女騎士L025 エデリカ・アーデの憂鬱
精神疲労によりキューティクルを失った髪が、かさ付いた肌を削りながら額から滑り落ちていく。
彼女、神聖帝国グラザベールの女騎士エデリカ・アーデは闇の勢力との最前線より生還した奇跡の女である。
順調に勝ち進んでいたはずの第三十三代討伐遠征軍は、オークの魔法大隊の反撃によって撤退を余儀なくされた。本隊を逃がすため、殿を引き受けていたエデリカは本隊から孤立して、数日の間行方不明となってしまう。
しかし、その後、たった一人で闇の勢力から逃げ延びたところを発見される。疲弊していたが命に別状はない状態だった。
以降、エデリカ・アーデは奇跡の女と称えられるようになる。
……一般兵や市民向けの、敗戦という損失から目を逸らさせるための演出の意味合いを含んで。
「騎士エデリカ! 今回の敗戦はすべて前線を無闇に押し上げ続けた君達が原因ではないのかねッ」
「他の前線はまだ十分に耐え続ける事が可能だった。では、何故今回の遠征は失敗したのかね。説明願いたい!」
奇跡の女には演出以外にも役割がある。
容姿、戦闘能力、生還劇。色々と目立つエデリカは、将軍や後方指揮官からは敗戦理由を問いただす恰好のスケープゴートとして役立っていた。
ただの部隊長でしかない――などとキャリアを重ねたエデリカ本人が決して思いたくはない――女をよくも甚振れるものだとエデリカは思う。
遠征の敗戦理由を訊かれれば、魔王幹部が直接指揮する北部、南部を味方が突破できなかった所為と答えたい。
中央部隊が突出して敵陣を突破、敵の重要拠点である魔王城を脅す。エデリカ達の行動には意味があり、事実、闇の勢力を危機的状況に追い込んでいたのである。
……あの、ふざけたオークの魔法部隊が現れるまでの話であった。
エデリカは奥歯を噛み締める。
「どうして負けたのか!」
「負けた理由は!」
味方が不甲斐なかったから、などが理由ではないとエデリカは胸が痛くなるぐらいに分かっている。
あのゼルファなるネームドのオークがすべての元凶だ。あのオークさえ現れなければ、エデリカがオークに敗れなければ遠征は失敗しなかった。
何より、ゼルファが瀕死のエデリカを助けたりしなければ、今、味方から糾弾されるような事態にはならなかったのである。
「教会派の奴等は新世界から兵器の情報を入手したと聞いたぞ。今回の遠征失敗と合わせて、我々騎士派の立場は危機的だ」
魔族以外にも派閥とも争わなければならない上層部が憐れでならない。
何せ、エデリカはたった一体のオークを恨んでいれば良いのだから。
「クッ、殺せ!」
「……お前も懲りない女だな」
暫定国境線で鉢合わせした光の勢力と闇の勢力は激突した。戦いは直に闇の勢力の優勢へと傾き、光の勢力は撤退してしまう。取り残された女騎士エデリカがオーク部隊の捕虜となっている。
短時間で勝負が決した理由としてゼルファ率いるオーク特務魔法大隊が単純に強いという事が挙げられるが、それ以上に騎士団が弱過ぎた。
せっかく奇襲するチャンスだったというのに、よく分からないブヨブヨした物を投げ付けた所為ですべて台無しになっていたのである。
「新世界の兵器を強引に奪って出撃したというのに、クッ。使い方が間違っているのか」
「一体何がしたかったというのだ。普通に剣で戦えば良い勝負となっただろうに。これでは、救ってやった意味がない。次からは本来の戦い方をするのだな、俺もそれを望む」
エデリカ騎士は即日解放されて人界へと戻っていったが、彼女の立場が更に悪くなったのは言うまでもない。
闇の勢力に対する秘密兵器を勝手に持ち出す不祥事を犯したエデリカ。降格処分を受けながらも前線に留まって戦い続けたが、連戦連敗、黒星を記録し続けている。
エデリカが悪いというよりも相手が悪い。
闇の勢力の主力は体力と魔力を備える怪物部隊、ゼルファの魔法大隊だ。
朝に雷撃の大魔法で前線基地を壊滅させたかと思えば、昼には百キロ後方の輸送部隊を火炎の大魔法で強襲し、夜には再び百キロ戻ってきて駐屯地を地盤沈下の大魔法で潰してしまう。神出鬼没の敵に翻弄された光の勢力は拠点を失い続けていた。国境線は光の勢力側へとかつてない程に後退している。
そういう難敵相手に少なからず接近戦に持ち込んで戦闘できているエデリカは、上層部の評価や戦績に反して優れている。が、本人を含めて誰も彼女の実力を認めはしない。
ゼルファに勝てない自分をエデリカは恥じていた。
「私が、あのオークを倒すしかないんだッ」
次こそは因縁あるオーク・ワイズマンを仕留める。
そのためにも新世界の新兵器を使いこなす必要があった。だから、エデリカは異世界の管理局を目指す。
本日、Lゲート――通称、光の扉――からやってきたのはショートヘアの女騎士である。
甲冑の意匠が異なるので、お隣のオーケアノスに所属している騎士ではなさそうだ。戦場帰りの兵士のように凄みある雰囲気を醸している。
「はい、次の方。こちらに――」
「お前、コニャークを知っているか?」
「――は、はぁ?」
いきなりカウンターに手を叩き付けられて、言い寄られる。ファッションショーに登場してもまったく違和感のない美人だというのに、鬼気迫る表情にプレッシャーを感じてしまいに返事に詰まる。
そもそもコニャークって何と考えている間に、短気な女騎士は隣のブースへと向かってしまう。
そこで働く後輩に対しても女騎士は同様の質問をぶつけていた。
「お前はどうだ? コニャークを知っているか?」
「え、えーと。申し訳ありません。存じません」
「嘘を付いて隠すか。つまりあのブヨブヨには、やはり正しい使い方があるのだな? 新世界の秘密なのだろう」
「そ、そう言われましても……」
ターゲットにされてしまった後輩が横目でチラチラと救援メッセージを送ってくる。
明らかに入国目的の人物ではないので警報ボタンを押すのがマニュアル的に正しいが、警報ボタンを押しちゃうとこの危ない女暴れませんか、という問いも目線に含まれていた。
管理局への来訪者の性質を後輩が心得ているようで、教育係として嬉しい限りだ。
精神的に追い詰められた相手なので可能性は低くない。穏便に済ますなら、嘘でも女騎士の要望に答えるしかないだろう。
通路を伝って、後輩の隣に移動する。
「お客様。コニャークで間違いないでしょうか?」
「そう、コニャークだ。やはり知っているのだな」
「……少々時間がかかります。しばらくあちらでお待ちください」
誠意ある対応を見せれば、困った人物であっても従ってくれるパターンは多い。
女騎士は休憩スペースへと歩いていき、壁に背中を預けて待機状態になってくれた。ただし、監視するかのごとき強い目線は俺達に向けられたままである。
「先輩。どうしましょうか」
「オーケアノスに連絡して引き取ってもらうのがセオリーだが、相手を犯罪者に落とすのもな。どうにか穏便に済ませたいところだ」
「ちなみにコニャークって分かります?」
「本当、何だろうな」
異世界の扉を通過する事により俺達は言葉の隔たりを失う。異世界人とも意思疎通可能になる。
ただし、固有名詞は例外的に謎の力でも自動翻訳されない事が多い。異世界特有の名前が付けられた物、そもそも異世界にのみ存在する物については異世界の発音通りにしか聞こえないのである。
女騎士が求めるコニャークなる物。地球にはない可能性が高かった。
「どうやら、お困りようねっ!」
満を持して、顔を見合わせていた俺と後輩の間へと舞い降りてくるのはペット妖精。両腕を組んだ格好良いポージングでの登場だ。
「この私が力を貸してあげるわ! 前にこの建物を探検していた時に発見していたのよ」
「ペット妖精、コニャークを知っているのか?」
「まっかせなさーい」
人の役に立つのが嬉しいというよりも、俺と後輩が知らない事を知っているという優越感が楽しくて仕方がないのだろう。
管理局のどこにコニャークなる謎の物体があるというのか。馴染みあるような、ないような微妙な響きなので、やはり異世界にしかない物品のような気がするのだが。
「ここにはないわ」
コンビニを素通りして、警備部の詰め所を無視してペット妖精は飛行し続ける。
「失礼するわよ!」
事務室のドアを開いて、職員達が仕事しているオフィスの間をすり抜けていく。
「こっち。もう少しで到着よ」
ペット妖精は奥に向かっているらしいが、そっちには管理局の長の専用部屋、局長室しかない。ちなみに局長は出張中だ。
「どこまで行く気だ。局長は留守だからロックされているぞ」
「通気口から室内に入れるわ。鍵開けるから待っていなさい」
廊下にあるダクトへとペット妖精は消えていく。
しばらく待っていると小さな音がして局長屋のドアが内側から開かれた。よし、今度、管理局のダクトすべてに網を張るように申請しておこう。
廊下でうろうろしていると鍵を勝手に開けて不法侵入していると誤解されてしまうので、局長室へと潜り込んで姿を隠す。最後尾の後輩は抜かりなく鍵をかけ直した。
あまり使われていないのか、新築のような臭いがする局長屋。木材の家具が多い。
部屋の左右に並ぶ大きな本棚には辞書のような本が満載だ。局長はタブレット派なので一切手を付けた事はないのだろう。
「この棚にたしか。あったわっ!」
「その本がコニャークなのか……って本じゃないよな。本の形をした容器か」
「そう。これがコニャークよ。中身を毒見してあげたのだけど、果実の風味が豊かで、妖精的にも良い感じだったわ」
ペット妖精。これはコニャークではありません。
これはコニャック産のブランデーで、産地そのままにコニャックと呼ばれています。有名なフランス皇帝が容器表面に描かれた高級酒です。
局長の私物という訳ではない。主に異世界人の上位層を接待する際に用いるために税金で買われている。管理局の職員ごときが飲める酒ではなく、もちろん、妖精に盗み飲みさせるためにストックしてはいない。
容器の蓋を開けただけでも濃厚なアルコールが遠くまで漂ってくる。
両手を突っ込み中身を大きく掬い上げると、ペット妖精はコニャックを手の平一杯飲み干した。頬を赤らめさせて、目元が柔らかくなっていく。
「おいおい、アルコール度数は40%ぐらいあるだろうに一気飲みとはなかなかやるな。割合的に体の5%ぐらいが酒になっているぞ、お前」
「ふふんっ。外に出られない可哀想な境遇に私はいるのよ。これぐらいの役得は当然よねぇ」
「コニャークじゃないが、酒を出せばあの女騎士も気が紛れるかもな」
「まあ、アンタは私の眷族だし、大盤振る舞いよ。ここに並んでいる中から一つだけ持っていっても良いわ!」
ペット妖精は酒臭い息を吐きながら、高級酒の所有権を主張した。
そんな酒飲み妖精の左右へと俺と後輩は並んで立つ。飛行経路が限定されると飛んで逃げるのは難しい。
「ペネトリットちゃん。アウトです」
「十五時七分、酒乱妖精を現行犯逮捕」
「なんでよッ。せっかく探し物を教えてあげたのに、裏切ったわね!? 眷族、お前もか!」
ブック型の容器の上からペット妖精は飛び立ったが、酔いが回っており羽がのろのろとしか動いていない。よって、簡単に体を掴んで確保する。
「未成年が酒飲むなよ」
「未成年じゃないわよッ。本気出せば尊き存在なはずの私を誰だと思っているの!」
「子供は自分が大人だって言うものだ。体も知能も子供の癖に酒を盗み飲みしていると、将来、大きくなった時に後悔するんだぞ」
「私を子供扱いするなんて目が溶け落ちちゃっているんじゃないの! 私はもう十分に完成されているじゃない!」
「それで完成品なのか……妖精は哀れだ」
「ムキイイ。ちょっとこの眷属の脳天に天誅食らわしてやる!」
ペット妖精は酔っ払いのテンプレートに沿って暴れるが、指を振り解けず捕まったままである。
後輩へと体ごと引き渡されて、そのまま局長室から連行されていく。
「さぁ、ペネトリットちゃん。サウナに入って体内のアルコールを排出しましょうね。圧力鍋に入れれば早く済むから暴れないで」
「酒飲んだ妖精を脱水させるって死ぬじゃないッ。ちょっと、眷族! アンタの後輩がとち狂っているから早く私を助け――」
一人と一匹が出て行って、残ったのは飲みかけのコニャック一本だ。
「まあ、封が開いているなら勿体無いから持って行こう」
「酒か。こんなものを出している暇があれば、早くコニャークの使い方を」
「まあまあ、かけつけ三杯」
もう少し時間がかかるという名目で、女騎士にコニャックを勧める。
くだらないと言いつつもグラス入りの高級酒に口を付けた女騎士。
「酒など水も同じだ」
女騎士はストレートのコニャックを一口で飲み切った。
「はい、次の方。こちらにどうぞ!」
営業時間ぎりぎりになってRゲート――通称、闇の扉――から客人が現れる。
灰色のローブと鍔の広いとんがり帽子には見覚えがある。以前に、お手製の聖水を持ち帰ったオーク、ゼルファという名前だったか。
「あの聖水には助けられた。今日はその礼と挨拶に参った」
「味噌汁――聖水に効果があったようで何よりです。……富士山の水が良かったのかな」
律儀なオークである。わざわざ礼のためにやってきたらしい。
「いや、今日は更に着任の挨拶がある。実は、俺の戦績が評価されて魔王様直々に幹部へと昇格――その話の前に、あそこで眠っている女は?」
ゼルファが気になってしまうのも仕方がない。
休憩スペースのベンチの上で仰向けとなり、女騎士がいびきを立てて爆睡してしまっている。アルコール度数を考えずにグビグビ飲むから簡単に撃沈してしまうのだ。
終電のなくなった駅にいる酔っ払いそのもの。
寝苦しさから甲冑を自ら解いて、片脚をベンチから滑らせて股を大胆に開いて、実にだらしない。
「まったく。どこにでも現れて、手のかかる人間族だな」
ゼルファはローブを脱ぐとだらしない女騎士へとかけてあげていた。人格者だ。




