密輸品L001 陽性
明けましておめでとうございます。
異世界接続ものを作者ならではの世界観で書いてみました。
読んで楽しんでいただければ幸いです。
「はい、次の方。こちらにどうぞ!」
青いシャツのボタンのかけ忘れを確かめる。
紺のネクタイが曲がっていないかを確かめる。
それから、小さなカウンター越しに、新しい入国者と対面する。
今日は入国管理局を訪れる人達がいつもより多い。団体客だ。全員、日本人なので定期的に開催されるツアーを終えた帰国者なのだろう。
「パスポートと書類の提示をお願いします。……珍しい、森林同盟に滞在されていたのですか。自然豊かな国のようですが、取材はいかがでしたか?」
「いやー、日本にはない素晴らしい風景ばかりで感動ものでした。たった一週間、往復を除けば実質二日しか取材できなくて未練だらけですよ!」
日本ではほとんど紹介されていない国々を巡る取材ツアー。カウンターの向こう側に立つ帰国者たる男性は、印象的だった旅の風景を楽しそうに語る。フリーのカメラマンが職業のようで、らしく首からカメラをぶら下げている。
ありきたりな会話であるが、帰国者の口調、姿、会話内容も審査官はチェックしている。不審な何かがなければ、次は書類の審査である。
「森林同盟の印は本物のようですね」
パスポートに怪しい点はなさそうだ。
「パスポートの写真も本物で……骨格は一致しますね」
パソコンディスプレイに映り出される男性の赤外線画像も男性のままで何も問題ない。誰かが男性に化けている形跡はなさそうで安心安全だ。以前のように、元の人物と入れ替わっているという事はなさそうである。良かった。
「素晴らしきかな異邦の大自然。日本に帰ってきたばかりですが、また直に取材したくて仕方がない」
「森林同盟なら取材許可が出ただけでも上々ですよ。それはそうと、書類に書き間違いや書き忘れはありませんね? お土産で食料を持ち帰られる方が多々いるのですが、向こう側の物品は例外なく厳禁です」
「ははは。当然じゃないですか」
書類に書かれる項目はすべて正しかった。
とはいえ、不正を馬鹿正直に答えてくれる人物は少ない。こうした書類は後から難癖付けられた際に入国審査官の正当性を補強するための証拠書類に過ぎないのである。
審査は続く。
男性の手荷物をX線検査機に通して、日本に持ち込んではならない物が隠されていないか審査する。写真フィルムのようにX線を浴びせてはならない物はトレーの上に乗せて目視検査だ。
結果は、白。マニュアル上はまったく問題なし。
異世界由来の物は隠されていない。
厳格な入国審査官たる俺は、最後にふと、昨日スーパーで買っておいた298円の円筒形の蓋を開く。
「では、胡椒をぱらぱら、と」
「ちょっと! 何しているんですか。私のフィルムは料理ではありませんよっ?!」
正確には塩と胡椒の混合物をトレーの上のフィルム容器に振りかけた。
Lゲート――通称、光の扉――からの帰国者なので胡椒だけでも大丈夫だと思われるが、清めの塩が入っているとRゲート――通称、闇の扉――での審査にも使えるのでお徳感がある。
半透明なフィルム容器に降りかかり、弾かれていく塩と胡椒の粒。
ただのフィルム容器であれば後でウェットティッシュで綺麗にする手間が増えるだけ。意味不明な審査でしかなかっただろうが――、
“――くしゅんっ!”
――小さく可愛らしい子供のクシャミが響く。
入国審査官たる俺と帰国者たる男性。どちらも野郎なのでこんなに可愛らしい声を発音できない。
「――妖精反応ですか。困りますね。低級妖精であっても日本への持ち込み自体が重犯罪。三年以上の懲役に一千万以下の罰金となります」
男性はワザとらしくゲフォゲフォ咳き込み誤魔化そうとしていたが、もちろん無理がある。
フィルム容器を開けると中身から光が溢れ出る。明らかに異常現象だ。
ホール全体を埋め尽くすありえない光量に照らされて、耐え切れず瞼を閉じてしまう。ほんの五秒程度の短い時間であったが、その間に俺の手へと誰かが着地してきた。
瞼を開けると……手の上にいたのは金色の髪と緑の服の小さな少女。人形のような少女。
「くしゅん。くしゅんっ!」
愛らしい仕草でクシャミをするたび、髪の間から胡椒の粒が落ちていく。まるで頭から胡椒を振りかけられてしまったかのようである。そんな非道を行ったのは誰なのか。許せない。
いや、本当に許せないのは、彼女のような妖精をフィルム容器の中に封印して日本へ密輸しようとしていた犯罪者だ。
「実は私、フィギュアコレクターなんですよ。クシャミするぐらいに精巧でしょう」
「――あ、警備室ですか。密輸事件です。犯人を拘束してください」
妖精を密輸しようとした男の言い分を聞くのは俺の仕事ではない。
スタッフオンリーのドアが大きく開かれて、屈強な警備員が二名現れた。二人は密輸男の両腕をホールドしながら奥部屋へと連行して消える。そのまま拘置所へと直送されるのだろう。
そして、団体客の中に妖精密輸者が現れた事により、全員に対して手荷物の全チェックが決定された。
今日も異世界入国審査は、忙しい。
「先輩。調味料で隠れた妖精を検出する方法なんて、マニュアルにありましたっけ?」
「スパイスは呪術的な触媒になるって聞いた事があったから、とりあえず手に入り易い胡椒で試しただけだったんだが。本当に効果があって良かったよ」
異世界入国管理局の公式の運営時間は、朝の十時から夕方の十六時までとなっている。
現在時刻は十六時半。審査業務を完了して、俺は後輩と一緒にスタッフルームに移動して本日の仕事内容を振り返る。
「結局、三十人中、三人も密輸しようとしていた人が紛れていました。流石に妖精は一体だけでしたけど、他にも輸入禁止物が色々。先輩の機転がなければ危ないところでした」
入国審査官のブルーのシャツが栄える後輩は、大学を卒業したばかりの新社会人だ。背は平均以下でか細い印象を受けるが、学生時代から格闘術を嗜んでおり全国大会に進んだ事もあったらしい。俺以上に体は引き締まっている。
なお、後輩といっても年齢的な隔たりはあまりない。業務経験も、先任の俺が半年長いだけだ。
設置されて一年にも満たない異世界ゲートの入国審査場なので、半年の業務経験はそこそこ長い方ではある。
「今回は低級妖精の密輸だけで助かった。前に持ち込まれた人間に寄生するダニの所為で欠員が出て、急遽、後輩が他部署から呼ば――」
「え、先輩。何か言いました?」
「――げふんげふん。後輩はすごいなーって褒めていただけだ」
大学を卒業したばかりのうら若き後輩の人生を守るためにも、先輩は頑張らなければならない。そう心に誓う。
あまり通行量が多くない異世界入国審査であるが、今日は団体客の相手でヘトヘトだった。このまま帰宅して早く眠ってしまいたい。
だがその前に……スタッフルームの隅に置いてある鳥かごに、水と餌を足すのを忘れずにやっておくべきか。明日出勤した時に餓死していたら心苦しい。
「――こらーっ! 妖精を鳥と一緒にするなーっ!」
鳥かごの中で住民が暴れている。きっと新しい環境に慣れていないからだ。
「確か、かごを布で覆ってやると安心するんだっけ。どこかに布あったっけ?」
「先輩、雑巾ならありますよ! まだ一回、私が牛乳こぼしたのを拭いただけのやつ」
「それはあんまりだろ。トイレからタオル持ってきてやろう」
「キーッ。なんて扱いなのよ。新世界の人間族が野蛮ってホントだったのね!」
業務で忙しい中、せっかく買ってきてやった鳥かごの中で手乗りサイズの小人が暴れている。
いや、小人というのは誤りだ。彼女は人ではない。
彼女は、妖精だ。
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▼密輸品ナンバーL001、低級妖精
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“一括りに低級妖精と呼ばれる小さな生き物。
異世界ではより詳細な分類がされているが、日本人には馴染みが薄いため低級妖精とのみ呼ばれる。今回の密輸品は、透明な一対の羽を背中から生やした純妖精。
基本的な性質は好奇心旺盛、無邪気(無自覚な邪気)、子供並の知性。人間の脳と比較して圧倒的に体積の足りない頭の割には知的と言えるが、イタズラを繰り返すひたすらに面倒臭い小動物。時々は善行も行うが、本人達が気に入らないとやっぱりイタズラに走る。
無管理時代に日本へと紛れ込んだ個体が動画投稿されて話題を呼んだ。着せ替え人形となった彼女を虐待していると多数の団体が騒ぎ立て、炎上する動画を喜ぶ妖精本人達の構図は紛れもない茶番だ”
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「先輩。きっと餌が駄目なんですよ」
「そうか。アワやヒエじゃなくて、ひまわりの種の方が良かったか」
「ムキーッ! 故郷から好奇心とイタズラ心のみで飛び出したペネトリット様をネズミと同じにするな!」
体のサイズに見合った小さくキンキン頭に響く声で、低級妖精は己の名前を明かした。
「ペネトリットか。……略したらペットじゃないか」
「だっ、かっ、らっ! 私を小動物に見立てるな、新世界の人間族!」
金色の長髪――長髪といっても素麺より短い――を逆立てて怒りを露わにした。
「こんな窓もない建物じゃなくて、早く新世界がどんな所か私に見せて」
「お前は密輸品だから無理だぞ。密輸犯との共犯の可能性があるから、しばらくは鳥かごの中に拘留だから」
異世界の密輸品たる妖精に、日本の領地に足を踏み入れる権利はない。
ならば、と異世界へと通じる扉に放り捨てて送還してしまう訳にもいかない事情がある。低級と言えど精霊を異世界側の許可なく適当な場所に放流させるのは条約違反なのだ。どこから密輸されたのかを特定する必要がある。
元の住処へと返してやらないと直に死んでしまうか、真逆に新しい住処とした場所の生態系に甚大な被害をもたらす。中途半端な事はできない。
「何でよっ! 私はこんなにも愛らしい妖精なのよ。もっと私を楽しませて! でないと靴下を片方ずつなくすような残虐なイタズラしちゃうから」
「先輩。少し可哀想じゃないですか? こんなに可愛らしいのに」
後輩はまだ後輩だから仕方がないが、妖精が小さく可愛いからといって侮ってはならない。種類によっては残虐な事件を起す習性を有するのが妖精だ。
「そこの人間族の言う通りだわ! 新世界の人間族をおちょくって楽しむ私の計画が果たせないじゃない。パソコンとかいう変な箱の中で動く円盤を壊すと、新世界の人間族がとっても面白い顔をするって評判なのよ!」
「おーい、後輩。羽の生えた害虫だ。殺虫剤どこかにあったっけ?」
「ぎゃーーーっ?!」
様々な事情により、鳥かごの中で暴れる妖精ペネトリット――略してペット妖精――は、迷惑にも異世界入国管理局で預かりとなる。