失踪者L017 中高生行方不明
特に波乱のない審査が続く。そうそう簡単に事件や出来事が起きては審査官の心身がもたない。何よりも局長のコーヒー摂取量が日に日に増していて痛々しい。今度、飲みに誘ってみるか。
「異世界へ行かせてくれッ。俺は異世界でエルフと結婚するんだッ!」
「もしもし、警備部。渡航目的が不純な人がいるので拘束願います」
「○ンスタ用の撮影は一回五百円なのに、この新世界人が私を盗撮しようとしたのよっ! マナーがなっていないわ」
「ペット妖精。管理局は副業禁止だ。というか業務中に金を稼ぐな」
いつも通り平凡な審査に物足りなさを感じたりはしない。十分に刺激に富んだ職場なのでイレギュラーは必要ないのだ。本日から再開された日本からの出国者を厳格に審査していく。
……と、意気込んでいたのだがブース内で内線電話が鳴った。
『――あーん。先輩ぃっ! ヘルプです。異世界より訪問してきた人達が!』
「あー、了解。すぐ行く。ペット妖精も来い」
「この仕事、毎日事件があって飽きないわね」
電話の相手は、異世界側で審査していた後輩だった。
可愛い後輩からの救援要請ならば、えんやこら。平凡なだけでつまらない業務を放り投げて、ペット妖精を連れ立って壁の向こう側にある異世界側ホールへと向かう。
審査官としての腕前は俺に続き二番手と言われ始めた後輩が呼ぶぐらいなので、どんな面倒事が発生したのか。
「先輩! この人達がまた馬で来ちゃいまして!?」
「突然押しかけてすまない。新世界人の者達」
ウキウキ……ごほん、ドキドキしながら壁向こうに到着すると、そこには異世界の騎士がいた。以前のように槍は装備していないし鎧も胸当て程度。軽装である。ただし、馬で乗り付けているので威圧感が高め。
平面世界の端のようなマークを見るに異世界側の審査局、騎士団オーケアノスで間違いなさそうだ。Lゲート――通称、光の扉――から乗馬しながら現れたのだろう。
騎士は二人で、マッチョな大柄男性と黒髪の女性の組み合わせである。
マッチョな騎士についてはプロレスラー風としか言い表す言葉はない。
女性騎士については異世界人としては珍しい黒髪が特徴だ。後ろ髪をまとめて編み込んでいる。彼女の外見年齢は若い。大学を卒業したばかりの後輩と比べてもまだ若く感じられた。
「オーケアノスの騎士が二名も、どうしましたか?」
「うむ。新世界人を一人保護したため連れてきた。この者だ」
マッチョ騎士の背後にはやつれた男が乗せられている。
マッチョ騎士との対比で余計に目立つだけかもしれないが、やつれた男性の体は酷く細い。目は虚ろだ。自発的な意思がまったくなく馬に跨っているだけの荷物と大差ない。
「自分から動こうとしないから、馬から下ろすのも一苦労だ。手伝ってくれ」
男性は自ら下りる意思をまったく見せなかった。仕方なく、マッチョ騎士と俺、更に女性騎士も加えた三人で支えてどうにか安全に下ろしたものの、立つ気力さえないらしく床にへたり込んでしまう。
「大丈夫ですか? ……返事すらない。この人どうしたんです?」
「分からん。グラザベールの辺境にある街を彷徨っていたところを発見されたらしいが、発見当時からこのように無気力だったと聞いている」
「……脳みそに何か寄生していませんよね?」
「キケロ司祭が検診した。そこは安心してくれ」
保護男性の検査は異世界から運ぶ前に終わっている。危険な病原菌、病気、魔物に感染している訳ではなく、ただ精神的に病んでしまっているだけのようだ。
手を目の前で振ってみたが、やはり反応はない。
ペット妖精に頬を突かれてもなすがままだ。
ただ、ぶつぶつと「俺は騙された」とか「異世界で新しい人生が始まるはずだったのに裏切られた」とか独り言を小さく発音しているだけ。これでは本人から聞き取り調査するのは困難だろう。
俺が困っていると、女性騎士がリュックサックを渡してくる。
「保護男性が所持していた物品です」
「ありがとうございます。ですが、本人が喋ってくれないと、日本人かどうかさえ判断ができませんね。外見は日本人そのものですが、異世界は様々な外見の人がいますから。……良く見れば貴女も日本人顔ですし」
女性騎士は欧米人風なマッチョ騎士とは顔立ちがまったく異なっており、日本人たる俺達とほぼ同一だ。
……どことなく誰かに似ている気がしたのだが、モヤモヤと脳裏が曇るだけで特定の人物の名前が出てこない。彼女が無表情の所為で特徴が掴めないのだ。
俺が黙り込んでいる間に、女性騎士がリュックサックの中身を見るように促してくる。
「この人は新世界人で間違いないでしょう。リュックサックの中にパスポートがありましたから」
女性騎士が言った通り、リュックの中から保護男性のパスポートが現れた。顔写真から保護男性のものと断定される。身元もおのずと把握できる。
「後輩。この名前で出国者リストを検索してくれ。それと局長にも連絡」
「分っかりました!」
管理局のデータベースには保護男性の出国履歴が残っていた。
一切覚えてはいなかったが、以前に俺が審査して通した事のある男性だったらしい。神聖帝国グラザベールへの団体旅行参加者だ。
「旅行先で何があったのですか?」
「……火薬、……ニトログリセリン。くそぅ。何でだ……日本を捨てるはずが……クソぅ……」
「口の中だけで喋っていたら聞こえませんよ」
旅先で一人はぐれてしまっただけかもしれないが、様子がおかしいのが気にかかる。
念のために防護服を着用した検疫部に引き渡す。内線電話するとすぐに、シュコーと呼吸音のするマスクの局員がストレッチャーを押しながら現れた。検疫部は保護男性を専用部屋へと運んでいく。検査結果がネガティブなら外科手術なく帰宅できるだろう。たぶん。
「保護ありがとうございました」
「なんの。世界を挟んだ隣同士にいるのだ。助け合って悪いものではないだろう」
「まったくです。そういえば、こうして直接騎士の方と話をするのは初めてですね」
騎士を見た時には事件かと思ったが案外、大した事件ではなく肩透かしだ。オーケアノスの騎士が異世界管理局を訪れる事自体が珍しいものの、それ以上ではない。
当人達、マッチョ騎士と女性騎士は新世界人の迷惑をなんとも思っていなさそうだ。特にマッチョ騎士は会話してみると気さくで、面倒見の良い人物という印象を受けた。異世界側の審査局にいる騎士がこういう人物ばかりなら、より安心して審査ができるというものである。
「ふむ。そう言ってくれるのであれば――」
マッチョ騎士は数秒だけ思考して、僚騎たる女騎士へと告げる。
「ユーコ準騎士。その場で少し待機しておいてくれ。俺は少し、この方と話がある」
「承知しました。カイオン騎士」
保護男性について報告漏れがあったのだろう。
マッチョ騎士は乗っていた馬を女性騎士に預ける。そして、ブースへと近付き、身を若干乗り出すようにカウンターに手を置いた。
「少し頼み事がある」
「自分に何か用事が?」
「新世界人にしか頼めないが、公にできない」
マッチョ騎士は声を潜めてそう言った。背後にいる女性騎士に聞こえないようにしているみたいだ。
「審査官の立場を利用した横流しですか? Lゲート側には聖水渡せないですよ」
「ミソシルが何かは知らんが、俺のためじゃない。後ろのユーコ準騎士のためだ」
Rゲートから現れたオークのゼルファからも頼み事をされたが、次はLゲートの騎士からか。異世界で流行っているのだろうか。
「ユーコ準騎士は新世界の人間族だ」
込み入った話になる予感がしたので、後輩に事後処理を託して俺とマッチョ騎士は応接間へと場所を移す。
「自己紹介からしておこう。俺の名前はカイオン、騎士の称号を得ているが庶民の出だ。まあ、こんな時代の量産された称号に過ぎないから気楽に接してくれ」
「ケー、分かったわ。マッチョ!」
そして、何故か付いてきたペット妖精。
「……この妖精は随分と人慣れしているな」
「無害ではないですが無力なので、無視しておいてください」
カイオン騎士は皮膚の硬そうな中年男性の外見をしていながら、まだ二十五歳と社会人としては若い分類に入る。騎士が社会人なのか否かは不明である。
数年前にRゲートとの戦争で武勲を立てて騎士となった戦人であるが、上官に嫌われて前線から遠ざかり、巡り巡って異世界ゲートの門番として働いている。それがカイオン騎士の経歴だ。
「誰でも騎士になれるからと言って、誰もが騎士になれる法を許容できなかったという訳だ。当時は危険な戦場ばかり転戦させられていたが、レベルが上がって俺がなかなか死なないとなると今度は寂れた後方送りだ。まあ、ここの仕事は悪くないが」
「俺みたいな平和な公務員している人間にしてみると、まるで別世界のお話みたいですね」
「別の世界の話なのに、何言っちゃっているの?」
細かい事に茶々を入れてくるペット妖精の代わりに、お茶を汲んだ湯飲みをカイオン騎士に用意する。
「それで、カイオン騎士と一緒にいた女性騎士が日本人という話ですが」
「異世界ゲートが発見される以前、出身不明の若人が現れて光の信徒の教会が保護する事件があった。服装や外見があまりにも特徴的。今ならば新世界からの迷い人であると分かるが、当時はただの流民として扱われた」
中高生集団行方不明。現代でもまだ解決していない事件であり、異世界との国交樹立の最大の障害となっている。
事の発端はやはり異世界のゲート。
政府が気付くよりも早く、ネットの片隅に異世界の扉があるという書き込みが掲載されてしまったのだ。そんな与太話を信じた少年少女が多数ゲートを潜り抜けてしまい、現在も多くが行方不明になっている。
ただし、実際に中高生が異世界ゲートを通過したという証拠は残っていない。
状況証拠から通過したものと目されているが、LとR、どちらのゲートをくぐったかが分からない。
カイオン騎士は行方不明者が異世界にやってきたと証言してくれているが、ただの審査官との雑談に証拠能力は一切ないだろう。
「光の信徒に改宗するともれなく前線行きだからな。何故か前線行きを希望する者も多かったと聞く。残念だが、生き残っている者は少ない」
「ではあの女性騎士は?」
異世界ゲートが明らかになる前の出来事に対しては誰も責任を問えない。強いて言えば、行方不明となった中高生達かその保護者に責任がある事になる。
けれども、現在進行形で日本人を異世界に拘束し続けているのであれば、話はまったく異なる。
「ユーコ準騎士は、数少ない生き残りだ」
衰弱して保護された男性の身元を報告する。そのために審査官、浦島直美は審査局二階にある事務室に向かっていた。
「局長。飲み干したコーヒーカップに溜息付いて、どうしたんです?」
「部下に愚痴れないからカップの中に向けて愚痴っている。……まったく、トラブルが起きるのは仕方ないにしろ、せめて週一、三日に一度にしてくれないか」
「局長は志願されて多忙な管理局にやってきたと聞きましたけど?」
管理局局長、宝月滝子はデスクの上に置いてある写真立てをチラ見する。
タブレットや電子書籍というペーパーレス社会に適応したキャリアウーマンの宝月にしては珍しく、印刷した写真が飾られていた。若干色あせた写真の中では数年前の宝月と、制服姿の少女が並んでいる。
後ろ髪を三つ編みにした少女だ。きっと宝月の家族なのだろう。顔は似ていないが親しい間柄のように一目で感じられる。
「妹が異世界で生きているかも……いや、私的な感傷だ。忘れてくれ」
写真は椅子に座った宝月の方向を向いているため、机越しに対面する浦島が見る事は叶わない。




