった。失神するのが早かったため心臓は潰れていないが、口を開いたまま白目をむいている。
用済みとなった男は荷物のように担ぎ上げられた。街のどこかに投棄されて、運が良ければ日本人グループに発見されて帰国できるだろう。
「今回は失敗したが、次は成功させる。闇の勢力を根絶させるため、魔界の異形共を死滅させるため、新世界の科学技術を何としてでも手に入れよ!」
「はっ!」