被害者R010 歩行者天国石化事件
“――歩行者天国石化事件の犯人として逮捕された被告人マルデッテ・メドゥーサ(二一八歳)の第二審が高等裁判所で開始されました。第一審では執行猶予なしの懲役十年の判決が下されましたが、被告側は即日控訴していました。なお、懲役時間については魔族の長寿命に見合っていないという異議申し立てが市民団体の間から――”
昼休憩中、休憩室でスマートフォンから流れるニュース。
バラエティではないのでペット妖精は画面を見ておらず、おやつのシュークリームに集中している。どのようにかぶり付けば服がクリームまみれにならなくて済むかを真剣に考えている彼女の姿は、食事に対して真摯と言えるだろう。
一方、忙しい現代人たる俺とお昼の同行を志願した後輩。二人で行儀悪く弁当を食べながらニュースを聞いている。
「無管理時代に起きた事件ですよね、先輩」
「百人以上の人間が一気に石化した事件だったか。まだ政府が異世界を把握していない頃だったから原因がまったく分からなくてな。石化した被害者が歩行者天国からスタジアムに搬送されて、診察を受ける光景は現代の兵馬俑だって言われていたっけ」
未発見のRゲートを通じてやって来た魔族が、ついやってしまった大事件だった。
その魔族は世界を渡ったという自覚がなく、戦争相手に良く似た地球人を敵と誤解して襲ってしまったのである。下水道から一気に歩行者天国に躍り出て、石化の魔眼を発動。視界内にいた大量の人々を被害者にしてしまった。
「石化した人達は全員助かったんですか?」
「Lゲートから解呪に長けた魔法使いを招いてどうにか。ただ、かなり時間がかかって、全員の治療が終わったのはつい最近のはずだ。長い人だと一年以上石になっていた」
なお、犯人である魔族はカーブミラーに反射する己を見て、自分さえも石化させてしまったため即日逮捕されている。
異世界人による重大犯罪は大きな注目を集めている。現代法に無理やり当てはめてどうにか第一審は完了したが、罪が軽すぎる、異世界追放が無難、そもそも裁判に無理がある、などなど、まとまりそうにない意見が続出して未だに収集が付いていない。
“――大切な幹部なので早く帰して欲しい、という要求を日本政府は拒否しており――”
世界が繋がったがために発生した重大事件であるため、異世界を閉鎖するべきだという裁判が平行で行われている。異世界管理局の外までデモ隊が遠征してきた事も一度や二度ではない。
より過激な思想も一部で広まっている。
「攘夷とか怖いですね」
「怖いよな。攘夷テロリスト」
管理局のセキュリティは厳しいので問題は起きないだろうが、日々、緊張感は高まっていた。
「……まったく、テレビを見ながら食事しちゃって。新世界人って心を失っちゃっているわ」
顔をカスタードクリームだらけにしたペット妖精に和んでしまったのが、少し悔しい。
“――第一審では執行猶予なしの懲役十年の判決が下されました”
その者が握り締めていたテレビのリモコンが壁へと投げられた。中の電池が飛び出してしまったため、気に入らないニュース番組のチャンネルを変える事はもう叶わない。
「馬鹿なッ! 百人以上の人間を石にした化物が、たった十年の懲役だと!?」
腕が大きく振られて、テーブルの上に重ねられる即席麺のカップが吹き飛ぶ。
“――被告側は即日上告していました”
今度は小テーブルが蹴り飛ばされる。
「ほら見た事かッ。やっぱり化物は反省しない! 俺の人生を奪った化物に更生を求めるだけ無駄なんだよ!」
カーテンを閉ざした昼間でも暗い室内で、男は怒り声を上げる。
口からは怒号以外にも酒臭が溢れ出ている。本人の意思ではどうにもならない現実を忘れさせてくれる妙薬は、最近では頭痛と共に現実を強く意識させる毒薬と化していた。
男が酒に依存するようになったのは半年前。暑くなってきた気候が急に逆転して涼しくなっていた日の事である。男の主観的には、その日は就職を希望する会社の最終面接の日だった。時間に遅れないように早めに動いて、余ってしまった時間を潰すために街中を歩いて交差点にさしかかった。
誰かが叫び、マンホールが舞い上がる。
長い胴体の蛇みたいな女が現れて、禍々しい視線が交差する。
その現実的ではない出来事を目撃した次の瞬間、男はスタジアムの芝生の上にいた。記憶の連続性は保たれていたが、実際には八か月以上の時が過ぎていたのである。
「化物に未来を奪われたんだッ!」
知らないままに、男は歩行者天国石化事件の被害者の一人となっていた。何か悪事を働いていた訳ではない。ただ街中を歩いていただけだというのに石にされてしまったのだ。
希望していた会社の面接は当然のように不採用。
成人だからと解呪の優先度を遅らせた無能な政府は、僅かな金しか補償しない。その補償も期限付き。
また一年頑張れば良い、と言ってくる周囲の人間は未来を奪われた事のない幸せ者ばかりだから、男の絶望を共感できはしない。凶悪な異世界人を排除しようとしない時点で耳を貸すに値しなかった。
「どうして異世界の扉を破壊しないんだッ。あいつらは、危険なんだぞッ!」
殺意に満ちた石化の魔眼を思い出して、男は身震いする。そしてまた酒に手を伸ばす。
「どうして皆は危険に思わないんだッ。異世界は俺達を殺そうとしたんだぞッ!」
“――次のニュースです。募集されていた●●動物園で生まれたタスマニアデビルの赤ちゃんの名前が――”
「誰も知らないんだ。誰も分からないんだ。だったら、俺が――」
暗い室内。
容器と缶のゴミが散乱する室内の中で、一番整頓された一角へと男は視線を向ける。
そこは男の工房だ。化学系の会社への就職を希望していた男の工房である。並んでいる容器に特殊な物はなく、ドラッグストアでも購入可能なものばかりだ。危険性などありはしなかったが……中央にある混合物には違法性があるだろう。
未来を奪われた男が未来を奪った異世界への罰を求める。自然な事である。
他の誰もしようとしない必要な事を自分で実行する。これも自然な事である。
しかし、二つの混合物には危険性があるのだ。
「――俺が、異世界の扉を閉ざしてやるしかないんだ」
「はい、次の方。こちらにどうぞ!」
いつもと同じ、二人の審査官だけでも捌ける人数しか訪れない異世界入国管理局。訪れる客層もいつも通りで、兆候のようなものはなかったと思う。
実際、俺が担当するブースで問題は起きなかった。
「全員、う、動くんじゃねえッ!!」
だが、隣のブース。
女性用の審査官服を着る後輩が担当する方では、異常事態が起きてしまった。
異世界への出国希望者の一人、コート姿の二十代前半と思しき男が後輩へと刃物を突き付けている。
「動くなって言っているだろ。さもないと、この女を刺し殺すッ!」




