所望品R015 聖水
「先輩―。ご無沙汰様でした。これより原隊復帰します」
テロリストやら宣教師やらが現れた先週を無事乗り切り、今週になって後輩が出勤した。
異世界入国審査官は少数精鋭。設立当初は様々な機関から集まった精鋭が活躍していた異世界入国管理局であるが、過酷な仕事により、続々と数を減らして運営限界ギリギリの状態となっている。
こんな職場に愛想を尽かし、休んでいる間に後輩が転職しようとは思わなかったのは幸いだ。顔付きも相変わらず朗らかである。
「先輩一人にしてしまって申し訳ありません」
「いや、流石に審査官は俺一人って訳ではないぞ」
「あ、ペネトリットちゃんがいますものね。先輩は一人ではありません」
「ペット妖精をカウントに含めるな……って先週までなら言えたのだけどな」
後輩復帰という吉報以外にも本日は別の吉報がある。個人的には微妙な心境であるが、新しく審査官が増えるのだ。
「妖精ペネトリット。臨時職員としてお前を審査官補助として採用する。異世界人ならではの主観で日本への異物混入を未然に防ぐ事を期待する」
「私にまっかせなさーいっ! ……ちなみに時給は?」
「全国平均の八七四円からスタートとなる。数ヶ月は試行期間となるからそのつもりで励め」
局長が妖精サイズに縮小印刷した配属指令書を手渡した。
妖精を鳥かご飼いしているという管理局のスキャンダルになりかねない状況を打開するべく、局長はペット妖精を職員として採用する事を決めたのだ。
「妖精ペネトリットはお前か浦島と組ませるように。残った諸連絡は……今日は没収品の廃棄日となるから忘れるな。午後には外務省職員と共に作業を開始する」
ペット妖精はこれまで通り管理局内住まいであり、日本への入国が許された訳ではない。仕事もこれまで通り。基本的には対外的な名目のためである。
ただ、職員として採用して賃金を払うからには職員として規律を守ってもらう。妖精らしい気ままな行動を抑制するための枷となってくれる。そういう期待も込められていた。
「こうして着々と地盤を固めていくペネトリット様でした。新世界への進出も時間の問題ね」
「お前はどうしてそんなに日本に行きたいんだ?」
「とても大事な使命のためよ! 内容全然覚えていないけどっ!」
「何だそれは??」
ともかく、後輩のみならずペット妖精も審査官として本日から働く事になった。
「はい、次の方。こちらにどうぞ!」
今週末まで地球人の出国は凍結された状態が続く予定だ。それゆえ、先任審査官たる俺の担当場所は異世界側だ。後輩を連れ立ってブースに入る。
日本人の出国がないと暇なものである。今日はLゲートからの来訪も極小だ。
だが、先週までと違って、今日は変化がある。
なんとRゲート――通称、闇の扉――側から通行者が現れたのだ。定期便のトロッコや困り者のベルゼブブ以外の人物がやってくる事はここ数ヶ月なかったので、若干以上に驚く。
異世界のRゲートとLゲート、二つの勢力は大戦争の真っ最中。特に最近はLゲート側からの大侵攻によって、防衛に忙しいRゲートは地球どころではなかったのである。
通行が再開されたという事は、一時的にではあるが戦争が落ち着いたという事なのだろうか。
酸化した道を通じて現れた人物の外見は、灰色のローブと鍔の広いとんがり帽子。体全体が覆われているが、なかなかに恵まれた体格をしていると分かる。
「日本への入国希望ですか? 通行許可書をご提示ください」
「いや。通行目的ではないのだ」
低く渋め、バスの声域を持つ異世界人だった。断言はしないが男性だろう。
カウンターに到着した途端、入国目的で現れたのではないと告げてくる。では何のために管理局へとやってきたのか。
「俺は魔王軍西方二群所属、特務魔法大隊の大隊長、名をゼルファと言う」
長い肩書きを語った後、ゼルファなる灰色ローブの異世界人は帽子を脱いだ。
影に隠れていた顔が顕になる。かなり特徴的な顔付きの異世界人で、大柄のプロレスラーのようだ。もっと的確に彼の顔を言い表す言葉があるのだが、侮辱的な表現と捉えられる可能性があるのであえて避けようと思う。
「豚面ッ!? ど、どうしてオークがこんな場所にッ!」
俺がせっかく表現を避けたというのに、ペット妖精の奴がまったく配慮せずに叫んだ。
職員として働く以上、鳥かごの中ばかりにはいられない。ペット妖精は管理局の内側限定で自由を得ているのだが、さっそく鳥かごへと舞い戻って出入り口を固く閉じてしまう。
「オークは凶暴なのよ! 警備隊を早く呼んでッ」
「いかにも俺はオークであるが粗暴ではない。新世界の者達を害するために現れた訳ではないのだ。何より、魔王様が友好を示す相手に敵意を向けるはずがない」
「信じられないわっ。オークと言えば筋肉達磨で単細胞。数も多くて集団で襲いかかって村や街ごと滅ぼす魔界の主力種族。凶暴なだけでなく残酷な特徴を持っているから人を魔界へとさらってしまうの。男は生きたまま食われて、女は生まれた事を後悔させてくる酷い化物なのよ!」
「……まあ、光の勢力から見ればそうであろう。否定はせん。が、そういうお前達は我等の集落を何度滅ぼしたのだ? 何度焼いたのだ? 一匹でも残せば後顧の憂いになると言い放ち、女子供老人の区別なく何度俺達を族滅したのだ?」
「嫌ァ、妖精の私にも手を出すつもりなのよ。私が可愛いから!」
LゲートとRゲートの対立は想像以上に深刻なようだ。USBメモリ未満の大きさの脳みそしか持たないペット妖精が、嫌悪感を隠さずRゲートの異世界人を中傷してしまっている。
どちらの言い分が正しく、よりどちらが罪深いのかは分からない。喧嘩ではなく戦争なのだから単純に両者成敗して終わる問題でもないのだろう。
だから俺は……明確に悪い方を裁く。先任の審査官として客に悪態を付く同僚を成敗する。
鳥かごの中で騒ぐペット妖精を指で出入り口近くまで呼び寄せて、そのまま小さな額をデコピンした。
「ぎゃふんっ!?」
「こら、ここは異世界じゃないのだから異世界の事情を持ち込むな」
鳥かごの中で痛がり、ゴロゴロと転がるペット妖精。彼女を無視して俺はゼルファと改めて向き合う。
「新人が申し訳ありません。今後は教育を徹底させますのでご容赦ください」
「いや、俺もつい熱くなってしまった。今日は頼みがあってやってきたというのに、情けないところ見せてしまった」
ゼルファは短い首を曲げて頭を下げた。Rゲートでも頭を下げる事が謝罪を意味するジェスチャーのようである。共通項があると異世界人であっても親しみが湧く。
「それで、その頼みとは何でしょうか。職務上、入国以外に関してお力を貸す事はあまりできないのですが」
「水の国とも言われる新世界ならばもしかしたら、と思いやってきた。ここになければ諦めるしかないが、あれば譲渡していただけないだろうか」
「譲渡?」
ゼルファはRゲートにない物を求めて遥々、世界を越えてきた。
「聖水がここにないだろうか。魔界の瘴気に病んだ者の体を癒すには、どうしても聖水が必要となるのだ」
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▼所望品ナンバーR015、聖水
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“聖なる力、聖なる場所にて清められた水の総称。
光の勢力に対してご利益があり、魔界の穢れを払うのに有効とされる。逆に闇の勢力の住民にとっては清らか過ぎて毒となる。
教会で販売される純度の低いものから、秘境の霊山や聖域の湧き水といった高純度のものまで様々”
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Rゲート側、魔界と呼ばれる大地には地表から毒素が噴出する危険地帯がある。その毒を吸い込み皮膚に浴びてしまった人物を救うために聖水を求めている、とゼルファは語る。
「手を尽くして探したが、魔界では聖水の需要がなく存在しない。そもそも精製できないため手に入らなかったのだ」
困り果てたゼルファに、トロッコの点検をしていたゴブリン達が日本の事を伝えたのだという。
輸出する程に豊富な水を有する新世界ならば、聖水もあるのではないか。それを聞いたゼルファはそのままの足で、異世界の扉へと向かったのである。
「光の勢力の奴等は当然所持しているだろうが、侵攻に失敗した奴等は撤退してしまった。こうなってはもう、俺は新世界に頼るしかないのだ」
「あそこのウォーターサーバーの水では、駄目でしょうね」
「魔族が飲める水では駄目なのだ。……今日手に入らねば、瘴気にやられたアイツの体はもう持たない。残念であるが諦めるしかないだろう」
さらりと人命がかかっている事を伝えないで欲しい。聖水なる水が管理局にないのは間違いないというのに、簡単に断れなくなってしまうではないか。
数秒悩んだ。逆に言えば数秒で決意する。
顔に似合わない苦しげな表情で天井を見上げてしまっているゼルファに対して、俺はホールにあるベンチを勧め、少し時間が欲しいと告げる。
「探してみますが、期待はしないでください」
「……やはり新世界の人間族は光の勢力の奴等とは違うのだな。その気持ちだけでもありがたい」
審査官は審査のみをしていれば良い、と他人は言うだろう。
けれども、新しい隣人たる異世界を蔑ろにする事は外交上の問題となる。その結果、異世界から不信感という異物が日本に持ち込まれてしまうかもしれない。審査官としては見逃せない。
幸いにも今はゼルファ以外に人がおらず手が空いている。業務に差し支えない範囲で手助けするのであれば、局長も目こぼししてくれるだろう。
「後輩、ペット妖精、集合!」
「はーい、先輩!」
「まさか、あのオークを助けるつもり? 正気なの??」
隣のブースにいた後輩、デコピンから復活したペット妖精を集める。三人寄れば無い聖水を作り出す知恵ぐらい浮かび上がるはずだ。
「あそこの異世界人が聖なる力で清められた水を欲しがっている。どうにかして手に入れたいが、アイディアはあるか?」
Lゲートにしかない聖水を異世界管理局にある物で製造する。無理難題であるのは分かっているが、それを俺以外の二人にも強要する。
「聖水ですか。分っかりましたー! 探してみます!」
素直な後輩は直に駆け出した。ノータイムとは、流石は期待の新人である。
一方、期待していない新人であるペット妖精は随分と不貞腐れている。Rゲートの人間のために働くのが心底気に食わないようだ。
「それでも、審査官として雇われたのなら職務を果たせ。異世界において契約は重要視されるはずだ」
「もうっ、分かったわよっ! 聖水が欲しいのなら、あのオークが即死するぐらいの物を用意してあげるわよ!」
ペット妖精もブースから飛び立った。
そうして、俺も動き出す。聖水を作り出すに足る物がないかを、まずは机の中を探ってみて――、
「簡単に見付かるはずが……あっ、見付かった」
――最近、渡されてしまった物なので真っ先に見付かった。渡してきた相手が相手なので捨てる訳にもいかず、とりあえず、机の中に収めていたのである。
銀細工が素晴らしい首からぶら下げられる、Lゲートの高位司祭愛用の法具だ。
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▼贈呈品ナンバーL014、司祭の法具
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“魔法使いの杖に該当する司祭用の装備。聖なる力を増幅して、奇跡の力へと変換する。
魔界の最前線で活躍した従軍司祭キケロの法具となれば、一級品の法具であるのは間違いない。聖なる力を有する小さな教会と言える”
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時刻は十二時、昼食時間。一度散った三人が休憩室の中で集合する。それぞれが持ち寄った聖なる物を使い、食事の時間を削って聖水を製造するのだ。
先鋒は物怖じしない後輩。彼女はコンビニの袋の中から三五〇ミリリットルのペットボトルを取り出す。
「では、私からです。私が用意したのは、富士山の水です」
どうやら、後輩が昼食用に購入していたペットボトルが偶然、聖水の原料になりえるものだったらしい。
「日本の霊山たる富士山の水です。ミネラル分たるバナジウムが何らかの作用を発揮して、神聖性を発揮してくれるでしょう」
「理論は分からないが、富士山なら可能性があるな。よし、この鍋に入れろ」
休憩所に備え付けてある片手鍋にペットボトルの水を注ぎ込んだ。
次鋒は異世界生物たるペット妖精。手の平サイズのふざけた妖精であるが、出身がLゲートなだけに彼女の知識にはかなり期待している。
「次は私ね。というか、私そのものよ」
ペット妖精は片手鍋の縁に腰を下ろすと、裸足を水の中に浸す。
「おい、ペット妖精。ばっちい事するな」
「ばっちいとは何よっ! 清らかな乙女かつ清らかな森育ちな私以上に清らかなものは世界に存在しないから。オークごときに足先だけでも使ってあげているのだから、感謝されど非難されたくはないわ!」
妖精ごときを信じた俺が悪かった。とはいえ、もう足を入れてしまったのでは仕方がない。少しでもダシが出るように電磁調理器のボタンを押して片手鍋を熱し始める。
しばらくは足湯、その内に地獄の釜と化す片手鍋にペット妖精を入れたまま、大将たる俺が動く。
「俺はこの法具を鍋に投入する!」
「私と方向性変わらないじゃないッ」
確かに、物は違えどペット妖精とやっている事が変わらないのはかなり悔しい。
だが、キケロ司祭から渡された法具の正式な使い方を知らない。よって、煮込むぐらいしか方法が思い付かなかったのだ。
片手鍋が熱くなっていき、底から小さな気泡が浮かび上がる。
「熱ッ!?」
ペット妖精が飛び上がったため、沈んだ法具のみがグツグツと煮え始めた。
本当にこれで良いのだろうかという常識や正気から目を逸らし、黙々と法具を煮る。
「先輩、これで本当に聖水ができあがると思っているんです?」
「何か足りないと思うか?」
「そうですね。……そういえば、局長が没収品を処分するって今朝言っていましたよね。たぶん、味噌があると思うんでもらってきます」
「なるほど。味噌汁にすれば味が良くなるな」
審査官を続けられるぐらいに頭のネジが飛んでいる後輩の発想により、聖水は味噌スープへと変化した。
沸騰した聖なる水から法具を取り出す。
味噌を投入してかき混ぜて味を整える。
「白味噌の方が良くないか?」
「私の実家、米味噌でしたから」
具無しであるが、ついに味噌汁……聖水の完成だ。
「できました。これが聖水です」
昼食時間中に冷まし、片手鍋からペットボトルに戻した聖水をゼルファに手渡した。
「この黄土色の水が聖水か。清められている水であれば無色と思っていたが、なるほど、先入観であったか。確かに、直接触れてもいないのに手の平が浄化されたかのように熱くなる。オーク・ワイズマンたる俺でなければ持ち運びさえ困難であっただろう」
「とはいえ、我流で作った聖水なので効き目は保証できません」
「無理を言ったのは俺だ。正直手に入るとは思っていなかった。……この恩は忘れない。いつか必ず恩を返そう。新世界とは手を結べるという魔王様の判断は間違っていなかった」
帽子を被り直したゼルファは、ペットボトルを布で包んだ。足早にRゲートの向こう側へと消えていく。
魔界へと戻ったゼルファは、自分以外の立ち入りを禁止していた個室へとまっすぐに向かう。
周囲の気配を探り、誰にも見られていない事を確かめてから個室のドアを開いて中に入る。入った途端に、得意の魔法でドアを封印し直す用心深さだ。
「まだ生きていたようだな」
「くッ、こ、殺せ」
室内には荒い息で威勢の良い台詞を吐く女騎士が寝かされている。
金色の髪は艶を失い。全身は汗だらけ。実際、体力の消耗は激しくゼルファに悪態を付くだけでも苦しい容態だ。瘴気の毒に穢れた彼女の体は明日まで持たないのである。
「オークにっ、屈辱を受ける、ものかッ。早く、殺せ!」
「俺は童貞を貫く事によりオーク・ワイズマンへとクラスチェンジした。魔族の中でも圧倒的な魔力を得た。が、この力は歪だ。女を知れば得た力をたちまち失うだろう。そういった意味でお前の体は保証されている」
「し、知るかッ。私を、殺せ!」
「望み通りお前は今夜死ぬ。……この聖水が効かねばな」
ゼルファはローブの中から包みを取り出す。
包まれていたのはペットボトルに入った味噌汁……聖水だ。コロイド溶液として独特の動きを見せているが、きっと聖水である。
野太い指で器用に蓋を回して、ゼルファはペットボトルを横たわった女騎士の口へと近付ける。
「何だ、その黄土色ッ。魔界の毒、媚薬! 私を狂わせてッ、体を弄ぶ、つもりかッ」
「良いから飲め。……吐き出すな。飲め」
「うっ、そんな太いもの口に押し付けッ。ぐ、やッ。止めろッ!!」
女騎士は暴れたが、魔法使いでありながらオークの筋力を失っていないゼルファに押さえ込まれては抵抗できない。そもそも死にかけている彼女には抵抗する力がもう残っていない。
「殺せッ。私を、殺せッ!」
「ああ、お前が再び戦場に現れた時には魔法で焼き殺す。だからこそ、今はお前の命を救う。オーク・ワイズマンとなった俺は、たとえ光の勢力であっても捕虜は殺さない。俺は、野蛮な光の勢力とは違うのだ」
「殺せェええェッ!!」
その夜。
女騎士の体は復調した。新世界の聖水が瘴気を浄化した証明となるだろう。
 




