番外編EX 特別な事件のない審査官の日常
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作者として可能な恩返しは物語を書く事と思い、番外編を一話投稿いたします。
連載中の作品もあり、いつも書けるという訳ではありませんが、丁度連休でしたので久しぶりに本作を書きました。
特に事件のない普通の日常を書いた平凡な一日となりますが、読んで楽しんでいただければ幸いです。
06:00 AM
チュンチュン、と声を自慢する山の鳥が、朝の到来を告げる。
起床にはもってこいの心地よい鳴き声であるのだが……二人はまだ眠っている。
「ぐふぇふぇ。もうお腹いっぱいで宝石が食べきれない……ぐぅー」
「やめろォ、ペネトリット。お前は5Gに対応していないぞ……ぐぅー」
GetAwayッ、〇itchFairies。I‘llShoot! という鬼気迫る男の怒号と共に、銃撃音が朝の到来を告げる。
正直、これで起きないのは生物としての危機意識に欠けるはずなのだが……二人はまだ眠っている。
「創造神様ぁ、レッドダイヤモンドだけは、それだけは勘弁してぇ……ぐぅー」
「だからやめろォ、ペネトリット。鼻からスパゲティを食うんじゃない……ぐぅー」
きゃはは、CIAがいたわ。ラングレーさん、お待ちになってぇ。きゃー、知っている事を全部教えてぇ、ネットにリークしてあげるから! という森妖精AからZの下劣なる微笑が輪唱し、朝の到来を告げる。
それでようやく、二人は目を覚ました。
「……ふへぁ、朝?」
「……ふぁぁ、まあまあ快眠できた。今日は森妖精の奴等も静かだったな」
管理局へと潜入を試みた国外勢力のスパイの絶叫が、社員寮の外壁を揺らした。今回も森妖精の餌食となってしまったらしい。
ここ数か月ですっかり慣れてしまった二人は、外の様子を一切気にせず、同室で暮らす異種族に挨拶をする。
「おはよう、私の眷属」
「ああ、おはよう、ペネトリット」
人形用のベッドから起き上がり、羽を広げたのは自称妖精ペネトリット。
人間用のベッドの上であくびを噛み殺しながら起きたのは審査官。
異世界入国管理局という少し特殊な職場に務めている二人は、諸事情を経た後も、こうして当たり前に生活している。
08:00 AM
「諸君も知っての通り、異世界観光の自由化、貿易品目の拡大が国会で審議され、過半数以上の賛成により可決された。いわゆる異世界交流法だ。今後の我々に対し、審査だけに留まらない幅広い役割を求められるというのは想像に難くない」
朝礼もそこそこに、今後の管理局体勢について語り始めたのは局長の宝月滝子だ。前々、前局長の惨劇を知っていながら立候補で管理局へと出向し、今でも無事に局長としてバリバリ働いているキャリアウーマンである。
「局長がおっしゃる事は尤もですが、審査官は今でも不足気味です。これ以上の業務追加は、審査そのものに悪影響が出てしまうかと。せめて人身御供……もとい、人材提供をしていただかないと」
「人員募集は検討中だ。というか、まだ懲りていない上層部が、息のかかった手勢をこの春に送り込む気でいるらしくてな。この際、敵対派閥の人間だろうと使えるのならば使う。まあ、三日ともつまいが」
現在、審査官の人数は十人にも満たない。異世界交流法により出入国する旅行者が増えるとなると、今組んでいるローテーションで業務をこなすだけでも厳しいだろう。
局長の言う敵の手でも借りるという解決法は、いつものその場しのぎである。
「……有子が、ここで働きたいとは言っている。姉としては複雑なのだが、異世界で生きた経験は審査官向けだ」
局長の妹、宝月有子は長らく異世界で行方不明となり記憶を失っていたのだが、去年の年末に帰還を果たしている。
行方不明当時は学生だった。補償制度を使えば大学受験も可能だったはずであるが、春から就職したいというのが有子の希望らしい。
Lゲート側の知識と経験はもちろん、準騎士としての戦闘技能も魅力的だ。局長というコネもあるのだから、審査官にほぼ内定していると言える。
「せっかく日本に戻ってきたというのに、こんな再起不能率の高い職場を選ばなくても、と思うのだがな」
サルガッソで局長やっているガーターベルト女が何か言っている。
「そんな魔の職場で働いている俺について、局長から一言」
「殺されても死なんお前にとっては、審査官は天職だぞ」
なお、審査官の数で言うと、不本意ながらこの春から一人増える事が内定している。
アルバイト扱いだったペネトリットが、正式に審査官の役職に就く事が決定しているのだ。
苦渋の人事判断である。審査官を補佐している森妖精AからZを取りまとめるため、ペネトリットに役職と権限を与えるのが目的である。
「人が足りないなら、エルフの一人や二人派遣してあげましょうか?」
ペネトリットはLゲートの森林同盟に対して強い権限を有していた。彼女が一声命じれば、本当にエルフを呼びつける事も可能だろう。
なかなかに魅力的な提案ではあるのだが、日本の玄関口を異世界人に守らせるというのは警備上問題となる。外交的にもRゲート側が反発するはずだ。
「エルフで駄目なら、森妖精を出荷するわ」
「やめろッ。森妖精はもう十分過ぎるぐらいに働いている」
「森妖精の不正を察知する嗅覚は驚嘆に値するが、奴等が引き起こす不祥事の後始末については別途対応が必要なのだぞ。むしろ、今いる半数を森に戻せないのか?」
局長と一緒になって、必死に森妖精の流入を阻止した。
10:00 AM
「はい、次の方。こちらにどうぞ!」
午前中は入国側のブースが担当だ。
かつては入国者の九割以上が異世界帰りの日本人だった。
今は状況が異なり、国交を開くための最終調整として異世界人がやってくる事も多くなった。そして何より、RゲートがLゲートに先んじて着工した大使館建設のために、数多くの魔族が来訪している。
いつまでもブルーシートを大使館にしておけないため、日本側も大使館の建築を許可したのである。
ゴブリンの一団がトロッコを押して石材を運び入れると、石材が自ら組み上がってゴーレムと化し、下車していく。最初からゴーレムが歩いてくるのでは駄目なのだろうか。
「まあ、建築場所は異世界ゲートのある出入国ホール内だから、正確には入国している訳ではないのだが。入国しないから審査もない」
Rゲート大使館の建築は魔王軍幹部、ミノタウロスのミノス。
俺の前でほとんど活躍を見せていない幹部だったのだが、どうやら戦時よりも平時において力を見せるタイプだったようだ。重機を用いず立派な大使館を……いや、控え目に言わず事実を言うなら、ちょっとした町を作り上げようしている。
「ねぇ、あれって良い訳?」
「日本における異世界ゲートの研究はほとんど進んでいないから、良いも悪いも分からない。ただ、Rゲートの研究がどの勢力よりも進んでいるのは確かだろうな」
群青色の空間を稜線のごとき一本道が続く。そういった幻想的な雰囲気が漂うのが異世界ゲートだった。
だというのにRゲートの魔族はなんと、ゲートの中腹まで石畳みを敷き詰める暴挙に出た後、大使館の敷地を道に沿って延長し始めたのである。参道沿いに続く土産屋や、過去の時代の宿場町を彷彿とさせる。
道の片側方向のみを発展させているのは、Lゲート側に見せつけるためか。
「ねぇ、あれって良い訳?」
「日本政府は日本国内の敷地面積については言及していたが、異次元空間の上に建築してはならないとは一言も言っていないからな。仕方がない」
Rゲートの言い分では、建築中のものはすべて大使館の施設らしい。
つまり、荷運びをし易くするためのトロッコ駅や、淫魔街で店長をしていたっぽい女性が経営するフィットネスクラブ兼居酒屋や、魔王軍が駐留する施設もすべて、大使館の一部なのだろう。
「キィー、魔族はやっぱり邪悪だわ! 契約書に書かれていない事はすべて許可されていると平然と言う奴等なの。暗黙の了解を無視できる最初の世代は楽を出来ていいかもしれないけれど、後になるほど細かな規定が増えて結局、自分達の首を絞めていく。最終的には電子レンジに妖精を入れてはいけません、って馬鹿みたいな注意文まで掲載しなくちゃならなくなるの!」
今回ばかりはペネトリットの言い分に同意したくなる。が、ペネトリット。お前と森妖精共、風呂の後にドライヤーを使う順番待ちを解消しようとして、電子レンジを使おうとしていただろ。
暫定的に魔界出島と呼ばれている施設群。
その中で最も注意するべきは……あの、ベルゼブブがオーナーをしているという魔界初のコンビニである。
かつての戦いを経て、何かしら思うところがあったというのは分かる。けれども、二十四時間営業していればコンビニであるという認識からして大きな誤解が生じている。
「とても入る気にはならないが、噂では、入店と同時に魔王城で死に絶えた勇者パーティーの断末魔が響き、二十四時間働けるゾンビが店番を務めているらしいぞ」
「魔界の新鮮な素材が、未調理のまま弁当棚に並んでいるらしいわよ。あと、雑誌の代わりが週刊ネクロノミコン」
魔界の住民さえも避けて通る邪悪空間となっている。
ただ一人の入店者であり生還者であるコンビニ店長いわく――、
「――そこでしか扱っていない商品ばかりという気軽いコンビニのイメージからかけ離れたラインナップ……に見せかけているけれども、私の目は騙されない。今の時代、PB商品は競合他社との差別化のためにも必須。何よりも、オリジナルコーヒーを提供するような既存にない試みが次の時代には必要なのだろうね。なるほど、ベルゼブブ卿も侮れない――」
――などと意味不明な事を言って一人で納得している始末だ。コンビニエンスの日本語訳が便利であると、頼むから伝えて欲しい。
ちなみに、Rゲート大使館の長たるアジーは観光PRのために馬路村へ出向いているため、今日は不在である。
12:00 PM
『――現地にいるゲストと中継が繋がっています。魔界のお姫様にして外交官、アジー様です。護衛としてマルデッテ・メドゥーサさんも同行しています。お二人ともお若いのに、日本各地を巡って大変ですね』
『マルデッテの年齢は二一八歳よ』
『江戸時代よりもお若いとは知りませんでした』
お昼のバラエティー番組をスマフォで垂れ流しながら、昼食を摂る。
食事は食事で集中するべきであり行儀が悪い、という人もいるかもしれないが、スマフォでバラエティーを流している方がペネトリットの行儀が良いのだから仕方がない。まあ、俺が観たいというのが最大の理由なのだが。
昼は自炊とコンビニ飯を一対三ぐらいの割合でこなしている。その自炊の三回に一回ぐらいではあるが、あのペネトリットが作るのだから信じられない。
「私、自分に料理の才能があるって気付いたのよ。だいたい、三十二話目の裏側ぐらいで」
本人は自信満々であるが、味は普通で量は少ない。ただし、職業適性が遊び人に限定される妖精が料理をしているのだ。他種族と相対評価した場合、鉄人並みの実力を有している事を認めなければならない。
ベーコンを廻しのごとく巻き付けたピーマンを食い終えた。味はやはり普通。
次は、妙に造形の細かいクトゥルフさんウィンナーを箸で掴み上げる。
『イア、イア』
「午後も午前中に引き続き入国側が担当だ。後輩と交代するはずだったが、忙しくて手が離せないらしい」
「あの子が忙しくて手が離せないって、超獣と怪獣と宇宙人が同時に攻めてきたレベルの事件が発生したの?」
『イア、イア、クトゥルフ、フタグン!』
「どうも、テレビ番組の取材らしい。これも異世界交流法の余波なのか、灼熱大陸っていう番組に審査官の代表として密着取材を受けている。審査官一の美人を出せと言われたら、後輩しかいないからな」
ウィンナーの癖に活きが良い。どんな調味料をペネトリットは使用したのだろうか。気にせず食べるが。
『イア、イア、クトゥルフ、フタグン! イア、イア、クトゥルフ、フタグン!』
「審査官一の美人で私が選ばれない理由について?」
『審査官一の美妖精なら、テレビ取材クルーのテンジン・ノルゲイに劣らぬ冒険心に驚嘆しつつお前を選んだ』
「…………クっ、少し照れてしまったじゃない!?」
「フングイル、ムグルウナフ、クトゥルフ、ルルイエ、ウガフナグル、フンタ――ぐふぇ」
ペネトリットの奴が俺の顎をアッパーしてきやがった。その所為で、呪文詠唱が中断されて邪神召喚が……ハっ、俺の意識が別の何かに乗っ取られていた気が。
強制的に噛まれたウィンナーを、そのまま奥歯でかみつぶして食べ終える。
やはりペネトリットの作る弁当は量が少ない。後で、コンビニ――もちろん、日本の――に寄ってパンでも買おう。
「さて、そろそろブースに戻るぞ。ペネトリット」
「都心部や観光地の飯屋ばかり報道して、多くの視聴者にとって意味をなさないテレビ番組がまだ終わっていないのに。仕方ないわねぇ」
14:00 PM
Lゲートが光り、ゾロゾロと続く馬車の一団が出現した。虫眼鏡のマークが旗に付いているので光の信徒の関係者だろう。
先頭の馬車から下りた男の顔は知っている。キケロ司祭だ。
「こんにちは。新世界の審査官さんに妖精似の……おっと、言わずが花でしょうか」
「こんにちは、キケロ司祭。今日の入国目的は何でしょうか?」
事前通告があったのでキケロが現れた理由は分かっている。俺の問いは審査前の定型文に過ぎない。
「以前の枢機卿派閥が色々仕出かしていた事が明らかになったので、その謝罪と今後について新世界の方々と対話を。そういった面倒な役割を押し付けられたのですよ」
Lゲートの最大宗教たる光の信徒。巨大かつ歴史ある組織体制に、大改革が訪れようとしているらしい。
大貴族カスティアを代表とする神の爪先派の台頭により、旧派閥が次々に陥落、島流しとなっている。旧派閥で一致団結して苦境に立ち向かう……とはなっていないため、マイナーだったはずの神の爪先派に転じる宗教関係者が多いとか。
迷い込んだ地球人を実験台にして戦場に送り込んだ悪行。その責任の押し付け合いで旧派閥内で抗争が激化中。国ではないため内乱に至っていないらしいが、だからこそ実体がどのようになっているのかは把握しきれていない。
「中央から忌避されていた私が、最も被害が少ない勢力として扱われていまして。困ったものですよ」
「それは、お疲れ様です」
「今回は仕方ありません。誠心誠意、新世界の方々に謝った後、次に備えるとします」
このキケロ司祭。割を食っているように見えて、光の信徒の中で着々と地盤を固めているような気がする。対戦ゲームで言うと、活躍していないが負けてもいないため勝利点を稼いだプレイヤーだ。
次に何かを仕出かす事のできる筆頭と考えると、細い目の奥にある感情が読み取れずに不気味である。
とはいえ、通行許可書が正式である以上、審査官はただ入国を許可するのみである。
「審査は完了です。それでは良い旅を」
「審査官さんも、妖精を妖精たらしめる人柱として頑張ってください」
16:00 PM
「くぅー、仕事終わりの一杯は身に染みるわねぇ」
現在時刻は十六時。まだアフターファイブではないので業務時間内である。
残り一時間を我慢できずにブースからコッソリと抜け出したペネトリットが向かった先は、管理局内にある食堂だ。食事スペースの壁に設置されている自動販売機では、アルコール類も販売されている。コンビニでも購入可能であるが、自動販売機は告げ口をしない分、犯行が発覚する可能性は低い。
「また、妖精さんが職務中に酒飲んでいるぞ、奥さんや」
「安心しなさいな。妖精がカード払いした場合は、砂糖水の缶しか出てこないように細工した自販機に先月入れ替えたばかりだから、旦那さんや」
食堂を切り盛りするベテラン夫婦に目撃されているとは知らず、ペネトリットは空き缶をゴミ箱に砲丸投げして飛び立つ。
外の空気を吸うために管理局の正門を出て行く。敷地内から出ない事を条件に、そこそこの自由が与えられているらしい。
「エルフの気配がするから、今日も外でランニングだ!」
体力作りのためにランニングしている警備部一同の傍を、ペネトリットは飛び抜ける。
「解析し終わったF‐35の残骸を捨ててきますねー」
管理局に裏手に粗大ゴミを捨てている技術班グループの傍を、ペネトリットは飛び抜ける。
「朝、捕まえたスパイが無事に逃げ出したわ」
「よしっ、これで業務で山狩りができるわね。でかした!」
「ほう、私も手伝いましょう!」
仕事を理由に敷地外に出発する森妖精の群れに混ざって、ペネトリットは平然と山中のどこかに飛び去る。
17:00 PM
「クっ、私を離せっ、私は妖精よっ。非現実的な生物の人権も守ってくれるお優しい都市条例が黙っていないわよ!」
某国諜報員に捕らえられたペネトリットは、虫カゴの中で拘束されていた。虫カゴの中で暴れる彼女の抵抗は虚しい。妖精一匹の力は人間に劣るのだ。数が集まると話は異なるが。
諜報員は急ぎ足で、管理局に続く唯一の道路へと駆けていく。
道路では黒塗りの外車が待機していた。運転席にいるサングラスをかけた屈強な男が、後部座席のロックを解除する。
「サンプルを一体確保した」
「よし、乗れ。ホットゾーンを離れる」
ペネトリットは虫カゴに入ったまま、車の後部座席でシートベルトを絞められた。完璧に窮地である。
「このサンプルはどこに運ばれるんだ?」
「ラボで様々な実験が行われた後、最終的には部位ごとのホルマリン漬けで各研究室で飾られる。日本政府が独占する異世界を早急に調査、対応するためだ。当然だろ?」
「ちょっとッ、私は〇イストーリーのおもちゃとは違うのよッ!! バラバラにしたら死ぬじゃないッ」
「おい、英語を理解しているぞ?!」
「シット。布を被せておけ」
17:01 PM
審査業務を終えた俺は背伸びをしてから席から立ち上ろうとして……酷い悪寒に襲われた。
「――ッ、ペネトリットは!?」
背後の専用席が静か過ぎた時点で気付くべきだった。ペネトリットの奴が消えている。
「…………また、どこかでイタズラか。たく、夕飯までに戻って来いよな」
消えてしまったものは仕方がない。自分の席に戻って書類仕事を行っていれば、そのうち戻ってくるだろう。
17:02 PM
「ぎゃああっ、眷属が働かない。神性と図太いパスが繋がっている癖に、何で気付かないのっ」
イタズラを暴かれないように精神パスの元栓を閉じているペネトリットが、勝手な事をほざいている。
「昨日、似たような事で宝石一つを消費したばかりなのッ。今月はもう赤字なのッ。だから私の出費以外で誰か私を助けて!!」
「うるさい生物だ。黙らせられないのかっ」
「薬はあるが、人間と同じ量をかがせて大丈夫か?」
「量は記録しておけ。次のサンプルを確保する際にはうまくやれる」
「誰か、ヘルプミーッ。この男共がか弱い私にいかがわしい事を仕出かす前に、誰かァ」
ペネトリットの必死の願いが叶ったのかは分からない。
ただ、ペネトリットを誘拐した外車のエンジンルームに巨大な矢が突き刺さったのは確かだ。心臓部を破壊された車は急減速していき、程なく停止する。
「突入だァッ!!」
停止した外車の左右から現れた部隊が窓とハンマーでたたき割り、器用に車の内部へと侵入していく。あっという間の出来事だったため、スパイ共は一切抵抗できなかった。
突入部隊はフードで顔を隠しているが、特徴的な長い耳は専用の穴から突き出している。
「よし、丁重に我が神を救い出して管理局へとお連れしろ。別行動中のドライアドチームは敵の仲間を追撃だ」
部隊を率いている女エルフだけは、綺麗な顔を隠さず指示を飛ばしていた。
女エルフの背後へと、別のエルフが木の上から下りてくる。巨大な弓を背負っているので、このエルフが車を狙撃して停止させたのだろう。
「アッシュ・アイ、ご苦労だ。森の種族一の弓の使い手、という触れ込みは間違いではないな」
「……我が神は、無事?」
「無事だ。今後も影より我が神をお守りしろ」
「……承知」
灰色の目をしたエルフは言葉少なく、頷くのみだ。自身の手柄に一切興味がなく、静かに暗い森の中へと紛れていく。
18:00 PM
切の良い所まで仕事を終えて社員寮の自室に戻る。と、ドアノブに引っ掛けられた虫カゴと、虫カゴの中で体操座りしているペネトリットを発見する。
「私の眷属の癖に、ピンチに駆けつける気概はないのっ?!」
虫カゴから出してやった途端に怒られた。理不尽な事を言われているのは分かる。
20:00 PM
ペネトリットが外に出たがらなければ車で街まで移動して夕食も良かったのだが、仕方がない。しゃれた店でのディナーは、ペネトリットが人間サイズの時に行うとしよう。
「くぅー、仕事終わりの一杯は身に染みるわねぇ。味が違うわ。甘ったるいだけじゃないもの」
「酒はほどほどにしろよ。缶ビール一杯でも、人間だったらドラム缶サイズの酒を飲んでいるようなものだぞ」
「馬鹿ね、神性に神酒は定番じゃない。このぐらい余裕よ」
自分の給料で酒を飲んでいるのだ。とやかく言うつもりはない。
缶とコップで乾杯を交わして、本日の仕事を無事に済ませたと称え合う。
「来週からは新しい年度の始まりだ。今日までとはまた違う一年になるのだろうな」
「変化に乏しい一年なんてあっという間よ。多少の変化は人生を楽しむためのスパイスなのだから」
「実年齢が万を超える妖精の言葉には含蓄があるな」
「精神年齢は一歳よ。忘れないでッ」
地球と異世界が繋がってまだ数年。異世界入国管理局が運営開始されてから一年足らず。
まだ序盤も序盤。たった一年でも大きな変化が訪れるのは当然である。想像もできない出遭いや事件が起きるに決まっている。
安定した人生を楽しみたいのならば即時異動願いを出すべき職場であるが、俺はきっと、この仕事を来年も続けているのだろう。
「……それでペネトリット、次の休日に街に遊びに行かないか? もちろん、人間サイズでだぞ。少しは恋人らしい事をだな――」
「……ぐぅー」
「――酒飲んで、即行で寝落ちするなよ」
22:00 PM
風呂に入って、弁当箱も洗い終わった。
洗濯も終えて、目覚ましのセットも終えた。
一日働いて完全に自由となるのが今から寝るまでの一、二時間しかないというのは、現代人が非効率な人生の使い方をしている証拠なのだろうか。いや、古墳時代には平均寿命が約二十歳しかなく、しかも、衣食住の確保に邁進するしかなかったハードモードだったのだ。たった一、二時間でも、歴史によって築き上げた貴重な時間なのだと思う。
パジャマに着替えさせてナイトキャップを被らせたペネトリットが人形用のベッドで熟睡している。
ペネトリットを起こさないように、本を静かに読んで眠気が訪れるのを待つ事にしようか。
「お休み、ペネトリット」
「むにゃむにゃ、お休みぃ、私の眷属ぅ」
06:00 AM
チュンチュン、と声を自慢する山の鳥が、朝の到来を告げる。
起床にはもってこいの心地よい鳴き声であるのだが……二人はまだ眠っている。
「昨晩はお愉しみでしたねぇ……ぐぅー」
「少しは家事を手伝ってから言えぇ……ぐぅー」
〇лядь.、〇ука.! という鬼気迫る男の怒号と共に、ロシア製小銃の発砲音が朝の到来を告げる。
正直、これで起きないのは生物としての危機意識に欠けるはずなのだが……二人はまだ眠っている。
「そんなに私に夢中になるなんて、私が綺麗なのが罪なのね……ぐぅー」
「腹を出しながら寝るのをどうにかしろぉ……ぐぅー」
きゃはは、今日は北の国からのお客さんね。同志イワン、お待ちになってぇ。きゃー、知っている事を全部共産しましょうぉ! という森妖精AからZの下劣なる微笑が輪唱し、朝の到来を告げる。
それでようやく、二人は目を覚ました。
「……ふへぁ、朝?」
「……ふぁぁ、それなりに快眠できた。今日も森妖精の奴等、静かだったな」
管理局へと潜入を試みた国外勢力のスパイの絶叫が、社員寮の外壁を揺らした。今回も森妖精の餌食となってしまったらしい。
「おはよう、私の眷属」
「ああ、おはよう、ペネトリット」
何気ない彼と彼女の日常が、今日も始まる――。
では~
 




