番外編EX3-6 妖精が犯人なのでトリックを逆算しよう
爛れた喉でゼルファは警告した。彼の言葉を証明するように、テーブルの上に付着している血が天板を溶かしている。何の毒かは不明であるが恐ろしく強い。気化した状態のものを吸ってもマズそうなので、換気扇と警報のボタンを同時に押しておく。
今期二週目、そろそろ鳴ると思われた警報が異世界入国管理局に響く。
『――警報が鳴らされました。本施設はこれより一分後に封鎖されます。繰り返します。警報が鳴らされました。本施設はこれより一分後に封鎖されます。職員は付近の一般客の誘導、ならびに、第一種戦闘装備を――』
「ダーリンッ、解毒の魔法を!」
「……もう既に、唱えた。が、この毒は――」
「お兄様ッ。謀りましたか!!」
「違う! するはずがないだろう! 和平交渉中に、しかも新世界で魔王軍幹部を毒殺すれば、騎士派の破滅では済まされないのだぞ。とはいえ、厳重に保管していたはずの呪い返しの酒に毒を入れるタイミングなど――ッ」
酒を持参したエリックが否定したとなれば、残りの容疑者に視線が集中する。ワイングラスを運び入れたオクタヴィア以外に、酒に毒を入れられる人物はいない。
いや、もしかすると異世界的な方法、たとえば小動物を使った遠隔指示で混入させた可能性もなくはないが……精神動揺により青ざめたオクタヴィアを見る限り、黒だろう。
「ど、毒なはずがっ! わたくしが入れたのはネッソスの血……精力剤だって。それに魔王軍幹部を狙ってなんて――」
「お前がッ!」
猛獣のごとき表情でエデリカはオクタヴィアに迫る。もちろん、手には剣が握られている。報復待ったなしだ。
動揺しまくっているオクタヴィアは棒立ちで、回避も防御もできずにいた。
「や、止めるんだ」
管理局内で久しぶりに刃傷沙汰が発生するかしないかの瀬戸際でエデリカを止めたのは、毒で苦しんでいるはずのゼルファだった。突風を生み出す魔法を唱えて、エデリカの凶器を跳ね飛ばしている。
「ギャアッ、剣が、剣がこっちに飛んできて私の羽が斬れたァ。誰か、セロハンテープ持ってきて!」
「どうして邪魔をっ?! ダーリン!!」
「……ネッソスの血、か。それは、ヒュドラの毒の隠語だ。まだ、そのようなものが残っていようとは、な。ゲフォ」
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▼媚薬ナンバーEX3-4、ネッソスの血
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“精力剤などではなく、正真正銘のヒュドラの毒。
猛毒なので騙されて嫉妬した相手に使用しないように”
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「もう喋っては駄目。毒が回るから」
「ヒュドラの毒に解毒法はない。もう俺は、助からん。服用して即死していないのが不思議なぐらいだ」
ヒュドラの毒の詳細は分からないが、魔王軍幹部の命さえ奪う劇毒なのだろう。
焦点の合っていない目で、ゼルファは実行犯のオクタヴィアを見上げる。
「わた、私は、違うッ。毒殺、なんて、違うッ」
「――あぁ。分かっている、とも。そう怯えるな、女騎士よ。僅かな間とはいえ、エデリカに向けられていたお前の目を見て想像はできている。実に分かり易い嫉妬心だったのだろう。それを、利用されただけだ。……悪意があったにせよ、魔王軍幹部の暗殺の罪を被るには重過ぎる」
「えっ――」
「過失だから許せなんて、私は納得できないっ」
「エデリカとの交際を家族に反対された俺が服毒自殺した。魔王様にはそう伝えて欲しい!」
何を思ったか、ゼルファは毒入りのワイングラスに手を伸ばして、残りをすべて飲み干した。死期を自ら早めて、再び吐血している。
荒い呼吸を続けていたが、それももう止まりかけだった。ゼルファはもう長くない。
「ダーリンッ、どうしてそこまで?!」
「まさか、オークがわたくしを助けたっ?!」
「……ふ、エデリカも女騎士も、そう重く考えるな。俺が暗殺されたとなれば和平は崩れる。ならば、魔王軍幹部は女とうまくいかず自害した情けないオークだったという悪評が流れる方がよほど良い」
「魔族が、オークが、世界のために身を挺するというのかッ」
ゼルファの最後の行動があまりにも大きく、オクタヴィアも、エリックも、ただ圧倒されていた。
「速報! ロミオを気取ったオークが悶死、って皆に拡散しなくちゃ」
もちろん、ゼルファの生き様を見て感化される程に脳が大きくないペネトリットに変化はない。
「審査官殿、迷惑ばかりですまんな」
「ゼルファさん――」
本人が言う通り迷惑なのだが、それを言葉にも顔にも出さない。ゼルファが死んだ場合、応接室を貸し出した報酬も反故となってしまうが、その不満も上手に隠す。
毒で死にかけている人を追い詰める程に、審査官は鬼ではないのだ。ただただ審査をするように、冷静に応接室の内部の状況を観察する。
倒れたゼルファ。
彼等を見詰めるエリックとオクタヴィア。
毒の入っていたワイングラス。
まだ溶けていない氷が沈むコップの氷水。
「――これだな」
審査官たる俺は直観的に……氷水の入ったコップを掴んだ。
「ヒュドラの毒って、聖水で浄化できますかね?」
「妖精の用意した聖水、か。その程度では、不可能、だろう」
「……魔王軍幹部を暗殺するために、純度百パーセントの神格の力を注ぎ込んだ宝石入りの聖水ならどうでしょうか。氷の中に入れて冷やしていた宝石も、時間経過で溶けてコップの底に沈んでいます。そろそろ、飲み頃ですよ」
「私は可愛い妖精よっ、私を解放して」
「黙れペネトリット。お前の犯行でゼルファさんは救われたが、それとこれとは別問題だ」
無事、逮捕されたペネトリットが虫かごの中で暴れている。いつも通りの顛末だ。
そう難解な事件ではなかった。残念ながら、ペネトリットが絡まない事件はない。
水に浮かぶはずの氷が沈んでいる、という違和感と組み合わせて考えれば、ペネトリットが何を企てていたのかを想像するのは容易かった。
「氷の中に毒を入れておき、時間経過で溶けた毒で相手を殺害する。ありふれたトリックだった」
「毒じゃないわよ。ダイヤモンドを入れただけよ」
「魔族打倒のためには経費を惜しまないよな」
ちょくちょく、俺のスマートフォンで電子書籍を読んでいるペネトリットである。検索履歴を調べれば元ネタもすぐに判明するだろう。
アリバイ工作にも使えないトリックだが、ペネトリットはゼルファを確殺するための罠として割り切って使用した。
氷が溶ける前の聖水を飲ませておけば、氷が溶けた後の高濃度の聖水を飲ませる事が可能だ。ここ最近、薄い聖水を出していたのは本命を活かすためだったのだろう。実に姑息である。
「はっ、私の華麗な活躍で今回の事件も無事解決したというのに、私をどうにかできると思っているのかしら! 次に同じ事件が起きた時に協力して欲しいのなら、今すぐに自由と夏のボーナスを保障して」
「ペネトリットの成分に解毒作用があるのなら、お前と宝石を梅酒のように漬して熟成させる。お前に拒否権はない。……連れていけ、浦島審査官」
「私を捕えたところで、私の意思を継いだ第二、第三の私がたぶん現れるから覚悟しなさい!」
魔王みたいな高笑いを残してペネトリットは護送されていった。それを、第二、第三の森妖精が指差してププーと笑っているので、きっと意思は受け継がれていないぞ。
ペネトリットに続いて、応接室から運び出されていくのはゼルファである。聖水を持ってヒュドラ毒を制して一命をとりとめたものの、ほどほどに重体だ。
魔界から来たゴブリン達により担架で輸送されていくゼルファ。俺の傍を横切る際に喋ろうとしたので止めさせる。
「酸をアンモニアで中和したような喉で喋らないでください」
面目ないと無言で返事して、ゼルファは運ばれていった。しばらくは絶対安静となるだろう。
……予想に反して、騒動よりたった三日でゼルファは再び現れた。オークのタフさには驚かされる。
「もう退院されたのですか??」
「ちぃ、私はまだ宝石風呂の刑が三十六時間も残っているのに、もう戻ってきたか」
「いや、これから本国にて長期入院となる。その前に、審査官殿に挨拶しておくべきだと無理を言ったのだ」
確かに、まだ完全復帰しているようには見えない。喉の調子は悪く、肩の筋肉も目に見えて萎んでいる。これなら、ガラス瓶の中で熟成されているペネトリットの方がまだ元気がある。
「長期入院ですか。お早いお戻りを心待ちしています」
「俺の治療中は、リリス様が魔界入国管理局の局長を務められる。魔王城の運営責任という大任があるはずなのだが、一時的に解任されたらしい」
リリスはベルゼブブと一、二を争う古参魔族であり魔界の大物。そんな人物が長年の役割を解かれて、魔界と新世界の狭間にやってくる、と。
「……左遷です?」
「詳しくは聞かされていないのだが、魔王様に対して度の過ぎる求愛行動を仕出かしたらしい。少しの間、上司と部下の関係を保つために距離を取るべきだと、魔王様がリリス様に通告を」
寝込んでいたゼルファは詳細を知らないらしいが、どうやら、痴情のもつれのようだ。
事前に面倒な人がやってくる事を伝えてくれて良かったと、ゼルファにお礼を言っておく。左右から体を支えられなければ歩けない容態でよく頑張ってくれた。
「……エデリカ。彼を支えるのは、わたくし一人で十分ですわよ!」
「……オクタヴィア。どんな神経していれば毒を盛った貴女がダーリンに密着できると!」
ゼルファは体力面ではなく精神面で弱っている顔になっているが、付きまとう女騎士が二人に増えているなら大丈夫だろう。
「魔王軍幹部を誘惑して占有することで、わたくしがエデリカより優れていると証明してみせますわ」
「離れなさい。この間女!」
夏休み番外編完了いたしました。
また、どこかでー。




