大晦日X100 奇跡には代償を 女神には新しい世界を
頬を打たれたゲルセミは、見苦しく叫ぶのを止めた。
放心しているようにも思えるが、崇める神に暴力を振るった審査官、浦島直美の殺害に動くエルフ達を制止できるぐらいの思考は残している。
「先輩を殺したペネトリットちゃんが、責任を持って先輩を生き返らせるのが筋のはず。誰かに助けなんて求めないで!」
「……私にはできないから、助けを求めているのよ」
「ペネトリットちゃんは妖精ではなく神様なんでしょ!」
「神性にも出来る事と出来ない事があるの! 一度確定してしまった死を取り消すなんて、私にはできない」
「泣き言はいいから、やりなさいって言っているのッ」
グズグズしているだけのゲルセミの頬を再び浦島が叩く。
「二度も我が神をぶったな! 戦争だ、戦争!」
「黙れ、先輩殺し共! その綺麗な顔をズタズタにしてやるッ」
ナイフで斬りかかるエルフ。カウンターで手首を掴んで背負い投げをしかける浦島。
取り巻きが乱闘を開始する中、ゲルセミは一人残されて男の死体を握りしめるのみだった。
「本来の私なら人間族の体までなら新しく作り直せる。けど、魂までは……」
神性であっても死者蘇生は引き起こし難い奇跡となる。
神性ならば幽世に落ちたとしても目立つため、引っ張り上げて回収するのも比較的容易――神性目線では――だろう。人間族であっても特別な才能や逸話を有する者ならばまだ可能性がある。が、審査官でしかない一般人の魂となると、途端に難度が上昇する。数多く生まれて死んでいく一般人の魂の中から個人を特定するのは不可能と言っていい。
砂漠の中に落とした宝石を探し出すトレジャーが神の復活であるのなら、砂漠の中に落とした砂粒を探し出す不可能を個人の復活と呼ぶ。
宝石を好むだけの神性であるゲルセミには起こせない奇跡だった。
「やっぱり、私には……アンタを蘇らせる事ができないの。私には手立てがない。できそうな神性の生き残りにも当てなんて一人も――」
神性であるゲルセミに不可能となると、手段は既に尽きている。神頼みの受注先たる神が匙を投げてしまっているなら、諦めるしかない。
「――当てが、あるッ?!」
それでも、死んだ男の復活を望むのであれば、最後の頼み先は一つある。
「創造神よ。創造神に掛け合えば。むしろ、その手しかない。……浦島には悪いけど、他人の手を借りるしかないわ! 妖精だった頃の私なら、アウトソーシングも立派な策よって言ったでしょうね」
世界を創造した神ならば、ゲルセミに起こせない奇跡ぐらい簡単に起せるだろう。
しかし、創造神への嘆願はリスクが高過ぎた。人間が神の精神構造を非人間的で冷酷と感じるように、一般の神性は創造神を異質なる何かとして畏怖している。下手をすると接触を試みただけで、存在を抹消されてしまう。友達感覚でフランクに語りかけてみろ、どんな罰が下されるか分かったものではない。乙、などというネット用語は問題外だ。
何も知らない人間族はただ崇めているだけで済むだろうが、多少なりとも創造神の力を理解可能な神性はそうはいかない。
「アンタが死ぬ代わりに、私が代わりに消えてあげるから! 待っていて」
ゲルセミは、死を覚悟しながら『チャネリング』を発動。創造神との交信を開始する。
創造神との交信は、それ自体が自殺行為に相当する。
何故ならば、創造神の声はたった一言であろうと膨大な情報が含まれているからだ。世界を運営する存在の言葉には、単位時間内に世界中で起きた出来事のすべてに等しい情報が内包されている。ゆえに、すべてを受け止めようとすれば鼓膜が破壊されるだけに留まらず、負荷に耐え切れず脳が壊死してしまうのだ。神性であろうと魂が弾けて、瞬時に破滅する。
よって、ゲルセミは嘆願を言い終わるまで殺されないように、己に可能な最大限の防御術を展開した。
“――0x01001010101110101010101010101――”
殺人的な情報量による圧力試験が始まった。
創造神の発する言語に耐え切り、読み取るだけの力がない者はこの時点で脱落する。ゲルセミは魂が壊れてでも、自分の懇願を言い終わるまで耐えるしかない。
“――茶目(笑)。過去二度、経験。天丼的冗談、驚愕成功? 成功?”
……ゲルセミは耳を必死に閉じている。何も聞こえない。
“――――唖、人間族否。宝石女神。我、赤面。声量調整中”
噂で聞いていた程の圧はなく、ゲルセミは耳を閉じながら不思議がる。きっと私の秘めたる才能なのね、とは思っていた。
いちおう、フェイントの可能性も考えて耳を閉じて待っていると、創造神らしき声が聞こえてくる。
“――神性との交信は久しい。さっそく要件を述べよ”
男のような女のような、人間的な機械的な、老人のような赤子のような、多元な声質で問われたゲルセミは心の中で懇願する。
私が殺してしまった私の大切な人を、復活させて欲しい。
“――却下する。死の克服はソナタ達が文明発達により解決するべき課題である。創造神による安易な解決は世界の発展を妨げるだけではない。世界の崩壊を促進する懸念さえ生じる”
審査官の男はただの人間族だった。だから、生き返ったところで世界レベルの影響は発生しないはず。こう言葉を続ける。
“――つまり、死んでいたとしても変わらない。そのような命に構うのは非効率だ”
否定を続ける創造神に、ゲルセミはしつこく懇願を続けた。
他人にとっては無意味な命であっても、ゲルセミにとっては唯一無二の命である。
“――それほど大事な命を自ら壊したとなれば、我はソナタという神性の機能を疑問視せざるを得ない。生命復活を真に望むならば、ソナタの機能不全を認めるべし。同じ過ちを引き起こさないよう、ソナタから神性としての権能を剥奪する”
ゲルセミにとっては即答可能なぐらいに小さな代償だ。創造神に交信を試みた時点ですべてを投げ出す準備は済んでいる。
“――ソナタが貯め込んだ財産もすべて没収する”
……えっ、必死にコレクションした宝石も? と、ゲルセミは違うと言って欲しそうに問いかける。
“――宝石も財産に含まれる”
背中から冷たい汗を噴き出しながらも、ゲルセミはどうにか頷いた。
重い懲罰が続く。が、創造神は無慈悲に、更なる懲罰を言い渡す。
“――更に、ソナタの記憶も没収する。力、財産、記憶を差し出す事により、人間族一人の命を復活させよう”
それはゲルセミにとって死刑判決であった。
ゲルセミだった頃に集めた資産を失うだけならまだしも、妖精ペネトリットとして過ごした数か月さえも失う。異世界入国管理局で築いた輝かしい実績を忘れ、審査官として数々の難事件を解決した功績さえも忘れ、ついでに、審査官の男との騒がしい日々も忘れる。
ゲルセミは……それでも頷いた。
力を失って新しい世界でやり直す体験は一度済ませている。それをもう一度やり直すだけの事である。きっと次もうまくいくから、きっぱり一度目の事は忘れてしまおう。
ゲルセミは逡巡しない。審査官と一緒なら怖くはなかった。
“――我は我の世界の子の決断を尊重しよう。神性ゲルセミの申請を受理。同時に神性ゲルセミの不良動作を抑制するべく、力、財産、記憶のすべてを没収”
創造神は宣言通りに奇跡を発揮しているのだろう。
水蒸気が立ち昇る感触と共に、ゲルセミの体が軽くなっていく。背中の羽は萎んで丸まり、体中に鏤めた宝石類は小さくなっていく。背丈も縮んでいるのだろうか。
変化は身体だけではない。目には見えない記憶に対しても劇的だ。
まず、誕生当時から神代のまでの記憶が霞んで消えていった。次に、数少ない神性の生き残りとなり、妖精界を維持し続けた記憶が消えていく。万年の記憶がたった数秒で、すべてなくなった。
ゲルセミの記憶がシアターを観ているように投影された後、消えていく。
もう少しで、新世界の存在を察知して大いに興味を持ったシーンが登場するだろう。一年前ぐらい前の出来事だ。ここから一年ならば、妖精ペネトリットを演じていた数か月が消えるまで一秒もかからない。
ゲルセミは、また調味料塗れからリスタートしましょう、と寂しく笑った。
“――ソナタの財産を調査した結果、鳥かごの内部より、寿命を一年伸ばす『命の実』を発見した”
……ゲルセミが笑いながら初期化されていく中、ふと、創造神が語り出した。
“――これを過剰没収と判断する”
意識を失っている最中だったため、ゲルセミが最後まで聞いていたかは不明だ。
“――よって、過剰没収分の一年間の記憶をそなたに残す。……我は創造神。我の世界に住まう子供達の発展と幸せを願う。さあ、新しい時代を新しい姿で生きなさい”
誰かに「宝石女神、仲睦、乙」と語りかけられた気がした。
夢も希望もない黒い海へと沈んでいく。そんな最低な末路から誰かの手で掬い上げられて、馴染み深い肉体へと戻ってきた時の話だ。
瞼が重くてなかなか目覚められないが、体調そのものは悪くない。まるで生まれ変わって体が新品になったみたいである。健康診断を行えば、すべての数値が生後一分のオールAとなる。
「いつまで寝ているのよっ、早く起きなさい!!」
顔の上から誰かに叱咤されて、瞼を開く。
一瞬、女神が涙を流しながら喜んでいる姿を幻視する。
けれども、それはまったくの出鱈目で、俺の顔の上にいたのは、若干機嫌の悪そうなペネトリット。頬をペチペチ叩いたり、足蹴にしたりと忙しそうにしている。
「唇が、体形が、違い過ぎるのよっ。人工呼吸できないじゃない! できないじゃない!」
「……お前は何に対して怒っているんだ?」
「うるさいっ!」
ペネトリットが情緒不安定なのはいつもの事だ。気にしても仕方がない。無事でいるのなら、怒っている姿であっても安心できる。
「ペネトリット、ありがとうな」
「ふんっ、意味分からない事を言っていないで、さっさと立ち上がったら?」
ペネトリットの手を取りながら立ち上がる――気分的な問題であってあまり支えにはなっていない。
どこか遠くから聞こえてくれるのは除夜の鐘だろう。落下したティルトローター機の中に捕虜にした人間詰め込んで、攻城兵器を打ち付けて遊んでいる森妖精の狂気ではないはずだ。
全部終わったのだ。
今年も終わりだ。
恐ろしい目に遭いながらも、俺は来年も、ペネトリットと共に審査官を続けていくのだろう。正直に白状すると、俺はどうも、ペネトリットと一緒にいる事が楽しくて仕方がないらしい。
「――あ、あのー、先輩。これって先輩のものなんですけど……」
ペネトリットと手を繋いで異世界ゲートを眺めていると……、申し訳なさそうな声が聞こえた。
チョークスリーパー決めてエルフを落としている後輩が、落とし物について訊ねているらしい。
後輩が目を向けず、つま先のみで示した場所にあったのは……うげ、誰の下半身だよ、それ。
次回、エピローグとなります。




